タグ: 戦争体験
「平和への道は、加害と被害の歴史共有から」~差別と戦争責任意識を踏まえた稀有で貴重な近藤一氏の戦争体験証言~ 2015.3.21
※4月7日テキストを追加しました!
亡くなった戦友と、我々の残虐なやり方で亡くなった中国の方を真に弔うためには、戦争放棄の憲法通りに、日本を「本当に戦争のない国」にしなければならない――。
3月21日(土)、真宗大谷派名古屋別院主催「戦後70年 全戦争犠牲者追弔法要記念行事『〝戦争〟ってなに?』交流会」が東別院ホール(名古屋市)で開かれ、「不戦兵士・市民の会」東海支部代表世話人で名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏が、「差別と戦場体験証言と福沢諭吉について」と題して講演した。
【2・22与那国で自衛隊配備の住民投票開始】「賛成する人は、戦争を知らない」 〜戦争体験者、牧野トヨ子さん(92)にインタビュー 2015.2.22
※2月22日21時、大勢が判明。賛成632票、反対票445、無効17票で、陸上自衛隊「沿岸監視隊」配備賛成派が、反対派を上回った。投票率は85.74%だった。(2月22日21時更新)
「国境の守りを固め 安心・安全・島の活性!」、「神高い島 軍隊はいらない!」
町内のいたるところには、賛成と反対ののぼりが対立するように立ち並んでいる。
2015年2月22日、日本最西端に位置する沖縄県与那国町では、陸上自衛隊配備の賛否を問う住民投票の投開票日を迎える。
「安倍さんを辞めさせないと、日本の将来も、沖縄の将来もない」~戦後から70年、仲里利信議員が沖縄戦の実体験を語る「なんとしても戦争だけは、させるわけにはいかない」 2015.2.5
※2月7日テキストを追加しました!
「戦後70年、もう一度沖縄戦を語る~『知る沖縄戦』は教材にふさわしくないのか~」と題した講演会が2015年2月5日(木)、文京区民センターにて開催された。
「子どもと教科書全国ネット21」の事務局長を務める俵義文氏は、主催団体として、会の主旨、経緯を説明。文科省が教科書の記述を正さないことが本会の立ち上げに繋がり、今のオール沖縄に結びついていると述べた。
山本宗補写真展「戦後はまだ…~刻まれた加害と被害の記憶」 ―トーク 山田悦子氏・山本宗補氏 2014.8.23
兵庫県姫路市の姫路市民会館で、フォトジャーナリスト山本宗補(やまもと・むねすけ)氏が70人の戦争体験者を撮影した写真展「戦後はまだ…~刻まれた加害と被害の記憶」が開催され、最終日の8月23日(土)、日本答責会議の山田悦子氏のトーク・イベントと山本宗補氏本人のトーク・イベントが行われた。山本氏の写真集『戦後はまだ…』の写真展は現在、日本各地を巡回しながら開催されている。
【IWJブログ】「集団的自衛権の閣議決定は憲法を踏みにじる暴挙です!」――長崎平和式典で安倍総理を前にして果敢に批判した被爆者・城臺美弥子さんが胸の内を激白 「戦争への道は絶対に許せん!」 2014.8.20
人類史上初の原爆投下から69年が経ち、今年も広島、長崎では核廃絶を訴える平和記念式典が開かれた。2つの「原爆の日」は、戦争をめぐる市民と政府の考えの違いを浮き彫りにし、現場では、さまざまな立場の人間の思いが交差した。
IWJは式典の模様をUst中継し、式典参列者に多数のインタビューを敢行した。さらに、安倍総理の目の前でアドリブを交えながらスピーチし、集団的自衛権をめぐる解釈改憲を糾弾した被爆者代表の城臺美弥子(じょうだい みやこ)さんへインタビューも行い、止むに止まれぬ思いを聞いた。
敗戦から69年 靖国神社参拝客に聞く 20代若者、戦争体験者、遺族の方…それぞれの思い 2014.8.15
特集 戦争の代償と歴史認識
敗戦から69年目を迎えた8月15日、靖国神社には多くの参拝客が訪れた。千鳥ヶ淵墓苑へ献花した安倍総理は、靖国神社への参拝は行わず、代理を通じて神社に私費で玉串料を奉納した。
閣僚からは、新藤義孝総務相、古屋圭司国家公安委員長、稲田朋美行政改革担当相の3人が参拝。国会議員では他にも、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)の84人も参拝した。
IWJはこの日、「参拝する会」による記者会見を中継した他、靖国神社を訪れた一般の参拝客にインタビューし、それぞれの戦争に関する胸のうちを聞いた。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑献花者の様々な思い 「日本は不戦の国であるように」 2014.8.15
特集 戦争の代償と歴史認識
敗戦から69年目を迎えた8月15日。太平洋戦争中、海外で死亡した日本人のうち、身元不詳で遺骨の引き取り手がない戦没者の霊を慰めるための千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、献花が行われた。
安倍総理はこの日、午前中に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花を行った。献花場所にいた報道陣の前に、複数の護衛の人間と姿を表した安倍総理は、係の者から花束を受け取り、献花。記者からの質問には答えず、無言のまま千鳥ヶ淵戦没者墓苑を去った。この間、わずか2分にも満たなかったという。
「母が、弟が死んでも涙がでなかった」 長崎原爆で家族全員を失った被爆者の告白、自らも覚悟した被爆死(原佑介記者) 2014.8.9
特集 戦争の代償と歴史認識
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広島、長崎に人類史上初の原爆が投下されてから69年が経った。
被爆者の今年の平均年齢は79歳を上回った。戦争体験や被爆体験を語り継ぐ世代が少なくなると同時に、戦争や原爆に対する国民の理解がいよいよ薄まってきている。そんな中、7月には集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされ、再び日本は戦争への道を歩もうとしている、と懸念する声も少なくない。
IWJは広島、長崎の平和記念式典を取材するとともに、戦争、原爆体験者の生の声をすくい上げ、語り継ぐべく、8月9日、長崎原爆被災者協議会で事務局長を務める被爆者の山田拓民さんに話をうかがった。
「集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙」はアドリブか 被爆者代表、安倍総理の眼前でスピーチ 2014.8.9
特集 戦争の代償と歴史認識
8月9日、広島に続き、第二の被爆地となった長崎が、原爆投下から69年の時をむかえた。長崎市平和公園では平和記念式典が開かれ、5000人を越える参列者が訪れた。原爆が投下された11時2分には参列者全員が黙祷を捧げ、平和祈念像下からは、平和を象徴する鳩が放たれた。
【IWJブログ】終戦の直前、青森を襲った悲劇/官憲に命を犠牲にさせられた人々の記録(IWJ青森中継市民・外川鉄治) 2014.8.6
特集 戦争の代償と歴史認識
お久しぶりです。IWJ青森中継市民のしーずーこと外川鉄治です。
今回は「戦争」をテーマに、地元青森では過去にどんな戦争をしたのか、とりわけ青森空襲について、ご紹介したいと思います。このテーマは、2012年の「青森空襲展」をきっかけに、ずっと追いかけていました。
「政府の間違った判断が、悲劇を生んだ」 ~「青森空襲展」にて青森空襲を記録する会 今村修氏インタビュー 2014.7.26
2014年7月26日10時過ぎより、青森市の中央市民センターで行われている「青森空襲展」を、「青森空襲を記録する会」会長の今村修氏の案内で巡り、当時の様子や記録する会の活動内容などについて聞いた。
終戦間近の7月28日に、市街地のおよそ90%を焼いた青森空襲では、空襲を恐れて郊外に避難・疎開をしていた住民を『防空法』を根拠に呼び戻したことによって、1000名以上の犠牲者を生んだ。「青森空襲展」は、空襲から69年となる7月28日まで開催された。
「馬と人が、そのまま焼け死んでいた」 ~「青森空襲を記録する会」体験を聞く会シリーズ6 青森空襲体験者 茂木ナツエさんの証言 2014.5.28
2014年5月28日、「青森空襲を記録する会」による青森空襲の体験を聞く会の第6回として、茂木ナツエさんの話を聞いた。当時15歳だった茂木さんは、旧青森バス(現在の青森市営バス)で車掌をしており、空襲直後の青森市に入り、惨状を目の当たりにした。バスガイドの仕事や戦後の暮らしのことなど、当時の様子を語った。
「生き延びるため、食べられるものは何でも食べた」 ~「青森空襲を記録する会」体験を聞く会シリーズ5 青森空襲体験者 松谷きみえさんの証言 2014.4.28
2014年4月28日、「青森空襲を記録する会」による青森空襲の体験を聞く会の第5回として、松谷きみえさんの話を聞いた。空襲のあった時は小学校1年生だった松谷さんは、4歳年上の姉から聞いた話も加えて、当時の生活の様子や、戦後の苦労したエピソードなどを話した。
「なぜ、憲法改正? 平和憲法は何のため?」 〜糸数慶子議員、沖縄の歴史と現状から憲法問題に切り込む 2014.5.10
「沖縄県民が望んだのは、米軍基地がなくなって、本土と同じ人権が約束されて、憲法9条のもとに帰ることだった。しかし、復帰しても変わらない。まだまだ沖縄が犠牲になろうとしている。沖縄の人々の人権が憲法で守られていないということだ」──。
2014年5月10日、三重県の四日市市総合会館にて「沖縄の風よ薫れ」と題した講演会が開催され、「沖縄と憲法・国会」をテーマに、沖縄選出の参議院議員、糸数慶子氏が講演を行った。糸数氏は、太平洋戦争の沖縄戦で、本土決戦を遅らせるために、沖縄が日本から切り離された事実を述べ、「ここから差別が生まれ、今も続いている」と指摘した。
「米兵は自動小銃、日本兵は旧式単発銃。大本営は大和魂で行け、と」 〜日中戦争と沖縄戦の戦場体験を聞く 2014.4.27
「戦争になったら、誰が犠牲になるのか。戦争とはどんなことで、天皇はどうであって、統治はどういうことだったと、ちゃんと教えないといけない。日本は憲法9条を守り、コスタリカのように国家予算の3分の2を福祉と教育に使うべき。戦争は、絶対起こしてはならない」──。
2014年4月27日、大阪市北区のPLP会館で、「元日本軍兵士の証言 日中戦争と沖縄戦の二つの戦場体験を聞く ~第3回連続講座『戦争を忘れない』」が行われた。元日本兵で、中国、沖縄の前線で戦った近藤一氏と、「山西省明らかにする会」の加藤修弘氏が講演した。95歳の近藤氏は、戦場で体験した日本軍の加害行為を語り、戦争の悲惨さを訴えた。
「戦時中、お国のために突き進んだ一本道。だが、道はひとつではない」小室等氏、熱唱 〜憲法記念日集会で 2014.5.3
特集 憲法改正
「今、非正規雇用者の数は2000万人台。改憲の議論など『特権階級の寝言』としか思っていない人が大勢いる。憲法問題を広く訴えるには、彼らへの支援も必要だ」と、雨宮処凛氏は力説した。
憲法記念日の2014年5月3日、東京都千代田区の日本教育会館で、「いま『戦争をさせない』決意を新たに 施行67周年 憲法記念日集会」が、平和フォーラムの主催で開かれた。作家の雨宮処凛氏とシンガーソングライターの小室等氏によるトークと音楽、この2人に鎌田慧氏(ルポライター)と佐高信氏(評論家)が加わった4人による討議、という2部構成で行われた。
敵を作って、差別をしていく。意識は作られていくもの ~「青森空襲を記録する会」体験を聞く会シリーズ4 青森空襲体験者 杉村憲子さんの証言 2014.3.28
特集 戦争の代償と歴史認識
「青森空襲を記録する会」による青森空襲の体験を聞く会シリーズ4回目として、2014年3月28日、杉村憲子さんの話を聞いた。火だるまの人、髪の毛だけの人、死人の山、そこで長剣を振り回す警官。その光景を見た杉村さんは、教育の場で、子どもの遊び場で、敵対意識や差別意識は「作られていくもの」だと実感したという。
「逃げたら非国民」情報隠しで被害を拡大した防空法 〜大阪空襲被害者の証言と「防空法制」 2014.3.14
「情報統制をし、国民の避難を禁じた戦時中の防空法制は、原発安全神話と同じ構造である」──。
大阪空襲から69年を迎えた2014年3月14日、大阪市中央区のドーンセンターで、学習会「大阪空襲被害者の証言、そして空襲からの避難を禁じた『防空法制』について」が行われた。3名の空襲体験者(大阪空襲訴訟原告)の話を聞くとともに、今年2月に『検証 防空法 〜空爆下で禁じられた避難』(法学者・水島朝穂氏との共著)を出した大前治弁護士が、当時の防空法制の実態について解説した。
「福島では、家、畑、山林、墓場まで奪われた。究極の公害だ」 〜縮小社会研究会 米澤鐵志氏、石田紀郎氏 2014.3.1
「環境調査とは、問題を抱える住民と意識を共有し、その苦しみを理解すること。問題の社会化、経済化、政治化の過程を繰り返し、問題解決に恊働することだ。単なるサンプル集めではない」──。 このように語った石田紀郎氏は、「福島」という枕言葉を付けるだけで、1プロジェクトにつき2~3億円の予算がつく総合地球環境学研究所について、「福島のことは何もやっていない」と批判した。
民間人ひとりに対しても、空から機銃攻撃 ~「青森空襲を記録する会」体験を聞く会シリーズ3 青森空襲体験者 佐藤ちよさんの証言 2014.1.28
特集 戦争の代償と歴史認識
「青森空襲を記録する会」による青森空襲の体験を聞く会シリーズ3回目として、2014年1月28日、佐藤ちよさんの話を聞いた。防空壕の中は煙でかえって危険であるため、佐藤さんは旧東北本線の浪打駅の辺りから、八重田地区まで逃げた。艦載機による民間人攻撃、終戦後の食生活、進駐軍の様子など、内容は多岐にわたった。