「今、非正規雇用者の数は2000万人台。改憲の議論など『特権階級の寝言』としか思っていない人が大勢いる。憲法問題を広く訴えるには、彼らへの支援も必要だ」と、雨宮処凛氏は力説した。
憲法記念日の2014年5月3日、東京都千代田区の日本教育会館で、「いま『戦争をさせない』決意を新たに 施行67周年 憲法記念日集会」が、平和フォーラムの主催で開かれた。作家の雨宮処凛氏とシンガーソングライターの小室等氏によるトークと音楽、この2人に鎌田慧氏(ルポライター)と佐高信氏(評論家)が加わった4人による討議、という2部構成で行われた。
小室氏は、詩人の黒田三郎が終戦直後の心境を表した『道』という作品に、曲をつけて披露した。討議では、憲法問題だけでなく、雇用や原発、さらには沖縄の基地問題やメディア論まで、日本社会が抱える諸テーマが総花的に取り上げられ、意見が交わされた。
- 主催あいさつ 福山真劫氏(平和フォーラム 共同代表)/連帯あいさつ 近藤昭一氏(衆議院議員、立憲フォーラム)
- シンポジウム
パネリスト 雨宮処凛氏(作家・活動家)/小室等氏(シンガーソングライター)/鎌田慧氏(ルポライター)/佐高信氏(評論家)
- まとめ・行動予定 藤本泰成氏(平和フォーラム 事務局長)
「今日は、全国各地で憲法理念の実現に向け、多くの市民集会が開かれているはずだ」──。福山真劫氏(平和フォーラム共同代表)は、冒頭のあいさつで、今年の5月3日は、かつてないほどに同志が声を張り上げているに違いない、と訴えた。安倍晋三政権が、今まさに、解釈改憲による事実上の「9条改正」を断行しようとしているためである。
解釈改憲による集団的自衛権の行使容認について、福山氏は「憲法9条の『最後の歯止め』を壊すようなもので、これは暴挙と言える。断じて許すわけにはいかない」と力を込め、この3月に立ち上がった市民グループ「戦争をさせない1000人委員会」を紹介。「呼びかけ人の数は100人超。その中には大江健三郎さん(作家)や、今日これから登壇する佐高さん、鎌田さんが含まれる」とし、呼びかけ人には「憲法9条の会」や「憲法行脚の会」といった、ほかの市民グループのそれを兼任する傾向がある、と伝えた。「兼任は、何としてでも安倍政権による9条破壊を止めたいという、彼らの意気込みの表れだ」。
その上で、福山氏は「市民も、労働者も、労働組合も、今の安倍政権の動きには強い危機感を感じている。だが、その動きを阻止できていないのが実情だ」と強調し、「安倍首相と対決するための『結集軸』の役割を、1000人委員会が果たしてくれるものと強く信じている」と言葉を重ねた。
日中関係を、政治の力で改善すべき
続いてマイクに向かったのは、立憲主義の大切さを力説する「立憲フォーラム」の代表で、衆院議員の近藤昭一氏。「立憲フォーラムは、昨年4月に船出した。当時、安倍首相は、憲法96条を変えようとしていたが、この件に関しては、多くの人の連帯により、ストップをかけることに成功した。しかしながら安倍首相は、今度は解釈改憲で、集団的自衛権の行使容認を行おうとしている」とし、次のように強調した。
「安倍首相は、自分は選挙で選ばれたトップだから『解釈を決められる』という、とんでもないことを行おうとしている。権力の暴走に縛りをかける憲法の立場に立てば、そういうことはあってはならない。いくら国会の中で数を占めていても、やってはいけないことを、憲法が定めている。憲法は私たち市民のものだ」。
近藤氏は、硬直化する日中関係は「政治の失敗」によるものだと断言。「安倍政首相は、日本と中国の関係を良好なものにするための政治的な努力をせずに、戦争をするための力を強くしようとしている」と批判を口にした。
叔父の戦争体験談で「加害の目線」を知る
雨宮氏と小室氏が登壇。まず、小室氏が「僕は1943年生まれで、戦時中に産声を上げたわけだが、幼少時の記憶としては、大人たちが何かにつけて戦争を話題にしていたことを、よく覚えている」と切り出し、「母親ら女性陣は戦争中の生活のつらさを、男性陣の中には、戦争に駆り出された人がけっこういて、軍隊生活のことをよく話していた」と述べた。
そして、もっとも強く記憶に刻み込まれたものとして、戦争で中国に行った叔父から聞いた話を紹介。「叔父は、中国の人たちを『満人』と呼んでいた。自分の部隊が、ある村で満人の男性を捕まえた。その人を後手に縛り上げて、上官が軍刀で首を切ったという。彼は『首は1回では切り落とせない。中途半端に首を切られた鶏が暴れまわるのと同じ光景を見た』と強調していた。今にして思えば、叔父は、自分が刀を握ったわけではないものの、自分も加害者の側にいたことを暗に表明していたのかもしれない」。
小室氏は「その話を聞いたことで、幼少期に『加害者目線』を知ったように思える」と付言しつつ、日本人が口にする戦争体験談は「被害者目線」に傾倒しすぎている、と指摘した。
これを受け雨宮氏は、「日本では今、『戦争』をテーマにした博物館などから、残酷な描写が含まれる展示物を撤去する動きが広がっている」と訴え、「子どもたちにトラウマを与えるから、という理由だが、子どもの時分に『はだしのゲン』を読んだ自分のことを言えば、トラウマとして刷り込まれているからこそ、戦争への恐怖感があるというのが強い」と語った。
雨宮氏の発言に、「(人間には)引き受けねばならないトラウマがある」と応じた小室氏は、ギターを手にして弾き語りで曲を披露した。
道は、ひとつではなかった
「1919年生まれで、すでに他界している黒田三郎さんという詩人は、大戦中、東南アジアのどこかの農園で働いていて、現地で召集を受けた。そして日本が戦争に負け、命からがら舞い戻ってみると、故郷の鹿児島は焼け野原状態だった。その時に感じた思いを綴った『道』という作品がある。僕は、これに最近、曲をつけた」。
小室氏は、黒田三郎を含む戦時中の日本人の男たちにとっての「道」は、天皇陛下のために、お国のために、自分の命を捨てて突き進んでいく1本のそれしかなかった、とした上で、「鹿児島の焼け野原に佇んだ時の黒田さんの胸には、『実は、道はひとつではなかった』という思いが芽生えていたのではないか」とした。小室氏によって歌われた『道』には、「右に行くのも、左に行くのも、今は僕の自由である」との言葉が何度も登場した。
憲法の精神を刷り込まれた世代