ブノワ・パレ:OSCE監視員がウクライナ戦争の嘘を暴く
グレン・ディーセン
2025年8月31日
ブノワ・パレ氏は、フランス陸軍予備役将校であり、元フランス国防省のアナリスト。また、2015年から2022年までドンバス地域で欧州安全保障協力機構(OSCE)の監視員を務めた経験を持つ。
ウクライナからカナダへ移住した、オタワ大学のイヴァン・カチャノフスキー教授の研究に出会い、「ユーロマイダン革命」が西側の作り上げた「物語」であることに気づいた!!
グレン・ディーセン教授(以下、ディーセン教授と略す)「皆さん、こんにちは。
ようこそお戻りくださいました。本日は、フランス陸軍予備役将校であり、元フランス国防省顧問であるブノワ・パレ氏をお迎えしています。本日の議論において最も重要な点は、2015年から2022年にかけてドンバス地域でOSCEの監視員を務められていた、ということです。
また、この件についての著書も執筆されています。
この番組へようこそ」
ブノワ・パレ氏(以下、パレ氏と略す)「ありがとうございます。お招きいただき感謝します。
一点だけ補足すると、私はフランス国防省の顧問ではなく、アナリストでした」
ディーセン教授「アナリストだったのですね」
パレ氏「そうです」
ディーセン教授「なるほど。あなたの著書のタイトルは『ウクライナで監視員として見たこと』とあり、副題には『メディアの物語(narrative)から遠く離れて』と書かれています。これは非常に興味深いと思いました。というのも、この戦争は、2つのレベルで戦われているように思えるからです。
1つは、もちろん現場での戦争であり、NATOが多大な役割を果たしています。そしてもう1つは物語の戦争です。物語を伝えることによって政策を形作るだけでなく、時には政策を固定化してしまうことがあります。
ですから、これは非常に興味深い観点だと思いました。
あなたのOSCE(欧州安全保障協力機構)の観察内容も、非常に興味深いと思います。
なぜなら、この戦争は挑発された(provoked)ものなのか、されなかったもの(unprovoked)なのか? NATOの動機は何か? 我々は、本当にウクライナを思いやる博愛的な意図だけで動いているのか? それとも、ウクライナを代理として利用しているのか? という問いに直結するからです。
しかし、まずは、より一般的な質問から始めたいと思います。
2014年に、ウクライナの(ビクトル・)ヤヌコヴィッチ大統領が失脚したあと、ロシアが介入してクリミアを併合し、同時にドンバスでの紛争が始まりました。現地の人々は、(ヤヌコヴィッチ政権を転覆した)そのような動きに抵抗しているように見えました。
ドンバスでの初期の数年間を、あなたはどのように経験したのでしょうか?」
パレ氏「初期の数年間を、どのように経験したか、ですね?
私がドンバスに派遣されたのは、2015年7月でした。それ以前は、私は基本的にニュースメディアから情報を得ていました。当時は、SNSに依存していませんでした。まだ、それほど発達していなかったから。私は、主流新聞を読み、テレビのプライムタイムのニュースを視聴していました。
これらの情報は、いわゆる『物語』を形成していました。ヤヌコヴィッチ大統領は、『親ロシア派で深刻に腐敗』しており、『欧州連合との貿易協定締結を拒否することで、ウクライナ国民の利益に反する行動を取った』人物として描かれていました。さらに、彼は平和的なデモ参加者に対して、警察に発砲を命じたと非難されていました。
これが、当時、西側諸国に流布されていた『物語』でした。
しかし、私が実際にウクライナに赴き、OSCEの任務に就いてから、紛争の最初に何が本当に起こったのか、理解が変わっていきました。
きっかけは、ある記事、『スプートニク』で見つけた記事でした。このロシアメディアは、『プロパガンダの塊で読むべきではない』と言われていました。しかし、OSCEの任務では、中立性を保つことが求められていたので、アクセスが許可されていました。
毎朝、メンバー全員に、プレスダイジェストが配布されていました。これらはウクライナだけでなく、ロシアやウクライナの分離主義地域の情報源も網羅し、西側メディアの一部も含まれていました。それらは、基本的に国別に分類されていました。ウクライナ、次に非政府支配地域(ドンバス)、ロシア、そして世界のその他の地域、といった具合でした。
そのダイジェストで、私は『スプートニク』の記事を発見しました。そこには、オタワ大学で教鞭を執るウクライナ人教授、イヴァン・カチャノフスキーの研究が紹介されていました。
この記事を見つけた時、私にとってそれはゲームチェンジャーでした。この記事がきっかけで、私は実際にこのイヴァン・カチャノフスキーの論文全体をダウンロードしたのです。その論文のタイトルは、おそらく『捏造された虐殺の起源』か『捏造された虐殺の分析』といった類のものでした。(中略)
彼(カチャノフスキー教授)の結論はこうでした。2014年2月18日と19日に銃撃されたデモ参加者の大半は、実際には野党勢力、主に『スヴォボダ』と『右派セクター』が占拠した建物から撃たれていた、というものです。
『スヴォボダ(全ウクライナ連合「自由」)』は、ウクライナ情勢をよく知る人々には、ネオナチ思想を持つ生粋の極右政党として知られています。
そして、『右派セクター』は、比較的新しい団体ですが、基本的に暴力的な要素で構成されていました。彼らは非常に早い段階から、(マイダン広場の)バリケード上で、躊躇なく暴力を行使していました。
私達が伝えられていた『マイダン虐殺』に関する物語(※)が、現実と一致していないことを発見した時、最初は恐ろしくて、論文全体を読む勇気がありませんでした」
(※)2014年に起きた、民主的に選出されたヤヌコヴィッチ大統領の政権を転覆したクーデターは、「マイダン革命」「尊厳革命」「市民革命」であるという「物語」が流布されていた。これは自然発生的な物語ではなく、プロパガンダである。
パレ氏「ある時、友人を介して、主流メディアの記者と会う機会を得ました。これは非公式の接触でした。許可なくジャーナリストと話すことは、禁じられていましたから。
私達がジャーナリストに伝えることのできる内容は、厳しく管理されていました。仮に話すとしても、言える内容は厳しく制限されており、基本的には本部に誘導して、『OSCEが収集した情報はこれです』とだけ伝えるように言われていました。
ともあれ、私は彼とこの『オフレコ』の会談をしました。そして、会談の終わりに、私は彼に、『ところで、イワン・カチャノフスキーという人物の論文について、聞いたことはありますか?』とたずねました。
彼は、『いいえ、知らない』と答えました。私は論文の内容を簡単に説明し、『著名なジャーナリストであるあなたなら、この件を掘り下げて真実性を検証する興味はないですか?」と勧めました。すると、彼は2秒ほど沈黙し、こう答えました。「いや、それはあまりにも多くのことを変えてしまう」。これが、彼の返事でした。
彼は、フランスで、ウクライナ情勢をカバーするトップ・ジャーナリストの一人でした。つまりこの人物の発言は、他の報道機関の基準となるようなものでした。彼だけではありませんが、フランスには数人しか、彼のような影響力を持つ人物はいませんでした。
そのわずか数人が、フランス全体のメディアに影響力を及ぼしていました。その人物は、追及しないことを選びました。
その瞬間、私は、主流メディアに期待するものは何もないと悟ったのです。彼らから、真実が明らかになることはないと。
そこで私は、この論文の信頼性について、自ら判断を下さねばならないと確信しました。時間を見つけては――当時はあまり時間がありませんでしたが――、ついに72ページに及ぶ論文を読みきり、論文で引用されていた動画も視聴しました。約2時間の動画でした。
最初は、すべてロシア語やウクライナ語で字幕がなかったので、これらの動画を分析できないと思いました。ところが、カチャノフスキー教授自身がこれらの動画を英語に訳し、字幕を付けてくれていました。それで、私は初めて理解できるようになりました。
私は、信頼できるOSCEの同僚に『このドキュメンタリーの5~10分を見て、正しく翻訳されているか確認してほしい』と頼みました。その結果、翻訳は正確だと確認されました。よって私は、この論文を信頼できる研究と判断しました。
これは、ウクライナ戦争の開始についての、私達の認識を根本から変えるものです。
なぜなら、一部の人々は、この戦争が『2022年2月に始まった』と考えていますが、実際には2014年2月に、マイダンで始まったからです。ここで最初の血が流されました。その後の、現在に至るまでのすべては、そこで始まったのです。
その後の出来事は、論理的に説明できることの連鎖です。デモ隊に対する『偽旗作戦』は、ヤヌコヴィッチを重大な犯罪で告発する口実となり、大スキャンダルへと発展していきました。彼(ヤヌコヴィッチ)は、命の危険を感じて、国外へ逃亡しました。そして、彼の後任が(大統領に)就きました。
それから、ウクライナの親ロシア派住民の居住する、主にドンバスですが――ドンバスだけではなく――、オデッサやハルキウ、ドニプロといった主要都市でも、デモがあったことは、周知の事実です。
ウクライナの東部と南部で、圧倒的支持を得て選出された親ロシア派の大統領(ヤヌコヴィッチ)が、当時すでに人々から『クーデター』と認識されていたような形で交代させられたという事実が、大きな混乱を引き起こしました。
この混乱は、2014年4月に暫定ウクライナ政府が開始した対テロ作戦への反動として生じ、それがドンバス戦争に発展したのです。つまり、これらは一連の出来事の連鎖なのです。
ドンバス戦争は、終わることはありませんでした。ミンスク合意があったにもかかわらず。
ご存知の通り、ミンスク合意はドンバス戦争を解決することを目的としていましたが、ミンスク合意は履行されませんでした。それは、主にウクライナ側の理由によるものです。
ミンスク合意の核心は、国(ウクライナ)から分離したドンバス地域に自治権を付与することにありました。しかし、ウクライナ議会は、法的に認める憲法改正案の採決を、実際には行いませんでした。それこそが、ミンスク合意の他のすべての要素の鍵だったのです。もし、ドンバスに法的な地位が与えられなければ、その他すべては、空虚な殻にすぎませんでした。合意は成立していなかったのです。
OSCEミッション内部で活動した経験からいえるのは、ウクライナ政府がミンスク合意を履行する意思をまったく持っていなかったのは明白だった、ということです。この意思の欠如を示す事例は、実際、数多く存在します。そしてある時点でロシアは、『ミンスク合意は死んだ』と考えるようになったのです。
さらに、2021年1月に(米国で)バイデン大統領が就任すると、ウクライナは急速に過激化しました。ゼレンスキー政権は、まさにロシアを挑発し、怒らせ、最終的に今日の戦争へと導くことを意図したと思われるような、一連の措置を講じました。
2021年の出来事を分析すると、当時の米政権とウクライナ政府がともに協議し、『ロシアを挑発できるあらゆる手段』をリストアップしたように見えます。この件については、私の著書『ウクライナで見たもの』で、詳細に記述しました。より深く知りたい方は、そちらを参照ください。私にとって、これが最終的な経緯であることは、きわめて明白です。残念ながら、これが現在の状況へとつながっているのです」
2014年「ある時点で何かが変わった」! メディアは皆論調をあわせて真実を報じなくなった! ドンバスでは毎日のように、ジャーナリストや「新政権に忠実ではない人々」の行方不明事件が続き、「切迫した劇的な状況」にあった!
ディーセン教授「それにしても興味深いのは、2014年のある時期を境に、メディアの論調が変化したことです。
というのも、当時の大手メディア――『CNN』や『ガーディアン』など――の報道、記事、映像を振り返ると、ドンバスの人々が、キエフでのクーデターの正統性を認めていなかったことが、報じられています。さらに、キエフの政権が(ドンバスの人々に対して)きわめて残酷な対応を取ったという内容が、多く含まれています。
つまり、この地域(ドンバス)で親族や隣人を殺害された人々の証言が、数多く報道されており、彼らはポロシェンコ(新大統領)に対して、殺戮をやめるように懇願していました。
ジャーナリスト達は、『彼らは本当にドンバスを阻害している。この残虐な攻撃の後、ドンバスはもはやウクライナの一部でありたいとは思わなくなるかもしれない』と指摘していたのです。
私が言いたいのは、こうしたメディア報道が存在していた、ということです。ファシスト的な集団を取り上げた報道もあり、『なぜ我々は、彼らに資金を提供しているのか?』という疑問の声もありました。
ドンバスになだれ込んできた彼ら(ファシスト的な集団、ネオナチ)の多くは、非常に過激な義勇兵の集団で、ウクライナ西部の出身者でした。彼らにとってドンバスは、ほぼ外国の領域でした。
『BBC』や『ガーディアン』などでは、クーデターへの米国の関与、ロシアの懸念、ファシスト的な要素やドンバスでの殺害だけでなく、NATOの進出の可能性についても、議論されていました。
こうしたすべてのことは、今や『ロシアのプロパガンダ』とレッテルを貼られていますが、当時は(西側の)メディアで報じられていたのです。それらはすべて、2014年に洗い流され、今では(メディアは)ほぼ同じ論調にあわせて行進しているようなありさまです。実に驚くべきことです」
(※)ディーセン教授の言う通り、2014年のユーロマイダン・クーデター当時の西側報道は、虚実の入りまじる西側メディアであっても、ウクライナのネオナチをウクライナ政府が野放しにし、ロシア語話者とみるや、暴力をふるい、殺戮を行っていたことを報じていた。
日本を含め西側のメディアは口をつぐんでいるが、岩上安身とIWJは、はっきりと記憶しており、当時、記録も残している。
(※)また、『天使の並木道~ウクライナ人がウクライナ人をジェノサイドし続けた8年間の記録 2014~2022』(ヒカルランド、2024年10月)という本を編集・上梓した、黒龍會・アジア新聞社会長の田中健之(たなか たけゆき)氏には、岩上安身が、当時のドンバスにおける状況をインタビューしている。
ディーセン教授「しかし、あなたは、現在起きていることをもたらしたこれらの出来事について、誰も関心を持とうとする者はいなかった、と言いました。それを知ることは、あまりにも大きく現状を変えてしまうからです。
ウクライナにおける米国や、おそらくはNATO側の動きを、あなたはどのように見ていましたか?
行方不明事件に関する証拠が、山積みになっていましたね。キエフの新政権に忠実でないかもしれない一般市民が、姿を消したままになっています。人々は、無名の集団墓地に埋められました。
お聞きしたいのは、あなたはこうした一連の出来事を、どう見ていたのでしょうか? そして、『(我々が言うところの)ウクライナ人を支援するために』現地にいた西側諸国の反応を、どうとらえていたのでしょうか?」
パレ氏「ええ、おっしゃる通りです。たしかに、『CNN』のような一部の西側メディアは、ドンバス情勢について、正直な報道をしていた時期がありました。
2014年には、『CNN』の報道を少なくとも2編、見ました。1編はドネツク市、もう1編はルガンスク市に関するもので、ウクライナ軍の砲撃について、正直に伝えていました。
しかし、ある時点で、何かが変わったのです。
同じ時期、米国上院でさえ、アゾフ大隊――後に大隊の規模を超えたため連隊と改称した――への、いかなる支援も禁止していました。実は、この決定が撤回されたのは、つい最近です。現在、米国政府がアゾフを支援することは、合法化されています。つまり、その間に何かが変わったのです。
さて、ご質問に戻りますと、――私がドンバスに到着してからわずか数週間後、私はある地元ジャーナリストへのインタビューをしないかと提案されました。
そのジャーナリストは、自分自身が義勇兵大隊に拉致され、3日間拷問と屈辱を受け、最終的には書類送付を要求され、脅迫された経緯を説明しました。
尋問の間、彼はほとんどずっと頭に袋をかぶせられ、ほとんど裸で数日間椅子に縛り付けられていました。彼は自分が耐えなければならなかった拷問のすべてを語ろうとはしませんでした。おそらく、その一部は性的な性質のものだったからだろうと思います。この種の事件では、よくあることなので。
とにかく、その尋問の終わりに、彼はまだ頭に袋をかぶせられたまま、武器を持たされました。そして彼らは、『よし、これで武器にお前の指紋が付いた。言われた通りにしなければ、我々はお前をテロリストとして起訴する証拠を作るぞ』と言ったのです。
そしてその日、彼は解放されました。要するに、『解放してやるが、これからは我々の言う通りにするんだ。俺達の指示通りに書け』というわけです。これが、彼に対して行われたことでした。
インタビューの後、私は当時の上司に話しました。『実は、君が今やっていることは…、ほんの数ヶ月前にここにいたあなたの同僚達が、数十件にのぼる失踪事件の調査に関与してやっていたことと同じだ』。
つまり、人々が路上や自宅、車から突然、バラクラバ(※目出し帽のような覆面)を着た正体不明の人物に連れ去られれる――そうした事件です。犯人が誰なのか、何もわかりませんでした。
だから、家族はパニック状態で、OSCEの拠点に助けを求めに来きました。というのは、彼らにとって、彼らを救うことができるのは、国際機関だけだったからです。彼らは、地元の警察を信用していませんでした。つまり、当時の状況は…、どう言えばいいのか…、非常に劇的で、切迫していたのです。
ほぼ毎日、あるいは2、3日に一度は、誰かが『親族が行方不明になった』と、(OSCEの)拠点に助けを求めて訪れていました。この状態は、何ヶ月も続きました」
(※)当時、一時的に一部のメディア、ジャーナリストらが、我々IWJが2014年時点から報じ、その後もスタンスを一切変えていない報道と、同じ姿勢の報道を行っていた。
しかし、すぐに、デマだらけのプロパガンダに変わっていき、今もその状態が続いている。現在、大学生くらいの若い人だと、マスメディアだけを見ていたら、もう真実が何か、わからなくなっていることだろう。
当時、西側の主要メディアによると、ロシア軍は何回も国境を超えてウクライナ側に進軍していたことになっている。しかし、おそらくは米軍が提供したと思われるコンボイの車列の衛星写真が掲載されたそれらの記事は、ロシア側からの人道支援物資であることが動画で明らかにされると、西側の追跡記事は、訂正もなく、消えてゆくのである。
権力の圧力を受けて、真実を報じないだけでなく、まったくニセ情報のプロパガンダが行われていることを、当時、衝撃を受けながらも、確信した。
そして、そうしたプロパガンダの状況は変わらないまま、8年後の2022年に、ロシア軍が実際に部隊を投入した。この時まで、断続的にウォッチングし続けてきたIWJは、挑発を受けて、ついにロシアが武力介入せざるをえなくなったと理解し、西側のプロパガンダとは違う、しかしより真実に近い事実を報じた。
それに対して、多くの誹謗中傷が寄せられた。あるいは、プロパガンダにまどわされてしまった支持者の方々が、離れていった。その時点で、いちいち反論することは控えてきたが、我々は、そうした真実にもとづかない誹謗中傷を決して忘れていない。
ただ、真実を追っていたジャーナリストが、ウクライナ国内のドンバス現地で、ウクライナ側から、このような残酷な拷問にあわされていたことまでは、知りえなかった。
胸の痛くなるような話だが、こうした脅迫の事実があったからこそ、ジャーナリスト達は沈黙せざるをえなくなったのである。
あるいは、プロパガンダに乗っかった自称「ジャーナリスト」だけが、ウクライナ現地で便宜まではかってもらって、アゾフの司令官まで取材できたりしてきたのである。
2014年当時、OSCE上層部もNATO上層部も米国大使も、口をそろえてドンバスの分離主義者を「ならず者の一味」とみなし、地元住民の失踪問題にまったく取り合わなかった!
パレ氏「ある時点で同僚達は、(ドンバス地方で相次いでいた失踪事件の)調査を開始することを決めました。その結果、作成された報告書を私は読みましたが、見事なプロフェッショナルな成果物でした。
約10ページに及ぶ報告書は、当時の出来事をまとめたもので、事実と解釈がきわめて厳密に区別されていました。私はこの報告書の大部分を、私の著書で引用しています。
しかし残念ながら、私の同僚――本部に勤務していた人物――から明かされたところによれば、OSCEミッション(※ウクライナ特別監視ミッション、SMM)は、この報告書にもとづいた行動を何も起こさなかったのです。
何年も後になって――『ああ、その報告書のことは知っているよ。でも何もなされなかったんだ。ただ棚に置かれて無視されたんだ』と言われました。それが現実でした。(OSCEの)指揮系統の上層部には、この現実を見たくない人間がいたのです。
先ほども触れましたが、当時、私の同僚の1人が、我々の拠点を訪問した米国大使(※)と実際に面会する機会を得ました。
大使は『人権侵害に関する事例はありますか?』と質問しました。しかし、私の同僚が、私が今述べたような拉致事件の話を始めると、大使はそれがウクライナにとって不利な事実であると気づき、途端に、完全に興味を失った様子で『OK、次の話題へ』と言ったのです。
大使は明らかに興味を失い、同僚の話を遮って、別の人に質問をしたと思います。
つまり、こうした話にまったく関心がないことを、あからさまに示したのです」
(※)2014年当時の駐ウクライナ米国大使は、ジェフリー・R・パイアット(Geoffrey R. Pyatt、在任:2013年7月30日~2016年8月18日)。2014年2月4日に行われたヴィクトリア・ヌーランド国務次官補(当時)との、ウクライナのクーデター政権の人事に関する会話がYouTubeにリークされた。
また、パイアット大使(当時)は、『ヴォイス・オブ・アメリカ』のインタビューで、ドンバスの武装集団について「一部の集団には大規模な混乱を引き起こし、キエフ政府のバランスを崩そうとする意図があるようだ」「ウクライナの新たな民主政権の成功を阻止することを意図しているようにしか思えない」と述べている。
ドンバスの「分離派」については、「ウクライナ東部の都市には、最新鋭の狙撃銃や、グレネードランチャーを備えたロシア製自動機関銃など、ロシア製の武器で重武装した人々」がいて、「彼らの行動がさらなる暴力を誘発するリスク」があると述べている。
パイアットは、2014年のロシアによるクリミアとウクライナ東部への侵攻に対する米国の対応におけるリーダーシップが認められ、国務省からロバート・フラジャー記念賞を受賞した。その後、駐ギリシャ米国大使(2016-2022)、エネルギー資源担当の国務次官(2022-2025)を務めた。
2025年1月20日、バイデン政権からトランプ政権に移行した際に、国務省における任期を終えた。現在は、McLarty Associatesのエネルギーおよび重要鉱物担当のシニアマネージングディレクターを務めている。
しかし、パイアットは、国際的な影響力を失ったわけではない。2022年には、日本に次世代原子炉の小型モジュール炉の共同開発を求め、対露制裁でロシア産天然ガスが不足する中、日本への米国産LNGの供給を約束した。これはロシア産ガスの市場を米国産ガスが奪い取る措置を意味する。対露制裁でロシア産原油の輸入が困難になった2024年3月には、ベネズエラに対する制裁を緩和すると述べた。
- Geoffrey R. Pyatt(U.S.Department of State)
<ここから特別公開中>
パレ氏「私が現地で働いていた当時、本部の連中はよくこう言っていました――『ドンバス地域の指導者達? ただのならず者どもの一味(bunch of thugs)だ。まったく信用に値しない。彼らを認めるべきではない。真剣に扱うべきではない』と。
また、2014年夏以前に、アフガニスタン駐在の元NATO大使を務めた人物――かなり重要な人物――と面会したことも覚えています。
2014年夏、我々がウクライナの状況、主にドンバスの状況について議論していた際、彼はすでに断固として『分離主義者達は単なる「ならず者の一味」だ。まったく真剣に受け止めるべきではない。無視すべきだ』と、主張していました。
これがNATO加盟国の上層部の見解だったのです。『この連中は無視すべきだ。真剣に受け止める必要はない』と。――そう、これが彼らの考え方でした。
その後、同じ考え方を、再び目にしました。ウクライナにある米国代表部を訪れた際、別の女性とも会いました。彼女はコソボ駐留NATO軍将軍の元NATO顧問でした。彼女もやはり『これら分離主義者の指導者達は、まったく真剣に取り合う価値はなく、軽蔑すべき存在だ』という態度で、彼女は公然と彼らを軽蔑していました。
私は、これを非常に不快に感じました。私は『どうして(そんな態度で)中立でいられるのですか?』と言いました。
最初からこうした考え方で、人々の声すら聞こうとしない状態で、中立であるように求められている任務を、どうして尊重できるのでしょうか? 我々は、ようやく人々の声に耳を傾け始めたところだったのです。
それは非常に難しいことでした。というのは、現地の監視員である我々が、ドンバス地域の事実上の当局と実際に接触しようとすると、上層部があらゆる障害を作り出したので。
我々は、特定の省庁や裁判所の代表者とは、一切話すことを許されませんでした。それは、『我々が、承認していないたから』(という理由だった)。
しかし、我々の任務はきわめて明確で、『地方当局を含め、現地のすべての利害関係者と、対話を発展すること』と定められていました。もちろん、法的に認められていない、あるいは承認されていない、地方政党や当局地方組織については、それはまた別の問題ですが。
つまり、場合によっては、実際に地方レベルの人々と話すことは許可されていました。しかし、いわゆる『政府レベル』や政府に直接依存するような機関とは、一切接触を許されなかったのです。
とはいえ、ほんの短い瞬間ですが、何人かが突破口を見出すことはありました。時には担当者が交代したり、その時点で現地の政策を決定する権限を持つ人物だったりしました。
しかし、それでも本部の立場では、我々が分離主義者と接触を持つことは、まったく奨励されていませんでした。決して奨励されたことはありませんでした。
ですから、現地で接触を実現できたのは、すべて我々自身の自主的な取り組みによるものでした。上層部が設けたあらゆる障壁を、実際に乗り越えたあとに、ようやく可能になったものでした」
ディーセン教授「なるほど。その関係性は興味深いものです。なぜなら、あなた方は独立した中立の監視者として現地にいる一方で、指示を下す側の人々は明らかに――中立とは言えないのですから。
そして、米国は、ウクライナにおいて、非常に支配的な役割を担うようになりました。少なくとも2014年以降のウクライナ全体において、ヴィクトル・ショーキン検事総長(※)は、次のように指摘していました。――クーデター後に任命された新政府の役職者は全員、米国が自らの人事要求を提示するか、そうでない場合は、米国の承認を得る必要があった、と」
(※)バイデン副大統領(当時)は、2016年3月、ウクライナの民営ガス会社ブリスマの汚職疑惑について捜査していたヴィクトル・ショーキン(Viktor Shokin)検事総長の解任を求めた。
ブリスマの役員だった息子ハンター・バイデン氏を守るためだったと指摘されている。
翌月、ショーキン氏は、検事総長を解任された。
・はじめに~バイデン大統領がウクライナを脅迫していた! 次男のハンター・バイデン氏が取締役を務めるウクライナの天然ガス会社ブリズマの汚職事件! 自ら捜査を指揮していたウクライナの検事総長、ヴィクトル・ショーキン氏を辞めさせなければ10億ドルの支援を撤回するとウクライナ政府を脅迫! 今後、米下院の弾劾調査の大きな焦点に! IWJは、ショーキン氏の2019年の宣誓供述書を入手し、仮翻訳!(日刊IWJガイド、2023.8.8号)
会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/52616#idx-1
非会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/52616#idx-1
2014年、親ロシア派分離主義者らによってドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が創設された際、地元警察官の多くが2つの人民共和国を支持!「ロシアが2共和国の創設を主導した」「ロシアによる侵略だ」という主張は、事実によって裏付けられていない!
ディーセン教授「さらに、私達は情報筋から、こんな話も聞いています。
クーデターの翌日から、米国はウクライナの情報機関を根本的に再構築する必要があると考えていました。というのは、以前の情報機関は、あまりにもロシアとの連携が深すぎたので。
米国は(ウクライナの情報機関を)、むしろロシアに対抗する手段、米国のパートナーとして利用したかったのです。
だから、情報機関だけでなく、警察組織も再構築する必要がありました。
ヴィクトリア・ヌーランドらが述べたように、ウクライナ東部全域で警察官を訓練し、それまでの警察長官を交代させる計画が進められていました。
これは、より広範な動き――ウクライナのロシアとの経済的な結びつきを断ち、政治的な反対勢力を排除し、メディアを粛清し、正教会を排除し、ロシア語を禁止する――の一環として、整合しています。
こうした動きは、現地の状況にどのように影響したのでしょうか?
例えば警察であれば、米国がキエフに設置した新政権に忠誠を誓うように訓練した新しい警察を、ドンバス地域の住民はどのように受け止めたのでしょうか?」
パレ氏「そうですね。2014年当時の警察の役割は、非常に興味深い研究対象でした。私の著書では、マリウポリの状況を特に詳細に考察しています。
私は、マリウポリに2年以上滞在駐在していましたので、最終的に多くの裁判を追跡できる立場にありました。いわゆる分離主義者という容疑をかけられた人々の、数多くの裁判だけでなく、殺人・拷問・誘拐などといった暴力犯罪を犯した義勇兵大隊のメンバーの裁判も、です。
つまり、2種類の異なる裁判を追跡していましたが、『分離主義者としての容疑をかけられた人々』の裁判を追うのは、非常に興味深い経験でした。
というのは、それによって、2014年に起きた出来事を、内幕から実際に、事態がどのように展開したか、当時の住民がどのような見方をしていたかを、洞察できるからです。実に興味深いものでした。
私は、これらの裁判で得た情報を、私自身のオンライン調査や、地元政治家との様々な人脈を通じて補完しました。
例えば、私が得た人脈の1人は、2014年の混乱をきわめていた時期に、マリウポリ市の事務局長を務めていた人物でした。彼の洞察は、非常に興味深く、警察について長い時間をかけて話してくれました。
実際のところ、ドンバス全域において、警察は大多数のケースにおいて、いわば中立を保ち、政府と分離主義者の対立には加わらず、傍観していました。これは驚くべきことですが、実際にそういうことが起きていたのです。
マリウポリでも、同じことがありました。DPR(ドネツク人民共和国)支持していた人々は、警察が自分達の味方だと感じていました。
ドンバス地域の警察は、信頼できないと悟ったキエフ当局は、マリウポリでやったように、各都市で警察幹部を入れ替えようとしました。
(キエフ当局は)まず、マリウポリの警察署長に、別のドンバス出身者を後任にすえましたが、彼はキエフの望むような変化をもたらしませんでした。
そこで、就任わずか1ヶ月の新署長を解任し、再度、別の署長が任命されました。今度はドンバス出身者ではなく、外部から連れてきた人物でした。ドンバス住民の意向には従わず、キエフの見解を、ドネツクで実現するであろうと見込まれる人物を選んだのです。
しかし、この人事は地元住民の反発を招き、地元警察自体も、この新警察長官に反抗しました。これは、ドンバス住民が独立のための住民投票を準備していた時期での出来事であり、その投票は2014年2月11日…いや、失礼、5月11日に実施されました。
この新しい警察署長は、5月1日に任命されました。つまり、住民投票の10~11日前のことです。5月9日には、彼は、都市を包囲していたウクライナ軍部隊の全指揮官との会合を開催することを決定しました。
市の中心部は、分離主義者達が掌握していましたが、市の周辺部は、ウクライナ軍、義勇大隊、国家警備隊が支配していました。
そうした状況の中で、警察署長は、5月9日に自らの執務室に各部隊の司令官達を招集し、会談を行うことを決めました。そして、この会談の議題は、5月11日に予定されていた住民投票をいかに阻止するかであったと考えられています」
ディーセン教授「まさに」
パレ氏「しかし実際には、その日に警察署が襲撃されたのです。非常に混乱した要素でした。
これは、ドンバス紛争初期における、最も重要な出来事のひとつです。なぜなら、地元住民がこの出来事に巻き込まれる結果となったからです。
というのも、その日、5月9日は第2次世界大戦終結を祝うデモが行われていたのです。ロシア圏では5月8日ではなく、5月9日を戦勝記念日として祝います。
街中で『ファシズムに対する勝利』と呼ばれる勝利を祝っていた人々が、警察署付近で銃声を聞くと、地元の武装勢力が――武装勢力と呼べるかどうかは別として――警察を攻撃していると思い込み、現場へ駆けつけました。非常に混乱した状況でした。
繰り返しになりますが、詳細を知りたい方は、私の著書を参照してください。掘り下げると長くなる話なので。
結論としては、地元住民と地元警察の大多数は、少なくともある意味で、ドンバスの自治のために共闘していた、と言えるでしょう。
5月9日の攻撃後に、警察署長として任命された人物、――親キエフの署長は、拉致されて暴行を受け、数日後に発見されたものの、警察を指揮する職務を遂行できる状態ではありませんでした。
そこで、マリウポリ出身の別の人物が署長に任命され、事態を収拾しようとしました。しかし、彼は、ナショナリスト達から『分離主義者に近すぎる』と非難され、逮捕されそうになり、最終的には、マリウポリ警察署長の職を辞任することになりました。
彼は結局、DPRに加わることになりました。これは、非常に興味深い話です。その後、彼はDPRの南部、ヴォズフ地区(ドネツク人民共和国南部)で、地区長に就任しました。さらに驚くべきことに、現在はマリウポリにおけるロシア行政下の現市長となっています。彼の経歴は、本当に興味深いものです。
ちなみに彼は、2014年夏以前に、キエフ政府によって任命された最後の警察署長でもありました。私の著書の中でも、この話を詳しく取り上げています。
さて、ご質問に戻りますが、ドネツクでも同様でした。(2014年)4月6日と7日に起きた出来事について、州議会議員であり、ジャーナリストでもあった人物から、直接話を聞きました。彼は、事件の発端をこのように語りました。
その州議会議員によると、彼はドネツク州議会の事務所内の一室にいましたが、数千人もの親ロシア派デモ隊に包囲され、外に出るのも怖くて、どうすればよいかわからなかったそうです。
すると、やがてドネツク警察署長がやってきました。彼らは『助けに来てくれたのだろう』と思ったが、実際はそうではありませんでした。署長は、最後通告を突きつけにきたのでした。
『ドネツク人民共和国の創設を支持するように投票するか、さもなくばあなた達の議会は解散され、あなた達は無意味な存在になるだろう』と。
これがドネツク警察署長から、ドネツク州議会議員達に伝えられたメッセージでした。その後、自らを『ドネツク人民共和国の新総督』と名乗る人物が紹介されました。ドネツク人民共和国が正式に樹立されたのは、その翌日でした。
私は『ウィキペディア』に書かれていることと、この人物や他の多くの話とを比較することができました。実際、両者の話はかなり一致していました。
つまり、これで明らかになったのは、地元警察は、最初の段階から、分離主義者が権力を掌握することを黙認し、ある程度、積極的な役割を果たしていた、ということです。彼らは、意図的にそれに反対しなかったのですから。
さらに、州議会議員達が外に出ようとしたとき、警察はある程度、彼らを保護していました。
最初は、警察は議員達に正面玄関から出るよう指示しました。ところが、正面玄関には、デモ隊が待ち構えていました。デモ隊は、議員達が新政府に賛成する投票を拒否したことに怒っていたため、この人物の話によれば、何人かの議員は殴られたといいます。
そこで議員達は急いで建物内に戻りました。私に話をしてくれた人物は、これは警察が『自分達(警察)の保護が必要で、もはやあなた達は支配権を失った』と示すための手段だったと語りました。
その後、警察は、彼を裏口から安全に建物の外に護送し、これがドネツクにおけるキエフ政権の終焉となったのです。
私達が話しているのは、2014年4月7日、ごく初期の段階の出来事です。実際には、デモ隊は議会ビルを掌握してはいましたが、市内の他の建物はその時には、まだ支配下にはありませんでした。つまり掌握は段階的に進んでいったのです。
そしてまさにその日、DPR(ドネツク人民共和国)が初めて公式に宣言されました。同日、キエフでは、暫定大統領が反テロ作戦を発動し、デモ隊に占拠されたすべての公共施設と地域を、武力で奪還することを決めました。
こうして、すべては始まったのです(※)」
(※)当時の暫定大統領は、トゥルチノフ大統領。米国務次官補のヴィクトリア・ヌーランド氏が推薦したヤツェニュク氏が首相であった。トゥルチノフ大統領は、武力を行使した者には「反テロリスト対策」をもって対応すると宣言した。
ドネツク州では、ウクライナ政府が攻撃に出た際には、ロシアに対し平和維持部隊を派遣するよう要請する姿勢であった。
また、ドネツク州だけではなく、ハリコフ州とルガンスク州でも、4月6日夜、親ロシア勢力が政府の建物などを占拠し、ロシアへの編入を問う住民投票の実施を求めた。
ドネツクは、ユーロマインダンクーデターで、転覆されたヤヌコビッチ大統領の本拠地であった。『ロイター』は、パレ氏が州議会議員から聞いたという「数千人」ではなく、約120人の親ロシア派が州議会を占拠し、DPRの創設を宣言した、と報じている。
パレ氏「繰り返しになりますが、地元警察の役割については、ほとんど語られることがありません。しかし、彼らが非常に早い段階から、ある程度ドンバスの独立を支持していたことが示されたのです。
さらに後年、2015年9月、私がOSCEミッションの任務に就いていた時、ウクライナ政府系の情報源による記事を発見しました。その記事では、2014年時点でドンバスに駐在していた警察・軍関係者の8000名が、実際に分離派に合流した、と説明されていました。
8000人といえば、これは決して少ない数ではありません。
私も、シヴェルシク(※ドネツク州バフムート地区の市)の小さな警察署で、これを確認することができました。シヴェルシクは現在、クラマトルスクやスロビャンスクの東にある前線の都市です。
2015年にこの小さな町を訪れた際、私達は市長と話をする機会を得ました。市長は、地元警察署の人員の3分の2がDPR(ドネツク人民共和国)に合流するために離脱したと話しました。つまり、15人の警察官から成るチームのうち、10人がDPRに合流したことになります。
DPRがウクライナ軍の圧力に耐えられなくなったと判断して、この地域から撤退を決めた際、彼らはDPRと共に撤退しました(※)」
(※)2014年7月10日、ウクライナ軍は、DPRに占拠されていたドネツク空港、スロビャンスク、シヴェルシクなどを奪回した。
パレ氏「これは、どれだけ多くの地元警察官が、DPR(ドネツク人民共和国)に加わることを選んだのかを示す、ひとつの例に過ぎません。繰り返しますが、こうした事例は、ほとんど語られることはありません。これは、私が現地で直接確認した事実です。
ですから、これらすべてが『ロシア主導の作戦』であり、『ロシアの侵略』であり、『ドネツクの人々には、反乱の意思がなかった』――という見解、つまり『これは純然たる侵略行為を隠蔽するために、モスクワが作りあげた物語だ』という主張は、事実によって裏付けられていません」
ドンバスの自治権を求める分離主義者を「ならず者」と決めつけ、自治権を奪ったことが、反乱の直接的な原因だった! 米国はロシアの弱体化を図るために「ウクライナのNATO加盟」を推し進めてロシアを挑発し続け、ついにウクライナ紛争を招いた!
パレ氏「私が現地で収集した数多くの証言からみて、ドンバスにおける地元主導の反乱にはかなりの支持ががありました。トレルコフやボロダイのことを知っていますし、ボロダイは新しい国の初代首相にもなりました。
確かにある時点で、ロシアも手を貸しました。ストレルコフ(※)やボロダイ(※)の事例は周知の通りです。ボロダイは5月14日に誕生した新しい共和国(ドネツク人民共和国)の初代首相にもなりました」
(※)イーゴリ・ストレルコフ(Igor Strelkov、本名イーゴリ・ギルキン Igor Girkin)は、アレクサンドル・ボロダイ首相のもとで、「ドネツク人民共和国(DPR)」の国防大臣(2014年5月16日~2014年8月14日)を務めた。
ロシア軍の退役軍人で、元ロシア連邦保安庁(FSB)の職員。
2014年春、ウクライナ東部ドンバス地域(スラビャンスクなど)で武装蜂起を主導した人物のひとり。ロシアに戻ってからは、ロシア民族主義者の強硬派として活動、ウクライナ紛争におけるロシア軍を無能で「不十分」と批判し、プーチン大統領を無能だと批判したため、2024年1月に過激主義扇動の罪で有罪判決を受け、懲役4年の判決を受けた。
(※)アレクサンドル・ボロダイ(Alexander Borodai)は、2014年5月、ドネツク人民共和国(DPR)の初代首相に就任(2014年5月16日~2014年8月7日)。
「私はロシア国民だが、私人である。私がここにいるからといって、ドネツク人民共和国で起こっていることにロシア政府が関与していると非難することはできない」と主張している。
ボロダイは、クリミアのセルゲイ・アクショーノフ知事の顧問を務めていたため、「クリミアでの仕事を終えたとき、私は自然と…ウクライナ南東部で働くためにここ(ドネツク)に来た」と説明している。
パレ氏「しかしボロダイ自身は、ストレルコフ同様、自分はクリミア大統領から派遣され、キエフ政府に従うことを望まない一部のウクライナ人を支援するために来たのだと主張していました。だから、実際、彼ら自身もその後、どのように物事が展開していくのか、わかっていなかったのです。
とにかく、ミンスク合意からは、ロシアが実際にこれらのドンバス共和国を自国領土に統合する意図はなかったことが明らかでした。ミンスク合意は、そう(ロシアがドンバスを併合するの)ではなく、ウクライナ国内でドンバスに自治権を与えるべきだという内容でした。しかし、それは、ウクライナの民族主義勢力や西側諸国の多くの人々にとっては、受け入れがたいものと見なされました。
西側諸国の人々の多くが、ミンスク合意は西側の視点からすれば、受け入れがたいと考えていたことを、覚えています。彼らは、ロシアにウクライナの内政に介入する余地を与えてしまう、と考えていました。なぜなら、いずれにしても、ドンバスの共和国は、ロシアの影響下に入るだろうと信じられていましたから。それは荒唐無稽な主張ではなく、まさに現地の現実を反映した見解でした。
ウクライナには、親欧米派もいれば、親ロシア派もいます。それはまさに、分断された国家の現実なのです。
ですから、私の見解では、すべての人に声(発言権)を与えることに、何の不当性もありません。親ウクライナ・親欧米派が、国家の諸問題について発言する権利があるなら、なぜ、異なる意見をもつ、もう一方の国民を排除しなければならないのでしょうか?
これが民主主義のあり方だとは、私には思えません。だから私は、ウクライナで、親ロシア派を議論から排除するのが当然だという見解には、決して賛同しませんでした。それは民主的なアプローチとは思えません。
にもかかわらず、西側の多くの人々は、「ロシアに関わる事柄は、すべて容認できない」と考え、この姿勢を支持しました。まさに、この思考様式、この偏った思考様式こそが、私達が現在直面している危機を招いたのです。なぜなら西側諸国やウクライナの人々の多くは、国内の親ロシア派の人々、あるいはロシアという国家が抱える懸念――その多くは正当な懸念であるにもかかわらず――を、一切考慮しようとしなかったからです」
「もしウクライナをNATOに統合しようとすれば、それはロシアにとってのレッドラインであり、戦争につながり得る」! 過去何度も指摘されながら、米国の「ディープ・ステート」は、帝国主義的な野望のためにロシアを挑発し続けた!
パレ氏「彼ら(西側諸国)は、ロシア側の視点は、いかなる手段を用いても排除しなければならいない、と考えていました。
2014年以前にさかのぼって調べればわかるように、例えば、ブレジンスキーの著書『大いなるチェス盤』(※)が、すでに1997年の段階で、『ウクライナをロシアから切り離して、ロシアを弱体化させ、再び帝国主義的な野望を抱くことを防ぐということが米国の戦略的目標』として、理論化していたことがわかります。それが、彼が1997年の著書の中で展開した議論でした」
(※)ブレジンスキーの著書の中では、最も重要な著書であるが、なぜか、他の本は邦訳されているのに、この本だけ未邦訳。
パレ氏「そして、この論点が、米国の『ディープ・ステート』によって、長年にわたって支持され続けてきたことは明らかです。ウクライナをロシアから切り離し、強化することは、いわば、あらゆる米政権の長期的な目標のようなものでした。しかし、問題は、そういう行為が、ロシアの精神、ロシア人の心を深く傷つけてきた、ということにあります。それは非常に明確でした。
例えば、サミュエル・ハンチントンは、1996年の著書『文明の衝突』(※)――もちろん、あの有名な――の中で、もし、ウクライナがNATOに加盟しようとすれば、その最もあり得る結果はウクライナ国内の内戦であり、それにはロシアの介入が伴い、最終的には分裂に至るだろう、と警告していました。まさに、その通りのことが起こったのです」
パレ氏「サミュエル・ハンチントンは、1996年の時点ですべてを予見していました。
たとえば、2009年だったと思いますが、ウィリアム・バーンズ元駐ロシア米国大使による『バーンズ・メモ』(※)というものがあり、その中でもまったく同じことが説明されていました。もしウクライナをNATOに統合しようとすれば、それはロシアにとってのレッドラインであり、戦争につながり得る、と。彼は明確にそう述べていました」
(※)ウィリアム・バーンズ(William J. Burns)は、ブッシュ政権時代、2005年11月から2008年5月まで、駐ロシア米国大使、第20代国務次官(政治担当)(2008年5月~2011年7月)を務めた。オバマ政権時代には、アメリカ合衆国国務長官代行・第17代アメリカ合衆国国務副長官を務め、バイデン政権のもとで、第8代中央情報局長官(2021年3月~2025年1月)を務めた。
ここでいう「バーンズ・メモ」すなわち、バーンズが2008年2月1日に送った外交電信は、以下で読むことができる。バーンズは、ウクライナのNATO加盟問題が、ロシアにとっての安全保障上の「レッドライン(許されない線)」とみなされうること、およびNATO加盟がウクライナを分裂させる可能性があると警告している。
パレ氏「つまり、こうした人々は、ウクライナをNATOに加盟させようとすることが、ロシアにとって絶対的なレッドラインであり、最終的に紛争に至ることを無視することはできなかったのです。
私自身も、フランス国防省で働いていた時、そのことを理解していました。当時、フランスの駐モスクワ大使が、モスクワから送った電報を読んだのを覚えています。そこにはまさに、ウィリアム・バーンズが述べたのとほぼ正確に同じ論点が記されていました。つまり、これは誰もが知っていた周知の事実だったのです。
それにもかかわらず、彼らはウクライナのNATO加盟を推し進め続けました。それが、ロシアにとって大きな挑発になると承知の上で。
したがって、ここから導き出せる結論は――ロシアが激しく反発することは、25年も前から知られていたのですから――、彼らは『ウクライナはNATOに加盟すべきだ』『加盟は時間の問題だ』と繰り返し主張して、意図的にロシアを戦争へと挑発したのです」
ディーセン教授「2008年、NATOがウクライナとジョージアに将来の加盟を約束したとき、のちにCIA長官となったバーンズ米国大使だけが、これが『内戦を引き起こすだろう』と警告したわけではありませんでした。『ウィキリークス』が暴露したところによれば、フランスとドイツの両大使も、同じように『内戦につながり得る』と警告していました。
もし、内戦を引き起こしたいのであれば、まさにこれは、期待されたことそのものです。
まず、2014年に(ヤヌコヴィッチ)政権が転覆された時、『BBC』でさえ当時は、ウクライナ国民の大半は、マイダン抗議や暴動を支持しておらず、クーデターを支持する人はさらに少ないと報じていました。にもかかわらず、その後、これが行われたのです。
こうした批判のほぼすべては、『親ロシア的である』として非難され、非合法化され、犯罪扱いされかけました。親ロシアであってはならないのだから。
しかし、ロシアとの良好な関係を支持していたのは、(ウクライナ)国民の大多数でした。世論調査でも、それが示されていました。
それなのに、彼ら(分離主義者)を『ならず者だ』『親ロシア派だ』『実際にはロシア人だ』と決めつけて、すべての自治権を奪うのであれば、当然、反乱が起きるだろうと予想できたはずですよね。そして実際に起きたことは、まさにその通りだったと思います」
2019年、ゼレンスキー氏は「ドンバスとの和平交渉」「ミンスク合意の実施とロシアとの和解」を公約に掲げて当選! しかし、ゼレンスキーは、ミンスク合意をめぐるノルマンディー形式の国際会合で、事実上ミンスク合意の履行を拒否! さらに、ドンバス住民への年金を停止!ドンバス住民の「多くの人々がこのロシアからのわずかな支援で生き延び、その後50%以上の人々が支援を求めた」!
ディーセン教授「ウクライナ人が、2019年に再び投票する機会を得た時、ゼレンスキーは、『平和を目的とした基盤づくり』を掲げて当選しました。これについて、お聞きしたいと思います。
彼は、ドンバスと和平交渉を行い、ミンスク合意を実施してロシアと和解する、と公約していました。
ところが、この方針は非常に短期間で覆されました。
実際、彼は多くの脅威にさらされました。彼を脅した人々、さまざまな右翼団体は、結局、罰せられるどころか、彼が和平政策を全面的に撤回したあと、彼の政府に配置されました。
繰り返しますが、彼は73%の得票率で勝利したにもかかわらず、まったく逆のことをしたのです。この状況を、どのように評価されますか?
私にとっては、ウクライナ人が紛争終結を圧倒的に支持したこの選挙には、非常に楽観的でしたが、彼らが投票(で期待)した結果は得られませんでした。現地ウクライナにあって、この状況をどのように御覧になったか、あるいは体験されたか、おうかがいしたいと思います」
パレ氏「ご質問にお答えしますと、当時の私はあなたと同じように、ゼレンスキーの当選に、非常に熱狂していました。ついに、ミンスク合意が実施されるのではないか、と願っていました。
というのも、彼は『大統領在任中に、ドンバス紛争を解決する』と、基本的に約束していたからです。『たとえ、再選の機会を失うことになっても、そうする』と、彼は述べていました。そして、彼の言葉は、本当に誠実だと感じられました。
さらに、議会で(ゼレンスキーの与党「国民のしもべ」が)過半数を獲得すれば、ついに憲法改正を行えるのではないかとも期待できました。それが、最終的にミンスク合意を実現するための鍵となるものでした。
実際、彼は時間を無駄にしないために、すぐに議会を解散しました。そして、大統領就任から2ヶ月後には、新たな議会選挙が行われました。
良いニュースは、彼(の党)が議会で過半数、つまり議席の50%以上を占め、絶対多数を獲得したことでした。さらに、いわゆる『親ロシア派』の野党ブロックの票もあわせれば、議会で3分の2の多数を持つことになり、最終的に憲法改正を採択できる状況になりました。
これで、他のあらゆる阻害要素を取り除くことが可能になるはずでした。だから、私は本当に楽観的でした。
しかし、同じ年の、2019年12月、それが実現しないことが明らかになったのです。いわゆる『ノルマンディー形式』と呼ばれる枠組みで、大統領レベルの最初の会合が開催された時でした。
ご記憶でしょうか。2019年12月4日か、5日だったと思います。ゼレンスキー氏と、プーチン氏、ドイツのメルケル首相、そしてフランス大統領マクロン氏が、一堂に会しました。
彼らは皆、和平に向けて、どのように進めて実現していくかについて話し合うために集まりました。そして、捕虜交換をはじめ、さまざまな事項について合意しました。
しかし、その後、実際に実施されたのは、捕虜交換だけでした。
それ以外、主要議題であるミンスク合意は、この会合後に完全に失われました。というのは、ゼレンスキーが会合後、『ミンスク合意に定められた措置の順番を変更しない限り、ウクライナは合意を履行できない』と宣言したからです。
これは、ロシア側と分離主義者にとっては、絶対に完全に受け入れられない事項でした。この点は、別のインタビューでも説明しました。要するに、各措置の順序が鍵だったのです。それは、無作為に決められたものではなく、論理的な根拠がある順番だったのです。
ウクライナがドンバス住民に自治権、恩赦、地元警察の設置、言語権を認めた後、最後の措置として、ドンバス住民がロシアとの国境管理権をウクライナ政府に返還する、という順番でした。
つまり、ウクライナが合意の自らの義務を確実に履行するまで、ドンバス住民は保証される形だったのです。もしウクライナが履行しなければ、ロシアとの国境は、事態が悪化した場合の重要な脱出経路でした。
問題は、もし、この措置の順序を逆転させて『まず、国境管理をウクライナが握るべきだ』と主張すれば、それは保証(がなくなること)だから、分離主義者は決して同意しません。彼らは理解していました――いったん、ウクライナが国境管理権を取り戻せば、『我々はウクライナ国内に閉じ込められる』と。
そして、『ウクライナがミンスク合意に関する約束を遵守する保証は、どこにあるのか?』と。
主要なポイントのひとつは、恩赦でした。
しかし、2017年と2018年、ウクライナは、『ドンバス再統合法(Reintegration of Donbas)』と呼ばれる法律を採択しました。これによって、ウクライナは国際社会とドンバス住民に対して、非常に悪いシグナルを送りました。
まず、この法案には、『占領当局と協力した者全員を、ウクライナ政府が訴追できる』という、非常に具体的な条項が含まれていました。これがその文言です。
この文言は、基本的に、幼稚園で働く清掃員でさえ、占領当局に雇われているという理由で訴追可能だ、と解釈できるものでした。学校や病院で働く人々は、いわゆる占領当局であるDPR(ドネツク人民共和国)やLPR(ルガンスク人民共和国)が管理する公的資金で給与が支払われていたからです。
これは、非常に悪いものでした。
当時、西側諸国の関係者でさえ、この条項は受け入れられないと考えていました。そのため、ウクライナ当局や議会には強い圧力がかかり、実際に法律は修正されました。こうして、その条項は削除されたのです。
しかし、のちに野党ブロックの議員の1人が私に語ったところによると、1ヶ月後には、このようになりました。『議会は条項を撤回したが、ミンスク合意で再び要求されていたような、恩赦を実質的に保証する条項を、何ひとつ新たに加えていない』。
『恩赦』は、ミンスク合意の必須条件のひとつでしたが、そのような条項が盛り込まれていなかったため、ウクライナ(政府)は、自分達の裁量で何でもできる権利を保持している、と解釈されるわけです。だから、この野党ブロックの議員自身も、依然として、これは非常に悪いシグナルであると考えていました。
2019年に話を戻すと、ドンバスの住民は、ウクライナ政府と議会が抱いている意図を完全に理解していました。つまり、政府や議会は、最後の1人まで訴追するつもりであることを示していたのです。
当然、ドンバスの住民は、ミンスク合意の措置の順序を変更することは、決して受け入れませんでした。キエフの連中は、1人残らず逮捕することに固執し、ミンスク合意を一切履行しないと知っていたから。実際、彼らはミンスク合意をまったく履行しませんでした。
たとえば、年金の支払いなどの社会的給付の支払いさえも、まったく実行されていませんでした。これは――(ウクライナ国内外で)決して話題になりませんが――ドンバスの人々にとって、重大な問題でした。多くの人々、総計で100万人以上が、いわゆるドンバスの『反対側』、つまり分離派勢力の支配地域に住んでいました。彼らは、ある日突然、年金を失ったのです。
その後、支払いを受けることは、地獄のような状況になりました。というのは、分離派勢力の支配地域には、もはや銀行システムがなかったので。誰も(分離派を)認めなかったため、すべての銀行が撤退してしまったのです。
ある時点で、赤十字が――私が赤十字内部の情報源から得た情報ですが――銀行の代わりに機能し、ウクライナ政府から資金を受け取って、分離派勢力の支配地域の年金受給者に分配することを提案しました。
そして、それは、ミンスク合意に沿っているはずでした。なぜなら、ミンスク合意でも、『ウクライナ政府は、すべての年金の支払いを再開することを確実にすべきだ』と明言されていたからです。しかし、ウクライナ政府は、まったく別の行動をとったのです。
まず第一に、国際紛争・法務委員会(ICLC)からの提案を拒否しました。そして代わりに、『政府管理下の地域に住む避難民にのみ、年金を支給する』と発表したのです。
これによって、年金受給者達は、自分達が政府管理下の地域に避難した避難民であると、虚偽の申告をせざるを得なくなりました。そうやって初めて、年金を受け取ることができたのです。
しかし、ウクライナ政府は、この仕組みの存在を把握していました。
2016年初頭のある時点で、ウクライナ政府は、監視・管理メカニズムを構築することを決定しました。実際には分離派勢力支配地域に居住しながら、政府支配地域への避難民を装う者達を、1人残らず確認し、彼らが実際に政府支配地域に居住しているかどうかを確かめるためのものです。この作戦は、数年にわたって続きました。
その間に、彼らは何をしたのか? 彼らは、年金の支払いを停止したのです。つまり、一夜にして、これらすべての人々が、年金を受け取れなくなりました。合法的な避難民であった人々ですら、支給が停止されたのです。
すべてが順調に進んだ場合でさえ、平均して年金の支給が再開されるまで、6ヶ月かかるのです。しかし、私が見たケースでは、1年以上、場合によっては1年半以上かかることもありました。中には絶望のあまり、年金の回復をあきらめてしまう人々もいました。
幸いなことに、ロシアからごく少額の年金が支給されていました。実際には、ロシアが資金を出していたおかげで、何とか生き延びることができたのです。
しかし、ロシアが支給していた基本年金は2000ルーブル程度で、これはまったく微々たる額で、最低限の生活を支えるだけのもので、ほとんど何もできませんでした。飢え死にしない程度のパンを買うのに、やっとの金額です。
多くの人々が、このロシアからのわずかな支援で生き延び、その後、50%以上の人々が、支援を求めたのです。
2018年までには、ドンバスの年金受給者の50%以上が、ウクライナからの年金を失っていました。これは、(ミンスク)合意にも違反しており、法律にも反する行為でした。しかし、ウクライナ政府は、まったく意に介しませんでした。
そして、ウクライナ国内の多くの人々も、この決定を支持していました。『占領地域に残ることを選んだ人々に、お金を渡すべきではない。彼らは裏切り者だから』と考えていたのです。
私はここで、誰も話さなかったポイントを述べています。私自身も、これまでどのインタビューでも具体的に触れたことはありませんでした。しかし、私達が、ドンバスでOSCEの人道的ユニットとして活動していた際、これは日常的に直面していた問題でした。
何千人もの人々が、私達を訪れ、年金受給に関する問題をどう解決できるか、相談しにきました。それは、何十万もの人々にとって大きな障壁であり、さらに一部の人々は砲撃を受けて、負傷したりもしていました。
彼らは、私達に被砲撃者として確認されることを拒否しました。自分の名前が何らかのデータベースに載ってしまい、ウクライナ政府がそれを口実にして、永遠に年金を打ち切るのではないかと恐れたからです。
実際、ウクライナ軍による砲撃で負傷した人々や、流血事件の被害者達の中には、ケースを確認するためのインタビューを受けることを拒否した事例がいくつかありました。これは、ルガンスク州の話です。私達は、本人にインタビューできなかったため、ケースを確認することができませんでした。
これらのことは、人々がどれほど恐怖を抱いていたか、そして年金が彼らにとって、どれほど重要であったかを物語っています。そして、人々がどれほどの努力を払ってでも、その生活を維持しようとしていたかも物語っています。
こうして今日、これらの事例に触れる機会を得られてうれしく思います。これまで一度も話したことがありませんでしたが、私の見解では、ここで起きたことは、大きなスキャンダルでした」
ウクライナで活動するNGOの中には、プロパガンダだけではなく、ゼレンスキー大統領が超えてはならない「レッドライン」を設定し、大統領選挙時の公約を破棄させる圧力団体も! NED(全米民主主義基金)で働いていた人物は、露骨な報告書の改竄を行った! OSCE報告書の改竄が判明すると、この元NEDスタッフは、「人的ミス」だと弁明!
ディーセン教授「ええ、こうした人道的な問題(年金支払いの停止など)のいくつかは、ウクライナで活動しているNGOによっても対処されるべきでした。
そこで、私はあなたにおたずねしたいのですが、NGOとのやり取りをどのように体験されましたか? というのは、彼らの中には、おそらくネガティブな役割を果たした団体もあったからです。
つまり、少なくとも1980年代以降の歴史を振り返れば、多くのNGOは、ほとんどプロパガンダの手段として、あるいは他国の市民社会を掌握するための道具として利用されてきました。例えば、『これが市民社会だ、彼らはウクライナ人であり、我々は彼らを代表している」と主張し、そのように振る舞うわけです。
トランプ政権下で資金削減を目にした時にわかったのですが、例えば、ウクライナのメディアの大部分は、USAID(United States Agency for International Development、米国国際開発庁)によって資金提供されていることが判明しました(※)。これはもはや、(ウクライナが)真に独立しているとはいえない状況にあることを示唆していました」
(※)「ウクライナのメディアの大部分は、USAIDによって資金提供されている」という主張:ロシアメディア『ベドスモチ』は2025年2月6日、『ウィキリークス』を根拠に、「USAIDはウクライナのメディアの90%を後援している」との記事を出した。
これに対し、ウクライナのファクトチェックサイト『ストップ・フェイク』は、この記事を「虚偽」とし、「米国国際開発庁(USAID)は確かにウクライナのメディアの相当部分に資金を提供している。しかし、その依存度はメディアによって大きく異なる」と報告した。
『ベドスモチ』の記事は、「国境なき記者団」の報告書にも言及している。しかし、この報告書について、『ストップ・フェイク』は、「現在、国境なき記者団のこの報告書の末尾には、『この記事では以前、ウクライナのメディア10社中9社がUSAIDから資金提供を受けていると報告した。しかし、新たに、ウクライナのメディア10社中9社が国際援助を受けており、米国のUSAIDが主要な援助国であることを明記した」と書かれていることも紹介している。
つまり、「国境なき記者団」は、「USAIDはウクライナのメディアの主要な援助者」ではあるが、「10社中9社」というのは、他の援助国も含めた数字だ、と訂正したから、『ベドスモチ』の記事は「虚偽」だ、という主張である。
しかし、「90%」という表現の「真偽」はあるものの、依然として、ウクライナの9割のメディアが海外からの支援を受け、その主要な援助国が米国(USAID)であることに変わりはない。
- USAID спонсировало 90% украинских СМИ(USAIDはウクライナのメディアの90%を後援している、Ведомости、2025年2月6日)
ディーセン教授「しかし、ゼレンスキー氏が当選した後、興味深いNGOが現れました。『ウクライナのNGO』を自称する、『ウクライナ危機メディアセンター(Ukrainian Crisis Media Center)』という団体です。
彼らは実際に『レッドライン』という文書を公表し、彼(ゼレンスキー)は、平和提案や選挙公約のいかなる部分も実行すべきではない』と、主張しました(※)。
例えば、『(ゼレンスキーは)NATOとEUが同席しない限り、ロシアと対話してはならない』『(ゼレンスキーは)NATO加盟への道筋を損なう行為をしてはならない』。要するに、彼の選挙公約全体がまるごと否定されているのです。
このNGOは、繰り返しになりますが、『ウクライナのNGO』と称していても、実際には、CIAとレーガン政権が設立した『全米民主主義基金(NED、National Endowment for Democracy)』から資金提供を受けていました。NATOも関与していました。
寄付者リストには、米国政府、スウェーデン政府、 ノルウェー、ドイツ、カナダなどの名前があります」
(※)ウクライナ危機メディアセンター(UCMC、Ukrainian Crisis Media Center)のWebサイトには、「大統領が越えてはならない『レッドライン』」を列挙した文書、「ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の最初の政治的行動に関する市民社会代表による共同声明」が掲載されている。この共同声明には、ウクライナ外務副大臣のダニロ・ルブキフスキー氏ほか、数多くのNGOとメディアが参加している。
上記共同声明には、以下の文言が示されている。
「我々の使命は、ウクライナ国民が尊厳革命(※2014年のユーロマインダン・クーデターを指す)で勝ち取った価値観、すなわち自由と尊厳、ウクライナの独立とウクライナ国家の維持、民主的な政治体制、愛国心、勇気、責任感、そして誠実さといった、ウクライナ国民全体の基本的な資質を守ることである」
「市民社会活動家として、我々は『越えてはならない一線』を示す。(※ゼレンスキー)大統領がこれらの一線を越えた場合、その行動は必然的に我が国の政治的不安定と国際関係の悪化につながるであろう」
ディーセン教授が指摘したように、大統領が超えてはならない一線のひとつとして、「ウクライナの西側パートナーの参加なしに、ロシア連邦、占領当局の構成員、および一時的に占領されたドネツク州、ルハンシク州、クリミア、セヴァストポリの地域の武装集団やギャングと個別に交渉を行うこと」があげられている。
ディーセン教授「さらに、別のシンクタンクも、資金提供していました。
『ステートクラフト研究所』は、数年前に『インテグリティ・イニシアチブ(Integrity Initiative)』を暴露された組織です(※)。彼らは英国を拠点に、ジャーナリストや学者のネットワーク群を形成し、影響工作を展開していました」
(※)ステートクラフト研究所(IfS、Institute for Statecraft、国家統治研究所)は、英国スコットランドを拠点とする慈善団体で、2015年から「インテグリティ・イニシアチブ(Integrity Initiative、高潔なる自発的行動)」プロジェクトを運営している。
同プロジェクトは、ヨーロッパ諸国(トルコとウクライナを含む)と米国に、(元)軍人および情報機関関係者、そしてNATO加盟国のジャーナリストや学者で構成される12以上の「ナショナル・クラスター」を設立した。
2018年、同プロジェクトに、主に英国外務省、米国国務省、NATOが資金提供していたこと、軍事情報プロパガンダ活動を行なっていたことが暴露された。ステートクラフト研究所は、慈善団体としての地位を剥奪され、2023年には解散した。
- British Media and Propaganda(Swiss Policy Research、2024年4月)
- The Institute for Statecraft(OSCR Scottish Charity Register、2023年20月16日)
ディーセン教授「繰り返しになりますが、これらすべては、既に公開されている事実であり、隠されているわけではありません。情報として入手可能であるにもかかわらず、 こうした活動はすべて、『市民社会』の一部とされ、あたかも『ウクライナ人による自主的な活動』であるかのように装われていますが、実際には、西側諸国政府から資金提供された工作にほかなりません。
疑問に思ったのですが、あなたが関わったNGOは、どの程度関与していたのでしょうか? 彼らは支援していたのでしょうか? それとも本来の使命に反する活動をしているのを目撃しましたか? あるいは何らかの見解をお持ちですか?」
パレ氏「興味深い質問ですね。これまでのインタビューでは、誰もたずねませんでした。NGOの役割について、私がこれまでしてきた話に関わっています。
NED(全米民主主義基金)について、ちょっとしたエピソードをお話しします。
私がドンバスにいた頃、元NED職員である米国人の同僚がいました。彼は、ウクライナで5年間、NEDに勤務していました。彼は、私達の事務所(OSCEのドンバス事務所)に加わるや否や、すぐに、報告部門で働き始めました。
この部門は、私達の事務所の日常報告を統合する役割を担う、非常に重要な部門でした。つまり、個々の監視員がその日に提出した報告書は、すべて、この人物のデスクに集まってきます。そして、彼は、本部に送るべき関連情報を選別する役割を担っていました。鍵となる、きわめて重要なポストでした。
何といっても、第1に、こういう人物が、重要な役割を任されていたのです。
私自身も週次報告書――日次報告書ではなくて――の作成を担当していたため、これら、さまざまな報告書を読み込んでいました。
そして、週次報告書の作成のために様々な報告書を読むうちに、不可解な矛盾点があることに気がつきました。私は、事務所の報告部門の責任者に直談判し、『元の報告書の閲覧を許可していただけないでしょうか?』と求めました。当時、私は閲覧を許可されていませんでした。システム設計者が『誤情報の拡散を防ぐため』に、他部門の巡回報告書を私達が閲覧できないようにしていたので。要するに、これは本質的には情報統制の手法だとわかりますよね。
それから、様々な報告書を精査した結果、NED(全米民主主義基金)から来たこの人物が、報告書をはなはだしく改竄していたことが判明しました。これは、単なる誤りではありえない、意図的な行為でした。他に説明の余地はありません。
具体的にいえば、砲撃戦が発生した接触線の両側をパトロールした際の記録が、改竄されました。
ウクライナの支配下にある村では、村長が『被害はない』と私達に話しました。一方、当時分離派の支配下にあったゴロフカでは、パトロール隊が5軒の住宅被害を確認し、詳細を記録していました。
しかし、報告書作成者は、実際に私達がゴロフカで確認した被害すべてを、『ウクライナ側で発生した』と記載していました。
それならば、私達は砲撃による5軒の住宅破壊を、村長が『被害はない』と述べた接触線のウクライナ側の支配地域で、目撃したことになります。私はこの矛盾を指摘して、『では、この点を説明していただけますか?』と求めました。
この改竄が発覚して捕まった時、この人物は『人的ミス』だと弁明しました。『ああ、お詫びします。この誤りを発見していただき、とても嬉しいです』と。『ストレスで、急いで、作業しなければならなかったから』とか何とか、いろいろと言い訳をして『人的ミス』だと。でも、彼にできる弁明はそれだけでした。
NEDで働いていた人物が、これほど露骨な報告書の改竄を行ったのは、非常に興味深かったですね。あなたが言うように、NEDは、外国における影響工作をするCIAの役割を代替するために創設された組織ですから。
では、NGOについての話は、これでいったん一区切りにしましょう」
ウクライナ政府は、分離派への制裁として分離派支配地域との貿易を全面禁止してみせたにもかかわらず、結局はドンバス産の高品質な石炭を南オセチアやロシア経由で、メンツのためにわざわざ2倍の値段で買っていた! この「滑稽な仕組み」は現在の対露制裁とまったく同じ!「西側諸国もウクライナも、この種の『面子のためだけの不条理な論理』に自らを閉じ込めてしまった」!!
パレ氏「興味深いのは、2015年のかなり早い段階で、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の両方が、実際に『浄化する』ことを決定したという事実です。言い換えれば、これらの地域で活動する様々なNGOをすべてスクリーニング審査することを決めたのです。
ほとんどのNGO、国際NGOは、このスクリーニング審査を受け入れるつもりはありませんでした。なぜなら、彼らは、『これらの当局(DPR、LPR)を認めない』からです。スクリーニング審査を拒否することで、結果的に、それらのNGOは、当該地域での活動を自ら断念せざるを得ませんでした。
最終的に、このスクリーニング審査を受け入れたNGO、国際NGOはごくわずかでした。
これが起こる前、実際、同僚の1人が私に、機密扱いとされた1つの報告書を送ってきたのを覚えています。彼は『この報告書は絶対に共有しないでくれ。機密だ』と言いました。その報告書の内容は、ある国際NGO――ここでは名前を伏せますが――についてでした。要するに、(このNGOの)現地駐在員が、ドネツク人民共和国に対するプロパガンダを拡散しているとして、ドネツク人民共和国当局が、このNGOの代表者に正式に抗議していたという内容でした。
彼らによれば、基本的に彼(国際NGOの現地駐在員)は、『分離派当局を尊重すべきではない、戦うべきだ、敬意を払うな』と人々に言いふらしていました。もしそれが事実であれば、――それが事実であることがあり得ない話ではなかった――、それは合理的に容認できる行動ではありませんでした。そのため、この人物は、その地域では『ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)』と見なされていました。
しかし興味深いことに、問題のNGOはその後、活動方針を変更しました。結局はドンバス地域での活動を続けましたが、国際スタッフを撤退させました。
最終的に、分離派の支配地域で活動を続けた国際NGOは、ごくわずかでした。まず、何らかのスクリーニング審査を受け入れ、さらに国際スタッフをすべて撤退させることに同意した団体だけでした。つまり、現地スタッフによってのみ運営される形となり、それならば分離主義者も受け入れることができました。しかし、そうした団体は非常に少数しか残りませんでした。
ただし、ICRC(国際赤十字委員会、International Committee of the Red Cross)は例外的存在でした。ICRCは政府機関とNGOの中間のような組織ですが、規模が大きく、非常に公式的なため、人々は、それをほとんど国際機関と見なします。しかし同時に、独立しているため、分離派支配地域では、圧倒的に最も重要な人道支援組織でした。
ICRCは、スタッフの人数や予算規模の面で群を抜いていました。ICRCは、国際スタッフをそのまま維持しました。なぜなら、ICRCはどこへ行っても非常に思慮深く行動することで知られており、そのために紛争当事者すべてから信頼を得ることに成功していたからです。それが、彼らの強みのひとつでした。
こうして、ICRCは分離地域での活動を継続し、多くの重要な任務を遂行できました。例えば、石炭を買うゆとりのない家庭へ石炭を配布する、といった活動です。ドンバス地方の冬は、非常に厳しい寒さです。石炭を購入できない人々にとって、それは死を意味する可能性さえありました。最も脆弱な人々が生き延びられたのは、主にICRCの支援によるものでした。
ただし、国連もまた、大量の石炭を購入し、現地NGOを通じて配布していました。
国際NGOの中にも、現地スタッフによって運営されている団体がありました。分離派の『共和国』によって、この(スクリーニング)制度が導入され、ある程度は機能していましたので、非常に中央集権的に管理されるようになっていることに、私は気が付きませんでした。
彼らは6ヶ月ごとに活動許可を更新していたため、官僚的な手続きが遅れることがありました。そのため、現地のNGOは、自分達の活動が継続できなくなるのではないかと不安に駆られることもありました。しかし、たいていは単なる遅延であり、結局は解決されました。
一方で、(ウクライナ)政府側支配地域では、非常に多くのNGO、国際NGOが活動していました。政府支配地域での活動には、何の問題もなかったからです。したがって、政府支配側の地域では、人道的援助が非常に豊富で、非政府支配地域よりも、はるかに多くの支援が提供されていました。さらにウクライナ政府自身も、石炭を必要とする人々に対して、補助金を支給していました。独自の補助制度があったのです。
そして、これはある時点で極めて重要になりました。というのも、2017年3月以降、ウクライナ政府は民族主義者の圧力によって、分離派支配地域に対して全面的な禁輸措置を課したからです。2017年3月以降、あらゆる種類の貿易に対して、完全な禁輸措置が敷かれたのです(※)」
(※)『キエフ・ポスト』は「ウクライナ国家安全保障国防会議は(2017年)3月15日、ドンバス地方のロシア占領地域との貿易を禁止した」と報じている。
この禁輸措置に先立って、ウクライナの活動家グループが東部ドンバスの鉄道を封鎖し、分離派側が報復としてドンバス地方の石炭と鉄鋼事業に関わる施設を占拠し、ウクライナ政府支配下の地域への供給を拒否する事態が起きていた。
そのため、ポロシェンコ大統領(当時)は、「分離派が占拠した事業をすべて返還するまでは、すべての鉄道と道路を遮断し、全面的な禁輸措置を続ける」と述べた。
パレ氏「それまでは、ウクライナが自国の発電所のために石炭を必要としていたため、密かに分離派勢力の支配地域から石炭を購入していました。ウクライナは自国の発電所に、(ドンバスの)石炭を強く必要としていましたから。ウクライナの発電所は、ドンバスでしか採れない特定の種類の石炭を燃料として使うように設計されていました。
高品質の石炭が必要で、その供給源の大半は、分離派勢力の支配下にあったのです。そのため、ウクライナ政府は、ポロシェンコ大統領の承認のもと、メドヴェチュク(※)の管理下で、秘密裏に石炭を購入する取引を進めていました」
(※)ヴィクトール・メドヴェチュク(Viktor Medvedchuk)は、プーチン大統領と個人的な親交のある、ウクライナのオリガルヒのひとりで、EU懐疑派野党プラットフォーム「ウクライナの選択」・「生命のために」などで活躍したウクライナの野党政治家、国会議員。レオニード・クチマ大統領のもとで大統領府長官(2002-2005)を務めた。
ウクライナ紛争の勃発時には、テロ資金供与の容疑で自宅軟禁されていたが、2月28日に脱走した。ウクライナ保安庁によって4月に逮捕されたが、その後捕虜交換によってロシアに亡命した。
ユーロマイダン・クーデターの真実に迫ったオリバー・ストーン監督『ウクライナ・オン・ファイヤー』(2016年)の、インタビューにも登場した。
パレ氏「私達は、当時からその(秘密取引の)存在を知っていました。
同時に、私は個人的には何の問題も感じていませんでした。なぜなら、これは『ウィンウィン』の状況だと思っていたからです。ウクライナにはその石炭が必要でしたし、お互いの利益になります。
ところが、あとになって、民族主義者達が、『いや、こんなことは続けられない。これは血で染まった金だ。テロリストである分離派に資金を提供するようなものだ』と主張しはじめたのです。その時点から、全面的な遮断(ブラックアウト)が行われました。
これは、ウクライナにとって、長い冬のあいだ、大きな問題となりました。新たな解決策を見つけなければならなかったから。『どうすれば、安い石炭を買えるのか?』という問題です。
彼らは、さまざまな解決策を検討しました――南アフリカから石炭を買う、米国から石炭を買う、とか。しかし、いずれも経済的には実現不可能でした。これら遠隔国からの輸入にはコストがかかりすぎたのです。
それに、ウクライナが支配している唯一の港であるオデッサ港でさえ、仮に1日24時間稼働したとしても、国が必要とする量の石炭を輸入するには、(港としての能力が)不十分でした。
結局、彼らが取った方法は、ドンバスから石炭を買い続けることでした。当時は、ロシアとの取引は禁止されていなかったので。つまり、実際には、彼らはロシアから石炭を購入したのです。しかしその際、(ドンバスから直接購入するよりも)価格は2倍に膨らみました。仕組みとしては、基本的に、ロシアがまず小さな共和国――南オセチアのような――から石炭を買い付けて、それをウクライナに再輸出(転売)する形を取ったのです。
つまり、分離派は自分達の石炭を、公式には南オセチアに売っていました。そして南オセチアがそれをロシアに売り、ロシアが再びウクライナに売り戻す――そういう仕組みでした。結局のところ、ウクライナはドンバスの石炭を、南オセチア経由・ロシア経由で、2倍の価格で買っていたのです。
それが実際に導入された仕組みでした。皆が面子を保ち、『いや、我々は分離派から石炭を買っているわけではない』と言えるようにするための仕組みです。
これは、現在行われている対ロシア制裁と同じ、滑稽な仕組みですよね。西側諸国は、いまだにロシアからの石炭や石油を必要としているわけです。そして、インドのような大国は、石油を切実に必要としています。(※)
現在の仕組みは、ロシアが誇る莫大な量のロシア産石油を、私達(西側諸国)は、直接買うことができないから、ロシア産石油を実質的に、別の形で買っているのです。
しかし、私達はまさしくロシアの石油を買いながら、『我々はロシアから石油を買っているわけではない。だから、ロシアを助けているわけではない』と言い張っているのです。『我々の良心は潔白だ』と。
しかし、それは完全に馬鹿げています。なぜなら、これは単なる言葉遊びに過ぎず、同じロシアの石油を、(直接買うよりも)はるかに高い値段で買っているのですから。
これはまったく滑稽な仕組みです。西側諸国もウクライナも、この種の『面子のためだけの不条理な論理』に自らを閉じ込めてしまったのです。常識は完全に、窓の外に投げ捨てられてしまいました。
こうした仕組みに従うとき、彼ら(西側諸国の指導層)は、国民の利益のために国家を運営しているのではありません。
私達は、不条理の中に生きています。いまや、西側世界全体が、このような不条理な仕組みの中に生きているのです。
――かなり長くなりましたが、以上が、結局は国内取引へとつながっていったNGO、とくに国際NGOの役割についての、答えです」
(※)インドは、対露制裁に参加せずに、膨大な量のロシア産石油を輸入し始め、それを精製したディーゼルオイルを西側諸国へ輸出していた。結局は西側は、インド経由でロシア産石油を買っていたことになる。ロシアからのパイプライン経由で購入すれば安価な石油を、ロシアからいったんインドに運び、またそれを精製したうえで欧州に運ぶのである。「ロシアがウクライナ紛争の資金にしないように」、対露制裁としてロシア産石油の禁輸を決めた西側諸国は、そのメンツを守るために、高価な石油を購入することになった。
・記録的な量のロシア産石油を輸入する「インドが欧州のトップ燃料供給業者になった」と『ブルームバーグ』、専門家「あらゆる制裁にもかかわらず、ロシアの石油はヨーロッパに戻ってきており、インドが西側への燃料輸出を増やしているのはその好例だ」(日刊IWJガイド、2023年5月7日)
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「あらゆる方向から曳光弾が飛び交っているのが見えました。まるで狂気じみた光景でした」、2022年2月16~24日の間に、ドンバスで停戦違反の砲撃が急増! パレ氏は、OSCEが設置した暗視カメラの情報とウクライナ軍と分離派軍の陣営の地図から、「ウクライナ軍が分離派勢力を砲撃していた」ことを明らかに!「あの日、挑発を仕掛けたのはウクライナ軍だった」!!
ディーセン教授「先に進む前に、短くおうかがいしたいのですが、2021年と2022年、ロシアが侵攻する直前にウクライナでの砲撃が大幅に増加したのを(という情報を)目にしました。この点について、どんな見解をお持ちですか?
というのも、ロシアの侵攻に至るまでの数週間や数日間に何が起きていたのかについて、相反する声明や報道を目にしているからです」
パレ氏「いい質問ですね。重要な質問です。
正直に言うと、自分の本を書く前には、私はこの話題について、明確な見解を持っていませんでした。
というのも、OSCE(欧州安全保障協力機構)が公表したデータがあり、それはツイッター、今のXなどでも見ることができましたから。多くの人が、私達が任務で作成した地図を共有していたはずです。
その地図は、ロシアがいわゆる『特別軍事作戦』を開始する直前の期間、つまり(2022年)2月16日から24日までの間に、ドンバスで起きたさまざまな爆発を示していました。実際、この期間には、停戦違反が大幅に増加していました(※)」
(※)スイス情報局の元参謀本部大佐ジャック・ボー氏は、2月16日、ドンバスの住民への砲撃が「劇的に増えていた」と指摘している。
2月17日、ジョー・バイデン大統領は、ロシアが数日以内にウクライナを攻撃することを発表した。なぜ、彼はこのことを知っていたのだろうか? この謎を解き明かすべく、IWJは、ジャック・ボー氏の論文を3回の号外でお伝えした。
しかし、16日以降、ドンバスの住民への砲撃は、OSCE(欧州安保協力機構)の監視員の日報が示すように、劇的に増えていた。当然、メディアも、EUも、NATOも、西側政府も反応せず、介入もしなかった。これはロシアの偽情報だったとあとで言われることになる。実際、EUや一部の国は、ドンバス住民の虐殺について、それがロシアの介入を誘発することを知りながら、意図的に沈黙を守ってきたようである」
パレ氏「しかし、地図それ自体は、何が正確に起こったのかを伝えることはできません。というのは、情報の収集方法に問題があるからです。私はこのシステム全体の一員だったので、情報がどのように集められたかを完全に理解しています。
基本的には、現地にいる(※OSCEの)監視員が、爆発を報告します。しかし、特に遠くから聞こえる爆発音の場合、それが着弾(incoming)なのか発射(outgoing)なのかを区別するのは、往々にして簡単ではありませんよね? これは、聞いた音をどう解釈するかによって、決定的な違いを生みます。
ですから、監視員が爆発を聞いた場所にもとづいて作られた地図を見ても、それ自体には意味がありません。それは『誰かが砲撃している』ということを示すだけであり、誰が誰を撃っているのかはわかりません。なぜなら、その地図上の爆発が、発射か着弾かを判断できないからです。
たとえ公式の報告書に『現地監視員によれば、発射側だった/着弾だった』などと書かれていても、私の経験上、それは必ずしも完全に信頼できるものではありません。なぜなら、それは人間の目視にもとづいているからです。
この種の情報については、目の前で実際に兵器システムが発射されるのを見たり、着弾を自分の目で確認した場合以外は、100%確実であることは決してありません。すべて耳で聞いただけなら、それは100%信頼できるものではないのです。
唯一完全に信頼できる情報は、暗視カメラ(night camera)からのデータでした。
その頃までに、私達は接触線(the contact line)に沿って暗視カメラを設置していきました。これらのカメラは24時間稼働しており、キエフに中央管制室がありました。
当初、これらのカメラは、ドンバスの各基地で、地域ごとに監視されていました。そのため、当時私は、自分の目で、これらのカメラが映し出す映像を確認することができました。そこから得られるどのような映像でも、私にとっては、完全に明確でした。
その後、すべてをキエフで集中管理することが決定されました。カメラが最も役に立つのは、夜間でした。なぜなら、夜間に砲撃を監視する時に、音だけでなく、光も監視できるからです。ここでいう『光』とは、曳光弾や曳光性のある発射物のことです。
いくつかのインタビューで、私は『照明弾(フレア)』と言及していますが、実際に私が言いたかったのはそうではなく、これは誤訳でした。その点について、他のインタビューを御覧になった方々に、お詫びします。私が本当に言いたかったのは、曳光弾のことでした。
私はかつて、前線の、非常に活動的な戦線地帯にいたことがあります。それは『ヴィクトルダスク(※)』の南、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の間にある地域でした。2022年以前、そこは、最も活発な前線のひとつでした」
(※)2022年以前の激戦地としては、アウディーイウカ(Avdiivka)、ドネツク国際空港(DAP、Donetsk International Airport)、マリンカとピスキー(Mariinka、 Pisky)、ポパスナとゾロテ(Popasna、 Zolote)などが知られているが、ここでパレ氏が言及している「ヴィクトルダスク(聞き取りできず)」と聞こえる都市名は、特定できなかった。
パレ氏「そして、この地域で夜間に監視していると、あらゆる方向から曳光弾が飛び交っているのが見えました。まるで狂気じみた光景でした。
実際に、もし地図を理解し、カメラの位置を把握していれば、これらの動きから『誰が誰に砲撃しているのか』を、100%確実に特定できます。
私は、自分の著書のために調査を行った際、当時保存していたすべての報告書(OSCEの報告書)を、精査することにしました。
それらの報告書は、現在でもオンラインで公開されている公的な資料です。ほとんどのものは、依然としてオンラインで閲覧可能です。我々のミッションによる日次報告書は、まだ公開されています。
私は、それらをすべてダウンロードしました。実際、それぞれの報告書の付録には、停戦違反の詳細が記載されています。
そこで、私はそれらをすべて確認し、特に暗視カメラからのデータに焦点を当てました。暗視カメラの設置場所と、交戦勢力の陣地の位置を把握していれば、誰が誰に砲撃しているのかを、再び明確に特定することができます。
残念ながら、この結論を導き出せる人はほとんどいません。なぜなら、カメラの正確な設置場所を知っている必要があり、さらにそれぞれの勢力の陣地の位置を知る必要があるからです。
しかし私達は、それを知っていました。私達は、それらの位置を地図に落とし込んでいましたから。時間が経過しても、それらの位置はほとんど変わらなかったため、各勢力の塹壕の位置を正確に把握していました。
この作業を通じて、暗視カメラのデータから判断して、私は、主にウクライナ軍が分離派勢力を砲撃していた、という結論を導き出しました。
繰り返しますが、それが私達の報告書の中で、唯一100%信頼できる情報でした。そしてその結論は、私自身の――どう言えばよいでしょうか――当初の仮説とは、正反対のものでした。
私の最初の仮説は、『ああ、おそらく、ロシア軍が、自らの作戦を準備するために、砲撃しているのだろう』というものでした。ご存知のように、通常、大規模な攻撃作戦を開始する際には、事前に砲撃で準備するものですから。
それが、私の最初の見方でしたが、暗視カメラのデータは、それを裏付けるものではありませんでした。それはむしろ、違う結論を示していました。
さらに私は、これを他の証言と照らしあわせました。当時、私はオデッサにいて、ドンバスに直接いたわけではありませんでしたが、私達は皆で互いに状況を話しあっており、ドンバスにいる同僚とも電話で、何が起こっているかについて、情報交換をしていました。
当時、ノルウェー出身の同僚が、オデッサにいました。彼は『自分の友人が今、ポパスナ(Popasna)に配属されている』と言いました。ポパスナは、ルガンスク人民共和国の接触線上にある小さな町です。
その友人は、『「ウクライナ軍がポパスナ地域で激しい砲撃を行っている、ウクライナ軍が激しく砲撃している」と教えてくれた』ということでした。これは、ロシア軍が作戦を開始する前のことでした。
つまり、私は(ディーセン教授と同じ出身国の)ノルウェー人の同僚から、この情報を得たのです。
それからずっとあとになって、1年後、私はウクライナ国外でかつての同僚に会いました。彼はセヴェロドネツク(※Severodonetsk、ルガンスク州北西部のドネツク州との境に近い都市)で働いており、そこでかなり上級の地位にありました。
彼は、当時ポパスナ地域で起きたことは、『ウクライナ軍による挑発にもとづくものだった』と、私の確認に答えてくれました。
彼は私に、そう話してくれました。私には、彼を疑う理由はまったくありませんでした。なぜなら、彼は『ロシア寄り』とみなされるような国の出身ではなく、むしろその逆だったからです。
どの国とは言いませんが、彼が『挑発的な男』ではないことは、確かです。私は、彼と左派的な議論を交わしたことがあるので、断言できます。
彼は私に『あの日、挑発を仕掛けたのはウクライナ軍だった』と、正直に話してくれました」
2022年2月16日~24日にドンバスへの砲撃を急増させ、挑発を仕掛けたのはウクライナ軍だった! 幼稚園への砲撃事件勃発! 西側メディアは「ロシア支援勢力が幼稚園を砲撃」と報道! しかしパレ氏の分析では、実際には幼稚園砲撃はウクライナ軍陣営から行われていた! OSCE監視団は現場から締め出され、調査妨害を受けた! 翌日のミュンヘン安全保障会議で、ゼレンスキー大統領は、幼稚園攻撃を引いてロシアの非人道性を強調、西側諸国に武器供与と支援を要請!
パレ氏「この話(2022年2月16~24日の間に急増したドンバスで停戦違反の砲撃の多くが、ウクライナ軍による挑発であったこと)は、いくつかの情報で補完することができます。
ご存知のように、(2022年)2月17日、つまり大規模な砲撃が始まった翌日の朝、ウクライナのメディア、そしてその後に西側メディアでも、大きなスキャンダルが取り上げられました。
『分離派が白昼、子供達が中にいる時間帯に、幼稚園を砲撃した』、というものでした(※)。これがメディアでの『物語』でした」
(※)スタニツィア・ルハンスカ(Stanytsia Luhanska)の幼稚園砲撃事件をさす。
2022年2月17日の朝(午前9時頃)、ウクライナ政府支配下にあったルハンシク州の最前線の町、スタニツィア・ルハンスカにある幼稚園に砲弾が着弾し、壁に穴が開き、体育館や遊び場などが損壊した。中にいた子供達に負傷はなかったが、職員は複数名負傷した。
『ロイター』は、「ウクライナ軍は17日、ウクライナ東部のロシアが支援する部隊がルハンシク州の村に砲弾を発射し、幼稚園を襲ったと非難した」と報じた。
『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』は、「ウクライナ東部の接触線沿いにある学校、幼稚園、住宅地への砲撃が、ロシアの支援を受けた武装勢力によるものとみられる」と報じた。
パレ氏「ご存知のように、私はその時、まだOSCEの一員としてウクライナにいました。正直に言って、私が思ったのは、『私はほぼ5年間、ドンバスにいたが、分離派が昼間に子供達がいる学校を砲撃するなどという話は、一度も聞いたことがない』というものでした。
そんなことは、私が滞在していた期間を通じて、一度も起きていませんでした。ではなぜ、よりにもよって、あの日に限って、そんなことをするのでしょうか? 米国が全世界に向けて『2月16日にロシアがウクライナに侵攻する』と告げた(※)その翌日に、です。覚えていると思いますが、確かに彼らはそう言っていました」
(※)2022年2月11日に米独立メディア『ポリティコ』は、米政府高官の発言として2月16日にロシアが地上侵攻を開始すると報道、ジェイク・サリバン米大統領補佐官や米国防総省のジョン・カービー報道官もそれを否定しなかった。
ゼレンスキー大統領は「ロシアによる侵攻は16日に行われるとの情報を得ている。我々はこの日を連帯の日にする」と国民向けテレビ演説で語った。
・サリバン米大統領補佐官「ロシアが16日ウクライナ侵攻」との報道に「その日を完璧に予測できない」としながらも「ロシアが口実をでっち上げて攻撃を開始することに備えるべきだ」と煽動! 報道を受け原油先物相場、穀物相場が高騰! 武力衝突が起きればさらに世界的にインフレが進行!!(日刊IWJガイド、2022年2月15日)
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非会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/50243#idx-1
・14日ロイターが「ロシアによる侵攻は16日に行われるとの情報を得ている」と、ウクライナのゼレンスキー大統領の演説を報道! しかし首席補佐官の顧問は、「『侵攻開始』が(欧米で)ツアー日程のように報じられていることへの皮肉として受けとめるべき」と解説! 実は、ゼレンスキー大統領は、他の国々がロシアの侵攻リスクを誇張していると非難していた!(日刊IWJガイド、2022年2月16日)
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非会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/50246#idx-1
・米国政府の空騒ぎは何だったのか!? ウクライナ時間2月16日午後6時29分現在、ロシア軍のウクライナ侵攻はなし! ロシア側いわく、「2月16日は西欧の戦争プロパガンダが失敗した日として歴史に残るだろう」!(日刊IWJガイド、2022年2月17日)
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パレ氏「そして、まるでそれを証明するかのように『ほら、ロシアは侵攻してきた。しかも野蛮にも、子供達でいっぱいの幼稚園を砲撃している』と主張しました。私にはとても考えられないことでした。
ですから、私は翌日、自分達の組織の報告書が出るのを待ちました。私の同僚達が何を書くかを確認するためです。すぐに報告書が入手可能になったので、ダウンロードして精読しました。
すると、砲撃の方向について矛盾があることに気づいたのです。報告書で説明されていた方向からでは、分離派が撃ったというのは到底不可能でした。報告書の説明は、まったく一貫性がなく、どう考えても筋が通らなかったのです。
さらに報告書には、こう書かれていました。『我々のパトロールチームは、建物に近づいて独自に被害を評価することを、ウクライナ警察によって妨げられた』と。
こんなことを読むのは、私が5年間のドンバス滞在で、初めてでした。砲撃を受けた公共の建物に、私達(OSCE)のパトロールが近づくことを許されなかった。そんなことは、一度もありませんでした。
私達が立ち入り禁止にされていた唯一の建物は、軍事施設でした。私達の任務は、軍事的な死傷者ではなく、市民の死傷者と市民の施設について報告することだったからです。
にもかかわらず、あの日(※スタニツィア・ルハンスカ幼稚園が砲撃された日)に限って、幼稚園が攻撃されたのに、私達のチームは、そこに50メートル以上近づくことができなかったのです。
断言しますが、50メートル離れた場所からでは、どんな種類の砲弾が被害をもたらしたかを特定することは不可能です。そんなことは不可能です。現地で証拠を集める必要があります。にもかかわらず、私達のパトロール隊は、その作業を妨げられたのです。
まず第1に、爆発の方向に関する情報に、非常に大きな食い違いがありました。そして、次に、私達のパトロール隊は、現場に近づくことを許されませんでした。
その時点で、分離派が幼稚園を狙うのは、とてもあり得ないことでした。ですから、すべてが、分離派やロシアを『野蛮人だ』と非難するための、いわば『偽旗作戦』のように見えました。
では、この事件はどんなタイミングで起きたのか。カレンダーで見てみましょう。
――それは、2月17日でした。その翌日の2月18日は、ミュンヘン安全保障会議(MCS、※)の開幕日です。あの会議は、当時ウクライナ戦争に関わるすべての関係者が集まって、互いの発言に耳を傾ける、毎年恒例のイベントでした」
(※)ミュンヘン安全保障会議(MSC)は、欧米における安全保障会議の中で最も権威ある民間主催の国際会議の一つであり、1962(昭和37)年から毎年(例年2月)開催されている会議である。
- ミュンヘン安全保障会議(MSC)(防衛省・自衛隊、2025年10月3日閲覧)
パレ氏「ゼレンスキー大統領も、もちろん、その場で当然スピーチをしました。彼が演説の中で何を語ったか。幼稚園への攻撃についてでした。そして、彼はそれを利用して、ロシア人を野蛮人として描き、『(西側は)武器を供与すべきだ』という口実として利用したのです(※)」
(※)ゼレンスキー大統領は、スタニツィア・ルハンスカ幼稚園への砲撃事件について、「基本的な法則を知っている子供達でさえ、ウクライナによる砲撃という主張がいかに馬鹿げているか理解している」「クリミア併合とドンバス戦争は全世界に影響を与える。そしてこれはウクライナの戦争ではなく、ヨーロッパの戦争だ」「ウクライナは8年間、頼りになる盾であり続けてきた」として、ウクライナへの支援を要請した。
ゼレンスキー大統領は「我々は何を見ているか? 敵側からの砲弾と銃弾だ。我々の兵士と民間人が殺され、負傷し、民間インフラが破壊されている。ここ数日は特に顕著である。ミンスク合意で禁止されている武器を用いた大規模な砲撃が数百回も行われた」とも主張している。
パレ氏「ある人は、その演説の中で、彼(ゼレンスキー大統領)が、ウクライナに核兵器を保有することを認めるよう要請した、と述べています。その演説の中で、彼がそのような発言をしたというのです。
しかし、私が後でそのスピーチをダウンロードして確認したところ、その物議を醸した一節への明確な言及は見つかりませんでした。ところが、別のところで、演説の公式版からは、その物議を醸す一節が削除されていたと、読みました。(※)
その日、会場に居合わせた人物に話を聞きました。彼女は、『実際に、彼(ゼレンスキー大統領)はそう言った。彼はウクライナに自前の核兵器を製造することを認めるよう求めた』と、証言しました。
考えてみてください。あの時、そんな発言をすれば、もちろんロシアに対する大きな挑発となります。まるで『赤い旗を振る』ようなものです。当然、ロシアの立場からすれば、『我々は手遅れになる前に行動すべきだ。ウクライナが核兵器を手に入れたら、何も制御できなくなる。それでは遅すぎる』と考えるでしょう。
だから、私から見れば、それも、ロシアが大規模作戦を始める前に、西側世界全体をウクライナの側に結集させ、武器提供を要請するための、もうひとつの偽旗活動であり、挑発行為だったのです」
(※)ウクライナ大統領府で公開されている演説では、ゼレンスキー大統領は、ブタペスト覚書に言及し、「ウクライナは、世界第三位の核能力を放棄することで安全保障の保証を得てきた」とし、「ブダペスト覚書の枠組みの中で協議」を開始したいと述べ、「もし協議が再び行われず、あるいは協議結果が我が国の安全保障を保証しないのであれば、ウクライナはブダペスト覚書が機能していないと確信し、1994年のあらゆる包括的決定に疑問を抱く権利を十分に有する」と主張している。
ウクライナのネオナチから大統領府顧問になりあがった、オレクシー・アレストヴィッチ氏は2019年に、「ロシアに勝ってNATO加盟を果たす」と予告していた! パレ氏は「この戦争は偶発的ではなく、明確に準備され、意図的に挑発されたもの」であり、「ウクライナ側はあらゆる手段でロシアを挑発し、ロシアに先に攻撃させることに成功した」と指摘!
パレ氏「最後に付け加えると、後になって私は、オレクシー・アレストヴィッチによる信じがたいインタビューを読みました。そのインタビューは、まだYouTubeで見られますが、誰も話題にしません。
2019年2月にさかのぼるものです(※)。繰り返しますが、2019年2月、ゼレンスキーが(大統領に)選出される前の話です」
(※)オレクシー・アレストヴィッチ(Oleksiy Arestovych)は、1975年生まれ。ウクライナの著名なブロガー、政治家、そして軍事オブザーバー、俳優。ウクライナ軍中佐の階級を持つ。
大統領府の行政長官である、アンドリー・イェルマーク(Andriy Yermak)によって、国家安全保障・防衛の顧問に任命され、2020年から2023年までウクライナ大統領府顧問(国家安全保障・防衛顧問)を務めた。
アレストヴィッチは2005年に、ウクライナのネオナチ組織に所属していた経歴をもつ。ドミトロ・コルチンスキー氏が率いるウクライナ極右団体「ブラツヴォ(同胞団)」に加わり、最終的にコルチンスキー氏の副代表となった。
- Oleksiy Arestovych(PUBLIC ORTHODOXY、2025年10月8日閲覧)
パレ氏「そのインタビューで、彼はこう言っています(※)。
『我々の目標は、NATOに加盟することだ。しかし、NATOは我々を受け入れないだろう。なぜなら我々が、ロシアと大戦争をしていないからだ』。
彼の言い分は、『我々がロシアとの大規模な戦争を経て、我々の能力を示さなければ、NATOは我々を受け入れない。ロシアと戦い、ロシアに勝てることを示すために、この戦争が必要だ。そうすれば、NATOは我々を受け入れ、さらにロシアと戦うのを支援してくれるだろう』といったものです。
これは、13~14分ほどのビデオの中で、彼が述べたことです。そしてその後、この人物はゼレンスキーの主要な顧問(大統領府顧問)となり、ゼレンスキーの助言チームの一員になりました」
(※)同インタビューは、2019年3月18日、ウクライナのニュースチャンネル「Апостроф.ua(Apostrophe.ua)」で放送された。同インタビューは13分ほどがYouTubeに残っている。
2022年3月、英語字幕をつけたインタビュー動画の切り出しが公開された。1分36秒のインタビューの英語字幕の仮訳を本文末尾に付録として添付する。
パレ氏「そして彼は、ロシアの(特別軍事)作戦が開始されると、毎日番組を持ち、最前線で何が起きているかについて解説するようになりました。
つまり、その瞬間から、彼は、ウクライナ政府の毎日の代弁者となったのです。まるで、3年前に自らが望んでいたことについて、解説する立場にすえられたかのようでした。しかし、誰もその事実を指摘しません。
しかし、そのような事実が存在するということ自体、少なくとも一部の人々はロシアに対して挑発を仕掛け、この大戦争を起こすべきだと予見していたことを示しています。
そして実際に起こったのは、彼らがあらゆる手段でロシアを挑発し、ロシアに先に攻撃させることに成功したということです。その結果、彼らは世界に向かって『被害者』という立場を演じることができたのです。
ウクライナで何が起きていたのか、ドンバスでの紛争の歴史、あるいは米国の戦略家達が何十年も前から考えていたことなど、誰も知りません。(何も知らない)世界中の大多数の人々にとって、彼らの目に映るのは、ただひとつ――『ある国が、別の国を侵略した』という事実だけです。
第2次世界大戦以来、前例のない出来事であり、まるで『ヒトラーが戻ってきた』かのようだと映るのです。彼らは、その物語を世界全体に売り込むことに成功しました。
しかし、事の本質を深く掘り下げてみれば、すべてはあらかじめ準備され、仕組まれた挑発だった、と結論づけることができます。
(挑発に加わっていた)張本人であるアレストヴィッチ自身は、今や、非常に興味深いことを語っています。彼は自分の計画が失敗したと理解しました。
現在の彼は、まったく逆のことを言っています。『NATOは我々を受け入れないことが明らかになったのだから、逆にロシアとの関係を修復するべきだ』と(※)。今や彼自身、NATOを信じていないのです」
(※)アレストヴィッチ氏は、2023年9月にウクライナを離れた。2024年12月、パトリック・ベット=デイヴィッド氏がホストを務める米国の番組『PBDポッドキャスト』のインタビューに出演し、大統領府顧問としてアレストヴィッチ氏の人気が高まると、ゼレンスキー氏に疎まれ、亡命に追い込まれたと説明している(インタビューの抜粋を【付録2】として末尾につける)。
パレ氏「彼はかつてこう述べたことがあります。――ウクライナのために実際に戦い、命を落とすであろう国は、皮肉なことにロシアとベラルーシだけだと。
ですから、かつてはロシアとの大戦争を推進し、『ロシアと戦うことは、史上最高にクールなことだ』とまで言っていた彼が、今やこれほど劇的に立場を変えているのは、興味深いことです。
当時の彼の主張では、NATOはウクライナ側に立って参戦し、ロシアを集団的に打ち破るとされていました。
ディーセン教授「本日は貴重なお時間をありがとうございました。実際にOSCEの監視員として活動していた方から、直接、このようなお話をうかがえるのは非常に重要なことです。心から感謝いたします」
パレ氏「どういたしまして」。
(了)
【付録1】オレクシー・アレストヴィッチ氏インタビュー(オリジナルは2019年3月18日)
2019年に行われたオレクシー・アレストヴィッチ氏へのインタビューは、2022年3月14日、英語字幕をつけた1分36秒の切り出しとして公開された。
英語字幕の仮訳は以下の通り(あくまでも英語字幕からの翻訳で、オリジナルのインタビューのロシア語の検証は行なっていない)。
質問者「もしウクライナがNATOに加盟したいと望めば、戦争の終結のためのデッドラインについて議論ができるのでしょうか?」
アレストヴィッチ「いや、戦争の終結のためのデッドラインは存在しない。むしろ、それ(ウクライナのNATO加盟)は、ウクライナに対するロシアの大規模な軍事作戦を招くだろう。彼らは我々のインフラを破壊し、壊滅的な地にするにちがいない…」
質問者「つまり、ロシアはNATOとの直接対決も辞さない?」
アレストヴィッチ「いや、我々がそうする(ロシアと戦う)のは、NATOとともに、ではない。彼らは我々がNATOに加盟する前に、そう(ウクライナに侵攻)しなければならなくなる。その時、NATOは我々に興味を持たないだろう。99.9%、破壊を恐れて興味をもたないだろう。我々のNATO加盟の代償は、ロシアとの大戦争だ。そして、もし我々がNATOに加盟しなければ、10年後か12年後にはロシアに占領されることになるだろう。だから、今、ゼレンスキーに投票すべきだ」(※ゼレンスキー氏は2018年12月31日、大統領選挙への立候補を表明した。第1回投票が2019年3月31日、決選投票が4月21日に行われた)
質問者「ええと、天秤にかけてみると、どちらの選択肢(ロシアと戦うか占領されるか)が、より良いのですか?」
アレストヴィッチ「もちろん、ロシアとの大戦争だ。ロシアに勝利することで、NATOに加盟するほうだ」
質問者「ロシアとの大戦争とは、何を意味するのですか?」
アレストヴィッチ「空軍による攻撃、ロシア軍による国境攻撃、そしてキーウの包囲、ドネツク周辺のウクライナ軍の包囲の試み、クリミアへの水供給を確保するためのペレコプスカヤ・シヤからカホフカ・ダム方面への攻撃、ベラルーシからの攻撃、新たな共和国の宣言、重要なインフラへの攻撃、空中攻撃、要するに、本物の戦争だ。そして、これは99%起こる」
質問者「いつ?」
アレストヴィッチ「もっとも危機的なのは、2020年から2022年だ」
【付録2】オレクシー・アレストヴィッチ氏インタビュー(2024年12月23日)
同インタビューは、アレストビッチ氏を次期ウクライナ大統領候補のひとりと見立てて行われた。アレストビッチ氏は、「プーチン大統領は、ゼレンスキー氏が再選されない限り、大統領としての正統性を認めていないため、セレンスキー氏と直接交渉するとは100%思えない」とし、「プーチンは停戦するが、合意については次期ウクライナ大統領――国民が選ぶ正当な大統領――とのみ交渉するだろう」と述べている。
インタビュー自体は1時間半を超えるため、以下、ブノワ・パレ氏の発言と関連するポイントを抜粋する。
アレストビッチ氏は、ウクライナの進むべき道について、「ウクライナは中立国であり続けるべきだ。ロシアとの戦争の主因のひとつは、我々が正式にNATO加盟を望み、NATOと親密な関係を築こうとしたことだった。NATOは常に約束するだけで、実際に受け入れる意思すらなく、ただプーチンを永遠に苛立たせ続けたいのだ」「我々はロシアとの第3次戦争には耐えられない」と述べている。
「我々(ウクライナとロシア)は、3000キロに及ぶ陸海国境を共有し、隣国であり、かつては同じ国家の一部だった。同じ道筋で成長し、共に生きる運命にあるのだ。我々はロシアとの正常な関係、戦争が繰り返されないよう規制された正常な関係が必要だ」。
「NATOが、我々を受け入れるつもりすらないことは確信している。加盟をちらつかせてはいるが、決して受け入れない」。
「ウクライナは、失敗国家である。戦争で露呈した問題は、1991年から蓄積されてきたものだ。当初から、我々は誤った道を進み、経済と文化の自滅を招いた。この戦争が暴いた真実は、システム全体が腐敗し、腐りきっており、機能していないということだ」。