バイデン政権下では、政権のプロパガンダが中心で、時折、正気に返ることもあった『ニューヨーク・タイムズ』が、2025年3月29日付で、ウクライナ紛争に関する長大な暴露記事を発表しました。
これは、ウクライナ戦争における米国関与の秘史です。
日本の主要メディアは、ウクライナを美化するプロパガンダと矛盾する、この重要な記事を無視、あるいは黙殺して、何も伝えようとしていません。
この『ニューヨーク・タイムズ』の記事は、米軍が軍事情報の提供や作戦立案などの点で、ウクライナ軍の頭脳として、紛争の始まりからずっと主導してきたことを証拠立てるものです。
しかし、これまでの『ニューヨーク・タイムズ』の記事と同様、反ロシア・親NATO、親ウクライナに「偏向」している部分が見られますので、すべてを真に受けることはできません。
そういうポイントは、逐一、指摘しながら紹介していきます。
- The Partnership: The Secret History of the War in Ukraine(ニューヨーク・タイムズ、2025年3月29日)
IWJは、A4で56頁にも及ぶこの長大なスクープ記事を、5回に分けて仮訳して紹介します。
第4回は、重要地点の察知からウクライナ軍の攻撃までのスピードを可能にしたヴィースバーデン体制が、2023年6月の反攻を前にして、変化してきたことを伝えています。
ウクライナ軍は、弾薬が当初の計画よりも大幅に少なかったため、攻撃するのではなく、まずドローンを使って情報を確認する方式に替えたのです。ヴィースバーデンが、ロシア軍の座標を送り、砲撃と前進を同時に開始するように指示しても、ウクライナ軍は、その情報を確認するため偵察ドローンを飛ばすのです。
この結果、ウクライナ軍がロシア軍に砲撃を始めるまで、24時間から48時間が費やされることもあったと伝えています。
「ウクライナ軍の進撃は様々な要因によって減速した。しかし、ヴィースバーデンでは、苛立ちを募らせた米国人達が、丘の上の小隊について語り続けていた。『たった一個のクソ小隊が進軍を阻止したんだ』と、ある将校は言った」。
2023年6月上旬 に開始された、ウクライナ軍による大規模な反攻は、ヴィースバーデン体制が機能しなくなった時期に行われたのです。
3月29日付の『ニューヨーク・タイムス』は、こう伝えています。
「2022年から2023年初頭のような、互いに鼓舞し合い信頼し合う兄弟愛はもはや存在しなかった」。
日本のメディアや小泉悠氏ら御用コメンテーター達は、米国とウクライナ軍との間に指揮・情報協力体制である、ヴィースバーデン体制が存在したことすら知らず、さらに、その体制が武器弾薬の少なさから不信関係へと変質していったことなども、全く伝えていませんでした。
トランプ大統領が大きく方針転換を打ち出したことで、このヴィースバーデン体制が再整備されてゆくことは、ほぼ間違いないのではないでしょうか。
第1回、第2回、第3回は、以下より御覧ください。
以下から、第4回の仮訳となります。
「マリウポリ攻撃を指揮した(ウクライナ軍の)ソドル中将は、(米軍の)アグト中将の助言を熱心に受け入れた。この協力が、反撃における最大の成功の一つをもたらした。
米情報機関がロシア軍の戦線の弱点を特定した後、ソドル中将の部隊は、ヴィースバーデンの重要地点情報を利用して、スタロマイオルスケ村とほとんど8平方マイルの領土を奪還した。
ウクライナ軍は、この勝利によって一つの疑問を抱くようになった。
マリウポリへの戦闘は、メリトポリ(ウクライナ南部のザポリージャ州にある人口15万人の都市)への戦闘よりも勝算があるのだろうか? しかし、攻撃は人員不足のために停滞した。
問題は、アグト中将の執務室に置かれた戦場地図に、明確に示されていた。シルスキー上級大将によるバフムート攻撃は、ウクライナ軍の飢餓を招いていたのだ。
アグト中将は、シルスキー上級大将をうながして、メリトポリ攻撃のために旅団と弾薬を南に送らせようとした。
しかし、米国とウクライナの当局者によると、シルスキー上級大将は動かなかった。また、ロシア軍のバフムート占領を支援したワグナー準軍事組織を率いるエフゲニー・プリゴジンが、プーチン氏の軍指導部に反旗を翻し、モスクワへ向けて軍を緊急派遣した時も、シルスキー上級大将は動かなかった。
米国の情報機関は、この反乱がロシア軍の士気と結束を弱める可能性があると評価した。守備の脆弱なメリトポリへの攻勢を、ウクライナ軍が強化していないことに、ロシア軍司令官達が驚いていることが傍受によりとらえられたと、米情報機関関係者は述べた。
しかし、シルスキー上級大将の見方では、この反乱はバフムートでロシア軍を窮地に追い込むことで分裂を煽るという彼の戦略を、正当化するものだった。部隊の一部を南に派遣しても、その戦略を弱めるだけだ。
『アグト、私は正しかった。君は間違っていた』とシルスキー上級大将が言ったことを、ある米国当局者は覚えていた。上級大将はさらに、『我々は、ルガンスクへ向かう』と付け加えた。
ゼレンスキー氏は、バフムートを『我々の士気の砦』と位置づけていた。結局、それは兵力で劣るウクライナ軍の窮状を血まみれの形で示すものとなった。
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