バイデン政権下では、政権のプロパガンダが中心で、時折、正気に返る『ニューヨーク・タイムズ』が、2025年3月29日付で、ウクライナ紛争に関する長大な暴露記事を発表しました。
これは、ウクライナ戦争における米国関与の秘史です。日本の主要メディアは、この重要な記事を無視、あるいは黙殺して、何も伝えようとしていません。
この『ニューヨーク・タイムズ』の記事は、米軍が軍事情報の提供や作戦立案などの点で、ウクライナ軍の頭脳として、紛争の始まりからずっと主導してきたことを証拠立てるものです。
しかし、これまでの『ニューヨーク・タイムズ』の記事と同様、反ロシア・親NATOに「偏向」している部分が見られますので、すべてを真にうけることはできません。
そういうポイントは、逐一、指摘しながら紹介していきます。
- The Partnership: The Secret History of the War in Ukraine(ニューヨーク・タイムズ、2025年3月29日)
IWJは、A4で56頁にも及ぶこの長大なスクープ記事を、5回に分けて仮訳して紹介します。
第3回は、ウクライナ軍によるクリミア半島への進軍をめぐって、ロシアとの間で生じた「核心的な緊張」などについて詳細に述べられています。
ウクライナ軍は、結局、クリミヤ半島への進軍は、できませんでしたが、その背景には、ウクライナ軍の弾薬不足や、ロシアの核使用を恐れた米国の意向が働いたことが示されています。
また、米軍にとって、ウクライナ軍とは、どういう性格の軍隊なのか、米軍のアグト将官の言葉は印象的です。
「『我々は一歩下がって見守り、あなた達が無謀な行動に出ないよう監視する』とアグト将官は、ウクライナ軍に告げた。
『最終的な目標は、将来いつかあなた方が単独で行動できるようにすることだ』と彼は付け加えた」。
ウクライナ軍は、何をしでかすかわからないから、米軍がそばで監視する、というのです。日本の自衛隊に対する米軍のまなざしも、同様のものではないかと思わざるをえません。
こうしたウクライナ軍の実態についても、日本メディアを始め、西側では、まったく報道されていません。
第1回、第2回は、以下より御覧ください。
以下から、第3回の仮訳となります。
「おそらく、プーチン氏にとってクリミア半島ほど貴重なウクライナ領土は他にないだろう。
ウクライナ軍が、ドニプロ川をゆっくりと進軍し、半島への進軍を企図していた時、ある米国防総省当局者が『核心的な緊張』と呼ぶ状況が生まれた。
ロシア大統領に交渉の動機を与えるには、ウクライナは、クリミア半島に圧力をかけなければならないだろうと、その当局者は説明した。しかし、そうすることは、大統領を追い詰め、『何か自暴自棄なこと』を考えさせる可能性があった。
ウクライナ軍は、すでに地上で圧力をかけていた。そして、米国の支援で、ロシア黒海艦隊攻撃用の新鋭海上ドローン艦隊を、ウクライナが開発し、製造し、配備することを、バイデン政権は承認した(米国は、中国海軍の台湾攻撃に反撃するために用意しているドローン艦隊の初期の試作機をウクライナに提供した)。
まず、ウクライナ海軍は、クリミアの領海沖に駐留するロシア軍艦の重要地点(※「標的」とは呼ばない。第2回を参照のこと)の情報共有を許可された。
10月には、クリミア半島内での行動に裁量権が与えられ、CIAは、セヴァストポリ港へのドローン攻撃を、秘密裏に支援し始めた。
同月、米国の情報機関は、ロシアのウクライナ侵攻司令官セルゲイ・スロヴィキン上級大将が、実に捨て身の行動に出ようとしていることを耳にした。
それは、ウクライナ軍がドニプロ川を渡り、クリミア半島へ直行するのを阻止するために、戦術核兵器を使用するという内容だった。
それまで、米国の情報機関は、ロシアがウクライナで核兵器を使用する可能性を5~10%と見積もっていた。ところが今、彼らは、南部のロシア軍防衛線が崩壊すれば、その確率は50%になると述べた。
この核心的な緊張は、頂点に達しつつあるように見えた。
欧州では、カヴォリ将軍とドナヒュー中将が、コワルチュク少将の後任であるオレクサンドル・タルナフスキー准将に対し、旅団を前進させ、ドニプロ川西岸からロシア軍団を敗走させ、装備を押収するよう懇願していた。
ワシントンでは、バイデン氏の最高顧問たちは、神経質に正反対のことを考えていた。ウクライナ軍に圧力をかけ、進軍を遅らせる必要があるかもしれない、と。
その瞬間は、ウクライナ軍にとって戦局を転換し、ロシア軍に打撃を与える絶好の機会だったかもしれなかった。また、より大規模な戦争に火をつける絶好の機会でもあったかもしれなかった。
しかし結局、ある種の曖昧さの中で、その瞬間は訪れなかった」
このくだりは、立ち止まってよく読み、熟考すべきくだりです。
ウクライナ軍は、実は当初から米軍を筆頭にNATO軍からの、あらゆる面での支援、あるいは高度な情報と分析にもとづく指令のもと、2022年2月、侵攻当初、ロシア軍が優勢と見られていた状況を挽回していきました。
この時、日本のメディアを含む、西側のメディアは、ウクライナ軍だけの力で、ロシア軍をはね返しているとして、大きくわきたったものです。
と同時に、ロシア軍への侮りが生じました。ロシア軍の地上軍の強さを大げさに見積もってきたが、全然、たいしたことないじゃないか。
戦況はロシア軍に不利だし、退却してゆくばかりだし。士気も低いのではないか。ロシア軍、恐れる必要などなし。といった論調が、あざけりや、ざまあみろ、といった感情的表現とともに、主要メディアでも、ネット上でも大量に見られたことは、御記憶にあると思います。
しかし、重要なポイントは、そこではありません。
この退却してゆくロシア軍を追撃していく好機に、ウクライナ軍は追いきれませんでした。
ウクライナ軍の追い足が遅かった、慎重になりすぎた、ではありません。
うまくいけば大勝するかもしれない。戦争の規模自体、大規模にして、ロシアをコテンパンにするチャンスかもしれない。
そんな好機だからこそ、逆に、これ以上、ロシアを追い込むと、ロシア側が戦術核兵器を使うかもしれない、という懸念が急浮上してきたのです。それは、ドイツのヴィースバーデン基地に構えられた作戦司令部でも、実質的に戦争全体を管理している米国のワシントンをも、躊躇させました。
いささか驚きを覚えます。これは、はじめから考えておくべきことだったはずです。米軍と NATO軍、ウクライナ軍は、何度も、図上演習をしていたといいます。しかし、そこでは、すべて通常兵器でのみ演習していたのだな、いうことがわかります。クリミア半島にウクライナ軍が侵攻した際の、戦術核兵器使用の可能性が、5~10%だった、という見積もりは、どう考えてもおかしい。ロシアは、核保有国です。そのロシアが、女帝エカチェリーナ2世の治政時代、1783年にオスマン帝国との戦いで、クリミア・ハン国を併合して以来、クリミア半島はロシアの領土でした。
ロシア革命後、ロシア・ボリシェヴィキが支配し、その後、ソ連邦のもと、15の構成共和国のうち、ロシア共和国が支配することになりました。
しかし、フルシチョフが、スターリンの死後、1953年に第1書記としてソ連の最高指導者の座についた翌年の1954年に、境界線をずらして、クリミアをウクライナに入れたのです。
フルシチョフは、ウクライナとの国境に近いクルスクに生まれ、15歳で家族とともにドンバスへ引っ越し、その後、ロシア革命の際、レーニンの率いるボリシェヴィキ(多数派という意味)に入党しました。
貧しい労働者の息子でしたが、党内で出世し、スターリンの後継者となったのち、ソ連国内の中で、ウクライナとロシアの境界線を移動させて、併合以来、ロシアに属してきたクリミア半島を、ウクライナに編入します。
とはいえ、ソ連は、それ自体、ひとつの全体主義国家だったので、行政区分の変更程度の意味しかありませんでした。結局、この境界線を変更したまま、ロシア語話者はクリミアに残ります。
しかし、ソ連崩壊の際、ほとんどがロシア人の住む、この地を含めて、ウクライナは独立を宣言します。といっても、ソ連のかわりに、独立国家共同体(CIS)が生まれ、旧ソ連各国の結びつきは続きます。当時のゴルバチョフ氏や、エリツィン氏は、まさか、ウクライナが、ノヴォ・ロシア地域(エカチェリーナ2世時代に獲得した、クリミアやウクライナの東南部)まで、ウクライナの領土とし、そこにいるロシア人を殺して、追い出そうとするとは思わなかったでしょう。
ロシア指導部は、レッドラインを超えたら、核兵器を用いると、何度も警告してきました。ロシア軍は、2014年に、住民投票によって併合した、クリミアに、ウクライナ軍(中身はNATO連合軍)が入って、ロシア領を侵略したら、核を用いる覚悟はあっただろうと推察されます。
であれば、そのことを事前に考えておくべきでした。勝ったら、どうしようか。相手は核攻撃してくるかもしれない。自分達もするのか、と。
小さい戦術は考えていても、核を含めて戦争を考えていなかったことが、よくわかります。
これは、「台湾有事」でもあてはまります。対中戦争で負ける心配もありますが、米日連合軍が、小さな勝利をおさめたら、核が使われるかもしれません。そのことを忘れてはいけません。
「敗走する部隊を守るため、ロシア軍司令官たちは、小規模な分遣隊を残置した。ドナヒュー中将はタルナフスキー准将に対し、分遣隊を殲滅するか迂回し、主目的であるロシア軍団に集中するよう助言した。
しかし、ウクライナ軍は、分遣隊に遭遇するたびに、より大規模な部隊が待ち構えていると想定し、その場で立ち止まった。
米国防総省当局者によると、衛星画像で見るとわかるが、ウクライナ軍を阻んでいるのは、わずか1、2両のロシア戦車だと、ドナヒュー中将が、タルナフスキー准将に伝えたという。
しかし、同じ衛星画像を見ることができなかったウクライナ軍司令官は、部隊を前進させることに慎重になり、躊躇した。
ウクライナ軍を前進させるため、タスクフォース・ドラゴンは重要地点の情報を送り、M777のオペレーターは、エクスカリバー・ミサイル(※注1)で戦車を破壊した。
ウクライナ軍が、ロシア軍の分遣隊と遭遇するたびに、この時間のかかる手順が繰り返された。
この時点で、ウクライナ軍はヘルソンを奪還し、ドニプロ川西岸を掃討するつもりだった。しかし、攻勢はそこで停止した。
弾薬不足に陥ったウクライナ軍は、ドニプロ川を渡ろうとはしなかった。ウクライナ軍が期待し、ロシア軍が恐れていたような、クリミア半島への進軍はなかったのだ。
ロシア軍が川を渡り、占領地へとさらに深く逃げていったとき、巨大な機械で地面を引き裂き、通った跡には長く深い塹壕線が刻まれた。
それでも、ウクライナは祝賀ムードに包まれており、ザブロツキー中将は次回のヴィースバーデン訪問で、ドナヒュー中将に『戦闘記念品』を贈呈した。
それは、あるロシア兵が所有していたタクティカルベスト(※注2)だった。その兵士の戦友たちは既に東へ進軍しており、2023年に厳しい試練の場となるバフムートを目指していた」。
第三部
綿密に練られた計画
2022年11月~2023年11月
「そしてただちに、2023年へ向けた計画が練られた。今にして思えば、理不尽なほどの熱狂の瞬間だったと言える時期だった。
ウクライナ軍は、オスキリ川とドニプロ川の西岸を支配していた。連合軍内では、2023年の反撃が戦争最後の戦いになるだろうというのが通説だった。
ウクライナ側が完全な勝利を宣言するか、あるいはプーチン氏が和平を申し出ざるを得なくなるだろう、というのだ。
ゼレンスキー氏は連合軍に対し、『我々はこの戦いにおいて全面的な勝利をおさめつつある』と語ったと、米国の高官は回想している。
晩秋にヴィースバーデンに集まったパートナー軍に対し、ザブロツキー中将は、この目標達成のため、ザルジニー将軍が、メリトポリへの攻勢を主たる作戦とし、クリミア半島のロシア軍を締め上げるべきだと再び主張していると説明した。
この作戦は、2022年において、動揺する敵に決定的な打撃を与える絶好の機会だったのに、拒否されたものだと彼は考えていた。
そして再び、米軍将官のなかには慎重論を唱える者がいた。
米国防総省では、当局者が反撃に必要な兵器を十分に供給できるかどうか懸念していた。つまり、当時おそらくウクライナは、考えられる最強の立場にあるのだから、和解を検討すべきだろう、という考えだった。
統合参謀本部議長のミリー将軍が、演説でこの考えを示唆すると、ウクライナ支持者(当時圧倒的に戦争を支持していた共和党議員を含む)の多くは、弱腰だと叫んだ。
ヴィースバーデンでは、ザブロツキー中将とイギリス軍との私的な会話の中で、ドナヒュー中将は、南部防衛のためにロシア軍が掘った塹壕を指摘した。
さらに、数週間前にウクライナ軍が、ドニプロ川への行軍を停止したことも指摘した。『彼らは土を掘り戻している』と彼は言った。『どうやってこれを乗り越えるのだ?』
ザブロツキー中将とある欧州当局者の記憶によると、ドナヒュー中将は、その代わりに一時中断を主張したという。
ウクライナ軍が来年だけでも、新たな旅団の編成と訓練に取り組めば、メリトポリまで戦い抜く態勢ははるかに整うだろう、と。
一方、英国側は、ウクライナ軍がどうせ出撃するのであれば、連合軍が支援する必要があると主張した。
英軍や米軍ほど優秀である必要はない、ただロシア軍より優秀であればよい、とカヴォリ将軍はよく言っていた。
一時中断はないだろう。ザブロツキー中将は、ザルジニー将軍に『ドナヒューの言うことは、正しい』と告げた。しかし同時に、『ドナヒューの勧告に賛成したのは私だけだった』とも認めた。
それに、ドナヒュー中将は、遠からず退任することになっていた。
第18空挺師団の派遣は、常に一時的なものだった。ヴィースバーデンには、より恒久的な組織、ウクライナ安全保障支援グループ(SECG-Ukraine)(※注3)が設立されることになった。
コールサインはエレボス。ギリシャ神話に登場する擬人化された闇である。
その秋の日、作戦会議と会談を終えると、ドナヒュー中将は、ザブロツキー中将をクレイ・カゼルネ飛行場へと案内した。
そこでドナヒュー中将は、五つの星に囲まれた盾の装飾品、第18空挺師団のドラゴン記章を贈呈した。
最西端の星はヴィースバーデンを表し、少し東には、ジェシュフ・ヤションカ空港を表した。他の星はキエフ、ヘルソン、ハリコフを表し、ザルジニー将軍と南部と東部の指揮官達を表していた。
そして星の下には、『ありがとう』の文字があった。
『私は、中将に「なぜ私に感謝するのですか?」と尋ねました』とザブロツキー中将は、回想している。
「『お礼を申し上げるのは、私です』」
ドナヒュー中将は、ウクライナ軍こそが戦い、命を落とし、米軍の装備と戦術を試し、そこから得た教訓を共有してきたのだと説明した。
『あなた方のおかげで、私達は決して手に入らなかったものを、すべて築き上げることができたのです』と彼は言った。
飛行場の風と騒音の中、彼らは叫びながら、誰が最も感謝に値するのかを議論した。そして握手を交わし、ザブロツキー中将は、エンジンをかけて待機していたC-130機の中に姿を消した。
「部屋にいた新人」とは、アントニオ・A・アグト・ジュニア中将だった。彼は、これまでとは違うタイプの指揮官であり、違った種類の任務を担っていた。
ドナヒュー中将は、リスクを恐れない人物だった。アグト中将は、思慮深く、訓練と大規模作戦の達人として名声を築いていた。
2014年のクリミア併合後、オバマ政権は極西部の基地も含め、ウクライナ軍の訓練を拡大していた。アグト中将は、そのプログラムを監督していた。ヴィースバーデンにおける彼の最優先事項は、旅団新設の準備だった。
国防長官のオースティン氏は、『新旅団を戦闘に備えさせなければならない』と彼に告げた。
これはウクライナ側の自立性向上、そして関係の再調整を意味した。当初、ヴィースバーデンは、ウクライナ側の信頼を勝ち取るために尽力していた。今やウクライナ側が、ヴィースバーデンの信頼を求めていた。
すぐに好機が訪れた。
ウクライナの情報機関は、占領下のマキエフカにある学校に、ロシア軍の仮設兵舎を発見した。
『この点については、我々を信頼してほしい』とザブロツキー中将は、アグト中将に言った。
アグト中将はそれを信じ、ザブロツキー中将は、『我々は、標的選定プロセス全体を完璧に独自遂行した』と回想している。ヴィースバーデンの役割は、座標の提供に限られたのだった。
このパートナーシップの新たな段階において、米軍とウクライナ軍の将校達は引き続き毎日会合を開き、優先事項を決定し、情報統合本部は、それを重要地点へと変換した。
しかし、ウクライナ軍の司令官達は、より自由な裁量権を持つようになり、自らの情報から得た追加目標をHIMARSで攻撃するようになった。米軍と合意した優先事項を推進するという条件の下ではあったが。
『我々は一歩下がって見守り、あなた達が無謀な行動に出ないよう監視する』とアグト中将は、ウクライナ軍に告げた。
『最終的な目標は、将来いつかあなた方が単独で行動できるようにすることだ』と彼は付け加えた。
2022年を彷彿とさせるように、2023年1月の軍事演習では二面作戦計画が示された。
東部におけるシルスキー上級大将率いる軍による二次的攻撃は、数ヶ月にわたって戦闘がくすぶっていたバフムートに重点を置き、2022年にプーチン氏が併合したルガンスク州への陽動攻撃を行う。
この作戦行動は、ロシア軍を東部で足止めし、南部における主戦場、すなわちメリトポリ攻撃への道を容易にすると考えられていた。
メリトポリでは、ロシア軍の要塞が冬の寒さと湿気で既に腐朽し、崩壊しつつあった。
しかし、別の種類の問題が、既にこの新たに策定された計画を蝕んでいた。
ザルジニー将軍は、ウクライナ軍の最高司令官であったかもしれないが、シルスキー上級大将との競争によって、その優位性はますます危うくなっていた。
ウクライナ当局者によると、この対立は2021年に、ザルジニー将軍を元上司のシルスキー上級大将よりも昇格させたゼレンスキー大統領の決定にまで遡る。
侵攻後、限られた台数のHIMARS砲台を巡って、司令官達が争う中で、この対立は激化した。シルスキー上級大将は、ロシア生まれでロシア軍に所属していたことがあった。ウクライナ語の勉強を始めるまでは、会議では主にロシア語で話していた。
ザルジニー将軍は時折、シルスキー上級大将を『あのロシア将官』と揶揄していた。
シルスキー上級大将が、その反撃作戦において支援を受けるのが不満であることを、米軍は知っていた。
アグト中将が、計画を理解しているかどうかを確認するために電話をかけた際、シルスキー上級大将は『同意しないが、命令は受ける』と答えた。
反撃は、5月1日に開始される予定だった。それまでの数ヶ月は、反撃のための訓練に費やされる。
シルスキー上級大将は、それぞれ3000人から5000人の兵士からなる、百戦錬磨の4個旅団を訓練のためヨーロッパに派遣する。さらに、新兵4個旅団が加わる予定だった。
シルスキー上級大将には、別の計画があった。
バフムートでは、ロシア軍が膨大な数の兵士を投入し、そして失っていた。シルスキー上級大将は、ロシア軍を包囲し、部隊内に不和を生じさせる好機だと考えた。
米国当局者によると、シルスキー上級大将は、アグト中将に『新兵を、全員メリトポリに投入する』と言ったという。
そして、ゼレンスキー氏が、自身の最高司令官と米軍双方の反対を押し切ってシルスキー上級大将に味方したことで、反撃の基盤の要が事実上崩壊した。
ウクライナ軍は、未経験の4個旅団のみを訓練のために海外に派遣することになった(ウクライナ国内で、さらに8個旅団を育成する)。しかも、新兵は高齢で、ほとんどが40代、50代だった。
彼らが、ヨーロッパに到着した時、ある米国高官は『「これは良くない」と我々はずっと考えていた』と回想している。
ウクライナの徴兵年齢は、27歳だった。ヨーロッパ連合軍最高司令官に昇進したカヴォリ将軍は、ザルジニー将軍に『18歳の若者を戦場に送り出せ』と懇願した。
しかし、米国は、大統領も将官も、そのような政治的懸念のある決断を下すことは自分達の預かるところではないと判断した。
米国側にも、同様の力学が働いていた。
前年、ロシア軍は軽率にも、前線から50マイル(約80キロメートル)以内に司令部、弾薬庫、兵站センターを配置していた。
しかし、新たな情報筋によると、ロシア軍は重要な施設をHIMARSの射程外に移動させたことが判明した。
そこでカヴォリ将軍とアグト中将は、次の画期的な策として、ウクライナ軍にATACMS(※注4)と呼ばれる最長190マイル(約300キロメートル)の戦術ミサイルシステムを配備することを勧告した。
クリミア半島の、ロシア軍によるメリトポリ防衛支援を難しくする狙いだった。
ATACMSは、バイデン政権にとって特に厄介な問題だった。
ロシア軍のゲラシモフ司令官は前年5月、ミリー将軍に対し、190マイル(約300キロメートル)を飛行するミサイル配備はレッドラインを越えると警告したが、それは間接的にATACMSに言及していたのだ。
また、供給の問題もあった。米国防総省は既に、米国が自国の戦争をしなければならない場合、ATACMSの供給が不足するとすでに警告していた。
メッセージは、単刀直入だった。『ATACMSを求めるのは、やめろ』。
前提は、根本的に覆されたのだ。勝利への道は、狭まりつつあったが、それでも米軍は、道を見出していた。
針の穴に糸を通すには、ロシア軍が要塞を修復し、メリトポリの増援に部隊を移動させる前に、予定通り5月1日に反撃を開始することが要だった。
しかし、そのぎりぎりの日は来て、そのまま過ぎ去っていった。約束されていた弾薬や装備のなかに、まだ届かないものがあったのだ。
アグト中将が、攻撃開始に必要な物資は十分にあると保証したにもかかわらず、ウクライナ軍は、弾薬と装備がすべて揃うまで攻撃を仕掛けようとしなかった。
ある時、苛立ちが募り、カヴォリ将軍はザブロツキー中将に向き直り、『ミーシャ、私は、あなたの国を愛している。だが、もしあなたがこれをしなければ、あなたは戦争に負けることになる』と言った。
『私の答えはこうでした。「クリストファー、あなたの言っていることは理解しています。しかし、どうか私の言うことを理解してください。私は最高司令官ではありません。そして、ウクライナ大統領でもありません」』とザブロツキー中将は振り返り、『おそらく、私は彼(※カヴォリ将軍を指すと思われる)と同じくらい泣く必要があったのでしょう』と付け加えた。
米国防総省当局者たちは、より深刻な亀裂が生じつつあることを、感じ始めていた。ザブロツキー中将は、ミリー将軍に『真実を話してください。計画を変更しましたか?』と尋ねられたことを覚えている。
『いいえ、いいえ、いいえ』と彼は答えた。『計画は、変更していませんし、変更するつもりもありません』。
彼はこれらの言葉を発したとき、自分が真実を語っていると心から信じていた。
5月下旬、情報筋は、ロシアが新たな旅団を急速に編成していることを確認した。ウクライナ側は、望むもの全てを手に入れていたわけではなかったが、必要だと考えるものは持っていた。彼らは、進まねばならなかった。
軍事問題を監督するウクライナ政府機関スタフカ(※注5)の会議で、ザルジニー将軍は、最終計画の概要を示した。タルナフスキー准将は、メリトポリへの主攻勢のために12個旅団と弾薬の大部分を保有することになった。
海軍司令官ユーリー・ソドル中将は、港湾都市マリウポリに向けて陽動攻撃を行う。マリウポリは、前年の激しい包囲戦で、ロシア軍に占領され、廃墟と化していた。
シルスキー上級大将は、東部、数ヶ月に及ぶ塹壕戦の末に陥落したばかりのバフムート周辺で、支援活動を指揮することになった。
その時、シルスキー上級大将が口を開いた。ウクライナ当局者は、回想によれば、上級大将は、計画を破棄し、ロシア軍をバフムートから追い出すために全面攻撃を仕掛けたいと述べたという。
そしてその後、ルガンスク地方に向けて東進する。もちろん、追加の兵員と弾薬が必要になるだろう。
米軍には、会議の結果は知らされなかった。しかしその後、米情報機関は、ウクライナ軍と弾薬が、合意された計画とは異なる方向に移動しているのを見た。
その後まもなく、急遽設定されたポーランド国境での会合において、ザルジニー将軍は、カヴォリ将軍とアグト中将に対し、ウクライナ軍が実際には三方向から同時に攻撃を開始することを決定したことを認めた。
『それは計画外だ!』とカヴォリ将軍は、叫んだ。
ウクライナ当局者によると、何が起こったかはこうだ。
スタフカ会議の後、ゼレンスキー大統領は、連合軍の弾薬をシルスキー上級大将とタルナフスキー准将に均等に分配するよう指示した。
シルスキー上級大将は、新たに訓練された旅団のうち5旅団を受け取り、残りの7旅団はメリトポリの戦いに充てられることになった。
『メリトポリ攻撃は、開始される前から、その終焉を目の当たりにしていたようなものだ』と、あるウクライナ当局者は述べた。
開戦から15ヶ月が経ち、全てがこのようにひっくり返されたのだ。
『我々は、撤退すべきだった』と、ある米高官は語った。
しかし、彼らはそうしなかった。
『生死に関わるこうした決定、そしてどの領土をより重視し、どの領土をより重視しないかという決定は、根本的に主権に関わる決定だ』とバイデン政権の高官は説明した。
『我々にできることは、彼らに助言することだけだった』。
(※注1)エクスカリバー・ミサイルとは、実際には「ミサイル」ではなく、「精密誘導砲弾(precision-guided artillery shell)」である。正式名称は M982 エクスカリバー で、アメリカとスウェーデンが共同開発した155mm GPS誘導砲弾。
(※注2)タクティカルベストとは、主に軍隊・警察・特殊部隊・サバイバルゲーマー・災害救助隊などが使用する多機能なベスト型装備である。戦術行動(=タクティカル)に必要な装備を身体に装着・携行するために設計されている。
(※注3)ウクライナ安全保障支援グループ(SECG-Ukraine)とは、ウクライナ軍への装備支援と訓練・助言の提供を体系的・継続的に実施するため、2022年11月に米欧軍がドイツ・ヴィースバーデンに設立した米軍主体の常設共同司令部組織のこと。各国から寄せられる武器・装備の調達・輸送・管理を統合し、ウクライナ軍が正しく使えるよう訓練まで統括した。
2023年初頭には、月500名規模のウクライナ兵訓練を実施し、GAO(米国政府説明責任局)報告書によれば、開戦から2年間で30万名以上のウクライナ兵が米EU委託訓練を受け、そのうち米国単独は約16 %(約5万〜6万人)だった。
https://www.gao.gov/assets/gao-24-107776.pdf
(※注4)ATACMS(Army Tactical Missile System)とは、米国が開発した地上発射型の弾道ミサイル。地上の標的を攻撃する。最大射程は約300キロで、GPSによる精密な攻撃が可能。
(※注5)ウクライナ政府機関スタフカ。ウクライナにおける「スタフカ(Stavka)」とは、ウクライナ大統領直轄の最高司令部(最高指揮幕僚本部)を指す。これは、ロシア帝国やソ連時代における軍の最高司令機関に由来する呼称で、2022年2月24日のロシアによる全面侵攻の当日に、ゼレンスキー大統領が、大統領令(No.72/2022)により設置したもの。大統領が議長を務め、作戦計画・戦略決定・軍と法執行機関の統合的指揮を担う。


































