5月23日午前10時から12時まで、ウクライナ紛争の停戦を訴える「Ceasefire Now! 今こそ停戦をCease All Fire Now! 8th ウクライナ戦争停戦に関する最近の動き~ジェフリー・サックス教授が日本国会に向けて語る~」が、参議院議員会館特別会議室で開催されました。
サックス教授は、皇太子(現在、今上天皇)との御成婚前、ハーバード大学に留学していた時の雅子皇后の指導教官であり、世界屈指の経済学者として知られています。
サックス教授の講演会は、これまで「今こそ停戦を呼びかける人たち」によって開催されてきた「Ceasefire Now! 今こそ停戦を」シリーズの第8回にあたります。
司会は、国際政治学者で青山学院大学名誉教授である羽場久美子教授、討論の参加者は、東京外国語大学名誉教授でれいわ新選組の政策委員である伊勢崎賢治氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、東京大学名誉教授の和田春樹氏、「市民と野党をつなぐ会@東京」共同代表の鈴木国夫氏、元外交官で政治学者である東郷和彦氏らでした。
ジェフリー・サックス教授は、約1時間にわたってオンラインで講演し、前半がウクライナ戦争について、後半がガザ戦争、そして、アジアでの平和構築について、語りました。
その後、さらに1時間近くにわたって、出席者との間で、質疑応答が交わされました。
ウクライナ戦争の現状について、サックス教授は、「プーチン大統領の目的は、米国とウクライナが、NATOではなく、中立を受け入れるようにすること」だと指摘し、「トランプ大統領は、この現実を受け入れているが、ゼレンスキーと、英国、フランス、ドイツは、中立を受け入れない。これが、戦争が続く理由」だと分析しています。
その上でサックス教授は、「ヨーロッパ人は、ロシアを弱体化させるためなら、ウクライナ人が死ぬことを容認している」と、ヨーロッパ人の冷酷さを批判しています。
以下に、サックス教授による講演の前半、ウクライナ紛争について語った部分の仮訳をお送りします。
ジェフリー・サックス教授講演(オンライン)「ウクライナとガザの停戦、そしてアジアの平和の確立」(前半)
(2025年5月23日、参議院議員会館 特別会議室)
「どうもありがとうございます。羽場教授、この講演をアレンジしてくださり、感謝します。そして、お聴きいただいている皆様、この場にお集まりいただき、光栄です。
私は、皆様と意見を交換し、現在の世界情勢に関する私の見解を説明し、外交と平和構築における、適切なアプローチについてお話しする機会を、楽しみにしています。
これは、日本にとって非常に重要なテーマです。なぜなら、日本は世界で最も重要な先進国の一つであるだけでなく、米国の役割、中国の役割、ロシアの役割、そして安全保障への道筋に関する、多くの課題に直面しているからです。
私の主たるメッセージは、『安全保障は、外交によってのみ達成できる』ということです。大国の政治や対立によって、達成できるものではありません。
日本における、軍事力増強による安全保障という考え方は、私は誤りだと考えています。
私が、東アジアで重要だと考えるのは、これから述べる他の危機と同様、外交です。中国、日本、韓国、そしてアジア太平洋地域の他の国々の間の平和的協力に、障害はないと思います。
したがって、例えば、中国(の脅威)に対する日本の安全保障が問題であるとは、私は考えていません。中国と日本は、過去2000年間の歴史の大部分においてそうであったように、平和的に共存できると信じています。その歴史は、おおむね平和なものでした。
問題は、平和をどのように確保するかです。将来を見据えて。
私は、米国の軍事基地や、軍事戦略といったアプローチが答えではないと考えます。答えは、外交です。共有する価値観と目標が、答えです。
羽場教授から、ウクライナ、中東、東アジアの、3つのグローバルな危機について話すよう、依頼されました。私の発言から、これらには、共通の根源があると考えていることが、おわかりになると思います。
その共通の根源は、大国の政治、特に米国の政治です。なぜなら、米国は1945年以来、世界における支配的な国だからです。
米国は、その優位性を、軍事的なアプローチに依存し、外交的なアプローチを軽視してきました。それは、優位性の誤用であると、私は考えています。(米国の)外交の失敗が、これらの緊張や紛争を含む、現在の状況を引き起こしたと考えています。
私は、これら3つの地域において、40年以上にわたり、直接関与してきました。
ウクライナとロシアへの最初の訪問は、1970年、55年前です。その後、ミハイル・ゴルバチョフ大統領と、ボリス・エリツィン大統領の経済顧問を務めました。
35年前、私はウクライナのレオニード・クチマ大統領の経済顧問を務めました。したがって、私の経験は直接的なものです。
イスラエルへの最初の訪問は、53年前です。私は、中東に50年以上通っており、その紛争についても、多くのことを理解していると自負しています。
日本への最初の訪問は、45年前で、45年以上にわたり、日本を訪れるという大きな栄誉に預かってきました。私は、日本を深く尊敬しています。40年以上にわたって、日本に多くの学生や同僚がいます。
中国にも、1981年から44年間、訪れており、日本と中国には、通常、年間少なくとも1回、しばしば複数回訪れ、韓国も訪れています。そのため、皆様の素晴らしい地域について、ある程度の直接的な知識を持っていると、自負しています。そこで、皆様の地域に関する、私の見解も共有したいと思います。
まず、1945年、第2次世界大戦が終結した時、その時点では、米国が世界唯一の超大国でした。第2次世界大戦によって被害を受けず、破壊されなかった、唯一の主要経済大国でした。米国は、世界一の技術大国であり、産業面でも、軍事面でも、世界のリーダーでした。
そのため、米国は戦後の世界の大部分を形作りました。日本は、その経緯をよく知っているでしょう。なぜなら、日本は1945年以降、数年間にわたって米国の占領下にあり、米国は、第2次世界大戦後の日本の復興を支援したからです。
1945年には、既に、特に1947年までに、米国はソビエト連邦を新たな敵と定めました。(米ソは)第2次世界大戦中にドイツや日本と対峙した同盟国であったにもかかわらず、第2次世界大戦終了後、間もなく両国の同盟関係は崩壊し、当然ながら冷戦に突入しました。
冷戦中、米国は経済面で圧倒的な優位性を持ち、ほとんどの分野で、技術的リーダーシップを発揮していました。
しかし、ソビエト連邦は手ごわい強力な国家であり、軍事的にも非常に強力でした。米国とソビエト連邦の軍備競争は、極めて激しく、特に核兵器分野で顕著でした。
この期間中、両国は数万発の核兵器を保有するに至りました。
ロシア側、あるいはソ連側が、明らかに優位に立っていた時期もありました。
最も顕著なのは、1957年のスプートニク打ち上げで、ソ連の宇宙技術が米国を凌駕し、ソ連は初めて人工衛星を軌道に投入することに成功しました。
これは当然、宇宙開発競争や月探査競争、さらには宇宙の軍事化競争へとつながりました。
しかし、重要な点は、1945年から1989年までの期間は、対立の時代であり、非常に危険な対立の時代だったということです。
これは少し脱線するので詳しく説明しませんが、私の意見では、米国は冷戦を終結させることには興味がなかったと思います。むしろ、冷戦に勝利することを目指していたのです」。
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