2026年1月18日、「2015年から2022年までドンバス戦争を現場でその目で見てきた元OSCE監視員が、ウクライナ戦争の『真実』を明らかにする! 岩上安身によるインタビュー第1209回 ゲスト 元フランス陸軍予備役将校(大尉)、元欧州安全保障協力機構(OSCE)監視員 ブノワ・パレ氏 第1回(その4)」を初配信した。
インタビューの(その4)では、(その3)で紹介した2001年の国勢調査による言語分布図では、ウクライナ語とロシア語の混じった「スルジク語」をウクライナ語に分類し、ウクライナ語が有利になるよう操作されていた、という指摘からスタートした。
スルジク語について、パレ氏は次のように解説した。
「『ロシア語を話さない人が、一定数いる』ということは、必ずしもその人達が、『ウクライナ語を話している』という意味ではありません。
実際には、ロシア語とウクライナ語が混ざりあったような、一種の方言を話している人達が多いのです。
ただし、この方言も、ウクライナ東部と中部とでは、異なります。東部ウクライナでは、この話し方は、ロシア語により近いものになっています。
ドンバスでは、何らかの形でロシア語を話している人が、ほぼ100%に近いと言っていいでしょう。純粋なウクライナ語を話している人は、ほとんどいませんでした。
例外があるとすれば、裁判官など、ドンバスの外から仕事でやって来た人達くらいです。
つまり、ウクライナ語を話せたのは、特定の学校に通っていた若い世代だけだった、ということです。(中略)
数の上で見れば、ウクライナ語は、誰にとっても母語だと言えるほどのものではなかった、ということです。これは、理解しておくことが重要です」。
パレ氏は、2001年の国勢調査で、スルジク語がウクライナ語に分類された経緯について、次のように明らかにした。
「この情報は私の(欧州安全保障協力機構の)同僚から聞いたものです。彼は、2001年のウクライナ国勢調査を題材に研究をしていた物理学者でした。
彼の話では、調査を担当した側が、スルジク語を『ウクライナ語』として分類することを決めたそうです。そうすることで、実際よりも多くの人がウクライナ語を話しているように見せかける狙いがあった、というのです。
それは、ある意味で『ウクライナ的アイデンティティ』を作り上げるための手法であり、言ってしまえば、ごまかしのようなものだった、というわけです」。
パレ氏が示した「スルジク語が正しく反映された言語分布図」を見ると、主要言語として純粋なウクライナ語を話している地域は、リヴィウなど、ウクライナ西部のごく一部の地域であることがわかる。
キエフなどウクライナ中部ではスルジク語が、ドンバス地方などウクライナ東部ではロシア語が主要言語となっており、その間は、スルジク語とロシア語の密度がグラデーションのように混じりあっているのがわかる。
パレ氏は、地図上でウクライナ中部を指し示し、「国勢調査では『ウクライナ語』と分類されていますが、実際には、この地域ではウクライナ語は話されていません」と指摘した。
パレ氏は、2014年のユーロ・マイダン・クーデター後に、ウクライナ語だけの使用が強制されたことこそが、戦争の大きな原因の一つだと、次のように指摘した。
「そもそもウクライナの言語的な実態は、非常に多様だということです。
そう考えると、国全体に一つの言語を押し付けるという発想は、決して理にかなったものではありません。しかも、その押し付けられる言語が、実際には西部に住む一部の人達の言語にすぎない、という点を考えれば、なおさらです。
なぜ、この地域(ウクライナ西部)で話されている言語が、国家の公用語でなければならないのか。(中略)
ウクライナ民族主義者達にとっては、(少数民族の言語を地方レベルで公的に認めることは)受け入れがたいものだったのです。彼らは、ウクライナ語が、あらゆる場所で、あらゆるレベルで使われるべきだと考えていました。
そして、これこそが、戦争の原因の一つだったと言えると思います」。
次にパレ氏は、2010年のウクライナ大統領選挙での投票分布図をパワポで示した。ドンバス地方で高い支持を得た親露派のヤヌコヴィッチ元大統領と、対抗馬だったティモシェンコ元首相の得票率が、前出のスルジク語を反映した言語分布図と重なりあっていることがわかる。
パレ氏は、「ここには大きな分断が、はっきりと示されている」と指摘し、以下のように続けた。
「ドンバスと、ウクライナ民族主義の中心地域であるウクライナ西部とでは、候補者の得票率がまったく正反対の結果になっていることがわかります。
私は、多くの国の選挙を観察してきましたが、同じ国の中で、こんな極端な差を見ることは普通ありません。
しかし、ウクライナでは、こうした現象が起きているのです」。
このあと、インタビュー(その4)では、2010年の大統領選挙でヤヌコヴィッチ大統領の対抗馬だったユリア・ティモシェンコ元首相が、汚職で投獄されながら、ユーロ・マイダン・クーデター後に釈放されたことや、ミンスク合意にもとづいてドンバス地方に自治権を与えるための憲法改正に反対したこと、つまりそれは、ミンスク合意を潰した責任の一端があるということ、ゼレンスキー氏の失脚後の大統領候補の一人と見なされていることなどについて、紹介した。
さらに、「ウクライナの西部と東部の分裂」について、サミュエル・ハンチントンが、著書『文明の衝突』(1996年)で、「もしウクライナがNATOへの加盟を望めば、ロシアの介入を伴う内戦になり、最終的には国家の分割に行き着くだろう」と指摘していた通りのことが起きていることなどについて、検証した。





































