「私が知っていることは、ウクライナ戦争について、西側世界の人々の認識を根本から変えうるものだと気づいた!」2015年から2022年までドンバス戦争を現場でその目で見てきた元OSCE監視員が、ウクライナ戦争の「真実」を明らかにする! 岩上安身によるインタビュー第1209回 ゲスト 元フランス陸軍予備役将校(大尉)、元欧州安全保障協力機構(OSCE)監視員 ブノワ・パレ氏 第1回(その1) 2025.12.12

記事公開日:2025.12.28取材地: テキスト動画独自
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(文・IWJ編集部)

特集 ロシア、ウクライナ侵攻!!|特集 IWJが追う ウクライナ危機
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 2025年12月28日、「2015年から2022年までドンバス戦争を現場でその目で見てきた元OSCE監視員が、ウクライナ戦争の『真実』を明らかにする! 岩上安身によるインタビュー第1209回 ゲスト 元フランス陸軍予備役将校(大尉)、元欧州安全保障協力機構(OSCE)監視員 ブノワ・パレ氏 第1回(その1)」を初配信した。

 ブノワ・パレ氏は、元フランス陸軍予備役将校(大尉)であり、元フランス国防省のアナリスト、2015年から2022年まで、ウクライナのドンバス地域で欧州安全保障協力機構(OSCE)の監視員を務めていた。

 「私は、フランスで徴兵制があった最後の世代の一人でもあります」というパレ氏は、「1995年に兵役についてから30年間、国際関係や安全保障の分野に携わってきた」と、自己紹介した。

 陸軍時代、パレ氏は、フランス軍の外人部隊、海兵隊、空挺部隊の精鋭からなる即応行動部隊(ラピッド・アクション・フォース)として、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦に派遣された。

 その後、欧州安全保障協力機構(OSCE)の職員として働くことになったパレ氏は、ボスニアへ派遣され、5年間、働くことになった。

 ボスニア勤務中の2011年に起きた、米同時多発テロ(9.11)をきっかけに、パレ氏は、フランス政府職員として、国防省でアナリスト(分析官)として、勤務し始めた。

 「この経験を通じて、西側諸国の政府という立場から、問題を見る視点を学んだ」というパレ氏は、この時期に、「ジャーナリスト以上に多くの、口にできない情報に接した」と明らかにした。

 次に、フランス陸軍予備役将校(大尉)に復帰したパレ氏は、2004年から2012年にかけて、フランス軍の一員として、コソボ、アフガニスタン、レバノンなどの紛争地帯に派遣された。

 こうした紛争地帯各地への派遣の間に、フランス国防省にも戻っていたパレ氏は、2007年に、在ロシア・フランス大使が署名した外交電報を目にした。

 その外電からは、当時ブッシュJr.政権だった米国政府が、「ウクライナとジョージアをNATOに加盟させるよう、ヨーロッパに圧力をかけていることをはっきりと感じ取ることができた」と、パレ氏は語った。

 これに対して、「当時の在ロシア・フランス大使は、『ロシアにとって、ウクライナのNATO加盟はレッドラインであり、到底受け入れられない』と、明確に回答していた」と、パレ氏は述べ、以下のように続けた。

 「ロシアにとって、それが受け入れ不可能である最大の理由は、クリミアにありました。

 クリミアには、セヴァストポリ海軍基地があり、そこは、ロシア海軍にとって、年間を通じて利用できる重要な『不凍港』だったからです。

 ロシアは、厳しい冬の気候の影響で、海への安定した出口をほとんど持たない国である、という事情が、その電報では説明されていました。

 そしてロシアは、もしウクライナがNATOに加盟すれば、いずれその海軍基地が、ウクライナからアメリカに引き渡されるのではないか、と恐れていました。その点は、当時から明確に示されていました。

 だからこそ、その後、2014年にウクライナで混乱(ユーロ・マイダン・クーデター)が始まった際、ロシアが最初に取った行動は、セヴァストポリにある自国の海軍基地を確保することだったのです。(中略)

 ですから、2014年にウクライナで事態が動き始めた時、(ウクライナ)民族主義的な政権が、武力によって権力を握り、クリミアの人々を排除する形になった時、クリミアの人々がロシアへの編入を望んだ、という流れも、私には理解できたのです」。

 2014年にウクライナ危機(ユーロ・マイダン・クーデター)が始まると、パレ氏は、OSCE職員として、ウクライナへ行くことを希望したが、その年は希望がかなわず、アフガニスタンとパキスタンへ派遣された。

 翌年の2015年にOSCE職員として、ウクライナへの派遣が認められたパレ氏は、7月にウクライナへ入り、ドネツク州で、ウクライナ軍に殺害された多くの民間人を目にした。

 パレ氏は、次のように語った。

 「いわゆる分離派の兵士達と話をしましたが、西側メディアが言うように、『ウクライナの紛争は、単なるロシアによる対ウクライナ侵略だ』という説明とは、現地で私が接した現実は、異なっていました。

 私がそこで話をした人々は、ロシア人ではなく、ウクライナの人々だったのです。

 彼らは、ウクライナの市民でしたが、自国の軍と戦っていたのです」。

 パレ氏は、「私は最初の段階から、西側メディアが私達に伝えていた『物語』と、現地で私自身が体験した現実との間に、大きな隔たりがあることを感じていた」と証言した。

 「ほぼ毎日のように、現地で起きていることと、西側メディアが伝える状況とは、食い違っていた」というパレ氏は、「これを本に書こうと思った」と明らかにした。

 パレ氏は、ロシアがウクライナに軍事介入した翌日の、2022年2月25日に、欧州安全保障協力機構(OSCE)がモルドバへ退避するまで、ウクライナにいた。

 その後、2022年7月から、フランスのオンライン・メディア『フランス・ソワール』で、ジャーナリストとして働き始めたパレ氏は、約2年間、ウクライナに関する記事を中心に、執筆活動を開始した。

 この時期に書いた記事を、パレ氏は2冊の著書にまとめている。1冊は、欧州安全保障協力機構(OSCE)での経験について書いたもので、2冊目は「ジャーナリストとして、ウクライナで働いていた当時に蓄積した知識を総動員して、その後に何が起きていたのかを理解しようとした」ものだと、パレ氏は説明した。

 パレ氏が上梓した、1冊目の書籍は、『What I Saw in Ukraine 2015-2022 Diary of an International Observer(私がウクライナで見たこと2015~2022年 国際監視員の日記)』と題され、自ら取材したウクライナの人々の証言や、自身の見聞をもとに、ウクライナ戦争での嘘や隠蔽を告発しており、貴重な歴史的な記録となっている。

 フランス語で書かれた2冊目も、近く英訳が出版される予定だ。

 他方で、「OSCEの内部ですら、ウクライナについて、私が知っていたようなことを知っている人は、ほんのわずかしかいなかった」と語ったパレ氏は、この2冊の著書を執筆するにあたって、「政府の立場では、こんな本を書くことは許されなかった」「故郷を離れ、二度と元の職場には戻らないことを覚悟した」と、打ち明けた。

 「私は、以前の人生に戻れないことを、受け入れる覚悟をしました。それでも、自分が知っていることを語ることの方が、あまりにも重要だと思ったからです」。

 こう述べたパレ氏は、「私が知っていることは、ウクライナ戦争を、世界の人々がどう理解し、どう受け止めているかを、根本から変えうるものだと気づいた。だからこそ、話さなければならない、公にしなければならないと感じた」のだと、岩上安身によるインタビューで訴えた。

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■全編動画 字幕版・その1

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  • 日時 2025年12月12日(金)15:00~、13日(土)17:30~
  • 場所 IWJ事務所(東京都港区)

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