2025年12月29日午後7時から、「2015年から2022年までドンバス戦争を現場でその目で見てきた元OSCE監視員が、ウクライナ戦争の『真実』を明らかにする! 岩上安身によるインタビュー第1209回 ゲスト 元フランス陸軍予備役将校(大尉)、元欧州安全保障協力機構(OSCE)監視員 ブノワ・パレ氏 第1回(その2)」を初配信した。
(その2)では、ブノワ・パレ氏の著書『What I Saw in Ukraine 2015-2022 Diary of an International Observer(私がウクライナで見たこと2015~2022年 国際監視員の日記)』について、詳しく紹介した。
パレ氏は、ユーロ・マイダン・クーデター後の2015年から、ロシアによる軍事介入が始まった2022年までの間に、西部のクライナ語話者と、東部のロシア語話者という「極めて二極化した国の対立する陣営」を頻繁に訪れ、ウクライナで数百人に及ぶ人々を取材した。
パレ氏は、岩上安身によるインタビューの中で、「ウクライナ人は、東部と西部でこれ以上ないほど分断されています。その状況は、最初からずっと続いているんです」と訴え、西側メディアがそうした現実を伝えないまま、ウクライナについて論じていることを批判している。
パレ氏が所属していた欧州安全保障協力機構(OSCE)は、米国、カナダ、トルコを含めたNATOの全加盟国とその他のいくつかのヨーロッパ諸国、旧ソ連邦の構成共和国全体、それにモンゴルとバチカンを加えた57ヶ国で構成されている。
一方で、2014年4月から、ウクライナ東部のドンバスでの紛争が激化すると、欧州安全保障協力機構は、職員の安全確保のため、ウクライナ国内の多くの場所から撤退した。
その後、2014年9月にウクライナ、ロシア、欧州安全保障協力機構が、停戦合意である最初のミンスク合意に署名すると、欧州安全保障協力機構には、新たな任務として、即時停戦や、武器・戦闘員の撤退、国境の監視といった、停戦違反に対する監視の任務が与えられた。
「戦争中の国で、国際機関が活動するのは、大きな挑戦です」というパレ氏は、次のように語っている。
「加盟国の最優先事項は、職員の安全です。
2017年のことですが、私達のOSCEの車両の1台が、ウクライナのルガンスク州で、地雷を踏んでしまいました。
その結果、私達は初めての致命的な犠牲者を出してしまいました。米国人の男性が車内で亡くなり、ほかの人達は負傷しました。
それを受けて、私達のミッションには、さらに厳しい制限が課されました」。
続いて、ウクライナでのパレ氏の任務地をIWJが作成した地図で示すと、パレ氏は次のように語った。
「実は、ウクライナでOSCEに勤務している人の中で、私ほど多様な地域で働いた人は、ほとんどいません。
私は、自分から志願して、勤務地を変えてもらったのです。どのような状況なのかを、自分の目で確かめたかったからです。
例えば私は、自ら志願してルガンスクに行きました。当時、誰もルガンスクに行きたがらなかったんです。孤立していて、とても遠い場所でしたから。
でも、私はどんな様子なのか、自分の目で確かめたかったのです。
OSCEで、複数の場所で働いたことがある人は、ごく少数です。スタッフの約80%は、ずっと同じ場所でしか働いていません。ほとんど移動しなかったのです。
私はというと、自分の部署を頻繁に移動しながらも、ある程度の長期滞在もしていました。たとえば、ここで1年、あそこでは2年4ヶ月、ドネツクでは1年以上と。
少なくとも1年以上滞在したドンバスの場所は、3ヶ所あります。
私と同じように、さまざまな勤務地を経験した人は、他に知りません。だから、私は平均的なOSCEの監視員よりも、多くのことを知っていると感じていました」。



































