2021年の終わりからアメリカが煽りに煽った「ロシアのウクライナ侵攻」が現実になったのは、北京オリンピック終了直後の2022年2月24日。
「平和の祭典」の余韻に浸る間もなく、戦闘で破壊された街、不安げに避難する大勢の市民、「国を守ろう!」とTシャツ姿で呼びかけて、時の人となったゼレンスキー大統領のメッセージなどを世界中のメディアが報じた。
あれから4ヵ月。短期決戦で終わるのではないかと一部で予測されていたと思っていた軍事衝突は、この原稿を書いている2022年6月下旬の今も終わっていない。
米国を中心とした西側諸国は、ロシアへの経済制裁とウクライナへの武器供与を続けているが、現場ではロシア語話者が多い東部に戦力を集中したロシア軍がじりじりと支配地域を拡大中である。ロシア軍はウクライナ東部2州のうちルハンシク州の完全掌握を目指して戦力を集中、6月25日に、ウクライナ軍は拠点としていた同州のセベロドネツクから撤退を余儀なくされた。
岩上安身は、ロシアの侵攻が始まってから1週間が過ぎた2022年3月3日。東京都内のIWJ事務所で、元外務省国際情報局長の孫崎享氏に4回目となるインタビューを行った。ここでは、その後半部分をお届けする。
英国のMI6で学び、外交官としてロシア、イラク、イラン、ウズベキスタンなど旧ソ連構成国に駐在した経験をお持ちの孫崎氏と、1989年から1994年まで6年にわたり、旧ソ連・東欧圏の歴史的大転換の現場に取材で入っていた岩上安身は、歴史、民族、文化、政治、宗教などが複雑に絡み合うロシアとウクライナの関係を解説していった。
バイデン米大統領は2022年3月1日、上下両院合同本会議で内政と外交の施政方針を示す一般教書演説を行い、その中で「ロシアの侵攻によって米国と西側の同盟国が強く結ばれ、プーチンは完全に孤立した」と事実上の勝利宣言を口にした。
さらに、「西側諸国の統一を長い時間をかけて準備した」と述べて、地政学的に重要なウクライナを西側に取り込むために長年にわたる綿密な計画と工作・介入があったことを示唆している。
岩上安身は、NATOはソ連崩壊の1991年から、すでにウクライナへの関与を始めていたことを振り返った。
ウクライナは1991年、北大西洋協力会議(NATO加盟国16ヵ国とバルト三国を含むソ連・東欧9ヵ国の外相定期協議機関)に入り、1994年には平和のためのパートナーシップ計画(NATOの欧州における政治・安全保障協力のための枠組み)にも参加している。
1997年には、NATOの特別パートナーシップ憲章に署名し、NATO―ウクライナ委員会設立。同年、ウクライナの首都キエフに、NATO情報文書センター開設。1999年、キエフにNATO連絡オフィスを開設するなど、着々とNATOとのつながりを強化してきたのである。
「アメリカが、いろんな国々を動かす準備を長くやってきたとバイデン大統領は言った。それは、工作してきたってことですよね?」と岩上安身が尋ねると、孫崎氏は頷き、「本来、アメリカが向き合うべき相手は中国だ」として、こう続けた。
「中国との関係は、これから劇的に変わってくるから。アメリカは今、ロシアに関わる時じゃない。(今回)対ロシア戦術では成功したかもしれないが、グローバル戦略では負けるのかもしれない」
- ウクライナ東部独立は悪? 東の「台湾有事」危機と西の「ウクライナ有事」危機が同時に迫る!(第3回)~岩上安身によるインタビュー 第1068回 ゲスト 元外務省国際情報局長 孫崎享氏 2022.2.18