ガザの今を見ることは、「我々」の責任を知ること ~岩上安身によるインタビュー 第446回 ゲスト 早尾貴紀・東京経済大学准教授 2014.8.13

記事公開日:2014.8.15取材地: テキスト動画独自
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(IWJ・藤澤要)

 報道は連日ガザの惨状を伝える。しかし、そこに我々日本人がどのように関わっているかは、ほとんど知らされていない。

 ヨーロッパ思想史が専門の早尾貴紀氏は、自身の研究動機を次のように記している。「近代世界において自明視され、暴力的なカテゴリー化を迫ってくる国家や国民といったものに対して、批判的な思想・視点を見いだすこと」(『ユダヤとイスラエルのあいだ』pp.339-340)。

 8月13日に行われた岩上安身によるインタビューでも早尾氏は、この視点から、イスラエル国家が建国された経緯、そして、その後の占領政策を、「近代世界」の歴史に位置づけて語った。これにより、インタビューでは現在のガザ攻撃に、日本がどのように「関係」しているかが浮き彫りとなった。  遠い中東の地で起きている惨状に対する、「我々」の「責任」とは何か——。

■イントロ

  • 日時 2014年8月13日(水)
  • 場所 IWJ事務所(東京都港区)

イスラエルがやっていることは、どのような意味で「民族浄化」なのか?

 民族浄化が「ある集団を、一人残らず、抹殺、抹消する」という定義ならば、イスラエルがパレスチナ人たちに行っていることは、民族浄化と呼ぶことはできない、と早尾氏は語る。「『イスラエル国内にも、イスラエル国籍を持ったパレスチナのアラブ人がいるではないか』と言われれば、確かにそうです」。

 しかし早尾氏は、国連などでも共通理解としてある「民族浄化」の定義は、「ある地域の住民を均質化するために、暴力・非暴力あらゆる手段を用いて先住民を追放すること」というものだと指摘。それに照らし合わせれば、東エルサレムのユダヤ化、ガリラヤのユダヤ化、そして西岸地区のユダヤ化などは、民族浄化と言える、と続けた。

 「『イスラエルはユダヤ人国家である』。ユダヤ人人口は最大化し、アラブパレスチナ人人口は最小化する。極力そうしたい。それが実現できるか、できているかは別として、それを目指している。

 (イスラムの聖地の一つ)東エルサレムを併合し、統合したイスラエルのエルサレムとしていく。アラブ人の多いイスラエル北部のガリラヤを、ユダヤ人の土地としていく。西岸地区に入植者を増やしていく。

 イスラエルでは、最大限の支配地域に、できるだけたくさんのユダヤ人を、しかしアラブ人はいらない、ということが建国当時から目指され、今も一貫しています。その意味では、イスラエルのやろうとしていることは、民族浄化であると言えると思います」。

近代的構築物としてのイスラエル国家

 シオニズム運動は、ユダヤ人国家としてのイスラエル建国に帰結した。しかし、ここで言われている「ユダヤ人」とは誰のことなのだろうか。早尾氏は「ユダヤ教を信仰するということと、『ユダヤ人』を一つの人種として見ることには、大きな違いがあります」と話す。

 近代以前のアラブ世界の様子は、現代からは想像がつかないほど、宗教的にも文化的にも懐の深いものだったという。「アラブ世界には昔からアラビア語を話すキリスト教もいた。一つの街の中にモスクがあり、教会があり、シナゴーグがあった。市場や食文化を共有していました」。

 さらには、アラビア語を話すユダヤ教徒のコミュニティも数多くあったが、このようなあり方は、19世紀後半のシオニズム運動以降、否定されてきたと早尾氏は言う。「シオニズム運動の中で『ユダヤ人だけは血が違う』となりました。その時に言われた『ユダヤ人』とは、2000年来血のつながりを維持しながら離散してきた、という神話に基づくものです」。

 この「人種化」は、近代ヨーロッパにおいてユダヤ人自身が迫害を受ける立場だったことの裏返しでもある。早尾氏は著書『ユダヤとイスラエルのあいだ』で、次のように書いている。

 「しかもこの時期(注:19世紀後半)に流布しつつあった科学的実証主義は、民族を生物学的人種主義によって説明しようとした。この思想潮流は、ユダヤ教徒を『ユダヤ人種』へと転換させ、ユダヤ人をヨーロッパから排除する側も、ユダヤ・ナショナリズムを標榜する側も、ともにそうした人種主義を進んで受入れた」。(p.8)

 迫害から逃れる方法としてシオニストたちが考えたのが、ユダヤ人国家の建設だ。しかし、その迫害を受けていたユダヤ人とは、ヨーロッパ人でもある存在。当然、この国家建設のプロジェクトには、ヨーロッパなるものが色濃く反映される。「政治的主体となり、国家主権、近代的な国民国家を作るという、ヨーロッパ的なものでもあります」。

 このようなヨーロッパ的なものがアラブ世界に持ち込まれた背景には、列強による植民地獲得競争がある。したがって、イスラエル建国の経緯を考えるには、その主体が「ヨーロッパのユダヤ人」であること抜きにはできないことを早尾氏は強調する。「ヨーロッパのユダヤ人は、ヨーロッパの先兵としてパレスチナへ入植していきました」。

 結果、イスラエル国家は、「ユダヤ人種」を識別票として、それ以外のアラブ人を排除する形で建国された。早尾氏は、「マイノリティに追いやる。したがって、民族浄化であると言えます」と結論づけた。

「我々」の責任

 今、この時、ガザと西岸で起きている出来事は、「我々」に対して歴史を振り返ることを迫るものだ。「21世紀の今なお、(パレスチナ人は)国家の外部に置かれ、国籍もなく、政治的権利も保証されないという状態にあります。それを考えた時に、やはり20世紀の2度の世界大戦を想起しなければならない。第一次世界大戦は民族の戦争と呼ばれ、イスラエルは第二次世界大戦後に建国されました」。

 1922年、英国によるパレスチナの委任統治が、当時の国際連盟によって承認された。これには、日本も無関係ではないと早尾氏は指摘する。「『委任統治』というのは、植民地主義を正当化する言葉です。表立って植民地だと言えなくなった時に『国連の委任』だという話になった」。

 「委任統治」という言葉が使われたとき、実際に起こっていたのは、植民地の再分割だ。英国がパレスチナを取るのならば、日本は南洋群島を委任統治する。それをお互いに承認しあう。

 「日本によるアジア地域の植民地支配を英国に認めてもらう代わりに、英国のアフガニスタン周辺での利権に、日本は手を出さない。このような形で、日本も植民地の分捕り合戦に加わっていたのです」。

 パレスチナ占領とイスラエル建国は1948年。同じ年に朝鮮の南北分断があった。早尾氏は、ここにも、「我々」の責任が横たわると言葉を強める。

 「イギリスの植民地だったパレスチナと、日本の植民地だった朝鮮半島の後始末に関して、大国どうしの責任のなすりつけあいや、再度の利権の分割があったということです。そのなかで、イスラエル建国や朝鮮分断があった。これが同時であったことは、偶然でも何でもない。

 世界の中で列強が分捕り合戦をしていたのを、戦後に再度、整理したり、あるいは整理しきれずに混乱があった。イスラエル建国や朝鮮分断は、その中で起きた出来事です」。

 現代史の中にイスラエル建国と朝鮮分断を位置づけてみること。その後の歴史の推移にガザと西岸の占領があること。そして、今ガザで起きていることも、その延長上にあるということ。早尾氏は、イスラエルによるガザ地区への攻撃に関して、「我々」の責任があることを訴えた。

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