我々日本人のもとには、ガザで起きていることは「英語」のフィルターを通して伝えられることがほとんどだ。しかし、スペイン語圏のメディアが伝えるガザの「実相」は、我々の知っている上辺だけのそれではない。
スペインのオンラインニュースサイト「エル・コンフィデンシアル」は、7月21日に、「ガザでスペイン人が人間の盾に。パレスチナの人々の苦しみを見て見ぬふりはできない」、というタイトルの記事を掲載。ガザで「人間の盾」として活動する、マヌ・ピネーダというスペイン人と、バレリア・コルテスというベネズエラ人の2人に取材している。
「ガザでパレスチナ人の死者数が1600人を超えた」「死者のほとんどが一般市民だ」「イスラエル軍がガザの病院を砲撃した」——。こうしたストレートニュースだけではイメージできない、そこに生きる人々が体験する悲劇、苦しみ、そして決意を、「第三の視点」が我々に伝えてくれる。
「病院攻撃」現場にいた人たちが見たもの
「人間の盾」とは、敵の攻撃目標である建物内部やその周囲に民間人がいることを敵に知らせ、それにより攻撃を思いとどまらせる行為を指す。国際法では、「人間の盾」を使って軍事目標を守ることは「戦争犯罪」とみなされており、しばしば、批判の対象となってきた。しかし現在では、一般市民を守るための非武装戦略として、一般市民(他国からのボランティアが多い)が志願することが増えている。
「人間の盾」の志願者たちは、どのような思いで、自らの危険を顧みず、命を賭けているのだろうか。彼らの複雑な胸中も含めて、記事は詳細に伝えている。
記事はまず、空爆の予告を受けたガザ市の病院の様子から始まる。避難しようとあわてふためくが、間に合わない。無慈悲な爆撃が敢行される。迫真、そして悲痛な描写が続く。
時刻は午後6時半。場所は、ガザ市東部にあるワファ病院。ここは、ガザ地区で唯一のリハビリセンターであり、身体障害者の患者を受け入れている。看護師たちが手真似で、マヌとバレリアに、たったいまイスラエル軍からの電話を受けたと伝える。あと数分でこの建物を爆撃する、そうイスラエルは伝えてきたのだ。それも、無人攻撃機でではなく、F16戦闘機によるミサイル攻撃を行う、と。
だがこの建物はすでに三回の爆撃予告を受け、外壁には複数の穴が開いている。数日前から医療スタッフは、高齢者や子供の患者を他の建物に移動させており、いま建物内に残っているのは17名のみだ。
ちょうど、マヌとバレリアが、病院を守る人間の盾の当番に当たっていた。他の外国人活動家たちは、その少し前に病院を後にしていた。看護師がバレリアに状況を説明していたそのとき、建物がおおきく揺れた。爆撃だ。窓ガラスが粉々に砕け、病院内の電気が消えた。患者たちが悲鳴を上げ、医者の中には祈り始めるものもいた。
「患者たちを移せ」医師たちが叫ぶ。バレリアは、人工呼吸器をつける高齢の患者を抱え上げ、担架に乗せた。「私には、その患者さんが、一瞬呼吸が出来なくなった時に発した苦しそうなうめき声のほうが、爆撃音よりも恐ろしかった」と、バレリアが本紙に語った。再び爆撃音。マヌとバレリアは、患者たちを、階段を使って一階まで運んだ。
ふとマヌが顔を上げると、向こうの方に、車いすに乗っている若い女性の姿があった。院内でたった一人、意識のある患者だ。その女性はバレリアの手を握り言った。「お願い私を置いて行かないで」。
一階はすでに煙が充満していた。医師たちと協力して二人は、院内の患者すべてを分散させて、救急車に乗せた。そのときの状況はほとんど、患者の上にまた別な患者を放り投げるようなものだったと、バレリは言う。だが、肝心の、運転手がいない。マヌは、三台の救急車のうち一台の運転手役を買ってでた。エンジンをかけワゴンを発進させた直後、ミサイルが近くの民家を直撃し、三人のパレスチナ人が犠牲となった。
「正直、生きて病院を出られるとは思いませんでした」バレリアの声は震えていた。逃げる途中でも無人攻撃機が道路わきの民家を襲い、その瓦礫が救急車の屋根に落ち、バレリアは腕を負傷した。全速力で走り抜け、まもなく近くの総合病院サバハに到着し、17人の患者を降ろした。院長のバスマン・アル・アシ医師は泣いていた。「私の責任だ。私の患者とスタッフを守ることが出来なかった」呻くように医師は言った。
遠くにいて、「イスラエルが病院を空爆した」という無味乾燥な散文の記事を何回読んだところで、この記事が伝えるようなリアリティーは伝わってこない。病院にいる患者や医師や支援者にとって、頭上から爆撃を食らわせられるとは、どれほどの恐怖を味わうものなのか、我々は、スペインの記者の研ぎ澄まされたこの文章によって、思い知らされる。
病院を攻撃することは、学校を攻撃することと同様、戦時国際法に違反する戦争犯罪である。人道的にも許される行為ではない。
だが、イスラエル軍には、露ほどもそうしたことを気にかけている素振りが見られない。
パレスチナとイスラエルの関係で、パレスチナは一方的に不平等な扱いを受けている。世界中でも、ここで見る不平等ほど酷いものはない。
「これが最良の選択肢だ」人間の盾、マヌ・ピネーダ氏の決意と葛藤
マヌ・ピネーダ氏は、ガザ市内の自宅で、セブリアン記者の取材を受け、パレスチナで活動を始めた経緯と動機を語った。スペインのアンダルシア地方のマラガ出身、48歳。政治活動家として長いキャリアをもち、様々な国で国際的連帯活動を行ってきたが、「心のなかでもっともひっかかってきたのは、パレスチナ問題だった」という。
初めてガザに入り、すべてのことが想像とは全く違うと気づいたというマヌ氏は、すぐに犠牲者の家族、漁業関係者、農民達との関係作りを始めた。
「2011年8月のイスラエルによるガザ空爆があって、私は動かなければと決意しました。マラガでデモをさんざんやりましたが、もうそれに飽きていたのです。借金をしてカイロに飛び、ラファアからガザに入りました」
「私は実際に来てもいないのにパレスチナ問題についてああだ、こうだと言っていたのだと、つくづく思いました。ガザの人々の苦しみを見れば、ここを離れるわけには行きません…」
アブ・アミル(Abu Amir)、マルたちと共に活動を続けているガザ市民のアミルが、部屋に飛び込んできた。
「今うちの家族あてに、これから家を空爆すると電話がかかってきた」。すぐにマヌは黄色い防弾チョッキをつけ、「これからお前の家に行って屋根に上る」と言った。だがアミルは首を横に振った。「もう遅いです…」
「イスラエル側だって、そう簡単には私たちを攻撃できないでしょうから」と語るマヌ氏の胸元には、「パレスチナ」「私はガザの人間」「レジスタンス」という言葉が、一部はアラビア語で刻まれている、という。
記事は「マヌを知ったものはたいてい、いったいなにをやっているのだと思うだろう。マヌの行動を理解できるものは多くはないかもしれない」と評している。しかし、記者の「ご自分の身を犠牲にしてもいいとお考えなのですね?」という質問に対してマヌ氏が見せた、子供を持つ父親としての葛藤も丁寧に伝えている。
「ただやっぱり子供たちには会いたいですよ。娘はきょう、七歳の誕生日を迎えます…。あの子たちが成長していく姿を、この目で見ることはできません」
しかし、それでもマヌ氏は「これが最良の選択肢だ」と信じ、「自分は恵まれている」とさえ感じているという。
「なぜなら、いま私はこの地で、正義だとずっと心の中で思ってきたこの戦いを支えることができるからです」
「正直言えば怖い。それでも正しいことのために犠牲になるのなら構わない」
記事は、もう一人の「人間の盾」、ベネズエラ出身のバレリア・コルテス氏の声も伝えている。バレリア氏は、ベネズエラからマヌ氏の支援を続け、マヌ氏の活動をフェースブックやツイッターで情報発信していた。しかしあるとき、自分もガザに向かい、ガザの人々を守る活動に加わることを決意したという。
「私は、あらゆる方法でのガザの人々の戦いを支援しようと決めたのです。ええ、ガザの人々が武器を取るのなら私も共に戦います」
そう語るバレリア氏は、亡命を経験している家族の出身であると、記事は伝えている。
祖父母はスペイン人で、フランコ独裁政権から逃れてアルゼンチンに渡った。バレリア氏の両親はアルゼンチンで育っているが、ビデラ独裁政権のときにアルゼンチンを去った。バレリアはベネズエラで育ち、自分はボリバル革命家だと公言するのをはばからない、という。
「私は、自分の命がパレスチナ人の命よりも価値があるという事が恥ずかしい。だからこの命を、ガザの人々の命を守るために使うのです。私は死ぬならパレスチナの人々ともに死にたい」
バレリア氏は、3回の爆撃予告を受けていたワファ病院に、イスラエル軍のF16戦闘機がついにミサイル攻撃を仕掛けてきた時のこと、前出のマヌ氏と、医師や身動きの取れない患者たちとともに、間一髪で脱出した出来事をふり返りながら、こう語る。
「私たちの活動は無駄じゃない。もしもこの病院に私たちがいなかったら、イスラエル軍はもっと早くに攻撃していたでしょう。身体障害者センターが最初の爆撃でやられ、入院患者が二人犠牲になりましたが、あれと同じことが起こっていたはずです。
ただ…、正直言えば怖い。それでも正しいことのために犠牲になるのなら構わない」
バレリア氏は目に涙を浮かべて、こう続けた。
「自分だけが危険にさらされているのは分かっている。病院が爆撃されているとき、電話も通じなくて、ああ、これで子供にお別れを言うこともできないのかもしれない、と思っていました」
記事は、ただそうすることで自身の正義を実行しようとしている人の決意と、そして一人の親としての葛藤と恐怖を、「否定」も「賞賛」もせず、「ただすべてを伝える」という第三の視点から、我々にありのままを見せようとしている。