2014年1月18日(土)、大阪市中央区のドーンセンターで、昨年12月に発刊された『21世紀のグローバル・ファシズム』の出版記念シンポジウムが行われ、本づくりにかかわった有識者らがマイクを握った。在特会の存在に象徴されるヘイトスピーチ(在日韓国・朝鮮人への憎悪表現)の台頭や原発関連など、今の日本社会を覆う諸問題について、熱い議論が交わされた。
著者のひとりである下地真樹氏(阪南大准教授)は、経済が政治を凌駕する米国発の世界潮流の存在を指摘。「TPP(環太平洋経済連携協定)に関する議論では、米国対日本といった視点によるものが多いが、実際は(多国籍企業による)『資本の論理』が進出先国の政治をも飛び越え、その国のルールを自分たちに好都合なものにしようとしている」と警鐘を鳴らし、「主権者である国民は、自分の国の労働・環境規制がどう変えられるか、あるいは、どんな法律が新設されるのかについて、従来以上に敏感になってほしい」と呼びかけた。
なお、同書の狙いは、ずばり国民的議論の喚起にあるとのこと。冒頭で挨拶に立った版元(耕文社)の代表者は、「(衆参のねじれ解消を背景に改革を断行している)今の安倍政権の動きに対し、国民がはっきりと批判の声を上げることが大切だ。そのために必要な素材を提供することが、この本の役目だ」と力を込めた。
- 司会 木戸衛一氏(大阪大学准教授、執筆者)
- 発言 前田朗氏(東京造形大学教授、編者)/梅田章二氏(弁護士)/徐勝氏(立命館大学教授、執筆者)/崔勝久氏(原発体制を問うキリスト者ネットワーク共同代表)/下地真樹氏(阪南大学准教授、執筆者)/木村朗氏(鹿児島大学教授、編者)
- 質疑応答/各パネリストから
「先年の早春に共同編集者である木村(朗)さんから『現代日本の状況認識に関する本をつくろう』という声がかかった」。最初のスピーカーで、本の編・著者である前田朗氏(東京造形大)は、同書が発刊に至った経緯を説明。「第2次安倍政権について、日本国内という閉ざされたくくりではなく、『世界』という視点で議論する本をつくりたいという考えが、私の中で急速に固まっていった」と明かし、「当初は、夏に緊急出版する予定だった。したがって、著者候補のみなさんには急なお願いとなったわけだが、ほぼ全員が前向きに引き受けてくれた」と述べた。「これは、第2次安倍政権発足と世界という枠組みで、執筆陣の間に強い危機意識が共有されていた表れだ」。
在特会に矮小化した見方は禁物
「グローバル・ファシズム」という言葉の由来については、「これは、私たちの造語ではない。日本の有識者らの間ではすでに使われていた」とした。「2001年の9.11(同時多発テロ)以降の世界を語る上で有効なカテゴリーであるため、この言葉を採用した」と続けた前田氏は、「ただ、社会科学的な概念として使ったわけではない」と補足。すでに寄せられている読者からの反応の中には、「グローバル・ファシズム」という言葉を疑問視するものが含まれているようだが、前田氏は「国民の間に『グローバリゼーション』という言葉が定着している以上、『グローバル・ファシズム』という言葉を使うことで、われわれの主張が、わかりやすく読者に伝わると判断した」と説明した。
前田氏は同書に、昨今の日本に台頭している「ヘイトスピーチ(在日韓国・朝鮮人への憎悪表現)」を、グローバル・ファシズムを切り口に論じた文章を発表している。
「ネット右翼という(過激な)言葉を伴いながら、批判が語られているが、9.11以降の、文明や人種・民族、さらには宗教などを巡る価値・理念のぶつかり合いの日本的表現として、日本のナショナリズムと排外主義が相俟って、さらに、その特殊な形態として在特会(在日特権を許さない市民の会)が登場している」──。この日、前田氏は、こうした見方で「在特会」を理解することが大切と、改めて力説した。「東京の大久保などで、声を張り上げている彼らだけが問題である、という視点に立つと、問題の本質を見誤る」。
読者の立場でマイクを握った梅田章二氏(弁護士)は、まず、「第2次安倍政権が、改憲に向けて暴走していることは周知の事実。『侵略戦争と暗黒社会を許さないために』という、この本のサブタイトルは、社会に警告を発する意味で奏功している」と語った。
ダボス会議には「対抗軸」が存在する
1970年代に、京都大の学生として学生運動に参加していた、と明かした梅田氏は、「それ以降は、日本の社会運動は後退した」と指摘。2003年のイラク戦争時、2008年の反貧困運動など、その時々で市民有志による運動が盛り上がる局面があったとしつつも、「どれも、政治を変えるだけの成果を上げていない」と強調し、直近では、反原発や反秘密保護法などをキーワードに市民有志が決起しているが、今のところ、これらもまた、成果を上げているとは言い難いとの認識を示した。
その上で、梅田氏は「世界社会フォーラム(WSF)は注目に値する」と強調した。これは2001年にブラジルで始まった、南半球で2年ごとに開かれる大規模な市民集会。昨年は、3月にチュニジアで行われている。梅田氏はWSFを、こう説明する。「日本でも有名な、先進諸国の経済首脳や民間大手企業の社長らが、スイスのダボスに集まり、グローバル経済の推進を考える『世界経済フォーラム』の対抗軸的存在だ」。
世界経済フォーラムへの参加が、要人限定であるのに対し、WSFには、世界中の市民が自由に参加できる。WSFでは、主に、米国をはじめとする先進諸国が、南半球の後発諸国からいかに富を収奪しているか、そして後発諸国は、先進諸国の攻勢にどう対抗していくべきかが議論される、とのこと。ただし、グローバリゼーションを全否定する、ナショナリズム的な市民運動ではない模様だ。WSFおおさか連絡会の呼びかけ人でもある梅田氏は、次のように訴えた。
「この集会に参加して一番大きいのは、数万~数10万人単位の、世界から集まった市民有志による、極めて大規模なデモの醍醐味が得られること。日本の有志は、ぜひ参加して、その雰囲気を日本に持ち帰り、自分たちの社会運動に生かしてほしい」。
被災地の「思慮分別」はアダにもなる
「自分の守備範囲は東アジアである」としたのは、同書の著者、徐勝氏(立命館大教授)。昨年も韓国に約2ヵ月、台北に約3ヵ月暮らした、とした上で、「海外では『日本が再び戦争をする国になろうとしている』という論議に、過敏な人が多い」と発言した。
その上で徐氏は、「大戦後の日本には、一貫してファシズムの面があった」と語気を強める。「日本は憲法9条の中で、国内的には平和的温室状態が実現したかもしれない。だが、沖縄の問題のみならず、朝鮮戦争への参加、また、東南アジアの各独裁政権への日本政府の支援といった点に鑑みれば、『ここにきて、日本にファシズムが復活している』というニュアンスの(ほかの著者の)指摘は甘いと思う」。
また、徐氏は、外国人の間にも目立つ、日本人は有事の折も秩序立った行動をするとの「日本人観」にも異論を唱えた。「福島原発事故の際に、政府や東京電力の対応が不十分であったのに、被災地の住民の間には暴動が起こらなかったが、あれは、住民が(主権者として)上げるべき声を上げていないことの表れでもある」。徐氏はそれを、戦後の日本にも、国民に「ものわかりのよさ」を強いる、市民弾圧型のファシズムが存在している証拠とした。
最後に徐氏は、昨年8月15日に出された「第3次アーミテージ・レポート」を紹介。これは、米国のアーミテージ元国務副長官とナイ元国防次官補ら超党派グループによる報告書で、その内容を端的にいえば、日本に対し「このまま、アジア2等国家に転落してしまっていいのか」と迫るもの。徐氏は、解釈改憲による集団的自衛権行使容認への動きはもとより、ベース電源への原発活用宣言や特定秘密保護法の成立といった、安倍政権が昨年終盤に見せた急な動きは、「同報告書を読めば、どれもすんなりと理解できる」と述べた。「日米韓の軍事同盟強化の狙いは、中国と北朝鮮の脅威への対抗のみならずで、米国が世界への軍事展開を目指し、日本の自衛隊と韓国軍を自らの傭兵にすることにあると思う」。
日本人は『一国平和主義』に浸っている
崔勝久氏(原発体制を問うキリスト者ネットワーク共同代表)は、「観念より、具体的対策を示す文章が読みたかった」と、本に対する不満を読者の立場で表明した。
自分が音頭をとる「原発メーカー訴訟」にからめて、福島第一原発事故で、原発メーカーである米GE(ゼネラル・エレクトリック)、日立、東芝の責任を追求しようとしない日本人は間違っている、と断じた崔氏は、「今、米国の庇護の下で、世界に原発を輸出しようとしている国は、日本と韓国だけだ」と指摘。日本社会では、原発再稼動に反対するだけで、「原発輸出」に反対する声がほとんど聞かれないことについて、「それは、日本人が『一国平和主義』に浸っている証拠」と力を込めた。
そして、「この本は『グローバル・ファシズム』という尺度で全体を見ようとしているが、私たち市民グループは『植民地主義』という概念で、現状を見ようとしている」と語り、「グローバリゼーションと原発体制の拡大が、戦後の植民地主義である」との見方を強調した。
「(世界規模での)原発体制の拡大は、米国が『核』で世界を支配しようとしていることにほかならない。それなのになぜ、原発メーカーに責任がないのか。原発の事業者に責任があって、メーカーには責任がないとする、原発に関係する国に共通する法律のあり方は、明らかに間違っている。もっと言えば、ここに焦点を当てない日本の市民運動も間違っている」。
福島への配慮なき「がれき受け入れ拒否」はエゴである
この本の著者で、もっとも若い40代の下地真樹氏(阪南大准教授)は、「一昨年末に、第2次安倍政権が誕生した時点で、私は相当な危機意識を抱いた。昨夏の参院選までに、その勢いは止まらないと思いつつも、やれるだけのことはやろうと決意した」と、自分が起こした市民運動について述べた。
下地氏は、大阪市の「震災がれき処理受け入れ」に反対する市民運動を、主導的な立場で展開してきた。一昨年12月9日には、威力業務妨害罪と不退去罪の容疑がかけられ、自宅で令状逮捕。その後は勾留され、同月28日に釈放されている。下地氏は、大阪・東京などが、がれき処理を受け入れれば、国は福島の人たちに対し、「大阪や東京の人たちが負荷を引き受けている以上、みなさんも負荷を引き受けなさい、と圧力をかけることになる」と話し、「自分たちの市民運動には、福島の人たちが、より大きな負荷を押し付けられないために、という狙いもある」と強調した。
下地氏は、巨大資本が世界中を移動する「グローバル資本主義」の弊害にも触れ、米国など先進諸国から大量の資本が入り込むことで、経済的に潤っている新興国は、その資本に逃げられたくないために、「先進諸国の投資家が喜ぶように、自国の法人税引き下げなどの措置をとる」と解説した。そして、「グローバル・ファシズムとグローバル資本主義は、セットで考えられるべきだ」とも語り、「その際には、国対国という見方に凝り固まらない方がいい。米国の政治でさえ、グローバル資本の言いなりになっているふしがある」と言及した。
「世界の有志で安倍改憲を阻め!」
最後にマイクを握った、この本のもう一人の編・著者である木村朗氏(鹿児島大教授)は、「9.11以降、世界規模で戦争国家化、警察国家化の動きが広がっている」と指摘。その上で、いわゆる小沢一郎事件や鳩山政権のスピード崩壊を話題にし、「日本の支配者は、残念ながら、主権者である国民ではない。また、その代表である政治家でもない。ずばり官僚だ。今の日本のあり方は、官僚独裁に近い」と懸念を表明した。
一方で、対米従属の度合いも強まっている、とした木村氏は、「日本の官僚寄りの政治家の中で、日米軍事一体化を進めようとしている人たちには、『強国である米国が司令官になるのは仕方ない。日本は、アジア太平洋地域で、副指令官の役割を担いたい』という願望があるが、米国は、日本を決して対等なパートナーとは見ていない」と発言し、「日本は国外で米軍に協力して、国際法に違反する『侵略戦争』を行う戦争国家になろうとしている」と訴えた。
そして、「侵略戦争を行うには、国内には情報統制が必要だ。機密情報の保全や国民監視の強化は、その具体的方策と言える」と続けると、今の日本と、戦前の日本の酷似分野として、「メディア」を挙げた。ただし、木村氏は、福島原発事故後の新聞やテレビの、政府寄りの報道姿勢がその象徴としつつも、「ソーシャルメディアの普及や、フリージャーナリストの頑張りといった、明るい材料もある」と指摘。「日本国内の市民有志の力だけで、安倍政権がやろうとしている『改憲』の流れを止めることは難しい。国際的な市民ネットワークを駆使し、(海外の独立系メディアを含む)海外有志の力を動員することがカギだ」と力を込め、その際の要諦は、日本の今の状況は、日本固有のファシズムではなく、「グローバル・ファシズム」によって引き起こされたものという主張をベースに、協力を仰ぐことにある、と発言を重ねた。