2013年3月2日(土)、東京・渋谷で「LOVEデモ ~愛こそはすべて~」が行われた。
2013年3月2日(土)13時より、京都府京都市で 「One Love Peace Parade in Kyoto”」が行われた。大阪市で瓦礫焼却が始まって3週間経ち、空気はPM2.5、放射能、農薬の3点セットで汚染されているとの危機感から、脱☆ヒバクの会が主催した。集合場所の京都丸山公園・ラジオ塔では音楽を流したり、明るい雰囲気のなか、参加者たちはマスクをしながら市内をデモ行進した。
2013年3月2日(土)10時から、愛媛県松山市のコムズ松山で「実は身近な世直しPart3ー緑の党の話を聞こうー」が行われた。緑の党運営副委員長の井奥雅樹氏ら関係者から、緑の党の世界的背景の説明や、ドイツの緑の党大会の視察報告があった。また、終了後には、緑の党による参議院議員選挙に向けた記者会見が行われた。
※2015年3月6日テキスト更新しました。
「原発は一睡の夢、短い間の幸せで終わる」——。
茨城県東海村の村上達也村長(当時)に2013年3月1日、茨城県那珂郡東海村庁舎で岩上安身がインタビューを行った。1997年から東海村村長を務める村上氏は、「中央依存体質からの脱却。地域主権の確立で、小規模分散型のエネルギー政策を」と、脱原発に向けたエネルギー政策の必要性を訴えた。
1999年に原発事故による初めての死者を出した「東海村JCO臨界事故」を経て、国が国策として欠陥品を輸入していたことを知ったという村上村長。「原発立地の地方自治体の中で、脱原発の声を上げている首長は自分ひとり。原発に依存した地域は、しばらくすると文化もコミュニティも壊れてしまう。東海村の将来を考えた場合、厳しいかもしれないが、脱原発を目指すことにした」と、自らが原発肯定派から脱原発に転じた理由を語った。
1日、東京電力福島第一原子力発電所構内が取材陣に公開された。IWJは前回に引き続き、ニコニコ動画(株式会社ドワンゴ)とともにインターネットメディアとして4回目の入構を果たした。
2013年3月1日(金)19時半から、東京都千代田区の経済産業省本館前で「第2回 経済産業省対話集会/ふくしま集団疎開裁判の会 合同集会」が行われた。両市民グループの関係者や一般参加の有志が代わるがわるハンドマイクを握り、今の思いの丈を、日本の原発政策を推し進めてきた経済産業省に向かってぶつけた。
2013年3月1日(金)、東京都港区の原子力規制庁舎前で、「原子力規制委員会前アピール行動」が行われた。参加者らは、先月28日に締め切られた新安全基準骨子案に関するパブリックコメントが、反映されていないことは、行政手続きに違反しているおそれがあると指摘。
2013年3月1日(金)20時より、東京都千代田区の自由民主党本部前で「自民党本部前抗議行動」が行われた。安倍首相が「安全な原発から再稼働する」と宣言した直後ということもあり、大雨の中、傘や合羽姿で多くの市民が抗議に訪れた。スピーチをした女性は「2006年に安倍首相は『原発の安全対策は万全』と言った。その原発が事故を起こした。あなたの安全という言葉は信じられない」と痛烈に批判。他の参加者からも怒号が飛んだ。
2013年3月1日(金)、東京都千代田区の首相官邸前および国会正門前で、「大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議」が行われた。千葉麗子氏や反原発連合のメンバーをはじめとした様々な方達が、スピーチやシュプレヒコールを行った。翌週は、被災から2年の大規模な抗議行動が行われる。
2013年3月1日(金)18時より、愛知県名古屋市東区の関西電力東海支社前で「大飯原発を停止せよ!関西電力支社前アクション@名古屋」が行われた。主催は「ナゴヤaction!原発ゼロ」。あいにくの雨ながら、ギターなどの伴奏とともに、参加者達は「原発いらない」「再稼働反対」などのシュプレヒコールを、約2時間休み無しに挙げ続けた。
2013年3月1日(金)18時より、北海道札幌市中央区の北海道庁前で「北海道庁北門前反原発抗議行動」が行われた。主催は反原発連合北海道で、今回が35回目。スピーチをした男性のひとりは、「放射能汚染は政府が発表するようなセシウムだけではなく、人間の手に負えるものではない」などと訴え、参加者達は再稼働反対のシュプレヒコールを挙げた。