「地域もコミュニティもバラバラにされ、不安を抱えたまま将来を生きる世代を二度と出さないため、ふるさとを取り戻す私たちの闘いを支援して下さい!!」~4.19原発事故から12年 未だに自宅に戻れない地域・津島訴訟原告団との交流会 2023.4.19

記事公開日:2023.4.21取材地: テキスト動画

 2023年4月19日、午後2時より、東京都千代田区の日比谷コンベンションホールにて、「千葉県原発訴訟の原告と家族を支援する会」の主催により、「原発事故から12年 未だに自宅に戻れない地域・津島訴訟原告団との交流会」が開催された。

 交流会では、まず、2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所事故から12年が経過した今、福島県浪江町津島地区がいかに激しく変貌してしまったのかを訴えるDVD「ふるさと津島」が上映された。


福島原発事故から丸4年、100回を超えた街頭演説「正しい意地を見せたい」――福島県浪江町「希望の牧場」の吉澤正巳氏が渋谷で訴え 2015.3.11

記事公開日:2015.3.12取材地: テキスト動画

特集 3.11
特集 百人百話

※3月12日テキストを追加しました。

 2011年の東日本大震災から丸4年がたった、3月11日(水)、福島県双葉郡浪江町「希望の牧場」の吉澤正巳氏が、渋谷ハチ公前で30分の演説を行った。

 「希望の牧場」は福島第一原発から14キロに位置し、原発事故による放射能汚染が続く現在も、避難区域に指定され、居住は許されていない。しかし、政府の避難指示に従わず、吉澤氏は今も、被曝牛を含めた約300頭の牛と共に、「治外法権化」した牧場で暮らしている。

 事故直後、警戒区域となった浪江町では、ほとんどの家畜が放置され、餓死した。国からは、全頭処分を求められたが、牛を見殺しにはできなかった吉澤氏は、被曝した牛たちを「生きた証拠」として研究目的で生かす道を選んだ。


【IWJルポルタージュ】「事故が忘れられていく」〜福島原発事故から3年と1ヶ月、立入りが制限された20km圏内の今(前編)━ぎぎまき記者 2014.5.6

記事公開日:2014.5.6取材地: テキスト動画

特集 3.11

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 「原発事故が忘れられていく」——。

 原発事故から3年と1ヶ月の間、手入れされず朽ちていく我が家を、想像したことがあるだろうか。家の主がいなくなった部屋は、降り積もった埃で灰色に染まり、割れた窓ガラスからはみ出したカーテンが、物悲しく揺れている。そんな嘘のような日常が、福島県内のあちらこちらで今もなお、広がっている。


【岩上安身のツイ録】ぎぎまき記者の浪江町ルポに寄せて 2014.5.6

記事公開日:2014.5.6 テキスト

※5月6日(火)の岩上安身の連投ツイートを再掲します。

 原稿を書き終えて、他の記者たちの原稿を読んで赤を入れて、明日の(起床は2時間後か)モニバの調べ物なども終えて、もろもろ仕事を終わらせて小雨の中、帰宅した午前3時半。少し嬉しい気分。ぎぎまき記者のルポ原稿を読んでのこと。明日、発行のIWJウィークリーに掲載予定の浪江町ルポである。


「3年経っても雨どいの下は、毎時60マイクロシーベルト」 〜福島フィールドワーク報告会 2014.4.26

記事公開日:2014.4.26取材地: テキスト動画

 「3年経った浪江町で見たものは、請戸小学校の惨状、校庭に積み上げられたがれきと除染廃棄物、流された車、浪江駅前の新聞販売店に残った2011年3月12日付の福島日報の束、倒壊した住宅、いたるところにある進入禁止のバリケード。そして、避難指示解除区域と居住制限区域を分けている、廃線になった常磐線だった」──。

 2014年4月26日、新潟市江南区文化会館で、「福島FW(フィールドワーク)ツアー報告会 ふくしまで見て聴いて考えたこと」が行われた。福島からの避難者の話を聞くとともに、民主青年同盟新潟県委員会が3月下旬に行った、福島県浪江町の視察の模様が報告された。


「避難計画は住民の被曝が前提」上岡直見氏 「弱者が残される」菅野みずえ氏 〜再稼働を止めよう!討論集会 2014.3.2

記事公開日:2014.3.2取材地: テキスト動画

 「避難する時、二度と戻れないと思い、喪服だけは持って出た。やはり、着る機会が多かった」──。

 2014年3月2日、大阪市中央区の大阪府社会福祉会館で、「避難計画では住民の安全を守れない─再稼働を止めよう! 3・2講演 討論集会」が行われた。原発の再稼働に向けて、新規制基準による適合審査が進められる中、原発周辺自治体の避難計画は、実現性の乏しいことが指摘されている。


「3.11以来、私どもの基本的人権は、すべて失われている」 〜講師 馬場有浪江町長 2014.1.25

記事公開日:2014.1.25取材地: テキスト動画

特集 百人百話|特集 3.11

 「町民は、慣れない土地での生活に、肉体的、精神的にも蝕まれている。憲法13条の、幸せになる権利は、どうして私どもにはないのか」──。

 2014年1月25日、青森県の八戸市福祉公民館で、八戸医療生活協同組合創立24周年記念学習講演会「ふくしまの現状と浪江町の取り組み」が開催された。講師は、福島県双葉郡浪江町の馬場有(たもつ)町長。浪江町では、2万人を超える全町民が全国に避難しており、その現状と問題点、今後の取り組みなどが報告された。


オランダから福島の“今”を問う 在アムステルダム日本人有志が勉強会 ~福島第一原発事故を理解するための原子力の基礎と現在の福島の現地報告 2013.11.17

記事公開日:2013.11.17取材地: | | テキスト動画
2013/11/17 【アムステルダム】福島第一原発事故を理解するための原子力の基礎と現在の福島の現地報告

 オランダの首都アムステルダムで、東京電力福島第一原発の現状について考える勉強会「福島第一原発事故を理解するための原子力の基礎と現在の福島の現地報告」が行われた。主催したのは、オランダ在住の日本人アーティストやデザイナーなどからなる有志のボランティア団体「HOPE STEP JAPAN!」。2011年3月11日の東日本大震災後に発足した同団体は、これまで原発に関する勉強会やデモを継続的に開催してきた。


「過失も因果関係も明白なのに、なぜ検察は強制捜査をしないのか」 ~強制捜査はまだか!! 告訴受理から1年を迎えて~福島原発告訴団による集会とデモ 2013.8.4

記事公開日:2013.8.4取材地: テキスト動画

 「最近の東京電力のタスクフォースの報告書からは、反省の弁が見え、過失を認めはじめている。実はこの裏には、柏崎刈羽原発再稼働へのしたたかな計算がある」──。河合弘之弁護士は、そのからくりを語った。

 2013年8月4日(日)13時より、福島県いわき市のいわき市文化センターで、福島原発告訴団による集会「強制捜査はまだか!!告訴受理から1年を迎えて」が開かれた。広瀬隆氏は、双葉町、大熊町、浪江町の現地調査で目にしたゴーストタウン化した町の様子、いまだ毎時320マイクロシーベルトに達する高線量放射能汚染の実態などを報告した。河合氏、海渡氏、保田氏ら弁護団は、「戦後最大の国難、被害を起こしておきながら、誰も刑事処罰を受けていない」と、東電と検察を糾弾した。


「いま、皆さんは『2011年3月10日』を生きている」 ~福島の女性の話を聞く会「あなた方がわたし達のようにならないために」 2013.6.15

記事公開日:2013.6.15取材地: テキスト動画

 2013年6月15日(土)18時30分、福井県小浜市の小浜市文化会館において、「福島の女性の話を聞く会『あなた方がわたし達のようにならないために』」と題した講演会が開かれた。講師の菅野みずえ氏が暮らしていた福島県浪江町は、町議会が1967年に誘致を決議した東北電力の浪江・小高原発計画に対し、住民らの強い反対運動によって建設を阻止してきた。しかし、原発設置を断ったにもかかわらず、近隣の町が原発設置を引き受けたために、福島第一原発事故によって甚大な被害を受けた不遇の町である。

 一方、小浜市は、1960年代に浮上した関西電力による小浜原発設置計画に住民らが猛烈に反対し、2000年以降も使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致を断念させるなど、原子力と距離を置いてきた歴史を持つ。しかし、関西電力の大飯原発(福井県おおい町)から最短で4kmという至近距離に位置するなど、若狭地方の原発銀座の中央にあって、原発を拒み続けてきたのに、過酷事故が起きれば大きな被害を受けるという点で、浪江町と共通する。


福島原発事故・損害賠償請求権、残り10ヶ月で消滅の可能性 「浪江町檜野副町長「もう事故直後の混乱期ではない。隙間だらけの法律案は理解に苦しむ」 ~福島原発事故・損害賠償請求権 消滅時効に関する学習会 2013.5.1

記事公開日:2013.5.1取材地: 動画

 「穏やかで緑爽やかなこの場所で、冷静な状況であるにもかかわらず、なぜこんな隙間だらけの法案が出てくるのか、理解できない」。

 福島県双葉郡浪江町の檜野副町長は、5月1日に開かれた「福島原発事故・損害賠償請求権 消滅時効に関する学習会」で、こう語った。


【3.11特集】 岩上安身によるインタビュー 第283回 ゲスト「希望の牧場・ふくしま」吉澤正巳代表 2013.3.4

記事公開日:2013.3.10取材地: テキスト動画独自

特集 3.11

 東日本大震災――。巨大地震と大津波があらゆるものを破壊し、さらに、原発が次々に爆発し、放射能の恐怖が人々を襲う。国家や原子力産業の身勝手な都合で情報が隠蔽され、住民が翻弄される。想像を絶する恐怖と大混乱の中で、「牧場の牛たちを見殺しにはできない」と、現地にとどまった男性がいる。

 大震災に襲われるまで、福島県内7ヶ所で1200頭の牛を飼育する「エム牧場」を仲間とともに運営し、浪江町で330頭を擁する浪江農場の責任者を務めていた吉澤正巳氏(59歳)である。

 牧場運営が軌道に乗り、食糧安定供給の一翼を担ってきた牧場は、原発事故の発生によって状況が一変する。現在、浪江農場を存続させ、「希望の牧場・ふくしま」として運営を続ける吉澤氏に、大震災からまもなく2年を迎えるにあたって、当時の状況を振り返っていただくとともに、被災地復興の今後の方向性や希望を見いだす、必見のインタビュー。


フクシマを忘れない!「希望の牧場~ふくしま~」代表 吉沢正巳さん講演会 2012.11.17

記事公開日:2012.11.17取材地: テキスト動画

 2012年11月17日(土)、長野市生涯学習センターで、「フクシマを忘れない!『希望の牧場~ふくしま~』代表 吉沢正巳さん講演会」が行われた。吉沢氏は、放射性物質の汚染により、出荷できなくなった和牛の飼育を続ける意味、その牛たちの殺処分を求める政府と戦う決意を語った。


『百人百話』参院選前特集 ―「第六十一話」矢沢アイサさん 2012.11.3

記事公開日:2012.11.3取材地: 動画独自

特集 百人百話

<矢沢アイサさん>
東京都出身。浪江出身の夫との結婚を機に福島県浪江町に移住。
2人の息子と夫との4人家族。飲食店を営んでいた。
震災直後の3月28日、浪江町から青森県十和田市に避難。


第10回 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 2012.4.21

記事公開日:2012.4.21取材地: テキスト動画

 2012年4月21日(土)13時、「第10回 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」が開かれた。今回は、原発事故の影響により浪江町の住民の多くが避難している福島県二本松市で開催した。会場となる二本松市民会館には、事故調査委員会の委員8名のほか、浪江町の馬場有(たもつ)町長や町議会の議長ら9名が参考人として訪れ、事故に関連する意見を述べたほか、浪江町の町民らが傍聴者として参加した。また、委員会終了後にはタウンミーティングも開かれた。


「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見 2011.10.9

記事公開日:2011.10.9取材地: 動画

 2011年10月9日、自由報道協会主催、「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見が行われた。福島第一原発から20km圏内にある浪江町「エム牧場」農場長の吉沢正巳氏は、住人なき町に残された動物たちを殺処分から守るため、自らも被爆しながら餌をやり続け、声を挙げ続けている。


浪江町議会による東京電力への申し入れ 2011.4.28

記事公開日:2011.4.28取材地: 動画

 2011年4月28日、東京電力本店にて、浪江町議会による東京電力の申し入れが行われた。