【岩上安身のツイ録】ぎぎまき記者の浪江町ルポに寄せて 2014.5.6

記事公開日:2014.5.6 テキスト
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※5月6日(火)の岩上安身の連投ツイートを再掲します。

 原稿を書き終えて、他の記者たちの原稿を読んで赤を入れて、明日の(起床は2時間後か)モニバの調べ物なども終えて、もろもろ仕事を終わらせて小雨の中、帰宅した午前3時半。少し嬉しい気分。ぎぎまき記者のルポ原稿を読んでのこと。明日、発行のIWJウィークリーに掲載予定の浪江町ルポである。

 労働条件が日々悪化して、若い人の労苦や勤勉が報われにくくなっているときに、牧歌的過ぎると言われるかもしれないが、僕はそれでも、人は仕事を通じて成長しうると心の何処かで信じている。ぎぎさんの今回のルポルタージュは僕のそんな「信心」を裏付けるようなものだった。

 3.11の直後、彼女は小さなお嬢さんを連れて西日本へ避難した。原発の事故と放射能を本当に恐れていた。子供のことを考え、東京へはもう戻ってこないかもしれない、と電話の向こうで話していたこともあったが、何ヶ月かのちに恐る恐る東京へ戻ってきた。

 戻ってきたら仕事に復帰して、がむしゃらに働き始めた。その頃の僕らは全員がむしゃらだったので、特別ではなかったが、でも、子供を育てながら3.11以後の東京で戦うように働くのは大変なことだったろうと思う。帰国子女の彼女は、成長期に日本語の読書体験が欠落していたといい、

 達者な文章の書ける他の若手スタッフを羨ましがっていた。もともと事務の手伝いで入り、気がつくと現場に出て中継をしていて、さらに記事を書きたいという野心をもっていることを、僕はのちのち知った。書かせてみる。が、やはりぎこちない。真っ赤になるほど赤字を入れた。

 他の若手も同じである。初めから完成度の高い文章を書ける者はほとんどいない。文章は推敲に推敲を重ね、練り上げていく過程がどうしても必要だ。だが、赤を入れられるというのは当人にとってはめげる体験でもある。上達する前に、書くことから逃げ出してしまう場合もある。

 ぎぎさんは、決して上達が早かったわけではないけれど、めげなかった。伝えたい核は持っていた。それをどんな言葉で、どんな語順で、あらわしたらいいか、だいぶ苦戦しながら身につけていった。それが今回のルポでは実を結んだように思う。身びいきな評価かもしれないけれど。

 正直に言うと、若手の単独署名記事でも、僕がだいぶ直して下駄を履かせてしまったこともある。が、今回のルポは、掛け値なしにぎぎまきの作品である。新鮮な眼差しで福島の被災地と向き合い、慄いている。3.11直後から何度も福島へ行った僕にはもうこれは書けない。

 読んでいてまざまざと3年前のことが思い出された。避難地域では、あの時から時間が凍結してしまっているのだ。と同時に、3年の間によくここまで筆力を上げたなぁと、ぎぎさんの努力を誉めてあげたい気持ちになった。長い道のりだったはずだ。

 ま、相変わらず、ユニークな間違いはある。「不撓不屈」がなぜか、「不屈不撓」になっていたりする。苦笑しながら赤を入れ、順番を入れ替える。おっちょこちょいのぎぎさんらしい、ご愛嬌である。ともあれ、ぜひ、皆さんに読んでいただきたい。琴線に触れるルポルタージュである。

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「【岩上安身のツイ録】ぎぎまき記者の浪江町ルポに寄せて」への1件のフィードバック

  1. ラビット黒 より:

     う~ん、そうでしたか。それなら余計に素晴らしい。

     ぎぎさんの今回のルポを読んで、というか読む前は「若手の女性が書いた記事だから・・・」という先入観もあって、さほど期待して読み始めたわけではありませんでしたが、荒れ果てた風景の描写や同行者のコメントなどを読み進むにつれ彼女の眼によって取捨選択され記された文章の行間から彼女の真摯な気持ちが徐々に伝わってきて記事の中に引き込まれていき、反原連の方や馬場町議の切羽詰まった気持ちもズシンと届いた気がしました。とても日本語の読書体験の少ない方の書いた文章とは想像もできませんでした。もちろん文章の技術が全てではないと思いますが、これからも頑張って良い記事をお願いします。期待しています。

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