2012年4月21日(土)13時、「第10回 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」が開かれた。今回は、原発事故の影響により浪江町の住民の多くが避難している福島県二本松市で開催した。会場となる二本松市民会館には、事故調査委員会の委員8名のほか、浪江町の馬場有(たもつ)町長や町議会の議長ら9名が参考人として訪れ、事故に関連する意見を述べたほか、浪江町の町民らが傍聴者として参加した。また、委員会終了後にはタウンミーティングも開かれた。
(IWJテキストスタッフ・久保元)
2012年4月21日(土)13時、「第10回 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」が開かれた。今回は、原発事故の影響により浪江町の住民の多くが避難している福島県二本松市で開催した。会場となる二本松市民会館には、事故調査委員会の委員8名のほか、浪江町の馬場有(たもつ)町長や町議会の議長ら9名が参考人として訪れ、事故に関連する意見を述べたほか、浪江町の町民らが傍聴者として参加した。また、委員会終了後にはタウンミーティングも開かれた。
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冒頭、黒川清委員長は、政府が設置した事故調査委員会との違いについて、国会による事故調査委員会は、「昨年12月に、国民の代表者からなる国会に設置された、民間の専門家により構成された独立の事故調査委員会である」と説明した。また、活動の目的として、「事故の真相究明と再発防止のため、未来に向けた提言を行っていくこと」を挙げ、「最も大切なことは、原発事故によって被災した人の視点に立つこと」と述べた。
参考人による意見陳述では、馬場町長が、福島第一原発事故が発生した当時の状況を振り返り、「首相官邸による避難指示や屋内退避指示をテレビで知った。事故発生時の協定を東京電力と結んでいたにもかかわらず、我々には全く連絡がこなかった」と苦言を述べた。その上で、「危機管理を国の責任でしっかり行っていただきたい」「避難に際し、SPEEDIの情報が公開されなかった問題について真相を究明してほしい」「原子力行政については、推進側と規制側を分けてほしい」といった要望に加え、「福島県内に1万4000名、県外に7000名が避難している。私たち被災者への思いを強く持っていただいて、私たちの再生のために力を貸してほしい」と訴えた。
他の参考人も順番に発言し、SPEEDIの情報公開がなされたかったことにより、無用な被曝をさせられたことや、食料や救援物資の停滞、仮設トイレの不足など、当時の厳しい状況を証言した。また、「東京電力との話し合いを重ねているが、実効が伴わない」とし、「除染や賠償、本当の意味での事故収束、雇用確保、健康管理などの諸問題の解決に向けた方向性が示されぬまま、警戒区域見直しや中間貯蔵施設の設置を行うことは、我々の思いとは全く違う」と批判した。
参考人から寄せられた意見に対し、黒川委員長は、事実関係などを参考人に詳しく確認したのち、「本日頂戴した意見を踏まえ、被災者の視点を大切にしながら調査を続けていく」と述べ、委員会は終了した。
その後のタウンミーティングでは、被災者から「二本松市も(放射能測定器の)アラームが鳴りっ放し。こういうところに子供を住まわせていて安全なのか」といった声や、「子供が将来ガンになったときに、原発事故との因果関係を証明できないのでは」といった健康に関する不安の声が相次いだ。これに対し、崎山比早子委員(元放射線医学総合研究所主任研究官)は、「ガンは色々な原因で起こるものなので、将来ガンになったからといって、放射線によるものだという証明は非常に難しい」と述べた。また、「ガンにならないうちに予防的に被曝線量を下げていくということが将来の健康を守る意味で大切」とし、「国や県が健康管理手帳を作り、責任を持って健康を見守っていく制度を作るのがよいのではないか」と述べた。
このほか、いわゆる原子力村の利権に対する批判や、核の最終処分場をモンゴルに造ると報道されていることなどへの批判など、約1時間半にわたり活発な意見が交わされた。