【IWJ号外】スコット・リッター氏の重大暴露証言の後編! イスラエル空軍情報将校が激白! ハマスの創設にイスラエルが関与! さらにネタニヤフ氏の米議会証言がイラク戦争の開戦に大きな役割を果たした! 2023.11.8

記事公開日:2023.11.8 テキスト
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(文・IWJ編集部)

特集 中東
※新春特設のために期間限定でフルオープンにします。

 IWJ代表の岩上安身です。

 ウクライナ紛争に関する西側メディアの嘘を暴いてきた元国連査察官のスコット・リッター氏が、10月14日に、自身のサブスタック、『スコット・リッター・エキストラ』で、リッター氏とイスラエルとの関係を、詳しく語っています。

 今回は、スコット・リッター氏の『なぜ、私はもはやイスラエルの味方ではないし、これからも二度とそうでないのか』(後編)になります。

 前編は、以下から御覧いただけます。

 この後編で、スコット・リッター氏は、驚くべき発言をしています。それは、イラク戦争の開戦に果たしたベンジャミン・ネタニヤフ氏の役割です。ネタニヤフ氏のアメリカ議会でのイラクの脅威の誇張と嘘が、大きな役割を果たしたと述べているのです。

 これは、これまでの、イラクに大量破壊兵器があるというブッシュ政権の虚偽の言いがかりで始まった戦争の開戦理由に、イスラエルの野心と米国のイスラエルへの偏愛という、まったく別の理由があったことを明るみ出すものです。

 端的に言えば、偏愛するイスラエルのために、アメリカはイラクに攻め込んだ、というのが、あの不必要な戦争の真実だったというわけです。

 20年前のイラク戦争開戦時の2003年の時点においても、ここまで、イスラエルと米国が一体化していたという現実に驚かされます。

 そして、現在、厚塗りの化粧がボロボロはがれ落ち、巨大な旧約聖書カルト集団という本来の素顔がむき出しとなったイスラエル国家において、長期政権を敷いてきたネタニヤフ氏という人物の、ユダヤ民族の持つ被害者意識を巧みに強烈にアピールしつつ、好戦的な姿勢を崩さない世辞権力者、米国との緊密な関係性が継続してきたことに、最大限の注意と批判を行うべきことが見えてきます。

 また、スコット・リッター氏は、ハマスの創設にイスラエルが関与したという証言を、イスラエル空軍の情報将校の言葉を引用しながら暴露しています。

スコット・リッター氏は、1991年から1998年にかけて、イラクにおける大量破壊兵器捜索のための国連主任査察官を務め、このときの査察経験から、2003年3月20日にアメリカがイラクに侵攻する直前に、イラクのサダム・フセイン政権は、米国政府が気にするほどの大量破壊兵器を保有していない、と公然と論じ、アメリカのイラク戦争の根拠を根本から批判しました。

 米国によるイラク戦争とは、あくまで、イラクによる大量破壊兵器保持における武装解除進展義務違反を理由としたものでした。それが事実ではなく、米国は虚偽の口実で、開戦し、ひとつの国を破壊し、約10万~50万人以上の人々を殺したのです。途方もない戦争犯罪です。

 2004年10月に、アメリカが派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」との最終報告を提出して、リッター氏が開戦前から批判していたことが事実だったと認められました。

 スコット・リッター氏は、ウクライナ紛争では、ウクライナを正当化し、ロシアを悪魔化した西側報道の嘘を、X(旧ツイッター)やYouTube、ブログなどで暴き続けてきました。リッター氏が、西側政府やメディア、NATOを批判的に見ることができたのは、イラク戦争の経験があったことが大きいと思われますが、同時に夫人がグルジア人であることや、自身がソ連邦の歴史を大学で専攻したことも影響していると思われます。

 IWJは、ウクライナ紛争の開始直後から、ダグラス・マクレガー元大佐やジャック・ボー元スイス戦略情報局諜報員などともに、公平に紛争を観察できる元軍人として【IWJ号外】や『日刊IWJガイド』で注目してきました。

  • はじめに~元国連大量破壊兵器廃棄特別委員会主任査察官のスコット・リッター氏が、ロシア『RT』に寄稿!「それほど遠くない将来、ウクライナ軍は現在の防衛線を維持できなくなり、ドニエプル川以西に撤退を余儀なくされる」と分析!「平和と復興のためにはウクライナが降伏して現実を受け入れるしかない」と指摘! 敗戦国日本が新憲法で軍国主義者を排除したことを引き合いに、新憲法でのウクライナ民族主義者の排除も提言! IWJが全文仮訳!!(日刊IWJガイド、2023年9月6日)
    会員版 https://iwj.co.jp/wj/member.old/nikkan-20230906#idx-1
    非会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/52709#idx-1

 以下から、スコット・リッター氏の『なぜ、私はもはやイスラエルの味方ではないし、これからも二度とそうでないのか』(後編) になります。


父の罪

 1996年1月5日、イスラエルの治安部隊は、”エンジニア “として知られるハマスの工作員、ヤヒヤ・アヤシュを暗殺した。アヤシュはハマスの爆弾設計主任であり、彼の爆弾はハマスがイスラエルに対して行ったテロ行為のほとんどを担っていた。イスラエルの警備は、微量の高性能爆薬が仕込まれた携帯電話を入手することができた。アヤシュが電話に出ると、イスラエルの警備は爆発物を作動させ、ハマスの爆弾製造者を即座に殺害した。

 イスラエルは通常、このような標的を絞った暗殺の責任を取ることには消極的だが、私(スコット・リッター氏)はアヤシュを殺すに至った経緯について、ホスト(イスラエル空軍情報将校)から非公式な説明を受けた。彼の爆弾テロが私のイスラエルでの仕事に与えた影響を考えれば、私が知る必要があると考えたのだろう。

 アヤシュの殺害はハマスの暴力的な反応を引き起こし、その後数週間から数カ月にわたってイスラエル国民に対するテロキャンペーンを展開した。エルサレムのバス2台とテルアビブのディゼンゴフ・センターの外での1台を含む3件の爆弾テロが2月25日から3月4日にかけて発生し、55人が死亡、数百人が負傷した。

 ネタニヤフ首相が選出されてから、私が国連安保理を辞任する1998年8月までの間は、混乱と変化に満ちた時期だった。ヨルダンでの傍受作戦が成功したことで、UNSCOM(国連特別委員会)とイスラエルとの関係は、さらに深まることになった。

 私たちは、情報フュージョン・セルに相当するものを作り上げることができた。画像利用、シギント収集、人的情報を融合させ、UNSCOMが過去のイラクの大量破壊兵器開発計画に関する真実を隠蔽する努力の問題を打開し、また、制裁に関する安保理決議に違反した大統領府に関連するイラクの継続的な活動の証拠を発見するのに役立つ情報成果物を作り上げることができたのである。

 AMAN(イスラエル参謀本部諜報局)の新しい責任者であるモシェ・ヤアロンとの協力関係は、望みうる限り強固なものであり、イスラエルは私の支援要請がすべて実行に移されるようにわざわざ配慮してくれた。

 私がイスラエル情報部と関係を持ち始めた1994年当時、イラクはAMANのイスラエルへの脅威リストのトップだった。1998年には、イラクは国内の極右過激派、イラン、ヒズボラ、ハマスに次ぐ5位に転落した。このような変化は、UNSCOMとイスラエルの協力によって、イラクの大量破壊兵器プログラムの真の能力について理解を深めることができたからである。

 しかし1998年、1994年10月の最初の会合以来、私とホストが大切に育んできたこの関係は、突然停止した。米国からの圧力で、イスラエルはUNSCOMとの情報関係を打ち切ったのである。

 1998年までに、モシェ・ヤアロンからヤーコフ・アミドラー、そして私のホストまで、この関係をうまく機能させてきたAMANチーム全員が交代した。AMANのトップはアモス・マルキン、RAD(調査分析部)のチーフはアモス・ギラード、そして新しい「ホスト」という新しいチームが、UNSCOMの情報共有活動を即座に閉鎖したのだ。

 私は1998年6月初旬、イスラエルを最後に訪問し、新しい現実について担当者から説明を受けた。

 その2ヵ月後、私はUNSCOMを辞職した。もはや軍縮という任務を遂行することはできなかった。

 イスラエル政府との仕事上の関係解消という突然の出来事にもかかわらず、私は常にイスラエル国民、ひいてはイスラエル国家に好意を抱いていた。

<ここから特別公開中>

 アモス・ギラードが、私とイスラエルの同僚が熱心に取り組んできた仕事の成果を独断で解体し、イラクの脅威が減少したという事実にもとづく調査結果を否定し、イラクを再び戦争に値する脅威の地位に押し上げるのを目の当たりにしても、私はイスラエル全体を責めるのではなく、むしろイスラエル人個人、とりわけイツァーク・ラビン(※注)の後を継いでイスラエルの首相となったベンヤミン・ネタニヤフを責めた。

(※注)イツァーク・ラビン(1922-1995)は、第6代、第11代の首相。1993年に、パレスチナ解放機構(PLO)との間でオスロ合意に調印したことが最大の功績。この合意には、イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認することと、イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認めるという2点が含まれていた。しかし、オスロ合意に反対するネタニヤフ氏を中心とする極右勢力は、最終的に1995年のラビン氏「暗殺」をもってオスロ合意を否定した。二国家解決という方法は、国際社会の希望となっているが、現在のイスラエルにおいて、その居場所を完全に失っている。

 ネタニヤフは政治指導者として無能であったため、1999年に退陣させられ、代わりにエフード・バラック(彼はイスラエルの政治家として十分な程度の嘘をつくことを学んでいたようだ)が就任した。

 2002年9月、ネタニヤフ元首相はイラクの核兵器開発計画について米議会で証言した。私人としてとはいえ、元首相という地位が彼の言葉に信憑性を与えた。

 「サダムが核兵器開発を目指していること、核兵器開発に取り組んでいること、核兵器開発に向けて前進していることに疑問の余地はない」とネタニヤフ元首相は言った。「サダムが核兵器を持てば、テロ・ネットワークも核兵器を持つことになる」。

 ネタニヤフ元首相の発言は、私とイスラエルの同僚が得た知見と真っ向から矛盾するものだった。イラクの核開発計画の解体を監督する責任を負う国際原子力機関(IAEA)も、イラクの核開発計画は排除され、その再開の証拠はないという知見を共有していた。

 しかし、ネタニヤフ元首相の仕事は、イラクの核開発計画についての真実を伝えることではなく、むしろイラクの核兵器の恐怖が生み出す恐怖を利用して、サダム・フセインを権力から排除する、イラクとの戦争を正当化することだった。「サダムを、サダムの政権を奪えば、この地域に莫大な好影響をもたらすことを保証する」とネタニヤフは議会聴衆に語った。「そして、すぐ隣に座っているイランの人々、若い人々、その他多くの人々が、そのような政権、そのような専制君主の時代は終わったと言うだろう」。

 アメリカの違法なイラク侵攻と占領がもたらした恐ろしい結末を、そして核開発計画が消えないイランの体制を、今日振り返ってみると、ベンジャミン・ネタニヤフ首相がすべてにおいて間違っていたことがよくわかる。

 しかし、彼のこれまでの行動パターンは、イスラエルが直面する脅威を誇張し、軍事行動を正当化するために嘘をつくことで、結局は災害をもたらすことだったと言えるだろう。

 国連安保理を辞任してからアメリカ主導のイラク侵攻が始まるまでの数年間、私はたびたびワシントンDCに赴き、イラクの大量破壊兵器に関する事実を教えるため、両党の議員や上院議員との会談を求めた。

 そのたびに、私はアメリカ・イスラエル公共行動委員会(AIPAC)の工作員たちに追い回された。私が選挙で選ばれた政治家の事務所を出ると、AIPACのチームが私の後ろに滑り込んできて、誰が再選のための小切手を書いたのか、本人に思い知らせるのだった。

 数年後、私は2001年のビデオを見た。ネタニヤフ首相がアメリカをいかに簡単にコントロールできるかを自慢しており、イツァーク・ラビンの最大の遺産であるオスロ合意を公然と妨害して逃げおおせることを知っていた。「私はクリントンと衝突することを恐れなかった」とネタニヤフは自慢した。「私はアメリカの正体を知っている。アメリカは簡単に動かせるものだ。正しい方向に動かすことができる」。

 アメリカがイラクと戦争を始めたのは、イスラエルのためである。ネタニヤフによる嘘と、イスラエルが、そのアメリカの代理人であるAIPACを通じて、議会の責任であるアメリカ市民への適切な監督を操作したからである。

 AIPACが自らの意思で行動していると考える人がいないように、FBIは、AIPAC幹部とイスラエルの外交官ナオル・ギロンが、イスラエルへの機密情報の移転に関して共謀していた証拠を摘発した。

 ナオル・ギロンは、ニューヨークのイスラエル国連代表部の私の窓口だった。

 しかし、私とAIPACの違いは、私の接触はすべて国連とCIAの承認を得ていたことだ。

 AIPACは、単にイスラエルの諜報員としてフリーランスで活動していただけだ。

 米国の外交・安全保障政策に干渉するイスラエルに激怒したといっても過言ではない。にもかかわらず、私はイスラエルの側に立ち続けた。

 2006年11月13日、私(スコット・リッター)はコロンビア大学の国際問題大学院で講演した。テーマはイランの核開発計画だった。講演の冒頭で私は、「部屋の中の象」と私が呼ぶものについて述べた。イスラエルのことである。イスラエルは、私が言ったように、アメリカの緊密な同盟国であり、もし状況が悪化し、イスラエルとイランが戦争に突入した場合、イスラエルの「正当な国家安全保障の懸念」は我々共有のものであり、戦争を引き起こす可能性さえあると述べた。

 しかし、私の支持は無条件ではなかった。クリントン政権と違って、私は簡単には動けない。イスラエルは思い上がり、傲慢で、権力に酔っている。私は、「友なら友に飲酒運転をさせるな」という古いことわざにもとづいて行動している。だから、イスラエルの友人として、私たちはイグニッションからキーを外し、彼らの運転するバスを止める責任があると信じている。

 私は当時、イスラエルがイラク戦争に至るまでの行動を繰り返し、情報を捏造し(このときアモス・ギラード(RAD(調査分析部)部長)はイスラエルの「情報・安全保障」の皇帝であり、政治・軍事問題局長の地位に移っていた)、米国の議員やIAEAなどの国際機関に誤ったシナリオを広めている過程にあることを非常に懸念していた。

 しかし、それ以外にも私を苦しめていたものがあった。

 1997年10月、私はイスラエル軍と協力してルーマニアで新たな作戦を展開していた。制裁に違反する形で弾道ミサイル技術を獲得する目的で、ルーマニアの航空宇宙企業の株を購入しようとしていたイラク代表団を追跡していたのだ。

 その前月には、イスラエルの暗殺チームが、ヨルダンのアンマンでハマス高官の暗殺を試みたが失敗に終わった。イスラエルの暗殺者は、標的のハレド・マシャルに毒を盛ったが、逃げる前にマシャルのボディーガードに捕まった。激怒したヨルダン国王は、捕らえられたイスラエルの諜報員と引き換えに、マシャルに使われた毒の解毒剤を提供するようイスラエルに要求した。問題は解決したが、イスラエルは大恥をかいた。

 ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、ハレド・マシャルの殺害を命じたのだ、と私のホストは私に言った。

 「それは予想されたことだ」と私は答えた。

 「そうなのか」とホストは尋ねた。「ハマスがイスラエルによって作られたことを知っているかね」。

 私は仰天した。

 私はキルヤの中にある博物館に連れて行かれたが、そこにはハマスのテロリストから奪った武器や軍服などが展示されていた。ハマスは、私がイスラエルにいた間、イスラエル国民に対して数々の残虐行為を行っていた。私は彼らを、イスラエルの敵と見ていた。

 そして今、私はイスラエルがハマスの創設に手を貸したと聞かされた。その意図は、パレスチナの政治指導部内に政治的分裂を起こし、ヤーサル・アラファト率いるファタハの権力と影響力を弱めることだと、私のホストは言った。

 これに関しては、どうやら成功したようだ。しかし、オスロ合意に対するハマスの暴力的な反応(※注)は、イスラエルにこの関係を見直させ、やがてイスラエルはハマスとの公然の戦争に突入した。

(※注)ハマスはオスロ合意をパレスチナ問題の解決においてPLOが代表権を持っていないと主張し、合意の交渉に参加していなかった。そのため、ハマスは合意の正当性を認めなかった。そして、ハマスはイスラエルの国家としての存在を認めず、イスラエルに対する武力闘争を継続する立場を取っていた。
 さらに、オスロ合意は、パレスチナの領土を分割し、一部はパレスチナ自治政府の支配下に置くという内容だった。ハマスはこの分割に反対し、統一されたパレスチナの領土を主張した。こうした理由から、軍事部門は自爆攻撃などの手段でイスラエルとの武装闘争に踏み出す一方、福祉部門は貧困層への支援や、教育、医療活動を通じてパレスチナ市民の支持を広げていくこととなった。

 2006年、イスラエルがハマスの暴力的な過去を許し、ハマスがパレスチナ議会で過半数の議席を確保できるような状況を作り出そうとしているように見えたとき、私はイスラエルとハマスの結びつきを、政治的な実験の失敗と見なす覚悟をした。

 しかし2007年になると、ハマスとファタハ(※注)の関係はさらに悪化し、2つの派閥の間で内戦が勃発した。

(※注)ファタハは、パレスチナ解放機構(PLO)の中核組織であり、1993年にPLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相との間で、オスロ合意(パレスチナ暫定自治に関する原則宣言)が調印され、これにより、現在ヨルダン川西岸のラマッラ市にあるパレスチナ自治政府が設立された。

 後に判明したことだが、このパレスチナ人同士の内部抗争は、パレスチナの政治組織を分裂させ、弱体化させるために、イスラエルが仕組んだものだった。

 同時に、この内部抗争によって、イスラエルは「敵の敵は味方」という理由でファタハとの関係を改善する機会を得ることになったのである。

 その後10年半の間、イスラエルがファタハを支配し、ハマスに反感を抱くことで、終わりのない暴力の連鎖が起こるのを私は見てきた。

 2014年と2021年のガザ紛争は、そこに住むパレスチナ市民に対する暴力が物語っている。

 2023年10月8日のハマスによるイスラエルへの攻撃の余波の中で、私の心と脳の筋肉記憶(心と脳の自然な条件反射のこと)は、この残虐行為に対応するイスラエルとともに立ち上がるべきだと告げていた。

 しかしその後、私はイスラエルの将軍や政治家たちが全国放送で公然と戦争犯罪を唱え、パレスチナ人を「人獣(ヒューマンアニマルズ)」(※)と呼び、彼らの抹殺を公然と主張するのを見た。

  • パレスチナ人を人間以下に貶める差別発言は、国防相の「ヒューマンアニマルズ(人獣)」だけではなかった!! 10月7日のハマスによる奇襲以前から、イスラエルの極右閣僚や官僚のパレスチナ人蔑視発言は続いていた! ベングビール国家安全保障相は「私の生きる権利はアラブ人の移動の権利より優先される」と発言! シャブタイ警察長官は「互いに殺し合うのはアラブ人の性質」と暴言!「イスラエルは国家としてハワラ(ヨルダン川側西岸パレスチナ自治区の村)を消滅させる必要がある」「パレスチナ人というものはいない」などと発言し、国際的に非難されたスモトリッチ財務相は、ユダヤ人入植地管理の権限を軍から委譲され「ヨルダン川西岸は爆発する」との見方も!!(日刊IWJガイド、2023年11月7日)
    会員版 https://iwj.co.jp/wj/member.old/nikkan-20231107#idx-5
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 イスラエルがハマスの攻撃の本質について嘘をつき、ガザという天井のない強制収容所を包囲する一連の軍事化された入植地や軍事拠点に対する完璧な攻撃を、無制限の血に飢えた物語に変え、それが従順なマスメディアによって疑うことを知らない西側の聴衆に流されるのを私は見た。

 私は、イスラエル人の赤ん坊40人が斬首されるというフィクション(※)に世界が衝撃を受け、その一方で、イスラエル軍の空爆によって命を奪われた、いや、意図的かつ不正当な手段で殺害された400人近いパレスチナの子どもたちの現実の死には沈黙を守っているのを見ていた。

  • はじめに~「ハマスが子ども40人を斬首」「イスラエル人女性を強姦」というデマ報道を拡散したバイデン米大統領!「ハマスは民間人を殺害、イスラエルの攻撃は戦争法を尊重」と見え透いた嘘を重ねて、イスラエルによるパレスチナ人に対する虐殺を支援! 18日のテルアビブでの演説では、またしても「子どもたちは虐殺され、赤ん坊は屠殺された。家族全員が虐殺された。強姦、斬首、生きたまま焼かれた」根拠不明のデマで憎悪を煽り立て、「米国は永遠にユダヤ人国家のために立ち上がる」と宣言!(日刊IWJガイド、2023年10月20日)
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 そして私は、もうイスラエルとは一緒にいられないと決心した。

 私は、パレスチナの大義に遅れてたどり着いた。イスラエルの武勇伝にとらわれ、イスラエルの幻想に投資しすぎて、木を見て森を見ず、だった。ハマスへの憎悪に忙殺され、ハマスが過去40年間犯してきた犯罪の実行を可能にしたもの(イスラエル)を憎むべきであると気づかなかったのだ。

 簡単に言えば、私はパレスチナの人々の悲劇を見る目がなかったのだ。

 今日私は、イスラエルの悲劇における唯一の真の犠牲者(明るく輝く明日のために働くと言いながら、死と破壊しかもたらさない大人たちによって押しつけられた悲劇的な出来事に巻き込まれた、あらゆる階層の子どもたち以外)は、パレスチナ人であることを知っている。

 少なくともイスラエルの建国の父たちは、このことを認めるに十分な誠実さを持っていた。

 今日のシオニストは、イスラエルは存続可能で自由で独立したパレスチナを犠牲にしてのみ建設され、維持されうること、イスラエルはそのようなパレスチナの存在を決して許さないこと、シオニスト・イスラエルが存在するならば、独立したパレスチナは決して存在しないことを認める道徳性を欠いている。

 イスラエル建国の父と、彼らがパレスチナ人民に対して犯した罪に関しては特にそうだ。モシェ・ダヤン(第4代イスラエル国防軍参謀総長)はこのことを認めている。ダヴィド・ベン・グリオンもそうだ。彼らのイデオロギーや動機には根本的な欠陥があったが、正直なところそうなのだ。

 ベンヤミン・ネタニヤフをはじめとする現代のイスラエルの政治家たちには、所属政党にかかわらず、そのような誠実さはない。彼らは永遠の嘘つきであり、パレスチナの将来に関しては、あることを約束しては別のことをし、イスラエルを永久戦争の道へと導いている。

 ハマスとシオニスト・イスラエルの両方を打ち負かす最善の方法は、自由で独立したパレスチナ国家を支持することだ。

 私はハマスの側に立ったことはないし、これからも立つことはない。

 かつてはイスラエルの側に立ったこともあるが、もう二度とそうするつもりはない。

 イスラエルとハマスの癒着は、40年もの間、悲劇的な経過をたどってきた。互いに相手を滅ぼしたいという願望を公言しながらも、一方が他方なしでは存在しえないという恐ろしい真実を知っているからだ。

 イスラエルとパレスチナの問題は、パレスチナ人の痛みと苦しみを糧とする、終わりのない暴力の連鎖となっている。今こそ、このサイクルに終止符を打つときだ。

 この瞬間から、私は常にパレスチナの人々とともに立ち、中東における平和への唯一の道は、実行可能なパレスチナの祖国を通るものであり、その首都は東エルサレムに確固として永遠に安住するものであると確信している。

 合法的なパレスチナ国家は、ハマスが助長している永続的な紛争状態を取り除く。

 正当なパレスチナ国家は、シオニスト・イスラエルという概念を委縮させる。シオニスト・イスラエルは、その定義上、パレスチナ人民の永続的な搾取によってのみ存在することができる。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、ハマスによる暴力の終わりなき連鎖によって恐怖を生み出すことで、現代版シオニスト・イスラエル国家を維持することができた。

 ハマスがもたらす脅威を取り除けば、シオニスト・イスラエルはもはや、イスラエル市民と世界の人々に、現在のイスラエルが行っているアパルトヘイトのような現実を隠蔽することができなくなる。

 アパルトヘイトの南アフリカ共和国が白人至上主義の醜い遺産を捨てたように、基本的な人道主義は、シオニスト・イスラエルにシオニスト・イデオロギーを捨てさせるだろう。

 ポスト・シオニスト・イスラエルは、植民地的なアパルトヘイト国家としてではなく、聖地を故郷とする人々が共同で取り組む生活実験において対等なパートナーとして、非ユダヤ人の隣人たちと平和的かつ豊かに共存することを学ぶ必要に迫られるだろう。

 そんな場所を想像すると、ロジャー・ウォーターズの名曲『ガンナーの夢(The Gunner’s Dream)』の歌詞が思い浮かぶ:

 レコードの両面を聞いている間は

 くつろいでいられる

 狂人も遠隔操作でバンドマンに風穴を開けはしない

 そして、誰もが法に訴える

 もう誰も子ども達を殺しはしない

 私がパレスチナの側に立つのは、ハマスの武装集団に略奪されたキブツに散乱する血まみれの家具から子どもたちが引き抜かれたり、イスラエル軍の爆撃で粉々になった家の跡から、壊れて煤で真っ黒になった子どもたちが引き抜かれたりすることのない世界に住みたいからだ。

 もう誰も、子どもたちを殺さない。

 この歌詞は「ガンナーの夢」から生まれたものかもしれないが、人間性のかけらや同胞への思いやりを持ち続けていると主張する、生きているすべての人間の夢の永遠の一部であるべきだ。

 なぜなら、イスラエルとパレスチナの子どもたちが、戦争で結ばれた敵ではなく、平和のうちに結ばれた隣人として共に暮らせる未来を手にする唯一のチャンスは、自由で独立したパレスチナの存在であることを、私はよく知っているからだ。

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