ムハンマドUAE大統領とプーチン大統領が、OPECプラスの「石油減産」決定後初会談! 中東産油国は米国でなくロシアを選んだ! このままでは第3次石油危機!? 米民主党議員のサウジ脅迫は米国の本音!? しかし中東産油国は米国に屈さず! 2022.10.26

記事公開日:2022.10.26 テキスト
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(文・IWJ編集部 文責・岩上安身 2022年10月26日時点で加筆・アップ)

 2022年のインフレ危機は、半世紀前の70年代の2度の「石油危機」を思い起こさせる。中東の産油国がOPEC(石油輸出国機構)を組織して石油減産で合意し、その結果、石油価格が急騰、石油を輸入する国々、特に日本は敗戦直後のハイパーインフレにつぐインフレ(福田首相は「狂乱物価」と命名)に見舞われた。これが73年の第1次石油危機、79年の第2次石油危機である。

 今回は中東の産油国に加えて、ロシアもOPECプラスとして「石油減産」に合意し、原油価格を吊り上げた。輸入に依存している日本にとっては、死活問題となる事態である。

 しかも減産合意後、米国から「罰する」と威嚇されても、中東産油国の一角、UAE(アラブ首長国連邦)のムハンマド大統領は、ロシアのプーチン大統領のもとに向かった。以前ならまず米国のホワイトハウスへ向かったところだ。中東産油国が、米国よりロシアを優先し始めたという、世界情勢の劇的変化が如実にうかがえる。

 一方、ホワイトハウスは声明を発表し、産油国の「減産」に「失望」を表明したものの、石油備蓄の放出をはじめ、「インフレ抑制法」などの様々な対策を進めていると、原油価格高騰対策に、自信をのぞかせた。

 しかし他方で、複数の米民主党議員が相次いで、減産に同意したサウジアラビアに対し、「武器売却と安全保障協力を凍結する」などの脅迫的発言を行っている。この事実は、バイデン政権の「自信」に満ちた発言は表向きの「建前」に過ぎず、インフレを抑制できないために11月8日の中間選挙で、与党・民主党が敗退するのではないか、という「危機意識」が、サウジへの脅しにつながっているより、こちらが「本音」の発言ではないかとうかがわせる。

 ムハンマドUAE大統領と会談したプーチン大統領は、「ロシアとUAEの貿易額は2021年に65%も急増」など両国の急激な結びつきを強調した。ムハンマド大統領も、「我が国に4000社ものロシア企業が進出している」とした上で、一層の関係強化への期待を述べた。

 UAEなどOPEC諸国が米国ではなく、窮地にあるはずのロシアを選んだ意味は重要であり、経済的には原油高の継続、政治的には中東と中露が同盟に近い関係を結ぶ可能性さえ示唆する。

 エネルギ-資源をめぐって、世界が大きく変わりゆく時、日本の針路はどうあるべきなのか? 今や、対米追従一本槍の外交ではなく、独自外交で自己の生存を自ら切り開いていく姿勢が求められているのではないか?

 詳しくは、ぜひ、記事本文を御覧いただきたい!

記事目次

  • 2022年のインフレ危機は、半世紀前の「石油危機」再現か!? 産油国の「石油減産」合意は、輸入の依存する日本の死活問題!
  • 減産発表後、UAE大統領はバイデンでなくプーチンに会いに行った! 産油国が米国よりロシアを優先し始めた劇的変化!
  • バイデン政権は産油国の「減産」に「失望」するも、「インフレ抑制法」など様々な対策ありと自信表明!
  • 米民主党議員に相次ぐサウジ脅迫発言! インフレによる「落選危機」で出た「本音」!?
  • プーチン大統領が「ロシアとUAEの貿易額は65%もの急増」など両国の結びつき強調!
  • ムハンマドUAE大統領も「我が国に4000社ものロシア企業進出」として関係強化を期待!
  • OPECプラスが米国でなくロシアを選んだ重大な意味とは!? その時、日本がとるべき道は何か!?

▲OPECプラスの「石油減産」合意後、UAE(アラブ首長国連邦)のムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領はロシアを訪れ、プーチン大統領と会談した。2022年10月11日、サンクトペテルブルク。(Wikipedia、Presidential Executive Office of Russia

2022年のインフレ危機は、半世紀前の「石油危機」再現か!? 産油国の「石油減産」合意は、輸入の依存する日本の死活問題!

 2022年現在のインフレ危機を理解するためには、今からの半世紀前の、1970年代の2回の石油危機の経験を思い出す必要がありそうだ。70年代のインフレを直接体験していない世代は、急いで「石油危機」について学び直す必要がある。

▲1973年の第1次石油危機の契機となった第4次中東戦争で、シリアに展開したクウェート軍(1973年)。(Wikipedia、اللواء ركن صابر السويدان، الرائد ركن ظافر العجمي

▲第一次石油危機は1973年の第4次中東戦争、第二次石油危機は1979年のイラン革命を契機とする。グラフは1861年〜2007年の原油価格で、ピンクは実質価格(物価変動補正)、黒は名目価格(当時の金額)。100年近く続いた原油の安値が1970年代に二度にわたって破られたことがわかる。(Wikipedia、TomTheHand

 OPEC(石油輸出国機構)(※1)がカルテルを結び、原油を減産することで価格の高騰を招いた、2度のオイルショック(石油危機)の時と同様、今回、西側から石油禁輸という制裁を課せられているロシアと、サウジアラビアなど中東の産油国らで構成されるOPECプラス(※2)は、10月5日に石油の減産で合意した。

 当然、原油は高止まりし続ける。こうした状況が続けば、原油高とそれに伴ってインフレと景気後退が同時に起こるスタグフレーションに陥り、第3次オイルショックともいうべき事態に至る。石油の大半を海外からの輸入に依存している日本にとって、死活的な問題となる。

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