【第363号】岩上安身のIWJ特報!自民党改憲草案の緊急事態条項は戦前の国家総動員法の起動スイッチ!? 衆院解散で「ナチスの手口」がいよいよ現実に!? 岩上安身による早稲田大学・長谷部恭男教授インタビュー(その8) 2018.3.1

記事公開日:2018.3.1 テキスト独自
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その7の続き

▲長谷部恭男・早稲田大学教授(http://bit.ly/2EQzRku

本当の意味での安全の保障とは、われわれの生き方を守るということ―― 自分の生き方は自分で判断して、それを自分で生きていく、それを支えているのは憲法!

岩上「次に、『過去と向き合うドイツ』ということについてお話をうかがいます。ドイツは、自国の過去をできるだけ振り返る機会を持とうと努力している。私はホロコースト記念碑(※118)もベルリンで見てきました。そして、各地にゲシュタポ監獄の跡地(※119)が保存されていますね。『公共の記憶』という話がありましたが、公共の記憶の中に加害記憶を組み込んでいくという努力ということです。それは戦後直後からあったわけではなくて、70年代80年代を通じて、市民社会の盛り上がりの中から向き合うようになっていったということで、非常に示唆深いと思ったんです」

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▲過去と向き合うドイツ(http://bit.ly/2CBRC1b

長谷部「そうですね。これは、この本の中で石田先生から教えていただいたことです。石田先生が強調しておられるのは、『ドイツ人も戦後すぐこういうことをやってきたわけではない』ということです(※120)。やはり、過去に自分たち、あるいは自分の父祖たちが悪いことをしたということは、なかなか直視しにくいものです。そういうことは、できることなら忘れたい話なんですね。

客観的に証拠と文献に基づいた歴史の研究を行うことは重要ですけれども、その上で、歴史の中でいったいどこに焦点を当てていくのかということが、記憶の問題ということになると思います。そういう記憶を共有していくことで、未来に向けてもっと開かれた社会を、政府だけではなくて、社会全体としての記憶の共有を実現していくべきだ(※121)、ドイツにはその点で学ぶべきものが多いのではないかというのが、石田先生のお話でした。私もなるほどと思いました」

岩上「ヴィリー・ブラント(※122)、ヴァイゼッカー(※123)の演説や謝罪などは、日本でも知られているんですけれども、『いつまで謝罪しているんだ』という言い方もされますよね。特に、『なぜ新しい世代が謝罪しなきゃいけないんだ』という意見があります。それに対して、『若い世代に罪はないが、その記憶を引き継いでいく責任はある』ということですね。

 共同体として、先行した世代からいろいろなものを受け継いでいく時に、プラスの資産もありますけれども、負の記憶も受け継ぐ責任があるということは、すごく大事なことではないかと思いますね」

▲リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Wikimedia commons、http://bit.ly/2ELhut1

長谷部「そうですね。いいものだけを受け継いで、あまり目にしたくないものは受け継がないというのは、やはり責任ある態度とはいえないだろうと思います。おっしゃる通り、プラスの資産を受け継ぐのであれば、マイナスの資産も同時に受け継ぐ。それがやはり、きちんとした大人の態度ということじゃないでしょうかね」

岩上「そうですね。ドイツもそうですけれども、日本も国を滅ぼすようなことをやらかしてしまったわけで、そういう過ちをもう犯さない。結局それは、周りに迷惑をかけないということでもあるんですけれども、自分たち自身が、愚かな、自滅的なことをしないためにも、教訓としなければいけないことですよね」

長谷部「おっしゃる通りです。特に、1940年、41年。日本が、政府と海軍陸軍そして宮廷とがそれぞれどういう判断をしてきたのか。近衛首相も含めてですよね。そしてそれがアメリカに対してどういうインパクトを与えて、アメリカからどういう反応を引き起こしたのか、それはやはり、よくよく考えてみる必要がある。

 私は、その当時のアメリカの日本政府に対するものの見方は、現在の北朝鮮に対する見方と、非常によく似ていると思います。言うだけで、全く行動が伴っていないのではないか。ですから、どういう行動を取るかということだけをアメリカは見るということを、再々繰り返し繰り返し言われているんですね。

 歴史を振り返ると、見たくないこともあるかもしれませんけれども、その時われわれの先人がどういうことをしてきたのかということを、本当にきちんと見ていく必要があると思います」

岩上「なるほど。私がとても大事だと思ったのは、ハーバーマスの言葉で、『憲法愛国主義』という言葉(※124)。これは、ちょっと私はびっくりして。でも『なるほど』と思いました。ドイツの永久条項ですよね。人権の不可侵性のようなこと。それは、日本人にとっても絶対に大事なことだと思うんですけれども。生き方を守るための、憲法原理を反映した国の安全。

緊急事態条項というのは、安全保障でもある。そして、安全保障というのはやはり大事なものである。大事なことのために導入するのであれば、きちんといろいろな歯止めがついた上での緊急事態条項は、ある種の必要性もあるかもしれない。この点ですごく『蒙を啓かされるな』と思いました。先生、この点についてもうひと言いただいて、しめくくりたいと思います」

▲ユルゲン・ハーバーマス(Wikimedia commons、http://bit.ly/2oj75id

長谷部「安全といっても、とにかく助かりたい、財産を失うのは嫌だというだけでしたら、強い国の言いなりになっていればいいんですよね。でも、そうではないはずです。

 『われわれが国を守る』と、簡単な言い方をしますけれども、それは、現在のわれわれの生き方を守るということです。自由を保障されて、自分の生き方は自分で判断して、それを自分で生きていく。そういう生き方が大事だと思っているから、われわれの生き方を守っていく。それが本当の意味での安全の保障だと思うんですね。それを支えているのは、やはり憲法であり、憲法の基本原理でありますから、それを守る。それを第一に考えなくてはいけないと思います(※125)」

▲本当の意味での安全保障とは(http://bit.ly/2sLzF0m

岩上「憲法を、変えてはならないようなところまで簡単にひっくり返すというのは、非常に恐ろしいことですよね。緊急性の名の下で、人々をパニックに陥れて同意させてしまうというのは、卑劣なやり方ではないかと思うんですけれども」

長谷部「どうも現在、憲法に触りたがる、憲法を変えたがる人がやたら多いんですけれども、憲法を変えてどうにかなることと、ならないことがある、ということをわきまえる必要がある。

 例えば、現在の憲法9条を全部なくしたからといって、北朝鮮がミサイルを撃つのを止めるわけじゃありませんから」

岩上「そうですね。中国は相変わらず共産党だろうし、ミサイルを持っているだろうし」

長谷部「高等教育の無償化もそうです。憲法を変えたからといって、無償にはなりません」

岩上「財源の手当をすることですよね」

長谷部「財源手当をすればいいわけです。財源を手当てすれば、憲法を変える必要なく無償になるので(※126)」

岩上「法律でできますよね」

長谷部「ええ。憲法を変えることは、高等教育の無償化のための必要条件でもなければ十分条件でもない。そんなことのために憲法は変えないほうがいいと思います」

岩上「そうですよね。しかし、どうやら今回は改憲がかかった選挙になりそうです。そしてそのことにメディアが触れないという状況も、非常に気持ち悪いと思います。そういう中、こういうご著書を出されて。まさかこういう選挙になるとは思われなかったと思いますけれども」

長谷部「私は思っていませんでした」

岩上「出版社の編集者も、そこまでは思っていなかったと思います。選挙までの1カ月、とにかく有権者の皆さんは、全員買って読んでいただきたい。7000万部くらい売れればいいですかね。

1点だけ、いいですか。アメリカには、緊急事態条項のようなものがないんですよね」

長谷部「ほとんどありません。ごくごくわずかです」

岩上「日本はなんでもアメリカをモデルにするじゃないですか。しかし、アメリカの緊急事態条項は、本当にわずかなものなんですよね」

長谷部「ええ、そうですね。人身保護令状に関する規定と大統領の義務としての議会招集。日本の場合は、内閣は臨時国会をいつでも召集できますから。これは非常事態というべきなのかどうかもよくわからない話ですね」

岩上「すべての人々の人権を停止するような話はないんですよね。『大統領や行政府に巨大な権限を集中させる規定がない』ということです」

長谷部「ありませんね」

岩上「これはすごいですね。連邦最高裁判決には『国の安全保障は、それ自体が目的ではなく、安全保障の名目で基本的な自由を損なえば、国の安全保障を意味のないものにしてしまう』。ハーバーマスと同じようなことを言っています」

長谷部「根本的な考え方は同じだと思います」

岩上「そうですね。憲法に定められた基本的な自由、価値、人権を守るために、安全保障があり、国家があるので。それを犠牲にするのならなんの意味もない」

長谷部「『なんのためにやるんだ?』、『戦うんだ?』ということなんですよね」

岩上「アメリカもここに立ち戻ってもらいたいと思います」

長谷部「はい」

岩上「大変タイムリーなタイミングで、長谷部先生に『ナチスの「手口」と緊急事態条項』に沿ってお話をうかがいました。皆さん、おそらく10月22日に衆議院選挙が行われると思いますけれども、投開票日までよくよくお考えになって、貴重な1票を投じていただきたいと思います。先生、お疲れのところ申し訳ございません。どうもありがとうございました」

長谷部「どうもありがとうございました」


※118)「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(通称「ホロコースト記念碑」):首都ベルリンの中心部、ブランデンブルク門(統一ドイツの象徴として1788~1791年に建設、いまではベルリンの象徴として観光名所になっている)から南に100mほど歩いた所にある、戦時中のホロコーストで犠牲になったユダヤ人たちに捧げられた国立のモニュメント。
 そこはプロイセン王国時代以来、戦前には政府高官官邸や官庁が立ち並んでいた場所で、ナチ時代にはホロコーストを組織した国家公安本部が置かれていた。ベルリン市街戦で破壊され廃墟となったのち、1961年から1989年のドイツ再統一まで冷戦の象徴である「ベルリンの壁」が走っていた。統一直前の1988年、歴史家やジャーナリストらによって記念碑の建設が呼びかけられたのを契機に議論が進み、ニューヨーク在住の建築家でスペインの「ガリシア文化都市」なども手掛けたピーター・アイゼンマンが設計、2005年に完成をみた。
 サッカー競技場4つ分にあたる19,073㎡の広大な敷地に、高さも様々な2711基の石碑が立ち並び、「迷路のような通路には緩やかに波打つ高低差があり、昼間でも場所によっては柱の陰で光が遮られたり、後ろを振り返ると一緒に来た人の姿が見えなくなったりして、無実のユダヤ人が抱いたであろう不安とその身に降りかかった不条理をほんのわずかでも現代の私たち感じさせる工夫を凝らした記念碑」(石田氏、p.203~204)となっている。地下には情報センターが設置され、イスラエルの記念館「ヤド・ヴァシェム」が提供したホロコースト犠牲者の氏名や資料などが展示されている。
参照:
・Wikipedia「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」【URL】 http://bit.ly/2CfG0RN
・トラベルjp「2711基の石碑は何を語る?〜ベルリン「ホロコースト記念碑」」【URL】http://bit.ly/2CvLYT1

※119)ゲシュタポの監獄跡地:1933年1月に政権の座についたナチ党は、同年2月の国会議事堂放火事件を契機に、共産主義者や社会主義者ら左派勢力や反ナチ派の一斉検挙に踏み切ったが、ほどなく労働忌避者、ジプシー、同性愛者、「エホバの証人」の信者といった「あらゆる『反社会分子』」が、さらに、第二次世界大戦が始まる頃には「ユダヤ人がユダヤ人であるというだけの理由で」、片っ端から排除の対象となっていった。
 同時に、「強制収容所」と呼ばれる施設がドイツ各地に次々と建設された。ベルリンの北方50kmに位置するオラーエンブルク収容所、これに隣接して設置されたザクセンハウゼン強制収容所、エステルヴェーゲン収容所(オランダとの国境付近)、パーペンブルク収容所(オスナブリュック地方)、リヒテンブルク収容所(メルセブルク地区)、ゾネンブルク収容所(フランクフルト・アム・オーデル地区)、ブランデンブルク収容所(ポツダム地区)、ブーヘンヴァルト強制収容所、女性専用の大規模な収容所・ラーヴェンスブリュック強制収容所(ベルリン北方)、ダッハウ強制収容所(バイエルン州ミュンヘン近郊)、フロセンビュルク強制収容所(ニュルンベルク東方)、ノイエンガメ収容所(ハンブルク近郊)、ダロス・ローゼン収容所(下シュレージェン地方ロゴズニク)、ナツヴァイラー収容所(エルザス地方)…。
 逮捕者はこれらの「強制収容所」に移送され、劣悪な環境のもとで過酷な労働に従事させられたほか、食事抜き、長時間の直立不動、殴打、鞭打ち、手を後ろ手に縛りあげて木の柱に吊るしあげといった残忍な「制裁」、果ては見せしめの銃殺、ガス室での大量「処理」、各種人体実験まで、あらゆる非人道的な扱いを受けた。そして、その運営を担ったのが、ナチス親衛隊(SS)および「ゲシュタポ」と呼ばれる秘密警察であった。
 「ゲシュタポ」は、ゲハイメ・シュターツポリツァイ (Geheime Staatspolizei、秘密国家警察)の略称。ヒトラー政権の樹立と同時にプロイセン州内相に就任したヘルマン・ゲーリングが、プロイセン州警察を改組しこれを母体として創設。翌年ハインリッヒ・ヒムラーが長官となり、1936年にはSSの内部組織である保安警察(SD)と一体化され、ドイツ全土に組織を拡大したものである。
 SSとともに「国家の敵」の摘発、逮捕、収容所への移送などに携わったほか、各収容所では出先機関の「政治局」において懲罰・処刑の執行権を握り、囚人たちの運命を思うままに弄んだ。密告者やスパイに仕立てた囚人を用いた所内の諜報活動もおこない、囚人たちの連帯や反抗を封じ込めた。
 こうした強制収容所の跡地には、戦後、記念碑や追悼博物館が建てられ、訪れる人々に、何よりも国内に生きるドイツ人自身に、過去の過ちを風化させてはならないとのメッセージを発しつづけている。
参照:
・長谷川公昭『ナチ強制収容所』草思社、1996年.
・4travel.jp 「ドイツ以西の主な強制収容所跡」【URL】 http://bit.ly/2qAD9BC
・(個人ブログ)ベルリン中央駅「ザクセンハウゼン強制収容所跡を歩く」【URL】(1) http://exci.to/2qyp081, (2) http://exci.to/2qtYhta, (3) http://bit.ly/2qxs8kK, (4) http://bit.ly/2quP2cl, (5) http://exci.to/2COYOvT, (6)

※120)ドイツ人も戦後すぐに過去と向き合えたわけではない:石田氏によれば、終戦直後のドイツは混乱を極め、「犠牲者の追悼どころではなかった」という。
 諸都市は空襲と市街戦によってどこも壊滅状態にあり、連合国の「ポツダム協定」(ドイツ分割占領などドイツの戦後処理についてを取り決めた協定。1945年8月2日締結。ポーランドとドイツの国境について、東プロイセン南半分とオーデル・ナイセ線以東の地域をポーランド領とした)により、大量の「国内難民」が発生していた。
 ドイツ社会の「非ナチ化」というかたちでナチスの過去と関わった占領軍は、ナチ体制に与した者を調べ上げては逮捕し、裁判にかけて処罰していった。つまり、関心はまずは加害者の懲罰に向けられたのである。
 1949年には分断国家としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)がスタートしたが、初代首相コンラート・アデナウアーは、「ナチの臭いを嗅ぎまわるのはよそう」と述べながらナチ時代の過去を不問に付すことを宣言。西ドイツの主権回復について定めた1952年の「ドイツ条約(ドイツ連邦共和国と3連合国との間の関係に関する条約)」(●●前註※90参照)にもとづき、外圧という形でナチ不法の被害者に対する補償は始まったものの、その後の経済復興がもたらした豊かさの中で、ホロコーストの過去は、アウシュヴィッツすら、語られなくなっていった。それどころか、若い人たちの中にはホロコーストを生き延び補償金を手にしたユダヤ人がドイツ人を告発することに憎悪を募らせる者も現れ、「アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義」と呼ばれる新たな差別すら生まれた。
 このような状況からドイツが一転、過去に向き合うようになった契機として、石田氏は、裁判の様子が世界中にテレビ放映され、忘れられかけていたホロコーストの記憶を一挙に呼び起こした1961年の「アイヒマン裁判」、それまで闇に包まれていたアウシュヴィッツの実態を明らかにした1963年の「アウシュヴィッツ裁判」、そして、これと時期を同じくして展開された「第二次時効論争」の3つの出来事を挙げる。
 とくに「第二次時効論争」において、当時のエアハルト政権が推進し、世論もそれに傾いていたナチ犯罪の時効成立容認論に果敢に挑んだ2人の若手議員、与党キリスト教民主同盟のエルンスト・ベンダと野党社会民主党のアドルフ・アーントの演説は、「人と人との間には連帯関係があり、そのため人は誰でも世の中の不法、不正に責任の一半を負う」すなわち、「私たちにも罪がある」という、哲学者カール・ヤスパースも『罪責論』(1946年。邦題は『戦争の罪を問う』)で展開した当事者意識をドイツ人に呼び覚ました。「「私はただ命令に従っただけだ」という、使い古された逃げ口上への反論」(長谷部氏)となるこの意識は、「68年世代」と呼ばれる若者たちに引き継がれ、ドイツが新たな道を歩み始める原動力となったという。
参照:長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p.205~219.

※121)「社会全体としての記憶の共有」の実現を:石田氏は著書のなかで、独裁体制による人権蹂躙という負の過去にドイツがいかに向き合い乗り越えていったか、その戦後半世紀の歩みを、「公的記憶」というものをキーワードに掲げながら紹介する(「第五章 「過去の克服」がドイツの憲法を強くした」)。
 「公的記憶」とは、フランスの社会学者モーリス・アルヴァックス (1877−1945年)が提唱した概念「集団的記憶 mémoire collective」を下敷きとした表現。出来事をじかに経験した者が保持する「自伝的記憶 mémoire autobiographique」とも、それを経験していない者にも伝えられ、共有される出来事の記憶(歴史的記憶)とも区別されるところの、共同体の現在の文脈における価値判断と再構成につねに晒される(「記憶の現在主義」)過去の出来事の記憶のことである。
 それは、時代時代の共同体構成員によって、「世代や立場を超えて伝承されるべき」と受け止められる場合もあれば(そうした意識の表れが「記念碑」の建立である)、逆に彼らの体制や価値観の正当性を危うくするとして歪曲・抹殺される場合(「集団的忘却 amnésie collective 」)もある。
 ドイツはホロコーストの過去を「公的記憶」として受け止め直視していく道を選んだのであり、そのうえで負の遺産を繰り返さぬための憲法原理を新たに選び取っていったことに、長谷部氏も「あの戦争での加害をなるべく振り返らずに過ごそうとしてきた日本社会との差は、ここにいたって歴然たるもの」(p.229)と嘆じている。
参照:
・Wikipedia(fr) « Mémoire collective »【URL】http://bit.ly/2lVXUlK
・Es Discovery Logs「M.アルヴァックスの集合的記憶と歴史の社会学」【URL】http://bit.ly/2lY0vww

※122)ヴィリー・ブラントの演説・謝罪:ヴィリー・ブラント(1913年~1992年)は、デタント(東西緊張緩和)期の西ドイツ首相(第4代。在任期間1969~1974年)。
 ナチ時代には反ナチ抵抗運動に身を投じ、戦後の「ベルリンの壁」建設時(1961年)には西ベルリン市長を務めていた。初代連邦首相コンラート・アデナウアー(1876−1967年)以来の、東ドイツおよびこれを国家承認したソ連以外の国家との交流を持たないという外交方針(「ハルシュタイン原則」)を転換、「東方外交」と呼ばれる一連の東欧諸国との関係正常化政策によって東欧革命や東西ドイツ再統一の基礎を構築し、国際社会の緊張緩和・平和推進に貢献した人物として知られる。
 このブラント首相のもとで、西ドイツの公的歴史認識も転換期を迎えるが、それをよく表すものとして、石田氏はブラントの次の二つの言葉を紹介する。
「今から25年前のあのときに、多くのドイツ人が個人的あるいは国民的な苦しみと感じていたことは、他の民族にとってみれば外国への隷従、テロ、不安からの解放でした。…民族には、自らの歴史を冷静に見つめる用意がなければなりません。なぜなら、過去に何があったかを思い起こせない人は、今日何が起きているかを認識できないし、明日何が起きるかを見通すこともでいないからです。冷静に歴史と向き合うことは、特に若い世代にとっても大切です。若い世代は、当時終わったことに関与していません。…しかし引き継いだ歴史から、我々は誰一人として自由ではないのです」(1970年5月8日の終戦25周年記念式典での演説)
「私は、汚れたドイツの名において何百万もの犯罪行為が行われたことに対し、ドイツ民族の名において謝罪したいと思いました。新たな始まりを模索し、過去の恐怖を繰り返さないと望むなら、これは必要なことです」(1970年12月、ワルシャワ条約調印のために訪問していたポーランドにて、ブラントは首都ワルシャワにある「ゲットー英雄記念碑」(1943年にワルシャワ・ゲットーのユダヤ人レジスタンスたちが起こした、ナチス・ドイツに対する武装蜂起を記念するモニュメント)に拝跪・献花しつつ、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺について謝罪の意を表明した。その直後の「デア・シュピーゲル」誌のインタビューに答えて)
参照:
・長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p.219~222.
・Wikipedia「ヴィリー・ブラント」【URL】 http://bit.ly/2CJ1B8K
・Wikipedia「東方外交」【URL】 http://bit.ly/2Cv5fzK

※123)ヴァイツゼッカーの演説:リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(1920~2015年)は、冷戦末期の1984年からドイツ再統一後の1994年まで連邦大統領を務めたドイツの政治家。
 ヘルムート・コール首相(1930~2017年)のもとで、ナチ時代の負の遺産にもはやとらわれず、「奇跡の復興」を遂げた戦後ドイツの歴史にこそ国民のアイデンティティを見出そうとする風潮が高まるなか、「荒れ野の四十年」のタイトルで世界的に名高い演説(1985年5月8日ドイツ連邦議会演説、敗戦40周年にあたって)をおこない、敬虔なキリスト教徒としてあらためて過去を直視することの意義と必要性を国民に訴えた。
 「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」の名文句で有名な次のくだりは、「罪と責任とを分けてとらえ」(石田氏)「若い世代には罪はないが、責任はあるという考え方」(長谷部氏)がよく表れており、過去の戦争の過ちを振り返らぬ方向性で改憲に向かおうとする現代日本において真摯に受け止められるべき言葉として、長谷部・石田両氏の著作の中でも紹介されている。
「今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してほいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされております。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」(永井清彦訳)
参照:
・永井清彦編訳『言葉の力――ヴァイツゼッカー大統領演説集』岩波現代文庫、2009年.
・長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p.224~226, 228~231.

※124)ハーバーマスと「憲法愛国主義」:「憲法愛国主義」(Verfassungspatriotismusの訳語。「憲法パトリオティズム」とも訳される)という用語じたいは、1970年代に政治学者ドルフ・シュテルンベルガー(1907~1989)が創唱したものだが、哲学者ユルゲン・ハーバーマス(1929~)が、1986年に旧西ドイツの言論界をにぎわした「歴史家論争」において主張したことで、広く知られるようになった。
 歴史家エルンスト・ノルテらが、ナチスの所業をスターリン治下のソ連やポル・ポトのカンボジアのそれと同列に置くことで相対化し、過去の清算を図るかのごとき論陣を張ったのに対し、これに激しく反発したハーバーマスは、ノルテらの姿勢が排外的ナショナリズムを再び呼びさますものであると断じ、ナチスの経験ゆえに、ドイツ国民が民族共同体としての国家を統合の原理とすることはもはや不可能であるとの認識を示す。これにかわって、人権の保障をはじめとする「諸々の普遍主義的な憲法原理への忠誠」こそが、アウシュヴィッツ以後のドイツが国際社会において他国民と共生するための唯一の道であると主張した。
 長谷部氏は、石田氏との対談において、ハーバーマスがこうした「憲法愛国主義」の主張によってドイツ国民にもたらした貢献を、「我々が愛すべき『国』とは」「ありもしない一元的で均質的な善きドイツ民族」などではなく、「我々の憲法の基本原理にほかならない」、ということをはっきりと示すことで、「ドイツ国民が憲法の基本原理に関する理解を非常に深めていく導きになった」と概括している。
参照:
・長谷部恭男、石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』、p. 226~227。
・J. ハーバーマス/E. ノルテ他『過ぎ去ろうとしない過去 ナチズムとドイツ歴史家論争』、徳永恂他訳、人文書院、1995年。
・ヤン=ヴェルナー・ミュラー、斎藤一久/田畑真一/小池洋平監訳『憲法パトリオティズム』、法政大学出版局、2017年。

※125)個々人の生き方を守っていくもの、それが憲法:長谷部氏が著作の中で次のような言葉で訴えかける、日本国民への力強いメッセージである。
「安倍自民党の改憲派がめざしているのは、個人を尊重して、多様な生き方を認める現在の日本国憲法の根本を否定し、『固有の文化』と『国と郷土』への誇りと気概をもつ、という単一の『正しい生き方』に国民を誘導することではないかと思えるのです。…日本国憲法が行う基本権の保障は、多様な価値観を抱く人々が公平に共存できる社会の土台となるものです。宗教戦争などを経て、多くの人々の工夫と努力を通じて、長い年月をかけて構築されてきたものです。…しかし、自民党改憲草案の背景にあるのは、多元的な価値観の公平な共存事態を否定しようとする姿勢です。…価値観や世界観の多様性を前提に、どんな人でも人間らしい暮らしを社会のなかで送っていくことができる、そのためにフェアな形で社会生活の便益とコストを分かち合うのだという考え方を捨てようという風潮が目立ちますよね。そんな考え方は日本固有の思想ではない、そんなものは日本人が尊重すべきものではないのだと思っている節が、私には見えます。
 戦後ドイツのボン基本法が憲法の原則を憲法改正を通じても変えられない自国の価値観として規定しているのとは正反対でして、ことあるごとに憲法の理念を否定しようとする。それが改憲を提案する人々に通底する考え方なのだとしたら、ほんのわずかでも抜け道のある緊急事態条項をつくらせてはならないと思いますね。注意しなければならないのは、こうした権限は、つくれば必ず濫用されるということです。濫用は、されるかされないかのデジタル的な問題ではありません。どの程度濫用されるかの程度問題です」(『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p. 196~199)

※126)高等教育無償化に憲法改正は必要なし:2017年10月の衆院選における公約に、自民党は憲法改正を盛り込み、改憲項目として、「自衛隊の明記・充実」「緊急事態対応」「参議院の合区解消」とともに、大学や短大、専門学校等「高等教育の無償化」を掲げた(前註※1参照)。
 その理由は、「世代を超えた貧困の連鎖を断ち切り、家庭の経済事情にかかわらず、子どもたちが夢に向かって頑張ることができる日本」であるため(安倍首相の言。2017年5月9日参議院予算委員会において)だという。ところが、民主党政権は立法を通じてすでに高校無償化を実現しており、高等教育の無償化に憲法改正は不要であることは明らかだ。
 そもそも自民党は、民主党政権による高校無償化に強く反対し、「理念なき選挙目当てのバラマキ政策」(自民党HP)、「民主党が目指しているのは財政を破綻させることだけではなく、子育てを家族から奪い取り、国家や社会が行う子育ての国家化、社会化です。これは、実際にポル・ポトやスターリンが行おうとしたこと」(『WiLL』2010年7月号)などと、激烈な口調でこれを攻撃していた。実際、政権に返り咲いたのちは、子ども手当と高校授業料無性制度を廃止している。
 安倍政権のかくも矛盾した姿勢に、このたびの「高等教育の無償化」は、有権者に「憲法改正を行えば高等教育も無償化される」と思わせるための方便にすぎないのではないかと批判が続出。「本当に無償化が必要だと思うのなら、時間がかかる憲法改正ではなく、今すぐ法律でやるべき」(木村草太・首都大学東京教授)だが、残念なことに大勢の予測どおりであったとは、自民党が選挙後の2017年11月27日、党憲法改正推進本部の幹部会合において、憲法に「無償化」の語を明記することを早々に取りやめたことからも見て取れる。
参照:
・朝日新聞DIGITAL「教育無償化に改憲必要? 木村草太教授「法律で十分だ」」2017年5月14日【URL】http://bit.ly/2m1ISL9
・LITERA「安倍首相「憲法改正で高等無償化はまやかしだ!法律で可能な無償化をツブし、改憲で思想教育の狙い」2017年5月13日【URL】 http://bit.ly/2qfNP4X
・産経ニュース「「教育無償化」の条文明記にこだわらず改憲論議の方針 自民党の憲法改正推進本部」2017年11月27日【URL】 http://bit.ly/2AyHWmI

(了)

(編集総責任者:岩上安身 IWJ編集部担当:原佑介、ぎぎまき、城石エマ、林俊成、川上正晃、城石裕幸 協力スタッフ:<文字起こし> 深浦基経、<リライト>澤邉由里、<註釈>辻部亮子)

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