【第359号】岩上安身のIWJ特報!自民党改憲草案の緊急事態条項は戦前の国家総動員法の起動スイッチ!? 衆院解散で「ナチスの手口」がいよいよ現実に!? 岩上安身による早稲田大学・長谷部恭男教授インタビュー(その4) 2018.1.31

記事公開日:2018.1.31 テキスト独自
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(岩上安身)

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その3の続き)

民主主義の理念を実現できるのはファシズムか共産主義!? 同一性の反面として現れる排除の論理!

岩上「それでは、なぜこんなことになってしまったのか、なぜ独裁が可能になったのかという話ですけれども、ここで、議会制民主主義と独裁という話を展開していただければと思います」

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▲議会制民主主義に対する疑念(1)(画像URL:http://bit.ly/2E9lV1k

長谷部「そうですね。『議会制民主主義』は、まあ現在では、ごくごく当たり前の概念、政治のやり方のようにいわれることが多いです。しかし、カール・シュミット(※49)に言わせますと、『議会制』と『民主主義』は、もともと相容れないものだということです」

岩上「ほう」

長谷部「『相容れないものを無理矢理2つ合体させている』というんですね。では、『議会制』とはなんなのか。

 いわゆる名望家支配(※50)の時代は、地方の有力者が、自分の財力や名声を地盤にして、議会に議員として当選していた。そういう人たちが、公開の場で議論をして、なにが真に社会の公益に役立つのか、答を見つけて、それを法律に規定していくということだったんですけれども、第一次大戦の頃になりますと、背景に、戦争の仕方の変化ということがありまして」

▲長谷部恭男教授(画像URL: http://bit.ly/2nlHN2u

岩上「なるほど」

長谷部「大量の兵力を使って、お互いに攻囲(こうい)戦をするんですね」

岩上「『包囲(ほうい)する』のを『こうい』といいますね。攻囲戦(こういせん)」

長谷部「ええ。相手を包囲した上で殲滅(せんめつ)をするということです。そういう戦争の仕方をするようになります。

 徴兵制によって大量の兵力を徴兵して、非常に長期にわたって訓練をするということになりますと、兵隊に取られていく一般大衆も、『じゃあ、われわれも政治に参加させろ』ということになります。戦争とは、政治の究極的なあり方ですので、そういう声が大きくなります(※51)。そのために、膨大な数の大衆が政治に参加するようになります」

岩上「大衆の政治参加のベースには、第一次世界大戦の経験があって、徴兵制・総力戦の経験があったということなんですね」

長谷部「実はこれは、その前から、たとえば、プロイセンがオーストリアや(※52)フランスと(※53)戦っていた頃にもう始まっていたことなんですけれども。ご存じの通り、プロイセン、そしてドイツは、戦争が大変強かったものですから、ほかの国もその真似をするわけですね(※54)。

 その結果、各国とも大衆が政治に参加していく。膨大な数の大衆が政治に参加していくと(※55)、もう、それぞれの政治家が自分の財力と自分の名声を基盤にして国会議員に当選することは難しくなります。

 そうではなくて、組織政党が政党としての綱領を組み立てて、それを元にして膨大な大衆を相手にして政治をする。そして、政治家は、そういう組織政党に属することによって、政治資金も供給してもらえるし、票も分けてもらえる。そうして国会議員になるわけですから、当然のことながら、党議拘束(※56)が強くなるわけですね」

▲議会制民主主義に対する疑念(2)(画像URL:http://bit.ly/2Bvn2W7

岩上「うーん、なるほどね」

長谷部「『お前はわれわれの政党の一員だからこそ国会議員になれたんだろう』という話ですのでね。そうすると、たとえ組織政党同士が公開の議会の場で議論をしたとしても、議論をした結果、相手の意見を聞いて『なるほど、お前たちの言う通りだ』と自分たちの意見を変えるというのは、当然、想定しにくいわけでして。

 結局のところ、公開の議場でお互いの固い意見をぶつけ合う。それで実際はどうするのかというと、それぞれの政党の幹部が非公開の密室で妥協する。取引をする。その結果にもとづいて、またまたみんな公開の議場に戻ってきて、党議拘束をかけられて、反対とか賛成とか、投票する」

岩上「今日の日本の政治の姿そのものですね」

長谷部「日本に限らずということなのかもしれませんが(笑)」

岩上「世界もやはり同じような状況にあるということですか? 日本では、小選挙区制(※57)によってその傾向がますます強まっているわけですけれども。

 中選挙区時代(※58)は、自民党にはそれぞれのボスがいた。ある程度、財力も含めて、金を集めることができる人たちのグループがあって、グループ間の対立・競争のようなものもあった。今はそういうものもなくなって、国からお金(政党交付金)をもらいながらできるようになってしまっている。

 そして、政党のトップの考え次第で、公認を得られるか得られないかということになってしまっているので、みんなが言うことに従ってしまう状態になっていますよね。カール・シュミットの名前が出てくるということは、そういう問題がドイツでは早くも起きていて、かつ、それに対して真剣な考察がなされていたということなんですね」

▲カール・シュミット(画像URL:http://bit.ly/2negQwQ

長谷部「そうですね。おっしゃる通りです。カール・シュミットがどんな診断を下したかということですけれども、『組織政党が主要な役割を演じるようになっては、議会政治はもう終わりだ』と書いています」

▲のちにナチのイデオローグと批判される公法学者・カール・シュミットの見解(画像URL:http://bit.ly/2BF9l7k

岩上「おお。辛辣だ」

長谷部「『公開の議場で議論をしても、お互いに真っ当な心で、本気で議論をしているわけでもなんでもない』と。実際には密室政治で結論が決まってしまうということですから。『もう、議会制という仕組み自体をあきらめたらどうか』ということを彼は言います(※59)」

岩上「すごいですね(笑)」

長谷部「『むしろ、民主主義の原理を貫徹するべきだ』と。彼がいう民主主義は特殊な民主主義ですけれども。民主主義というのは、『とにかく治者と被治者が同一だ。それこそが民主主義の理念だ』と言うんですね」

岩上「統治するものと統治されるものが同一。なるほど」

長谷部「さらに『それを実現できるのはファシズムか共産主義だ』と言います(※60)。

 ファシズムとは、要するに、同一民族が共有している理念を元にして、治者と被治者の同一性を実現(※61)するわけですし、共産主義は、階級ですね。所属している階級が同一であれば、同じ政治理念を持っている(※62)ということで、それを通じて治者と被治者とは同一になるというんですね。それこそが、あるべき民主主義のあり方を示しているのではないかということなんです」

岩上「なるほど。民主主義の支配は『多数の支配』につながっていくということなんでしょうけれども、ファシズムは、『民族、国民による自らの支配』ということですが、そうすると、非国民は排除されるわけですね。ドイツにおいてはユダヤ人だった」

長谷部「そうですね」

岩上「そして、共産主義は、プロレタリアートという労働者階級の支配である。これは国際的な運動にもなり得るけれども、ブルジョアは排除される。富を奪われるという話になっていく。いずれにしても、排除の原理がここには入ってくるわけですね」

長谷部「はい。同一性ということを強固に主張しようとすると、その反面として、おっしゃる通り、それは排除の論理として働いていくということになります(※63)」

岩上「『議会制民主主義はだめだ』ということを言い出すと、このカール・シュミットの議論がもう一度復活してくるといいますか、苛立ちの中で、たとえばこういう傾向が出てくる。

 今日、共産主義がすごく強いとは到底思えないので、はるかにナショナリズムもしくはファシズムのほうが可能性があるのかな、と。まあ、日本においては、ヘイトスピーチがいくら押さえ込んでも圧倒的に蔓延している状況を見ると、『再来かな』という気がしてならないんです」

長谷部「そうですね。最近よく議論される、いわゆる『ポピュリズム』というものですね(※64)。まあ、いろいろな種類のポピュリズムがありますけれども、各国で台頭が懸念されているポピュリズムの背景には、やはり、国民の同一性、民族の同一性を鍵にして、『それに属していない、われわれに強調しない人間は非国民である』という考え方があります。アメリカでいうと『アン・アメリカン』である」(※65)

岩上「アン・アメリカン。トランプ大統領の、移民の排除になるわけですね」

長谷部「そうですね。『自分たちに同意しない人間はアン・アメリカンだ』ということです。そういったものの考え方も、実は日本に広がっているのかもしれないということですね」

岩上「そうですね。日本では、在日コリアンに対するとりわけ激しい差別やヘイトが煽られています。『国民の同一性』が求められるわけですよね。異端を排除して、純粋な日本人だけが集まり、『奴らは出ていけ』と。そういうことが起こり、さらに北朝鮮のミサイル危機が加わって、『北朝鮮はとんでもない国だ。国を潰すくらいなら先制攻撃をかけてしまえ』と、核の危険性まで忘れているような議論すら出てくる。

 報復の核攻撃なんて考えていないんですよ。この間、小野寺防衛大臣に質問したんですけれども、防衛大臣は答えられなかったですね(※)。もう、防衛大臣自身が『先制攻撃を行うべき』論者ですから、敵基地攻撃論をおっしゃっているわけですね」

※2017年9月22日の定例会見で、IWJは敵基地攻撃による報復の第二撃の危険性について、小野寺五典防衛相を問いただした。それに対し、小野寺防衛相は、「敵基地に対する反撃能力についての議論は、私が大臣に就任する以前の議論でありまして、大臣に就任して以降は、安倍総理の指示のもと、この問題については現在、検討していない」と述べた。しかしその後、防衛省が2018年度の予算案に計上した空対地ミサイルは、実質的に敵基地攻撃を可能とするものであるとの指摘がある。

▲小野寺五典防衛相(画像URL:http://bit.ly/2Gkf6Lc

岩上「これは厳しい状況です。真剣に、真面目に考えなければいけない問題が出てきているのに、メディアはそれを正面の問題として取り上げるということが少ない。少ないがゆえに、ますます事態が進行していくというように見えるんですね」

長谷部「おっしゃる通りです。この手のものの考え方の怖さは、ものごとを単純化するということなんですよね。『いろいろなことを考えなくてもすむんだ』という気にさせてくれるというところが、この種のものの考え方の非常に危険なところだろうと思います」


※49)カール・シュミット Carl Schmitt (1888~1985年):
 ドイツの公法学者、政治学者。ウェストファーレン地方プレッテンベルクのカトリック教徒の家庭の生まれ。ベルリン大学、ミュンヘン大学、ストラスブール大学に学び、1916年に『国家の価値と個人の意義』で教授資格を取得。ボン大学、ベルリン商科大学、ケルン大学の各大学で教授を歴任したのち、1930年にベルリン大学教授となる。
 その過程で、『政治的ロマン主義』(1919年)、『独裁論』(1921年)、『現代議会主義の精神史的状況』 (193分の2年)、『大統領の独裁』(1924年)、『政治的なものの概念』(1927)、『憲法理論』(1928)、『合法性と正当性』(1932)など、次々と著作を発表。
 ブルジョワ自由主義的思想とその具現としての議会制度を痛烈に批判するとともに、そのような体制下で政治的・経済的に混乱を極めるドイツを再建するための強力な手段として大統領権限の強化および独裁の必要性を説き、その理論的構築に努めた。
 ナチ党に対して批判的だったが、1933年にヒトラー内閣が成立するや一転して入党、ナチス法律家連盟の指導的地位に就き、党の法学理論を支える活動に携わるようになる。
 ほどなく党内から批判を受け第一線から退けられたものの、この短期間のナチ協力ゆえに、シュミットは戦後、占領当局により幾度も身柄を拘束されたうえ、ニュルンベルク裁判で厳しい尋問を受けた。
 学界からも追われたため、故郷に隠棲して研究・著述活動を続けたが、1985年に死去するまで、彼について語ることがタブーとされる状況が長く続いた。
参照:
日本大百科全書「シュミット」【URL】http://bit.ly/2AbOqvr

※50)名望家支配:
 「名望家」とは教養と財産を兼ね備え、人的交流・財政支援を通じて地域社会に貢献し、人望を集める地方有力者(名士)のこと。公民権が納税額を基準に制限されていた時代、そうした「名望家」たちが階級利益や家の伝統、イデオロギー等個々の事情に応じて党派(クラブ、「名望家政党」あるいは「幹部政党」と呼ばれる)を作り、議会に多大な影響力を行使していた。
 この状態を「名望家支配」と呼ぶ。社会学者のマックス・ヴェーバーによれば、イギリスでは貴族の占有していた選挙権を中産階級に広げた第一次選挙法改正(1832年)から、それを都市労働者にまで拡大した第二次選挙法改正(1868年)までが、アメリカはでは大衆民主主義(「ジャクソニアン・デモクラシー」)を掲げて第7代大統領に当選した西部の農場主アンドリュー・ジャクソンが登場した1824年までが、この「名望家支配」の時代とされる。
 各政党が「国家という米櫃」と「官職扶持」を獲得するべく一切を厳格に組織化し、大衆票獲得に向けて各々しのぎを削る以後の「大衆政党」とは対照的に、あくまでも副業らしく「いたってルース」で「牧歌的」な党運営であったものの、議員としての活動を積み重ねるなかで名望家が「切磋琢磨してリーダーに育っていくというプロセスがそれなりに機能してい」た(石田氏)。
参照:
・マックス・ヴェーバー著・脇圭平訳『職業としての政治』岩波文庫、1980年
・日本大百科全書「大衆政党」【URL】http://bit.ly/2B5bKbz
・長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p.32

※51)徴兵制と参政権:
 「参政権を有すること」と「兵役に就くこと」とは古来密接な関係にあり、古代ギリシャの都市国家では、兵役は市民権を有する男性自由民の義務であった。
中世ヨーロッパでは「オラトーレス(祈る者、聖職者)」・「ベラトーレス(戦う者、騎士)」・「ラボラトーレス(耕す者、農民)」の三身分制が確立し、以後国家の戦闘要員=世俗的権力の保有層と、非戦闘要員=被支配民とを明確に区別する時代が長く続く。
 騎士階級が貴族化したのちは、王や諸侯は傭兵や所領から徴発した私兵で成り立つ軍隊を擁したが、フランス市民革命(1789年)を契機に「国家の防衛は主権者たる国民の義務である」という国民皆兵の理念が浸透。そして、フランス「国民軍」の優位性がナポレオン戦争(1803~1815年)を通じて明らかになると、諸国も立憲君主制などへの改革を通じ、こぞって「国民軍」創設に乗り出した。
 平時は日常業務に従事し、非常時に国軍として召集される民兵制がまずは模索されたが、諸国間の武力衝突の激化に伴い、兵員確保および訓練の必要性から、平時も一定年齢に達した有資格者に強制的に兵役を課すようになる。
 しかも、19世紀半ばから第一次大戦にかけて、後装式のライフル銃や大砲に始まり、機関銃、戦車、飛行機、化学兵器など、兵器技術の飛躍的進歩が大量の死傷者を生み出すようになったため、諸国はますます兵員の確保に腐心する。参政権拡大は、「国家の主権者はその防衛義務も負う」との大義名分のもと、まさにそうした動きと連動して進められた。
 プロイセンでは普墺戦争(プロイセン対オーストリア、1866年)、普仏戦争(プロイセン対フランス、1870年〜71年)の戦間期の間の1869年、制限選挙(1850年制定)から男子普通選挙に移行。普仏戦争戦勝直後の1871年3月には、25歳以上の男子を対象とする普通選挙(小選挙区絶対多数2回投票制)が実施された。
 フランスでは1889年、国籍法をナポレオン法典下の血統主義から出生地主義に変更して「国民」を増やし、長らく制限選挙であり続けたイギリスも第一次世界大戦中の1918年に「国民代表法」を制定。財産や地位に関わりなく21歳以上の男子すべて(および30歳以上の女子)に選挙権を認めるとともに、徴兵制の導入に踏み切っている。
参照:
・Wikipedia「徴兵制度」【URL】http://bit.ly/2zizqsk
・Wikipedia「軍事史」【URL】 http://bit.ly/2jSQOkz
・世界史の窓「普通選挙/男性普通選挙」【URL】 http://bit.ly/2iNFwe7
・河崎健「ドイツ連邦議会選挙法成立過程の一考察 ―比例代表制と小選挙区制導入の経緯について―」『選挙研究』29巻1号、日本選挙学会、2013年【URL】 http://bit.ly/2jn6jNR
・丸畠宏太「人民武装・徴兵制・兵役義務と19世紀ドイツの軍制 ―― 概念史的考察 ――」『19世紀学研究』6巻、2012年【URL】 http://bit.ly/2i2JlPp
・山元一『現代フランス憲法理論』信山社、2014年、p.29
・Wikipedia (fr) « Société médiévale ≫【URL】 http://bit.ly/2i1y7Lb

※52)オーストリアとの戦争:「普墺戦争」(1866年) のこと。ナポレオン戦争(1803~15年) 後、35の君主国と4つの自由市による「ドイツ連邦」となっていた(「ウィーン体制」)ドイツでは、フランス市民革命に刺激されたナショナリズムが高揚。統一国家の樹立を目指すものの、あくまで「ドイツ人」(旧神聖ローマ帝国領民)による国民国家の建設(「小ドイツ主義」)を掲げるプロイセン王国と、ハンガリーやチェコ等他民族地域を広く領有しこれも含めるべき(「大ドイツ主義」)と主張するオーストリア・ハプスブルク帝国とが激しく対立した。
 一度は両者協力し、デンマークの支配下にあったドイツ人地域を奪取する(「シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争」第一次:1848~52年、第二次:1864年)ものの、その管理をめぐって再び決裂、開戦となったのである。
 プロイセンは、「ケーニヒグレーツの戦い」において、分進合撃による包囲・殲滅作戦を通じてオーストリアに圧勝、ドイツ統一の主導権を掌握した。翌年、オーストリアを除外した北部22諸邦でプロイセンを盟主とする「北ドイツ連邦」を結成。ドイツ帝国の基盤がこうして固められる。
参照:Wikipedia「普墺戦争」【URL】http://bit.ly/2A4Nglh

※53)フランスとの戦争:
 「普仏戦争」(1870~71年) のこと。
 プロイセンとフランスは当時、二つの問題をめぐって対立を深めていた。一つ目は、ドイツ南部諸王国(フランス屈指の工業地帯アルザス・ロレーヌ地方に隣接するバイエルン王国・ヴュルテンベルク王国・バーデン大公国・ヘッセン大公国)の「北ドイツ連邦」併合問題。
 二つ目は、1868年にスペインに軍事クーデターが起こって以来、空位となっていたスペイン王に、ホーエンツォレルン家のレオポルドの名が候補に浮上した、スペイン王位継承問題。同家は南ドイツの貴族で、ドイツ国王やルーマニア国王も輩出した名門であり、プロイセンは当然即位を支持するが、フランスはドイツ系国家に自国を挟まれることになる。
 こうした両国の敵対心が、レオポルドの即位辞退だけでは満足できないフランスが使節をプロイセンに送り、今後も一切ホーエンツォレルン家から候補者を立てないことを国王ヴィルヘルム1世に要求、ヴィルヘルム1世がこれに立腹し、要求を拒否した一幕を、宰相ビスマルクが脚色し、メディアを通じて公表した事件である、1870年7月の「エムス電報事件」を契機に一挙に戦争へと発展したのである。
 世論に流されたフランスが1870年7月19日、宣戦布告したが、鉄道網を活用しながら大量の兵員を次々と戦地に投入するプロイセン軍に、フランス軍は各地で包囲され、野戦砲で殲滅させられた。早くも9月2日の「セダンの戦い」において、皇帝ナポレオン3世が10万の兵とともに捕虜となり、フランス第二帝政は崩壊、第三共和制に移行する。
 プロイセンの猛進撃は止まず、翌年1月28日に首都パリが陥落。5月10日のフランクフルト講和条約でフランスは正式に降伏し、プロイセンはアルザス・ロレーヌ地方を手に入れた。
参照:
・Wikipedia「普仏戦争」【URL】http://bit.ly/2x1BfcF
・Wikipedia「エムス電報事件」【URL】http://bit.ly/2zlSxlm

※54)プロイセンの強さ:
 プロイセンは普仏戦争において、射程1500メートルのシャスポー銃や機関銃(ミトライユーズ)といった最新兵器を擁するフランスに対し、46万人もの大兵力のすみやかな前線への投入するロジスティクスと参謀総長モルトケの考案した敵軍包囲・殲滅作戦を通じて圧倒的な強さを示した。
 こうした兵員動員力の背景には、綿密な鉄道輸送計画、革新的な参謀幕僚制度による指揮系統の整備、そしてなによりも、国民皆兵による徴兵制があった。
 プロイセン王国は18世紀のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の時代以来、「カントン制度」と呼ばれる選抜徴兵制(各連隊ごとに一定の地域を割り当て、その中で必要な兵員を徴兵する制度)を敷いてきたが、対ナポレオン戦争中の1814年に「兵役法」を制定。無条件の一般兵役義務を導入し、20歳以上の男子に対して正規軍の現役兵役3年、予備役兵役2年を課した。
 さらに19世紀半ば、ウィーン体制における協調路線が破綻し、軍事力を背景とした列強同士の権力闘争が激化すると、「鉄血宰相」ビスマルクのもとで国防大臣アルブレヒト・フォン・ローンが一連の軍制改革を実施。正規軍と予備役軍(ラントヴェーア)を統合するとともに、動員令発令の際は兵役年齢に達したプロイセン人男性全員を徴兵する体制を整えた。
 これによりプロイセンは、徹底的に訓練された膨大な数の兵を戦場へ動員することが可能となった。諸国はその成果に目を見張り、以後ドイツ式の軍制を取り入れていく。
参照:
・Wikipedia「普仏戦争」【URL】http://bit.ly/2x1BfcF
・Wikipedia「アルブレヒト・フォン・ローン」【URL】http://bit.ly/2jYlAZA
・丸畠宏太「人民武装・徴兵制・兵役義務と19世紀ドイツの軍制 ―― 概念史的考察 ――」『19世紀学研究』6巻、2012年【URL】 http://bit.ly/2i2JlPp
・Wikipedia「カントン制度」【URL】 http://bit.ly/2AwDiu3

※55)膨大な大衆を相手に、綱領にもとづき政治をする政党:選挙権の拡大とともに出現したそのような性格の政党を、「大衆政党」あるいは「組織政党」と呼ぶ 。社会学者マックス・ヴェーバーによれば、アメリカでは大衆民主主義(「ジャクソニアン・デモクラシー」)を掲げ第7代大統領に当選したアンドリュー・ジャクソンの頃(1824年)から、イギリスでは選挙権を都市労働者にまで拡大した第二次選挙法改正(1867年)以降に、各々この「大衆政党」(ヴェーバーの用語では「人民投票型政党」)が主流となったといい、都市の賃金労働者など、財や教養を必ずしも有するわけではない膨大な数の有権者の票を獲得するべく「一見民主的な体裁をとった諸団体を母体にした巨大な装置を発足させ、都市の各地区に選挙団体を設け、組織を絶えず動かし、一切を厳格に官僚制化する」、つまり「指導における最高度の統一性ときわめて厳しい党規律の発達」を特徴とする。
 そこでは、指導者個人の財と教養、そしてそれがもたらす名声に基づく「名望家政党」とは対照的に、大衆を動かす能力(カリスマ性)、とりわけ「救世軍もどきの手段を用い、大衆の情緒性を利用した独裁制」が出現する可能性をはらむ「デマゴーグ的な雄弁の力」を有する指導者と、しばしば「大量の資金の大部分を調達」し「票をかき集める政治上の資本主義企業家」たる「ボス」が重要な役割を果たす。
 さらに、これはときに政権を取った政治家の追随者に国のすべての官職を分け与える「猟官制(スポイルズ・システム)」と結びつき、その結果、「まったく定見のない政党、純粋な猟官者の組織同士が対立し、票集めの見込み次第で選挙戦ごとに綱領を変える」といった状況が生み出されうる。
参照:
・マックス・ヴェーバー著・脇圭平訳『職業としての政治』岩波文庫、1980年
・日本大百科全書「大衆政党」【URL】http://bit.ly/2B5bKbz
・Wikipedia「猟官制」【URL】http://bit.ly/2k20xFd

※56)党議拘束:議会に上る案件に関する賛否を党全体の意思としてあらかじめ決めておき、所属議員の表決行動を拘束すること。多くの政党が違反者に対する処罰を党則で定めている。
 高度に組織化された「大衆政党」ならではの現象であり、議会において多数派を形成し内閣を組織するのに、また、政権を獲得・維持し政策運営を円滑に行うのに有効だが、党の勝利から官職やその他の利益など、「個人的な報酬」を期待する所属議員は、ともすれば議員は、マックス・ヴェーバーの言う「精神的プロレタリア化」、つまり「投票だけして党を裏切らなければよい」とする「訓練の行き届いたイエス・マン」と化す傾向にあり、議会でも「名望家支配の時代のように他の人の話を聞いて『なるほどわかった』と個々人で意見を変えるわけにはいかない。結局のところ、密室のドアの奥で組織政党の幹部が妥協と交渉をして政策が決定され」る(長谷部氏)状態が恒常化する。
参照:
・Wikipedia「党議拘束」【URL】http://bit.ly/2jmzbFO
・マックス・ヴェーバー著・脇圭平訳『職業としての政治』岩波文庫、1980年
・長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p.33

※57)小選挙区制:
 日本は1994(平成6)年の公職選挙法改正以来、衆議院議員総選挙に小選挙区制と比例代表制の並立制を採用している。小選挙区制とは、全国を議席数と同数の選挙区に分割し、各選挙区から1名を選出する方式。
 有権者は投票用紙に支持する候補者1名の名を記入し、得票数第1位の候補者が当選となる。比例代表制は、全国を11ブロックに分け、有権者は投票用紙に支持する政党・団体名をひとつ記入、政党や団体のブロックごとの得票率に応じ議席を配分する。
 各政党・団体は、獲得議席数に即して、中央選挙管理会にあらかじめ届け出ておいた候補者名簿の登載順位の高い順に当選者を決める(「拘束名簿式比例代表制」)。
 こうして小選挙区が民意の集約による政権選択の機能を、比例代表が多様な民意反映の機能を担うとされ、前回の総選挙(2017年10月10日公布、同月22日投票)では小選挙区289・比例176の計465議席をめぐって争われた。
 しかしながら、小選挙区制は多数派にアピールし、一定以上の得票率で著しい議席占有率を得ることのできる大政党にのみ有利であり、少数政党の存立はほぼ不可能である。また、上位1名のみの当選となるため、死票の割合が非常に高く、多数政党に有利なように恣意的に選挙区割りが行われる(「ゲリマンダー」と呼ばれる手口)可能性もある。
 さらに、比例では有権者は候補者を選ぶ自由がないうえ、一定の要件を満たした政党は小選挙区と比例に重複して候補者を立てることも認められているため、名簿の順位しだいでは、小選挙区で落選した候補者が比例で復活当選するといった不条理も生み出す。
参照:
・コトバンク「小選挙区制」【URL】http://bit.ly/2AzYAqO
・コトバンク「比例代表制」【URL】http://bit.ly/2iUHfhF
・時事ドットコム「【図解・政治】衆院選2017・衆院選挙制度の仕組み(2017年10月)」【URL】 http://bit.ly/2hXgh8x
・毎日新聞「プレーバック選挙 96年衆院選 小選挙区制を導入」2016年5月12日【URL】 http://bit.ly/2zqIg7E

※58)中選挙区制:
 日本は、戦後から1994(平成6)年の公職選挙法改正で小選挙区比例代表並立制を採用するまで(1946年の第22回総選挙は除く)、長らく中選挙区制による選挙を実施してきた。大選挙区制の一種で、1つの選挙区から2〜6(標準的には3〜5)人の議員を選出。死票を少なくすることができる、少数政党所属の議員や新人の当選が比較的容易、候補者選択の範囲が広く投票に候補者の人物・政見が重視されるなど、民主主義の理念に適ったメリットも多い。実際、中選挙区制への回帰論はあとを絶たない。
 一方、政党側からすれば、単独過半数獲得を狙うなら1選挙区あたり2人以上の候補者を擁立せねばならず、同一政党内の同士討ちは必至となる。これにより、たとえば自民党などは自前の後援会を組織し、地元選挙民や特定業者との結びつきを強めて利益誘導を図る、党内派閥に所属して支援を受けるといった、各候補者の地道な活動の積み重ねにより第1党の座を維持してきたが、まさにそれが金権選挙の横行を生み出すとして、中選挙区制は廃止された。
 小選挙区制の導入とともに、自民党はそれまでの地方主権的性格を失い、高度に組織化された中央集権政党と化した。
参照:
・コトバンク「中選挙区制」【URL】http://bit.ly/2zszx4F
・Wikipedia「中選挙区制」【URL】 http://bit.ly/2hWcpod

※59)密室政治に陥った議会制はもう終わり:
 カール・シュミットによれば、「立憲主義的思考と議会主義」を「きわめて首尾一貫した包括的な一つの体系をなして基礎付け」るものは「公開性と討論」であり、これら二つの原理「によって保障される均衡が本来的に実現すべきはずのものは、まさに真理と正義それ自体にほかならなかった」(『現代議会主義の精神的状況(193分の2年)』「第二章 議会主義の諸原理」)。
 ところが、大衆民主制の浸透とともに議会制は「今日、かような信念からはるかにはなれてしまっている」といい、シュミットはその惨状を次のように列挙する。
「政党の支配、その不明朗な人的政治、『しろうとの統治』(と内閣の危機の継続)、議会演説の無目的性と陳腐さ、議会主義的な流儀作法の水準の低下、混乱をもたらすような議事妨害方法、議会主義そのものを嘲笑する過激な反対党による、議員の不可侵権と特権の濫用、品位を失墜させる日当制の慣行、適材でない院内人事など(中略)比例代表制および名簿方式は、選挙民と議員との間の関連をなくしてしまい、(その不可欠の手段である会派強制によって)いわゆる代表原理(ライヒ憲法21条『議員は全国民の代表である。議員はその良心のみに従い、委任に拘束されない』)は無意味になる。さらに、本来の活動は本会議の公開の討議においてではなく委員会において行なわれ、(しかも、必ずしも議会の委員会で行なわれるわけでは決してなく、)重要な諸決定は、諸党派の指導者たちの秘密の会合で、(それどころか議会外の委員会で)なされ、その結果、あらゆる責任の転移とたなあげが生じ、(かような仕方で、)議会主義的な制度全体が結局のところ、諸政党や諸々の経済的利益主体の支配を飾る悪しき門構えにすぎぬものになっている」(「序言」)
 要するに、「前提としての共通の確信、よろこんで自ら説得される覚悟、党派の拘束からの独立、利己的な利害にとらわれないこと」を必要とし、「合理的正しさを見いだす」討議の場であるべき議会が、「利益と営利のチャンスを考慮し追求し、また、自分の利益を可能なかぎり主張する商議」と化し、「あらゆる公的事項が党派とその従属者の獲物と妥協の対象に変わってしま」ったいま、議会制はもはや「かびの生えた」「過去のもの」だというのである(『現代議会主義の精神的状況(193分の2年)』「第一章 議会主義」)。
参照:カール・シュミット著・樋口陽一訳『現代議会主義の精神的状況(193分の2年)』岩波書店、2015年

※60)民主主義の本来の理念を実現できるのはファシズムか共産主義:
 カール・シュミットは『現代議会主義の精神的状況(193分の2年)』の中で、イタリア・ムッソリーニ政権の上院議員モスカの演説を引きながら、大衆民主主義のもとで議会制がその本来の意義と機能をいかに喪失しているかを示しつつ、その「救済手段として、三つの抜本的な解決が提示されている」とする。
 すなわち、「いわゆるプロレタリア独裁か、多少とも隠蔽された官僚絶対主義への復帰か、そして最後に、サンディカリズム的支配形態、すなわち、今日の議会における個人主義的な代表を、組合組織によってとってかえることか」(「序言」)。『議会主義と現代の大衆民主主義との対立』(1926年)ではこれをさらに押し進め、「よろしい。それでも依然としてなお議会主義を信ずるのならば、少なくとも、新しい論拠を提出しなければならぬ」と前置きしたうえで、ルソーに拠りつつ民主主義の貫徹を説く。それによれば、「『一般意思』という本質的な概念が展開されるところでは(中略)真の国家は、国民が同質であって本質的には全員一致が支配しているところでのみ存在する(中略)。『社会契約論』に従えば、国家にはいかなる党派も、いかなる特殊利益も、いかなる宗教上の違いも、人びとを分裂させる何ものも、財政制度すら、存在してはならない。(中略)国家は、『社会契約論』に従えば、その標題と最初の部分の契約的構成にもかかわらず、契約ではなく、本質的には同質性にもとづいている。この同質性から、治者と被治者の民主主義的な同一性が生ずる。『社会契約論』の国家理論はまた、民主主義は治者と被治者の同一性として定義されるのが正しい、という論証をふくんでいる」。
 したがって、「民主主義的な同一性ということをまじめに考えるならば、危急の場合には、どんな仕方であれ表明された抗い難い国民意思の唯一決定性の前には、他のいかなる憲法上の制度も、維持されえない」。そうしたうえで、シュミットは次のように断言する。
 「大衆民主主義と人類民主主義はいかなる国家形態をも、民主主義国家さえも実現することができぬ(中略)。それに反してボルシェヴィズムとファシズムは、あらゆる独裁と同じく、なるほど反自由主義的ではあるが、必ずしも反民主主義ではない。」
参照:
カール・シュミット著・樋口陽一訳『現代議会主義の精神的状況(193分の2年)』岩波書店、2015年

※61)ファシズムは民族の同一性を基盤にすえる:
 ファシズムとは、第一次大戦後の経済的・社会的混乱を背景に、議会制民主主義や自由主義を否定するとともに、急速な進展を遂げる共産主義に対抗して出現した、ベニート・ムッソリーニの「国家ファシスト党」(1921年結成)の提唱する思想およびその実践のこと。類似のイデオロギーや運動、体制もその名で呼ばれる。
 国家利益の優先および個人の自己犠牲の強要(全体主義)、一人あるいは複数の指導者への権力集中とその恣意的運用(権威主義)、戦争・軍事に対する高い外交価値の付与、および、これへの国民生活の全面的従属化(軍国主義)等において特徴的であり、その目指すところは、ヒトラーが「ポツダムの日」(ポツダムの衛戍=えいじゅ=教会にて1933年3月21日に開催されたヒトラー政権発足後初の国会開会の式典)で行った演説に端的に言い表されているように、「民族同胞」の団結による強い国家の再建(ナショナリズム)であった。
 「わが国家の組織と指導をいつの時代であれ民族とライヒの偉大さの前提であったあの諸原則に再び服させることを、われわれは欲するものであります。永遠の動揺に代えて、わが民族に揺るぎない権威を再び与えるべき確固たる政府を建設することを、われわれは欲するものであります。国民と国家の生存闘争の組織化と遂行にふさわしい政治の優位を再建することを、われわれは欲するものであります。ドイツの未来を支えるべく、民族のあらゆる真に生き生きとした諸力を結集することを、われわれは欲するものであります。良き意思を持つすべての人々を統合し、民族を害する一切のものを無害化するよう誠実に尽力することを、われわれは欲するものであります。あらゆる階層、職業、階級を超え、ドイツ人の血を持つ者からなる一つの真なる共同体を建設することを、われわれは欲するものであります」(南利明による和訳)
参照:
・ブリタニカ国際大百科事典「ファシズム」【URL】http://bit.ly/1KwEriA
・Wikipedia「ファシズム」【URL】 http://bit.ly/2AvkMPY
・南利明『ナチス・ドイツの社会と国家』勁草書房、1998年

※62)共産主義は階級の同一性を基盤にする:
 共産主義は、財産の私有を否定するとともに、その共同所有を通じた平等な理想社会の実現を目指すことを基本理念とし、その源流は古代ギリシャのプラトンや原始キリスト教に遡る。
 そして19世紀半ば、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスがこれを体系的に理論化し、労働者階級(プロレタリアート)による平等社会の出現の必然を説いた。
 それによれば、人間社会の歴史は階級闘争の歴史であり、長い階級社会の時代を経て最終的に階級のない平等社会へ回帰する。現在の資本主義社会はその階級社会の時代のひとつ、それも、司法・行政・立法の三権を事実上占有する少数のブルジョワ階級と、彼らに収奪される圧倒的多数の労働者階級との闘争期であり、自然の法則と同様人間社会にも存在する「発展の法則」(「唯物史観」)に基づき後者の勝利=革命による権力奪取によって終わる(『共産党宣言』1847年)。
 そうして達成される階級対立のない社会において、まずは「各人が能力に応じて労働し,労働に応じて分配する」を原則とする低次の共産主義段階が過渡期としてあり、「能力に応じて労働し,必要に応じて分配する」を原則とするより高次の段階(労働が各人の自由意志と喜びに基づく活動となり、それが好循環をもたらして社会全体を豊かにするがゆえに、各人は労働の「対価」としてではなく必要なものを得られる、そんな社会)を準備する(『ゴータ綱領批判』1891年)。
 こうした「マルクス主義」に基づき、現代の共産主義は理想の平等社会への最初のステップとして、労働者階級による革命および独裁体制の樹立を目標とする。
参照:
・ブリタニカ国際大百科事典「共産主義」【URL】http://bit.ly/2zT0SgM
・日本大百科全書(ニッポニカ)『共産党宣言』【URL】 http://bit.ly/2nyNSev
・共産主義者同盟HP「古典を学ぼうーーゴータ綱領批判」【URL】http://bit.ly/2w9SzO7

※63)民主主義は排除の論理をふくむ:
 カール・シュミットは『議会主義と現代の大衆民主主義との対立(1926年)』の中で、「あらゆる実質的な民主主義は、等しいものが等しく扱われるだけでなく、その不可避的な帰結として、等しからざるものが等しく扱われぬ、ということにもとづいている。
 それゆえ民主主義にとっては、必然的に、まずもって同質性が必要であり、ついで(その必要があれば)異質なるものの排除あるいは殲滅が必要」とし、19世紀以降、人々はその「等しさ」の基準を(古典的民主主義のように「市民的徳性、つまりアレテー」にではなく、また、17世紀イギリスの教派信者たちのように宗教的確信の一致にでもなく)「特定の国民への所属、国民としての同質性」に求めていると述べた。
 いくつかの「近代民主主義国家の内部では普遍的な人間の平等が貫徹されているよう」にみえるとしても、それは「外国人・無国籍者は自明のごとく排除されているからにすぎない」と。ヒトラーが「民族共同体(フォルクスゲマインシャフト)」という言葉で掲げた理想社会がまさにそれであり、「ドイツに巣喰い不当な利益を貪るセム人種のユダヤ人」を排除し、「高貴の種族アーリア=ゲルマン民族(=ドイツ人)」という民族同胞の結束によって取り戻されるべき「強いドイツ」を志向するものであった。
 なお、「ユダヤ人」とは人種ではなく宗派を表す呼称だが、これをあたかも人種的集団のようにとらえ差別することの背景には、ユダヤ教徒がイエス・キリストの迫害者であったことに加え、社会の変化に順応しながら金融業や事業において成功を収め、財を築いた者を多く輩出していたことから、多数派たるキリスト教徒の憎しみを買っていたことがある。
参照:
・カール・シュミット著・樋口陽一訳『議会主義と現代の大衆民主主義との対立(1926年)』岩波書店、2015年
・石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』講談社現代新書、2015年
・長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』p.91-96

※64)ポピュリズム:
 既成の政治エリート支配に対抗し、大衆の意思が直接政治に反映される社会の構築を目指す政治思想・運動。1892年に創設されたアメリカ合衆国の「人民党 People’s Party」(通称「ポピュリスト党」)に由来し、政治から疎外された多様な層の人々(農民や労働者など)の政治参加と利益表出の経路として19世紀末のアメリカ合衆国および20世紀のラテンアメリカ諸国に興った運動である。
 1990年代以降、冷戦終結に伴う既存政党のアイデンティティ喪失と無党派層の増大、グローバル化の進展による国民国家の枠組みの揺らぎと経済格差の拡大、EU統合による規制緩和促進・歳出抑制・福祉支出削減など、民衆の意見を無視して一方的に進められる動きへの反発を背景としてヨーロッパ各国で再燃(主要ポピュリズム政党として、フランスの「国民戦線(FN)」、オーストリアの「自由党」、ベルギーの「フラームス・ベランフ(VB)」など)、21世紀に入ってからは世界規模で急速に進展している。
 <人民>、それも党派や利益を超えて<一体となった人民>なるものを想定し主張の基礎に据える、「ポリティカル・コレクトネス」等の政治的配慮に縛られずタブーに切り込む、ネットやメディアを駆使し群衆の情念に訴えるなどの特徴に加え、敵/味方を峻別する発想が非常に強く、それはしばしば移民や民族的・宗教的マイノリティー=「同質的な特徴を共有するわれわれ国民」ではない「よそ者」の排斥という、過激な排外主義となって表れる。
 「政治エリートの牙城」たる議会や行政・司法制度に対する敵視も大きな特徴のひとつであり、権力分立、抑制と均衡といった立憲主義の原則を軽視し、権力集中による権威主義的統治を是とする傾向にあるため、「リベラルな政治秩序への挑戦」「デモクラシーの存立を危機にさらすもの」等といった懸念が投げかけられることが多い。
 とはいえ、ポピュリズムは近代デモクラシーを構成する「立憲主義」と「民主主義」という二つの原理のうちの「民主主義」を貫徹しようとするものであり、「まさにデモクラシーの存在そのものによって生み出された存在」である点には留意せねばならない。
参照:水島治郎『ポピュリズムとは何かーー民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書、2016年

※65)アン・アメリカン Un-American:
 アメリカ合衆国において行いや主義主張が「非/反アメリカ的」と見なされる人や事物にたいして用いられる蔑称。歴史的にはナショナリズムの極端な表れであるジンゴイズム(自国・自民族の利益を優先させるために他国・多民族に対して強圧的態度を取り脅迫や武力行使も厭わないこと。「強硬外交論」「戦闘的愛国心」等と訳される)と結びついて現れ、「国家の理念に反する」「愛国心を欠く」「国益を害する」といったニュアンス(日本風に言えば「非国民」「反日」)を帯びて相手の人格攻撃に用いられてきた。
 1950年2月にJ.マッカーシー上院議員が「政府内に多数の『共産分子』がいる」としてその追放を要求したことに端を発し、アメリカ全土を一種のヒステリー状態に陥れたが、この共産主義者に対する苛烈な排斥運動であるマッカーシズムが猛威を振るう冷戦時代のアメリカにおいて、「赤狩り」の主要舞台となった「下院非米活動委員会」The House of Committee on Un-American Activities で有名。
参照:
・Wikipedia (en) « Un-American »【URL】http://bit.ly/2AT0Cld
・Wikipedia「下院非米活動委員会」【URL】http://bit.ly/2jiEOcc
・日本大百科全書(ニッポニカ)「マッカーシズム」【URL】http://bit.ly/2B8h8y4

(次号に続く)

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