バイデン政権下では、政権のプロパガンダが中心で、時折、正気に返ることもあった『ニューヨーク・タイムズ』が、2025年3月29日付で、ウクライナ紛争に関する長大な暴露記事を発表しました。
これは、ウクライナ戦争における米国関与の秘史です。日本の主要メディアは、この重要な記事を無視、あるいは黙殺して、何も伝えようとしていません。
この『ニューヨーク・タイムズ』の記事は、米軍が軍事情報の提供や作戦立案などの点で、ウクライナ軍の頭脳として、紛争の始まりからずっと主導してきたことを証拠立てるものです。
しかし、これまでの『ニューヨーク・タイムズ』の記事と同様、反ロシア・親NATO、親ウクライナに「偏向」している部分が見られますので、すべてを真に受けることはできません。
そういうポイントは、逐一、指摘しながら紹介していきます。
- The Partnership: The Secret History of the War in Ukraine(ニューヨーク・タイムズ、2025年3月29日)
IWJは、A4で56頁にも及ぶこの長大なスクープ記事を、5回に分けて仮訳・粗訳して紹介します。
第2回は、ウクライナと米国の軍事パートナーシップの中心にいた、ウクライナのザブロツキー中将と米軍のドナヒュー中将の間で行われた、軍事訓練、衛星を用いたターゲットの情報共有、戦局のゲーム・チェンジャーとなった高機動ロケット砲システム・HIMARSの導入、軍事作戦の立案、共同の図上演習、そして実際の戦闘においてもドナヒュー将官による指揮が行われていたことなどについて、詳細に報告されています。
第1回は、以下より御覧ください。
以下から、第2回の仮訳となります
このパートナーシップ(ウクライナと米国の軍事パートナーシップ)の中心にいたのは、ウクライナのザブロツキー中将と米国のドナヒュー中将という二人の将官だった。
ザブロツキー中将は、国会議員を務めていたために、非公式ではあったものの、ヴィースバーデンのウクライナ側窓口となる予定だった。国会議員という点以外では、彼はまさに天賦の才をもっていた。
ウクライナ軍の同世代の兵士の多くと同様に、ザブロツキー中将は敵をよく知っていた。1990年代にはサンクトペテルブルクの陸軍士官学校に入学し、5年間ロシア軍に勤務した。
彼は、米国人のこともよく知っていた。彼は、2005年から2006年にかけて、カンザス州フォート・レブンワースの陸軍指揮幕僚大学(※注1)で学んだ。8年後、ザブロツキー中将は、ウクライナ東部で、ロシアが支援する勢力の後方で危険な任務を指揮した。
その一部は、ジョージ・B・マクレラン将官(※注2)率いるポトマック軍の周辺で、南軍のJ・E・B・スチュアート将官(※注3)が行った、名高い偵察任務をモデルにしていた。
これは、フォート・レブンワースで学んだものだった。この任務により、彼は米国防総省の有力者達の注目を集めた。彼らは、この将官こそ共に働けるリーダーだと感じていたのだ。
ザブロツキー中将は、ヴィースバーデンでの初日をこう回想している。『私の使命は、このドナヒュー中将とは誰なのか? 彼の権限は何か? 彼は我々のためにどれだけのことをしてくれるのか? ということを知ることでした』。
ドナヒュー中将は、特殊部隊の地下世界ではスターだった。CIAの殺人チームや現地のパートナーと共に、イラク、シリア、リビア、アフガニスタンの陰で、テロリストの首謀者を追跡してきた。
エリート部隊デルタ・フォースの指揮官として、シリアにおけるイスラム国(IS)との戦闘において、クルド人戦闘員との連携構築に貢献した。カヴォリ将官は、かつて彼を『漫画のアクションヒーロー』と称した。
今、彼は、ザブロツキー中将と同行者のオレクサンドル・キリレンコ少将に、東部と南部が包囲された、彼らの祖国の地図を見せた。ロシア軍が、ウクライナ軍を圧倒していた。ドナヒュー中将は、『ウクライナに栄光あれ』(※注4)を引き合いに出して、挑戦状を叩きつけた。
『あなた達が、他の人達と一緒に「スラヴァ・ウクライニ(ウクライナに栄光あれ)」と言いたいのなら、いくらでも言えばよい。だが私は、あなた達の勇敢さに関心はない。数を見てみろ』。そして、秋までに戦場で優位に立つための計画を説明したと、ザブロツキー中将は、回想する。
第一段階は進行中で、ウクライナ砲兵に新型M777(※注5)の訓練を施すことだった。その後、タスクフォース・ドラゴン(※注6)の支援のもと、彼らがこの兵器を使ってロシア軍の進撃を阻止する。そして、ウクライナ軍は、反撃に出る必要があった。
その夜、ザブロツキー中将はキエフの上官に手紙を送った。
『ご存知の通り、多くの国がウクライナを支援したがっていました』と彼は回想する。しかし、『誰かが調整役となり、すべてを組織化し、現在の問題を解決し、将来何が必要かを見極める必要がありました。私は、司令長官に「我々はパートナーを見つけた」と言いました』。
間もなく、ウクライナ人が総勢約20名――情報将校、作戦計画担当者、通信・射撃管制の専門家――、ヴィースバーデンに到着し始めた。将校達の記憶によると、ウクライナ人と米国人は毎朝集まり、ロシアの兵器システムと地上部隊を調査し、最も機の熟した、攻撃価値の高い標的を決定していた。優先順位リストは、情報統合本部に引き渡され、将校達は大量のデータを分析し、標的の位置を正確に特定した。
欧米軍内部では、このプロセスが、些細だが困難な言語上の議論を引き起こした。任務の繊細さを考えると、標的を『標的』と呼ぶのは、過度に刺激的ではないか、という議論だ。
将校の中には『標的』という表現が適切だと考える者もいた。一方、それを『情報提供物』と呼ぶ者もいた。ロシア軍は頻繁に移動しており、情報は地上での検証が必要だったからだ。
この議論は、欧州軍の情報責任者であるティモシー・D・ブラウン少将によって決着がついた。ロシア軍の位置は『重要地点』だ。空中脅威に関する情報は、『重要経路』となる。
『「ウクライナに標的を渡したか?」と聞かれたとき、「いいえ、渡していません」と答えても、嘘を言ったことにはならないのです』と、ある米国当局者は説明した。
NATO加盟国に対するロシアの報復リスクを緩和するため情報共有規則が策定され、どの重要地点に関しても、これは遵守されなければならない。
ロシア領土内には、重要地点は存在しない。ザブロツキー中将の説明によれば、もしウクライナ軍司令官がロシア国内への攻撃を望むなら、自国の情報機関と自国産兵器を使わなければならないということだった。『ロシアに対する我々のメッセージは、「この戦争は、ウクライナ国内で戦われるべきだ」というものだった』と、ある米国高官は述べた。
また、ヴァレリー・ゲラシモフ陸軍司令官のような『戦略的』ロシア指導者の居場所に関する情報共有は、ホワイトハウスによって禁止された。『もしロシアが、他国を援助して我々の議長を暗殺したと仮定して、それを我々が知ったら、我々がどう思うか想像してみてください』と別の米国高官は、述べた。『そうなれば、我々は戦争に突入するでしょう』。
同様に、タスクフォース・ドラゴンは、個々のロシア人の居場所を特定する情報を共有できなかった。
システムの仕組み上、タスクフォース・ドラゴンは、ロシア人がいる『場所』をウクライナ軍に伝えることになる。しかし、情報源と情報手法をロシアのスパイから守るため、『どのようにして』その情報を得たのかは明かさない。
セキュリティが確保されたクラウド上で、ウクライナ軍が目にするのは、優先度1、優先度2といった具合にバスケットに分けられた座標の鎖だけだった。
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