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「戦争に近づかないためには、どうしたらいいか」――新作『野火』に込めた思い「若い世代に観てほしい」塚本晋也監督インタビュー(聞き手:IWJ中継市民・山田朋洋) 2015.6.22
特集 戦争の代償と歴史認識
※7月14日テキストを追加しました!
「(戦後の日本ではあたりまえだった)『戦争はダメ』が、最近、そうではなくなっているように思える」──。1960年生まれの映画監督、塚本晋也氏は、2015年6月22日、新潟市内で行われたインタビューの終盤で、このように口にした。
第二次世界大戦のフィリピン戦線で、飢えと孤独から極限状態に追い込まれる日本軍兵士の姿を描いた大岡昇平の小説『野火』(1951年)は、日本の戦争文学の代表とされる。映画化は、1959年の市川昆監督に続いて二度目で、構想に20年をかけた塚本監督の同作は、2014年の第71回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作に選ばれ、高く評価されている。2015年7月25日から全国で公開予定だ。
シリーズ 私の戦争体験(その10) 南方の海に消えた男たち ―語り部 加藤太郎さん 2015.5.6
2015年5月6日(水)、神戸市の東灘区民センターで、語り部に加藤太郎さんを迎え、「シリーズ 私の戦争体験(その10) 南方の海に消えた男たち」が行われた。
STOP!! 「戦争」 映画『ひまわり』上映後の青井未帆氏講演 2015.2.28
2月28日(土)、岡山市の岡山県総合福祉会館で「STOP!!『戦争』〜映画と講演のつどい」が開かれ、映画『ひまわり〜沖縄は忘れない、あの日の空を』の上映会後、青井未帆・学習院大学法科大学院教授が講演を行った。
【IWJブログ・特別寄稿】「南京虐殺否定論」の虚妄をふりまく「産経」は、サンフランシスコ講和条約「破棄」の覚悟があるのか!?(前編)能川元一・大学非常勤講師 2015.2.27
特集 戦争の代償と歴史認識
2015年2月15日の『産経新聞』が一面トップで南京事件否定論(注1)を展開したことに驚かされた人は少なくなかったようで、ツイッターの私のタイムラインでも盛んに話題になっていました。しかし南京事件否定論は「慰安婦」問題否認論よりもはるかに長い歴史をもっています。みなさんが驚かれたとすれば、それは2000年代の後半に下った2つの判決によって、南京事件否定論がやや勢いを失っていたからです。
【IWJブログ・特別寄稿】日本軍「慰安所」制度と朝日の「慰安婦」報道検証について(能川元一 大学非常勤講師) 2014.11.18
特集 戦争の代償と歴史認識
◆ はじめに ◆
みなさんご承知のように、8月5日と6日の両日にわたって『朝日新聞』が自社の「慰安婦」問題報道を検証する特集を掲載したことをきっかけに、政界とマスメディアでは「朝日バッシング」の嵐が吹き荒れました。
問題なのは、このバッシングの過程で、「慰安婦」問題に関する内外の認識ギャップが一層深刻になったことです。
日本軍「慰安所」における性行為の強制そのものを否認する、あるいは女性たちへの人権侵害が起きたことは認めても日本軍、日本政府の責任は否定する政治家やメディア(以下、こうした主張をする人々を「慰安婦」問題否認派と呼びます)は、『朝日』の誤報が国際社会に「誤解」を与えた結果として日本の国際的な評判を傷つけたと考え、『朝日』が過去の報道の一部を撤回したことにより「誤解」を解くチャンスがやってきたと考えています。
「奴隷の群衆」「牛馬豚犬」…”元祖ヘイトスピーカー”としての福沢諭吉を徹底検証~岩上安身によるインタビュー 第455回 ゲスト 名古屋大学名誉教授・安川寿之輔氏 2014.9.3
特集 戦争の代償と歴史認識
特集 IWJが追ったヘイトスピーチ問題
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
これは、よく知られているように、明治期最大の啓蒙思想家である福沢諭吉が、『学問のすすめ』の中に記した一節である。この言葉は一般に、人間はみな生まれながらにして平等であるという、「天賦人権説」を福沢が高らかに唱い上げたものであると理解されている。
山本宗補写真展「戦後はまだ…~刻まれた加害と被害の記憶」 ―トーク 山田悦子氏・山本宗補氏 2014.8.23
兵庫県姫路市の姫路市民会館で、フォトジャーナリスト山本宗補(やまもと・むねすけ)氏が70人の戦争体験者を撮影した写真展「戦後はまだ…~刻まれた加害と被害の記憶」が開催され、最終日の8月23日(土)、日本答責会議の山田悦子氏のトーク・イベントと山本宗補氏本人のトーク・イベントが行われた。山本氏の写真集『戦後はまだ…』の写真展は現在、日本各地を巡回しながら開催されている。
敗戦から69年 靖国神社参拝客に聞く 20代若者、戦争体験者、遺族の方…それぞれの思い 2014.8.15
特集 戦争の代償と歴史認識
敗戦から69年目を迎えた8月15日、靖国神社には多くの参拝客が訪れた。千鳥ヶ淵墓苑へ献花した安倍総理は、靖国神社への参拝は行わず、代理を通じて神社に私費で玉串料を奉納した。
閣僚からは、新藤義孝総務相、古屋圭司国家公安委員長、稲田朋美行政改革担当相の3人が参拝。国会議員では他にも、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)の84人も参拝した。
IWJはこの日、「参拝する会」による記者会見を中継した他、靖国神社を訪れた一般の参拝客にインタビューし、それぞれの戦争に関する胸のうちを聞いた。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑献花者の様々な思い 「日本は不戦の国であるように」 2014.8.15
特集 戦争の代償と歴史認識
敗戦から69年目を迎えた8月15日。太平洋戦争中、海外で死亡した日本人のうち、身元不詳で遺骨の引き取り手がない戦没者の霊を慰めるための千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、献花が行われた。
安倍総理はこの日、午前中に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花を行った。献花場所にいた報道陣の前に、複数の護衛の人間と姿を表した安倍総理は、係の者から花束を受け取り、献花。記者からの質問には答えず、無言のまま千鳥ヶ淵戦没者墓苑を去った。この間、わずか2分にも満たなかったという。
「8.15」終戦の日、靖国参拝取材ルポルタージュ / 靖国神社キーワード集 ( IWJウィークリー第14号より) 2013.8.21
特集 戦争の代償と歴史認識
僕が終戦記念日に靖国神社を参拝するようになってから、今年でちょうど10年目になる。
始めて靖国神社に参拝した18歳当時、靖国神社とは何か、ちゃんと理解していなかった。A級戦犯も祀られていることくらいはわかっていたが、ただ「戦争で亡くなった方々に手を合わせに行きたい」と思い、参拝した。
祖父から教えられた「ヤスクニ」と長州藩中心に形成された「靖国」とのはざまで(<IWJの視点>平山茂樹の「ニュース下から目線」:IWJウィークリー13号より) 2014.8.14
また、この季節がやってきた――。
夏になると、ニュースが、こぞって取り上げる問題がある。
政治家の、靖国神社参拝をめぐる去就である。
第二次安倍政権では、これまで、麻生太郎副総理、古屋圭司拉致問題担当相、新藤義孝総務相、根本匠復興相、稲田朋美行革相、下村博文文科相の6人が、政権発足後、参拝を行った。このなかで、稲田行革相が、8月15日にあらためて参拝する意向を表明している。
【IWJブログ】終戦の直前、青森を襲った悲劇/官憲に命を犠牲にさせられた人々の記録(IWJ青森中継市民・外川鉄治) 2014.8.6
特集 戦争の代償と歴史認識
お久しぶりです。IWJ青森中継市民のしーずーこと外川鉄治です。
今回は「戦争」をテーマに、地元青森では過去にどんな戦争をしたのか、とりわけ青森空襲について、ご紹介したいと思います。このテーマは、2012年の「青森空襲展」をきっかけに、ずっと追いかけていました。
青森空襲・戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い 2014.7.28
2014年7月28日(月)13時から、青森市の青森市役所「空襲・戦災都市青森の碑」前で、「青森空襲・戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い」が行われた。
「政府の間違った判断が、悲劇を生んだ」 ~「青森空襲展」にて青森空襲を記録する会 今村修氏インタビュー 2014.7.26
2014年7月26日10時過ぎより、青森市の中央市民センターで行われている「青森空襲展」を、「青森空襲を記録する会」会長の今村修氏の案内で巡り、当時の様子や記録する会の活動内容などについて聞いた。
終戦間近の7月28日に、市街地のおよそ90%を焼いた青森空襲では、空襲を恐れて郊外に避難・疎開をしていた住民を『防空法』を根拠に呼び戻したことによって、1000名以上の犠牲者を生んだ。「青森空襲展」は、空襲から69年となる7月28日まで開催された。
「馬と人が、そのまま焼け死んでいた」 ~「青森空襲を記録する会」体験を聞く会シリーズ6 青森空襲体験者 茂木ナツエさんの証言 2014.5.28
2014年5月28日、「青森空襲を記録する会」による青森空襲の体験を聞く会の第6回として、茂木ナツエさんの話を聞いた。当時15歳だった茂木さんは、旧青森バス(現在の青森市営バス)で車掌をしており、空襲直後の青森市に入り、惨状を目の当たりにした。バスガイドの仕事や戦後の暮らしのことなど、当時の様子を語った。
「生き延びるため、食べられるものは何でも食べた」 ~「青森空襲を記録する会」体験を聞く会シリーズ5 青森空襲体験者 松谷きみえさんの証言 2014.4.28
2014年4月28日、「青森空襲を記録する会」による青森空襲の体験を聞く会の第5回として、松谷きみえさんの話を聞いた。空襲のあった時は小学校1年生だった松谷さんは、4歳年上の姉から聞いた話も加えて、当時の生活の様子や、戦後の苦労したエピソードなどを話した。
青函連絡船戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い 2014.7.14
2014年7月14日(月)、青森港の「青函連絡船戦災の碑」前で、「青函連絡船戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い」が行われた。
「なぜ、憲法改正? 平和憲法は何のため?」 〜糸数慶子議員、沖縄の歴史と現状から憲法問題に切り込む 2014.5.10
「沖縄県民が望んだのは、米軍基地がなくなって、本土と同じ人権が約束されて、憲法9条のもとに帰ることだった。しかし、復帰しても変わらない。まだまだ沖縄が犠牲になろうとしている。沖縄の人々の人権が憲法で守られていないということだ」──。
2014年5月10日、三重県の四日市市総合会館にて「沖縄の風よ薫れ」と題した講演会が開催され、「沖縄と憲法・国会」をテーマに、沖縄選出の参議院議員、糸数慶子氏が講演を行った。糸数氏は、太平洋戦争の沖縄戦で、本土決戦を遅らせるために、沖縄が日本から切り離された事実を述べ、「ここから差別が生まれ、今も続いている」と指摘した。
「米兵は自動小銃、日本兵は旧式単発銃。大本営は大和魂で行け、と」 〜日中戦争と沖縄戦の戦場体験を聞く 2014.4.27
「戦争になったら、誰が犠牲になるのか。戦争とはどんなことで、天皇はどうであって、統治はどういうことだったと、ちゃんと教えないといけない。日本は憲法9条を守り、コスタリカのように国家予算の3分の2を福祉と教育に使うべき。戦争は、絶対起こしてはならない」──。
2014年4月27日、大阪市北区のPLP会館で、「元日本軍兵士の証言 日中戦争と沖縄戦の二つの戦場体験を聞く ~第3回連続講座『戦争を忘れない』」が行われた。元日本兵で、中国、沖縄の前線で戦った近藤一氏と、「山西省明らかにする会」の加藤修弘氏が講演した。95歳の近藤氏は、戦場で体験した日本軍の加害行為を語り、戦争の悲惨さを訴えた。