【IWJブログ・特別寄稿】「南京虐殺否定論」の虚妄をふりまく「産経」は、サンフランシスコ講和条約「破棄」の覚悟があるのか!?(後編)能川元一・大学非常勤講師 2015.2.28

記事公開日:2015.2.28 テキスト
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(能川元一)

「国を取り人命を取るのに家具位を師団が持ち帰る位が何かあらん」~虐殺・強姦のみならず、頻発していた略奪・かっぱらいへの罪悪感の欠如

 17日の記事では「戦争中も軍紀は守られていた。そんな残虐行為ができるわけがない」「憲兵がおりますけん、違反はできんし、われわれも絶対にせんかった。軍紀はそれほど厳しかったとです」といった証言が紹介されていますが、これも当時の日本軍の一般的な状態を的確に表現したものとは言えません。

 第十軍の憲兵として従軍した上砂勝七氏は戦後の回想記『憲兵三十一年』(東京ライフ社、1955年)で次のように当時を振り返っています。

(……)軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。

 もちろん現場の指揮官(中隊長など)が部下をしっかりと掌握している場合には軍紀が保たれていたケースもあるでしょうが、高級指揮官が軍紀の乱れを認識していたことを示す資料はいくつもあります。前出の中島中将の日記(12月19日分)より。

一、戦勝後のかっぱらい心理

(……)

一、そこに日本軍が又我先にと侵入し他の区域であろうとなかろうと御構ひなしに強奪して往く 此は地方民家屋につきては真に徹底して居る 結極ずふずふしい奴が得といふのである
 其一番好適例としては
 我ら占領せる国民政府の中にある 既に第十六師団は十三日兵を入れて掃蕩を始め十四日早朝より管理部をして偵察し配宿計画を建て師団司令部と表札を掲げあるに係らず 中に入りて見れば政府主席の室から何からすつかり引かきまわして目星のつくものは陳列古物だろうと何だろうと皆持つて往く
 予は十五日入城後残物を集めて一の戸棚に入れ封印してあつたが駄目である 翌々日入て見れば其内の是はと思ふものは皆無くなりて居る 金庫の中でも入れねば駄目といふことになる

一、日本人は物好きである 国民政府というのでわざわざ見物に来る 唯見物丈ならば可なるも何か目につけば直にかつぱらつて行く 兵卒の監督位では何にもならぬ 堂々たる将校様の盗人だから真に驚いたことである
 自己の勢力範囲に於て物を探して往くというならばせめても戦場心理の表現として背徳とも思わぬでもよかろうが他人の勢力範囲に入り然も既に司令部と銘打ちたる建築物の中に入りて平気でかつぱらうというのは余程下等と見ねばならぬ

(……)

一、最も悪質のものは貨幣略奪である 中央銀行の紙幣を目がけ到る処の銀行の金庫破り専問のものがある そしてそれは弗に対して中央銀行のものが日本紙幣より高値なるが故に上海に送りて日本紙幣に交換する 此仲介者は新聞記者と自動車の運転手に多い 上海では又之が中買〔ママ〕者がありて暴利をとりて居る者がある
 第九師団と内山旅団に此疾病が流行して張本人中には輜重特務兵が多い そして金が出来た為逃亡するものが続出するということになる 内山旅団の兵隊で四口、計三、〇〇〇円送金したもの其他三〇〇、四〇〇、五〇〇円宛送りたるものは四五十名もある 誠に不吉なことである

 一見すると略奪の防止に務めているように思えるかもしれませんが、よく読めば自分の部隊が占拠した建物から財物が盗まれることに腹を立てていることがわかります。現に中島中将自身、高級家具を国内に持ち帰ろうと画策して司令官の松井石根大将に咎められると、その日(38年1月23日)の日記に「国を取り人命を取るのに家具位を師団が持ち帰る位が何かあらん、之を残して置きたりとて何人が喜ぶものあらんと突ぱねて置きたり」と書き記しています。

 虐殺や強姦に比べ、略奪については罪悪感が非常に希薄なのが特徴で、中国戦線の従軍記などを読んでいると略奪についての記述がない方が稀なくらいです。愉快な体験として書かれていることも珍しくありません。

 旧日本軍が補給を軽視していたことはよく知られていますが、もともと参謀本部が松井石根司令官に与えた任務は上海在住の邦人の保護であり、南京まで進軍する計画はありませんでした(注1)。

 そのため食料等の補給がまったく追いつかず、略奪に頼ることになったわけです。虐殺や強姦に比べると軽視されがちな略奪ですが、貧しい農民が備蓄の穀物や家畜を根こそぎ持ち去られれば命に関わる事態にもなりえます。

虐殺否定論者はサンフランシスコ講和条約を「破棄」する覚悟はあるのか!? ~ 戦犯裁判の判決に書き込まれた「34万人」という犠牲者数

 ではいったい、何人くらいが虐殺されたのか? 中国が主張する「30万人」は誇大ではないのか? と、犠牲者数が気になる人が少なくないと思います。この点について私の見解を述べる前に、少し前置きをしておきたいと思います。

 南京事件の犠牲者数について研究者の間でも見解が分かれていることはよく知られていると思いますが、その大きな原因は日本側にあります。すなわち事件が発生してからおよそ7年半、南京が実質的に日本軍の支配下にあり、本格的な被害調査ができなかったこと。また敗戦時に日本軍が多くの公文書を廃棄したため、真相の究明が妨げられていること。さらに、日本政府は(つまり日本の有権者は、ということでもあります)いまに至るも南京事件における加害行為について公式に調査をしたことがありません。

 もちろん、中国側が本格的な調査に取り組み始めたのが比較的近年である、というのも犠牲者数がはっきりしない理由の一つではあります。中国が南京大虐殺を「日本軍の戦争犯罪の象徴」として重視するのになかなか調査はしてこなかった、というのは不思議に思えるかもしれません。しかし実は、南京事件を「重視」することと「調査をしてこなかった」ことは中国側の論理では首尾一貫した態度なのです。

 なぜでしょうか? カギは南京事件が戦後の戦犯裁判で裁かれた代表的なケースだ、という点にあります。そして日本はサンフランシスコ講和条約によって国際社会に復帰する際、これらの戦犯裁判を「受諾」しています。中国から見れば南京事件に対する日本の態度は、日本が国際社会に復帰するにあたって行った約束を守っているかどうかの判断基準になるわけです。

 だから重視するし、その一方ですでに戦犯裁判で裁かれたことだから改めて調査する必要はない、と考えてきたわけですね。南京事件の犠牲者数について「中国が年々数を膨らませる」と主張する人がいますが、これは明白な誤りで、中国(国民党政府)が行った谷壽夫・第6師団長の裁判の判決にすでに「34万人」という犠牲者数が登場しています。ですから、国際法的な観点のみから言うのであれば、「30万人」という数字にはそれなりの根拠があるわけです。

 日本政府が「30万人」をくつがえすということは、戦犯裁判の結果と、ひいては、それを受け入れることと引きかえに国際社会への復帰を果たしたサンフランシスコ講和条約を「破棄」する、という話にまでつながりかねません。

 もう一つ、日本人が日本の戦争被害を記憶する際にはさほど厳格な基準を採用しているわけではない、ということも知っておきたいことです。一般に、広島での原爆の犠牲者数は14万人とされていますが、実は広島市が管理する原爆死没者名簿には29万人を超える死者の名前が記されています。

 もしアメリカ人がその29万人について(あるいは14万人について、でもよいのですが)原爆と死亡の因果関係を厳密に証明せよと主張し始めたら、日本人としては困惑するしかないでしょう。

 放射線被曝と健康被害の因果関係の証明が困難な問題をはらむことは、福島第一原発事故が私たちの社会にもたらした亀裂、軋轢を想起すればよくわかるはずです。まして70年前の原爆の影響を、いまさら厳密に評価せよ、と言われても無理な話です。加害者がそんなことを要求すること自体が不当だと、私たちは感じるのではないでしょうか?

 だとすれば、「南京事件の犠牲者数を厳密に推定せよ」という要求に対して中国人が同じように感じたとしても不思議はありません。

 『文藝春秋』の2005年12月号に、「バターン死の行進」(注2)で多数の死者が出たのはアメリカ軍が降伏した時点ですでにアメリカ兵に栄養失調とマラリアが蔓延していたからだ、とするルポが掲載され、「死の行進」の生存者から「アメリカ軍のせいにするのか」と抗議されたことがあります。

 『産経』の「歴史戦 第8部」でも「責任は敵前逃亡した蒋介石に」とする記事が掲載されました(14年12月28日)。しかし同じような論法を用いるなら、東京大空襲も沖縄戦での県民の膨大な犠牲も、広島・長崎への原爆投下も、シベリア抑留も、すべて「サイパンの陥落で自ら設定した絶対国防圏が崩壊したにもかかわらず、降伏しなかった日本の指導者の責任」にすることができてしまいます。これに限らず、日本軍の戦争犯罪を否定したり過小評価するために用いられる論法は、日本の戦争被害を否定したり過小評価したりするためにも使えてしまうのです。

 なお、「当時の南京の人口は20万人だから、30万人の虐殺など不可能」だという主張がしばしばなされますが、「20万」というのはあくまで安全区(前編注4を参照)に集まった市民の数に過ぎず、南京防衛のために布陣していた中国軍将兵や自宅にとどまったり個別に隠れたりした市民のことを勘定に入れるなら、「当時の人口」のみから「30万人の虐殺」を否定することは不可能です。

犠牲者数をどう考えるか ~ 法的な責任追及の文脈と政治的・倫理的な責任の文脈

 とはいえ、戦犯裁判における犠牲者数の審理が十分なものでなかったことは事実です。歴史学における事実認定と裁判における事実認定とは似ている部分もありますが、違いも少なくありません。裁判の事実認定はあくまで「正義の実現」という目的に従属しているからです。被告人の立場にたっても、仮に犠牲者数を10分の1にできたところで死刑を免れることはできません。それならばむしろ責任の有無という論点で争うのが合理的です。実際、松井石根や谷壽夫の弁護団が主に採用したのもその戦術でした。

 では、犠牲者数についての専門家の見解(の相違)を検討してみましょう。

(…会員ページにつづく)

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