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東日本大震災復旧・復興検討PT、原発事故収束対策PT合同会議 2012.2.8

2012年2月8日(水)、衆議院第二・地下2階民主党B会議室で、東日本大震災復旧・復興検討PT、原発事故収束対策PT合同会議が開かれ、 PT内では、福島県内自治体職員から、職員の勤務状況についてヒアリングが行われた。
報道昼食会「さよなら原発、1000万人アクション」 2012.2.8

2012年2月8日(水)、日本外国特派員協会で行われた、報道昼食会「さよなら原発、1000万人アクション」の模様。
スピーカーはルポライターの鎌田慧氏、作家でノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏、作家でクレヨンハウス主宰の落合恵子氏。
足立区・宮城県女川町の災害廃棄物の受入にかかる説明会 2012.2.7

特集 震災がれき問題
2012年2月7日(火)、足立区役所・庁舎ホールにて行われた、「足立区・宮城県女川町の災害廃棄物の受入にかかる説明会」の模様。説明DVD映像内で「江戸川清掃工場で焼却灰が8000Bqを超えた時期があったが…」とごく表面的な説明があるも、作業員が被曝した事に触れられることは一切無かった。「瓦礫受け入れ決定の事後報告」となった説明会にも関わらず、十分な説明すら無かったことに対して、閉会後も住民が詰め寄り多くの抗議の声が上がった。
第25回民主党経済連携PT総会 2012.2.7

2012年2月7日、衆議院第2議員会館民主党A会議室において、第25回民主党経済連携PT総会が開催された。
鉢呂座長の挨拶の後、TPPに関する政府広報活動について古川元久国家戦略担当大臣が報告した。一旦マスコミ退出後、TPP交渉参加に向けた関係国との協議の結果についての報告、質疑応答があった。
福島大学大学院東京サテライト開設記念フォーラム 2012.2.6

2012年2月6日(月)、東京港区にある政策研究大学院大学・想海樓ホールにて開催された、「福島大学大学院東京サテライト開設記念フォーラム」の模様。主宰は福島大学。
今回は記念講演として、アマルティア・セン教授(ノーベル経済学賞受賞者)による「東日本大震災からの復興—人間の安全保障をもとめて」と題した講演が行われた。
広瀬隆氏講演会「原発事故の真相と今後の対策」 2012.2.5

2012年2月5日(日)、郡山市駅西口ビッグアイ大集会室で開催された広瀬隆氏講演会「原発事故の真相と今後の対策」の模様。
前日の4日に福島市で開催された「福島の子どもたちを救おう!汚染地帯で生きる私たちは、今、何をすればよいのか」に続き、2日目となった同氏の講演会は、「福島の皆さんに話したいことが沢山ある」との広瀬氏の意向を受け、急遽3時間の講演となった。
どうする日本?みやもトーク 2012.2.4

2012年2月4日(土)、井の頭公園内茶屋「井泉亭」で開催された「どうする日本?みやもトーク」の模様。
パネラーは、宮本徹氏(パパママぼくの脱原発ウォークin武蔵野三鷹実行委員・日本共産党准中央委員)、紫野明日香氏(パパママぼくの脱原発ウォークin武蔵野三鷹・呼びかけ人)。
武田邦彦氏×谷岡くにこ氏 「フクシマ….、今わたしたちは伝えたい」 2012.2.4

2012年2月4日(土)に名鉄ニューグランドホテルで行われた中部大学教授・武田邦彦氏と参議院議員・谷岡郁子氏の対談の模様。
福島原発事故後の対策に取り組んできた民主党の谷岡郁子議員と工学博士の武田邦彦氏が、福島原発事故から11ヶ月間を経た現在の状況について対談し、被爆者救済のための日本版チェルノブイリ法の制定への動きや、海洋、土壌汚染の現状、汚染拡散や原発立地の問題、今後の教育のあり方などについて、政治家と学者の立場からフクシマの現状と未来に向けて各々の見解を述べ、来場者の質問に答えた。
広瀬隆氏講演会「福島の子どもたちを救おう!汚染地帯で生きる私たちは、今、何をすればよいのか」 2012.2.4

2012年2月4日(土)、福島県青少年会館で行われた広瀬隆氏講演会「福島の子どもたちを救おう!汚染地帯で生きる私たちは、今、何をすればよいのか」の模様。主催は「ふくしまWAWAWA―環・話・和―の会」。
乳幼児用食品新基準に対する、文科省前抗議活動 2102.2.3

2012年2月3日(金)、昨日の第125回放射線審議会において「乳幼児食品の放射性セシウム基準値が50Bq/kgから100Bq/kgに引き上げられる答申案がまとめられた」ことに抗議して、早速一部の市民が立ち上がった。
当初はたったの3名という少人数でのアクションだったが、何の事前告知も無く急遽IWJで生中継した視聴者数は終了間際には100名近くとなり、ライブチャットでもたくさんの応援メッセージが寄せられた。
百人百話「第五十二話」吉成洋拍さん 2012.2.3

特集 百人百話
「震災前より福島が好きになった」
40歳、福島市在住。家族は妻と小学4年生の娘。みなが集まれる場所を目指したバーを経営。ライフラインが止まるなか、津浪の映像を目にし、恐怖を覚えた。被災者向けの炊き出しで、飲食業に携わる自分を再認識した。避難を勧めた娘に、避難しない友達は死ぬの?自分が吹奏楽部に入らなかったら、あのパートは誰が吹くの?と問われ、娘のコミュニティを壊せないと転校は取りやめた。福島に残ると決めたからには、福島を夢のあるあこがれの町にするよう頑張りたい。






























