2024年5月24日、岩上安身は「日本最大の課題『対米自立』に向き合う! 来年で敗戦から80年、『占領後遺症』を脱し、主権を回復しなければいけない!!」と題して、一水会代表の木村三浩氏へのインタビューを行った。
木村三浩氏は、1956年、東京都生まれ。国士館高校を「名誉卒業」し、のちに慶應義塾大学大学院法学研究科に学び、一水会書記長を経て、2000年より、一水会代表を務めている。月刊『レコンキスタ』発行人であり、三田文学会会員である。
岩上安身は、インタビュー冒頭、以下のように問題意識を語った。
岩上安身「皆さん、こんばんはジャーナリストの岩上安身です。
本日は、日本最大の課題、何度も何度も言っておりますが、『対米自立』。日本は、自主独立していない。奴隷国家で、対米隷従国家であるということを、私もずっと申し上げているのは、皆さんご存じのとおりだと思いますけれども。
ネットやSNSが登場する以前は、例えば、出版社に企画を持っていっても全部はねられて、思っていることを書けなかったんですが、ネットが出てきて、初めて、そういうことをちゃんと言えるようになった。
この私がつくった『IWJ』というのは、『インディペンデント・ウェブ・ジャーナル』で、この『インディペンデント』には、独立メディアですよという意味と、それから日本は独立していないから独立しなければならないんだと。
独立した言論を持ち、独立した主権を持ち、そして主権者が、国民が、独立した国家の主人であらねばならないんだという、ささやかながら、思いを込めてつくらせていただいて、14年になります。
そういう中で、この問題意識すら共有してもらえないという、『孤独』って大げさですけれども。一人で思っていても、誰も相手にしてくれないな、という気持ちがあった中、思いがけない方角で、対米自立について考えていらっしゃる方々がいらっしゃったんですね。それが今日ご紹介いたします、一水会代表、木村三浩さんです」。
岩上安身が、木村氏と初めて出会ったのは、「別冊宝島編集部が『平成元年の右翼』というブックレットを企画し、執筆を依頼された頃」だった。『平成元年の右翼』というブックレットは、昭和天皇崩御の後にあわせて出版されたものだった。
岩上安身は、当時、銀座数寄屋橋の名物であった愛国党の赤尾敏氏の演説の思い出を語った。
木村氏は、赤尾氏は、とにかく道ゆく人々に訴えるために、エキセントリックな言葉もかけたが、それはどうやって、日本人に訴えるか、考えた上での言動だったのだろうと述べ、赤尾氏の思い出を披露した。
岩上安身は、現在「喫緊の問題」となっている天皇制の問題に話題を振った。
岩上「何か、右翼の人たちのやっぱり矛盾みたいなお話を。どこからどこまでだいたい信じるの? どこからどこまでは神話なの? あと、例えば今、『女系天皇は絶対許さん』とか言ってる人もいるじゃないですか。
皇祖神で遡ったら、アマテラスからだろうと。『女系じゃん』って。これ言うと、もう大概の人は、まともに答えないんですけど。途中で、男尊女卑じゃないけど、儒教の影響を受けちゃったんだろうと。
皆さんが憎いと言っている、中国の影響を受けて、男尊女卑になってしまって、『男系』になってしまった。それをこそ、憂うべきではないのとか。みたいなことを言ってみたいんだけど。いう相手がいなくて。木村さんに言ってみたいんだけど」。
木村氏「天照大御神が、それこそ女性神で太陽神だとなってますけど。その前には、天之御中主神(アメノミナカヌシノミコト)、高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)の三神がいるわけでね」。
岩上「でも、その時にスサノオという男子が生まれているわけで。スサノオは長子で、あれが長子相続するべきだったけど、暴れすぎで」。
木村氏は、「歴史上、実際は八人の女帝」がいるものの、神武天皇から継承してきた男子の歴史がある、女帝は認めないというのではないが、自分の立場は「男系努力派」だと述べた。
岩上安身は、男系・女系と、そこはもう少し柔軟でいいのではないかと述べた。歴史討議が続いた。
岩上「(我々は何者であるかという問題はあるけれども、一番の問題は)、俺たちが主権者でしょう。俺たちがこの国の主権者でしょうと、なんでお前ら(米国)に奴隷扱いされなきゃならないんだと。俺はそれは許せないぞと」。
木村氏「どういうところで主権が侵害されて(ていると考えてい)ます?」
岩上「ソ連軍の中将に『お前ら、(日本は米国の)サテライトなんだから、お前と話したって、(北方領土問題など)ラチあかないんだよ』と言われたんですよ。
29歳ぐらいの時、ちょうどここで書いている頃に、これ、僕が書いた本」
木村氏「ノーメンクラトゥーラを書いていた時だ。そう、『あらかじめ裏切られた革命』これだよ、これ」。
岩上「その中にも所収していますけれど、そこで、ソ連軍の『赤い星』という機関誌の、編集局長が、やっぱり、なまなかな人じゃないわけで。普通の大佐級では編集長にはなれない。だから、中将、という人でしたが、別に失礼な態度ではなくて、淡々とした態度だけれども。
ソ連の人、ロシアの人の間では、エリートは、プーチンを見てもわかるけど、すごくリアリストだいうことはわかるじゃないですか。
ブレジネフのときに、悪名高い制限主権論というのをやったじゃないですか。(サテライトの国の主権を制限する、という時に)彼らはむき出しなんですよ。飴のコーティングをしないわけですよ。日本は、(米国が)飴のコーティングをした(主権喪失)のを、ずっと舐めてるわけですよ。
『いい加減大人になれよ』と。ズバっと、『オレ達から見たら、お前らはサテライトだよ』とね。『サテライトのお前達と交渉して決まったことがあたって、アメリカが全部、主権を持っていて、米軍のところにいったら、話にならないんだ』って。『だから、そのサテライトだってことをよく理解しろよ』と。
それを、(当時)29、30の私は、衝撃を受けるわけですね。
この年は、『平成元年の右翼』に始まって、ベルリンの壁が崩壊するじゃないですか。この年のクリスマスは、僕、ベルリンで壁を壊してたんですよ」。
木村氏「1989年ね」。
話題は、「自衛隊の統合指令本部」、自衛隊が米軍の指揮下に入るという問題に移り、韓国は軍隊の統制権の問題は重視して、自分達の国家主権のことを意識化しているのに、なぜ日本人は、それすらできないのだろうか、と岩上が疑問を投げかけた。
岩上「(自衛隊の、自国の軍隊の統制権を他国に握られるということは)我々は自立していないということだと。
なんで韓国人の、ごく一般の人でも、これを意識化できるのに、日本人の大半はそれを意識化できないのか。
そうやって政治的に重要な課題に関しては、ぼんやりとコントロールされてね。記者クラブもコントロールされて」。
岩上は、岸田総理会見で、自衛隊の指揮権を米国に掌握させるなど、許し難いという質問をしたところ、総理会見に参加できる記者のレギュレーションを変えることなく、運用だけを変え、10年間出席し続けてきた、総理会見から排除された話をした。木村氏は、「ああ。ひどいね、ダメだね」と、このエピソードに驚いた。
木村氏は、2015年にクリミアを訪問し、住民投票のオブザーバーを務め、クリミアのロシア人、ウクライナ人、タタール人に直接話を聞き、クリミアの実態は、「ロシア軍がクリミアの人々を銃で脅して、ロシアへの併合に投票させた」という「日本の報道とは全然違った」ものだったと語った。
その他、米英によるロシアとウクライナの和平交渉潰し、ミンスク合意の欺瞞、ユーロマインダン・クーデターの裏側、米国務省や全米民主主義基金(NED)らの関与、ウクライナ紛争のシナリオとも言われる、ランド研究所のレポートと、インタビューは、日本のマスメディアが報じない、ウクライナ紛争の影のポイントを、次々と暴いていった。