クリミアを訪問したことにより、日本国内でバッシングの対象となっている、鳩山由紀夫元総理。その鳩山氏とともに、クリミア訪問に同行したのが、「新右翼」の民族派団体・一水会代表の木村三浩氏である。
イラク戦争が始まる直前から、「イラクに大量破壊兵器はない」と主張して、当時のブッシュ政権を強く批判していた木村氏。日本のほとんどの保守派論客が「親米」の構えを見せるなかで、その主張は、当時から現在に至るまで、「対米自立」で一貫している。
木村氏が、鳩山氏とともにクリミアを訪問した目的とは何か。そして実際に、クリミアで何を見てきたのか。さらに、「親米」路線を重視する安倍政権の外交・安全保障政策、エネルギー政策について、どのように考えているのか。
かつて、別冊宝島『平成元年の右翼~右翼の未来はあるか!?』に、愛国党総裁・赤尾敏氏に密着したルポルタージュ「救国のキリストか銀座のドンキホーテか 愛国党総裁 赤尾敏 24時間密着取材!」を発表した経験を持つ岩上安身が、2015年3月31日、新右翼・民族派の思想の実相に迫った。
インタビュー後半で、日本の原子力政策について木村氏は、「私は『国土を穢すなかれ』という立場。一水会としても原発の再稼働には反対」と断言。「原発を維持することは、国土防衛上ミスをしていることになります。戦略上、軍事上、アホもいいところです」と、安倍政権の原発推進姿勢を厳しく批判した。
「混乱も何もなく、平穏だった」~クリミアを訪問して
岩上安身(以下、岩上)「木村さんと最初にお会いしたのは、昭和天皇が崩御した時、皇居前広場でのことでした。私が取材に行くと、木村さんが『天皇陛下、万歳!』と言っていらっしゃったんですね」
木村三浩氏(以下、木村・敬称略)「そうですね。よく、覚えています」
岩上「大喪の礼の時、右翼の方々が光り物を付けていたんですね。そのことを、別冊宝島の『平成元年の右翼』に書きました」
木村「そう! 書いてありましたね! あれは名著でしたね。よく覚えていますよ」
岩上「まず、鳩山由紀夫元総理のクリミア訪問に同行されたことについて、おうかがいしたいと思います。なぜ、クリミアに行かれることになったのですか」
木村「南オセチアやグルジアに行って、現地を見てきたことがきっかけです。昨年(2014年)の2月からウクライナで政変が起き、現地を見たいと思って、8月にクリミアに行きました。
その時、プーチン大統領の側近であるベラベンツェフ氏というクリミアの全権代表に鳩山さんの親書を持って行きました。すると、『歓迎する』という返事でした。
その後、9月、クリミアの議会選挙の監視団として行きました。クリミアといえば、四国の1.5倍くらいの面積です。500箇所くらいの投票所が設けられていて、そのうち15箇所の投票所を見ました。圧力もなにもなく、自主投票がされていましたね。
ウクライナでは、『オデッサの虐殺』をはじめ、とんでもない流血騒ぎがありました。しかしクリミアでは、混乱や流血はありませんでした。冷戦崩壊後、クリミアの人たちはロシアに帰りたがっていたのです」
岩上「今、クリミアに住んでいる方の暮らしぶりはいかがでしたか」 木村「ウクライナ時代の23年間で捨てられた人、というのがいます。ロシア系の話者やタタール人は、ウクライナから年金をもらっていなかったのです。
ですから、ウクライナ時代、クリミアの人々の暮らしぶりは非常に悪かった。それが、ロシアになって、物資などの面で不自由がなくなったようです。ただ、インフラはまだ整っていません。携帯電話、WIFIなどは、ウクライナ系のものは切られてしまっている」
岩上「ユーロマイダンでクーデターがあり、キエフに反ロシアの政権ができました。するとキエフの政権は、ロシア語禁止ということを言い出しました」
木村「ヤヌコビッチは、EUとの協定を見直しました。そこに、米国のネオコンが入り込んできました」
イラク戦争の不正義を、開戦前から指摘