【IWJ号外】スコット・リッター「なぜ、私はもはやイスラエルの味方ではなく、これからも二度とそうではないか」(前編)〜イスラエルの情報将校「彼(ネタニヤフ)はイスラエルを滅ぼすだろう」! 2023.11.2

記事公開日:2023.11.2 テキスト
このエントリーをはてなブックマークに追加

(文・IWJ編集部)

特集 中東

 IWJ代表の岩上安身です。

 スコット・リッター氏が、10月14日に、自身のサブスタック、『スコット・リッター・エキストラ』で、リッター氏とイスラエルとの関係を、詳しく語っています。

 国連特別委員会(UNSCOM)代表団の団長として、1994年にリッター氏が初めてイスラエルを訪れたとき、非常に優秀で人間的にも立派なイスラエル空軍の情報将校と知り合います。彼がホストとしてリッター氏を迎えてくれましたが、このホストとの関係を通じて、大変興味深いイスラエル社会の一面が浮かび上がってくるのです。

 それは、自分たちを、パレスチナ人を大虐殺し、祖国から追い出した「侵略者」だと自覚しているがゆえに、イスラエルには、パレスチナとの平和共存を目指す道と、「鋼鉄のヘルメットとキャノン砲の口」でしか問題の解決はないという戦争の道が、少なくとも、90年代までのイスラエルには、共存していたという事実です。

 ここには、パレスチナ人たちの、根拠のある「憎悪」から目をそらさない、というイスラエル人の最低限の誠実さが、どちらにもありました。

 たとえば、その最低限の誠実さは、イスラエル初代大統領のデイビッド・ベン・グリオンの言葉に現れています。

 「もし私がアラブの指導者だったら、イスラエルとは決して協定を結ばないだろう。私たちは彼らの国を奪ったのだから。神がわれわれに約束したのは事実だが、それがどうして彼らの興味を引くというのか。私たちの神は彼らの神ではない。反ユダヤ主義、ナチス、ヒトラー、アウシュビッツがあったが、それは彼らのせいなのか? 私たちがやってきて、彼らの国を盗んだのだ。なぜそれを受け入れるのか?」。

 現在、元与党議員モーシェ・フェイグリン氏を始め、ネタニヤフ政権自体が、旧約聖書の記述を根拠として、ガザ殲滅を押しすすめています。しかし、初代大統領のダヴィド・ベン・グリオンの時代には、この旧約聖書の信仰を相対化できる知性がイスラエルの指導層には、少なくともまだ存在したのです。

※第2弾! イスラエルの元与党議員モーシェ・フェイグリン氏がテレビインタビューで「(他民族を徹底殺戮した)聖書的な方法(旧約聖書)でまだ復讐を果たしていない」と、ガザの徹底破壊とパレスチナ人の全員追放を訴え!「人類に多大な危機をもたらせ!」とも! さらに別のインタビューではガザは「完全に焼き払われ」「(第二次大戦で連合軍の無差別爆撃を受けたドイツ南部の都市)ドレスデンに変わるべき」と発言! 2009年の村上春樹氏のスピーチを、今こそ思いかえすべき時!】(『イスラエルナショナルニュース』、2023年10月25日)(日刊IWJガイド、2023年10月27日)
会員版 https://iwj.co.jp/wj/member.old/nikkan-20231027
非会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/52883#idx-6

 さらに、イスラエルの建国の端緒に存在する「ナクバ」と「ホロコースト」を反復することで問題解決を図ろうとする、現在の極右のベンジャミン・ネタニヤフ政権は、パレスチナ人そのものを殲滅し、エジプトの砂漠に追放すれば、パレスチナ人の憎悪が消えると考えているのです。

 パレスチナ人という人間たちを物理的に、1人残らず消し去れば、彼らの抱えている、自分たちに向けての憎悪はこの世からなくなるという究極のジェノサイド、いや、ひとつの民族を絶滅させるナチスのホロコーストの発想です。ナチスは隠れてそれを行いましたが、イスラエルには、全人類の眼前で、堂々と、しかも旧約聖書を根拠としてやろうとしているわけです。これを「良心」を失った人間たちによる集団狂気と呼ばずして何と呼ぶべきなのでしょうか!?

 イスラエルの暴挙を止めようとしない米国やその従属国の政府は全て「共犯」です。しかし、現在の岸田政権が「共犯」でも、日本国民がこの狂気の虐殺に反対すれば、我々は「共犯」であることをまぬがれることになります! 個々人の力は無力に見えても、この虐殺に反対の声をあげなければいけません!

 30年前、リッター氏を迎えたホストのイスラエル空軍の情報将校は、奇しくも、ベンジャミン・ネタニヤフ氏をこう評しています。

 『彼(ネタニヤフ)はイスラエルを滅ぼすだろう』『彼は憎しみしか知らない』。

 この言葉は、今、聞くと、非常なリアリティーがあります。

いったいどうして、このようなヒットラーの亡霊とも言える狂気が国中を覆っているのでしょうか。

 スコット・リッター氏は、1991年から1998年にかけて、イラクにおける大量破壊兵器捜索のための国連主任査察官を務め、このときの査察経験から、2003年3月20日に米国がイラクに侵攻する直前に、イラクのサダム・フセイン政権は、米国政府が気にするほどの大量破壊兵器を保有していない、と公然と論じ、米国のイラク戦争の根拠を根本から批判しました。

 イラク戦争は、イラクによる大量破壊兵器保持における武装解除進展義務違反を理由としたものでした。

 2004年10月に、米国が派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在
しない」との最終報告を提出して、リッター氏が開戦前から批判していた
ことが事実だったと認められました。

 米国をはじめとする西側諸国の大量破壊兵器保有疑惑は、米国の言いがかりだったのです

 ウクライナ紛争では、同国内のマイノリティーであるロシア語話者への無制限の暴力と殺戮を行っているウクライナを、正当化し、ロシアを悪魔化した西側報道の嘘を、スコット・リッター氏はX(旧ツイッター)やYouTube、ブログなどで暴き続けてきました。

 リッター氏が、西側NATOを批判的に見ることができたのは、イラク戦争の経験があったことが大きいと思われますが、夫人がグルジア人であることや、自身がソ連邦の歴史を大学で専攻したことも影響していると思われます。

 IWJは、ウクライナ紛争の開始直後から、ダグラス・マクレガー元大佐やジャック・ボー元スイス戦略情報局諜報員などともに、公平に紛争を観察できる元軍人として【IWJ号外】や『日刊IWJガイド』で注目してきました。

※はじめに~元国連大量破壊兵器廃棄特別委員会主任査察官のスコット・リッター氏が、ロシア『RT』に寄稿!「それほど遠くない将来、ウクライナ軍は現在の防衛線を維持できなくなり、ドニエプル川以西に撤退を余儀なくされる」と分析!「平和と復興のためにはウクライナが降伏して現実を受け入れるしかない」と指摘! 敗戦国日本が新憲法で軍国主義者を排除したことを引き合いに、新憲法でのウクライナ民族主義者の排除も提言! IWJが全文仮訳!!(日刊IWJガイド、2023年9月6日)
会員版 https://iwj.co.jp/wj/member.old/nikkan-20230906#idx-1
非会員版 https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/52709#idx-1

 以下から、スコット・リッター氏の論文「なぜ、私はもはやイスラエルの味方ではないし、これからも二度とそうでないのか」(前編) になります。


「ガザの門

 『夜明けに襲撃者がやってきて、あっという間に町を占拠した。男たちは女たちと引き離され、撃たれた。襲撃者の一人が、ある家のドアを開け、そこに立っている老人を見つけた。彼は老人を撃った。「彼は老人を撃つのを楽しんでいた」と、この襲撃の目撃者は後に語った。

 人口5000人全員が殺されるか追放され、生き残った人々はトラックに乗せられ、ガザに送られた。空家は略奪された。「私たちはとても幸せだった」略奪者の一人が後にこう語っている。「もしあなたが取らなくても、他の誰かが取るでしょう。返さなきゃいけないなんて思わない。彼らは戻ってこなかったのだから」。

 ハマスが支配するガザ地区に隣接するイスラエルの町やキブツ(※注)の市民が受けた残虐行為について書かれた、数え切れないほど多くの記事のひとつのように見える。

※注:キブツは、ヘブライ語で集団や集合を意味する。生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく集団が原型だった。現在は、資本主義企業や普通の町とほとんど変わらない。

 しかし、そうではない(襲撃者はハマスではない)。

 (この文章の出典は)イスラエルの建国の父の一人であり、イスラエル独立宣言の署名者であり、イスラエルの初代外相であり、第2代首相であったモーシェ・シャレットの息子であるヤーコフ・シャレットの回想である。ヤーコフ・シャレットは、イスラエル独立戦争中の1948年、イスラエル兵がアラブ人の町ベルシーバを占領したときのことを語っている。

 1946年、ネゲブ砂漠で兵役に就いていた若い兵士だったシャレットは、ネゲブ砂漠にユダヤ人の前哨基地を設置し、イスラエル・シオニストとアラブ人との間で予想される戦争が勃発した際の戦略的足がかりとすることを目的とした極秘計画『11ポイント・プラン』の一部である11の兵士チームのムフタール(長)に任命された。

 1948年以前に存在したシオニズムは、聖書に出てくるイスラエルの領土にユダヤ人国家を再確立するための運動であった。1897年、テオドール・ヘルツルの指導の下、政治運動であるシオニスト組織として設立された。

 ヘルツルは1904年に死去し、シオニスト機構はその後、パレスチナにユダヤ人国家を創設することをイギリス政府が約束したバルフォア宣言の採択を推し進めた褒美として、チャイム・ワイツマンに引き継がれた。ワイツマンは、1948年にイスラエルが建国されるまでシオニスト組織のトップを務め、その後イスラエルの初代大統領に選出された」。

(…会員ページにつづく)

アーカイブの全編は、下記会員ページより御覧になれます。

一般・サポート 新規会員登録

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です