【IWJ号外】ロバート・ケネディ・ジュニア氏が大統領予備選立候補発表後に行った、歴史的なボストン・スピーチをIWJが全文仮訳! (第2回)企業権力と国家権力の癒着が「分断」を生む! 2023.6.2

記事公開日:2023.6.2 テキスト
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(文・IWJ編集部)

 IWJ代表の岩上安身です。

 ロバート・ケネディ・ジュニア氏がボストンで大統領予備選立候補発表後に行ったスピーチは、米国の「最良の精神」は、「アメリカ独立戦争の精神」であり、独立戦争は大英帝国に対する反乱というだけではなく、「国家権力と企業権力の腐敗した癒着」に対する植民地人の正当な怒りだったと訴える、歴史的なスピーチでした。

 このスピーチは、ロバート・ケネディ・ジュニア氏は、この「最良の精神」の正当な継承者であることを示すものです。

 この歴史的なスピーチの全文仮訳を、IWJは進めています。ここに第2回をお送りします。ぜひ、お読みください。

 第2回では、ロバート・ケネディ・ジュニア氏は、いよいよ、米国の民主主義の宿痾である「企業権力と国家権力の癒着」に切り込んでいきます。

 この癒着が最初に顕在化したのは、1961年のアイゼンハワー大統領の退任演説です。

 1950年代から、この癒着が始まり、アイゼンハワー大統領は、「軍産複合体」という言葉で、この癒着に危機感を募らせ、退任演説で、この問題に触れたのです。

 現在、この問題は軍需産業と国家の癒着から、メディアと国家、資源産業と国家、製薬企業と国家など、癒着が格段に広がっています。

 この癒着問題は、現在では、米国一国で自己完結した問題では全然なく、グローバルで深刻な問題となっています。

 ぜひ、ご一読ください。

 第1回は以下のURLから御覧になれます。

 第2回の仮訳は以下からとなります。カギカッコ内は、ケネディ氏のスピーチです。

※Campaign 2024
Robert Kennedy Jr. Announces 2024 Presidential Campaign(C-SPAN、2023年6月1日閲覧)


 「私は今日、合衆国大統領民主党指名候補への立候補を表明するため、ここに来ました。(歓声と拍手喝采)

 この選挙運動のこれからの18ヶ月間、そして大統領としての任期の間、私の使命は、国家権力と企業権力の腐敗した癒着を終わらせることです。これが今、脅威を…(歓声と拍手喝采)…ありがとう。

 そこにあるのは、新手の企業封建制度を我々の国に押し付けること以外の何ものでもない。私たちにとっての『パープル・マウンテンズ・マジェスティ(※IWJ注1)』である子どもたちを商品化し、化学製品や薬品で子どもたちや人々を毒し、我々の資産をまるで露天掘りのように掘り尽くし、中間層を空洞化させ……こうやって私たちを恒常的な戦争状態に置き続けるのです」(歓声と拍手喝采)。

(※IWJ注1)パープル・マウンテンズ・マジェスティ(purple mountain’s majesty)は、アメリカの愛国歌「アメリカ・ザ・ビューティフル」の歌詞の一節。この詩の作者、キャサリン・リー・ベイツに詩の霊感を与えたコロラド州コロラド・スプリングスのパイクス・ピーク(ロッキー山脈の中で最も高い頂)を表現した言葉です。これは、子どもたちをロッキー山脈の中でもっとも高い頂に例えたものです。「国の宝」といった意味でしょう。

※America the Beautiful(Wikipedia、2023年5月29日閲覧)

 「さて、演説に先立って――(手話通訳者の方を指さしながら)私は手話を解さないものですから(笑い)――まず、妻、シェリル・ハインズ(※IWJ注2)に感謝したいと思います(拍手喝采)。

 シェリルがいなければ、私はここに来ることはできなかったでしょう。彼女が私の人生にどれほどの恵みをもたらしてくれたか、言葉では言い尽くせません。シェリルは、私の知る限り最も賢い人です。そしてまた、私の知る限り最も楽しい人でもあります。アメリカ国民の皆さんも、これから彼女のことを知るようになれば、私のことよりも、ホワイトハウスにこんなに楽しいファーストレディーがいることに胸躍る気持ちになることでしょう」(歓声と拍手喝采)。

(※IWJ注2)シェリル・ハインズ氏は、アメリカの歌手、女優。2014年8月にロバート・ケネディ・ジュニアと結婚。
※Cheryl Hines(Wikipedia、2023年5月29日閲覧)

 「また、今日ここに来てくれた家族全員にも感謝したいと思います。私の子どもたち、ボビー(※IWJ注3)、キック(※IWJ注4)、アマリリス(※IWJ注5)、コナー、キーラ、フィンバー、エイデン(※IWJ注6)…、えーと、これで全部だよね?(笑い)名札をつけるよう言っといたんですけどね。ここからじゃよく見えないんだけど――それから、キャット(※IWJ注7)」。

(※IWJ注3)ボビーはロバート・ケネディ・ジュニアが最初の妻との間にもうけた長男、Robert Francis Kennedy IIIの愛称。
(※IWJ注4)キックはロバート・ケネディ・ジュニアが最初の妻との間にもうけた長女、Kathleen Alexandra Kennedyの愛称。
(※IWJ注5)アマリリスは長男ボビー=Robert Francis Kennedy IIIの妻、Amaryllis Damerell Thornberのこと。
(※IWJ注6)コナー(Conor Richardson Kennedy)、キーラ(Kyra LeMoyne Kennedy)、フィンバー(William Finbar Kennedy)、エイデン(Aiden Caohman Vieques Kennedy)はロバート・ケネディ・ジュニアが2番目の妻との間にもうけた4人の子の名。
(※IWJ注7)キャットはロバート・ケネディ・ジュニアの現在の妻、シェリル・ハインズが前夫との間にもうけた娘、Catherine Young のことと思われる。

 「それから――孫のゾエとカシウスとボブキャット。私の弟のダグラス、姉のコートニー。甥のボー(※IWJ注8)とビリー・バーゼル(※IWJ注9)とライリーとジョージと…(笑い)。それから、アンソニー・シュライヴァー(※IWJ注10)! 来てくれて本当にありがとう! それからガットー。ガットー(※IWJ注11)、君を呼んだんだよ(拍手喝采)みんな、今日は来てくれて本当に本当にありがとう!」。

(※IWJ注8)ボー、特定不能。
(※IWJ注9)ビリー・バーゼルはロバート・ケネディ・ジュニアの姉(Kathleen Alexandra “Kick”)の子Meaghan Birzellの夫であるWilliam Birdzellのこと。
(※IWJ注10)ガットー、特定不能。
(※IWJ注11)アンソニー・シュライヴァーはロバート・ケネディ・ジュニアのいとこAnthony Paul Kennedy Shriverのこと。

 「私の家族の中には、今日ここにいない者もいますけども(笑い)。白状すると、たいていのアメリカ人家族はどれも似たり寄ったりだからなんですが(笑い)、(歓声と拍手喝采)。これ(民主党候補指名争いへの出馬)が一家に起こったら、それは大騒ぎですよね、それはどこも同じです。

 でも、皆さんはわかっておられるでしょう、私はただ、私が今日やっていることに賛同してくれない数多くの家族にも、とても感謝していると言いたいのです。

 一族の多くのメンバーが今週、わざわざ私に愛のこもった美しい手紙を書いてくれたり、メールを送ってくれたり、電話をかけてくれたりしました。

 それでも(立候補に賛同していなくても)私がむかついたり、失望のような気持ちを抱いたりということは一切ありません。彼らの誰に対しても。彼らはこの国で私とは違う政治観を持っているだけのことです」。

 「私の一家は、私も含め、バイデン大統領とは長く個人的におつきあいをしてきました。何人もの家族のメンバーが、政府で仕事をしていますし、その多くはまた、検閲、戦争、公衆衛生といった問題について、私に賛同できないといいます。

 彼らは、彼ら自身の信念を持つ権利があります。私はそうした諸問題についての彼らの見解を尊重しています。私は陰ながら彼らを愛しているのです。(歓声と拍手喝采)

 そのうえで、私たちが私たちの国のために、心を一つにしたいと願うのが、そんなに欲張りな願いでしょうか? 私たちは今、この国で、南北戦争後のどんな時代にもなかったほどの、あまりに有害で危険な分裂に直面しています。

 南北戦争のとき、エイブラハム・リンカーンはこう言いました。国とか国家とか、そういう一つの『家』が内部で分裂したら、それはもはや存続できない、と(※IWJ注12)。

 私は共和党の友人たちとも、民主党の友人たちとも、話をしますけれども、そういう時、彼らはほとんど終末論的な言葉でこの分断を語ります。どうやったらこの状況から確実に安全に抜け出せるのか、誰もわからない。人々は一種のディストピア的未来を警戒しています」。

(※IWJ注12)1858年6月16日、上院議員候補で後に大統領となるエイブラハム・リンカーンが、イリノイ州共和党の上院議員指名を受け、スプリングフィールドのイリノイ州議会議事堂(当時)で行った演説。

 「私の選挙活動および大統領任期中の主要な使命のひとつは、そうした分断に終止符を打つということです。(歓声と拍手喝采)

 私はこれから、それをやってみます。我々をバラバラにする問題について語るのではなく、共通の価値について語りあえるよう、人々を励まします。そしてまた、これは私が最も重要と考えることですが、アメリカ国民に真実を話すことで、私はそれを行うつもりです。(歓声と拍手喝采)

 まさに、そこが核心だからです。もちろん、この分断の核心という意味ですね。私たちが互いにいがみ合っている間、黒人は白人と、共和党支持者は民主党支持者と、地方は都市といがみあっているその間、国家権力と癒着した企業権力は、その上にあぐらをかいて、私たちのそうしたいがみあいを喜んでいますよ。その隙に、彼らはこの国の富を奪い尽くせるからです。私たちをそういう状態に置き続けるものが――(拍手喝采)真実を語ることが重要だというのは、そういうことなのです。

 私が子どものころは、この国の誰一人として、政府が国民に嘘をつくなんて夢にも思わなかったことでしょう。実際、冗談抜きで、昔は誰もそんなことを思わなかったのです。(笑い)

 1960年5月、そんな状況に少し変化が起こりました。ゲーリー・パワーズ(※IWJ注13)が(操縦するU2が)ロシアで撃墜されたんです。アイゼンハワー政権はU-2作戦を否定しました。国民は当時、ゲーリー・パワーズがロシアの捕虜になったことを知らなかったからです。その後ロシア側が捕虜になったパワーズを見せたので、アメリカ国民は大きなショックを受けたのです。政府は我々に嘘をついていたんだ、と」。

(※IWJ注13)ゲーリー・パワーズは、1960年5月1日に起きた「U-2撃墜事件」(ソ連領空を偵察飛行していた米軍機・ロッキードU2が、ソ連スヴェルドロフスク上空でソ連防空軍のSAM(地対空ミサイル)によって撃墜された事件)で、撃墜された偵察機U2のパイロット名。パラシュートで脱出し、ソ連軍の捕虜になった。当時のアイゼンハワー政権はこのスパイ行為について、国民に嘘の弁明をした。

 「それから1970年になって、もちろんベトナム戦争の時ですね、私たちは嘘をつかれているのではないかと、みんな疑い始めました。1971年にペンタゴン・ペーパーズ(※IWJ注14)が明るみに出て、私たちは、ああ、これが彼ら(政府と軍)がやることなんだとわかったのでした」。

(※IWJ注14)ペンタゴン・ペーパーズとは、1945年から1967年までの米国のベトナムへの政治的および軍事的関与を記した文書。  アメリカはベトナム戦争の開戦にあたって、自軍の軍艦が北ベトナム軍に攻撃されたと見せかける偽旗作戦を展開し、大規模な北爆を開始した。
 『ワシントン・ポスト』がその事実をすっぱ抜き、『ニューヨーク・タイムズ』が追いかけた。
 当時、ランド研究所に勤務し、ペンタゴン・ペーパーズの執筆者の一人だった、ダニエル・エルズバーグ氏が、1971年、『ニューヨーク・タイムズ』のニール・シーハン記者に報告書の全文コピーを渡してその存在を告発。『ニューヨーク・タイムズ』は、1971年6月13日から1面トップで連載記事として報道。ベトナム戦争の舞台裏を暴き、一大スキャンダルとなった。  それから40年後の2011年6月13日、米国立公文書館が、ペンタゴン・ペーパーズとして知られている「国防長官オフィスベトナム特別委員会報告書」の全文を公開した。現在、次のURLで閲覧できる。 ※Pentagon Papers(米国立公文書館、2022年6月1日閲覧)

 「私の父(※IWJ注15)は死の直前、それは悲しそうに、私に言いました。権力の座にある人間は嘘をつく、と。そして今、政府は私たちに嘘をついていて、私たちもそれを知っており、当然のこととして受け止めています」。

(※IWJ注15)第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの実弟で、同政権中は司法長官を、また、兄の暗殺後は連邦上院議員を務めたロバート・フランシス・ケネディ(1925-1968年)のこと。ロバート・フランシス・ケネディは、1968年6月、民主党の大統領候補指名選挙のキャンペーン中に暗殺された。

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