【IWJ号外】ロバート・ケネディ・ジュニア氏が大統領予備選立候補発表後に行った、歴史的なボストン・スピーチをIWJが全文仮訳!(第1回)米国最良の精神は、アメリカ独立戦争の精神だった! 2023.5.26

記事公開日:2023.5.26 テキスト
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(文・IWJ編集部)

 IWJ代表の岩上安身です。

 ロバート・ケネディ・ジュニア氏がボストンで大統領予備選立候補発表後に行ったスピーチは、米国最良の精神は、アメリカ独立戦争の精神であり、独立戦争は大英帝国に対する反乱というだけではなく、国家権力と企業権力の腐敗した癒着に対する植民地人の怒りだったと訴える、歴史的なスピーチでした。このスピーチは、ロバート・ケネディ・ジュニア氏は、この精神の正当な継承者であることを示すものです。

 この歴史的なスピーチの全文仮訳をIWJは進めています。ここに第1回をお送りします。ぜひ、お読みください。

 【IWJ号外】でもお伝えしましたが、ワクチン懐疑派として知られる米民主党のロバート・ケネディ・ジュニア氏が、民主党の大統領予備選に出馬を表明しました。

 日本の多くのメディアは、ロバート・ケネディ・ジュニア氏の出馬と、彼が表明した米国と移りゆく世界の認識について、「反ワクチン活動家で名門ケネディ家のケネディ・ジュニア氏が出馬した」という、非常に表面的で粗略な扱いしかしていません。

 4月20日付『ロイター』の記事も「再選に意欲を示すバイデン大統領に挑むことになるが、勝利はほぼ期待できないとみられている」と、はじめから否定的に報じています。

 しかし、バイデン大統領よりも、トランプ元大統領よりも、デサンティス候補よりも、はるかにまともな民主主義の感覚と、それにもとづいた批判精神を持っているのが、ロバート・ケネディ・ジュニア氏なのです。

 ロバート・ケネディ・ジュニア氏は、現代の米国において、独立戦争に起源を持つ最良の米国精神の継承者であり、ケネディ・ジュニア氏の言論を通じて、米国という国家の理想と現実をまざまざと知ることができます。

 IWJは、民主党の大統領予備選立候補発表後の第一声の土地として選んだ米国の原点、ボストンの地で行われたケネディ・ジュニア氏の、歴史的なロング・スピーチを全文仮翻訳しました。

 今後、複数回に分けて、このスピーチをご紹介し、米国の病理の本質が、国家権力と企業権力の結合にあり、この複合体が、米国の自由と民主主義を著しくむしばんでいる現実を見ていきます。

 それは、とりもなおさず、日本の現実を合わせ鏡として見ることになるでしょう。

 仮訳は、以下からになります。

—————————

 「ありがとう、みんな、ありがとう!この会を本当に素晴らしい会にするために尽力してくださったすべての方々、ありがとう!

 私はこのイベントを、ここボストンで行いたいと、ずっと願ってきました。私にとって、ゆかりの深い街だからです。高校を卒業したのもここ、大学に行ったのもここでした。

 何より、わがケネディ家の代々の人々、ケネディとそれからフィッツジェラルドの祖父母たちですが、私の父祖たち(IWJ注※1)は、ここボストンに1848年に降り立ちました。英国の迫害とジャガイモ飢饉を逃れて、故郷を後にしたのです」

(IWJ注※1)私の父祖たちとは、ケネディ家の祖、パトリック・ケネディ(1823-1858年)の一家のこと。パトリック・ケネディとブリジット・ケネディ(旧姓マーフィー)夫妻は、アイルランドのウェックスフォード県ニューロスの出身であったが、カトリック教徒が資産を所有する、教育を受けることなどを禁じたカトリック罰則法(クラレンドン法典)と、飢饉が脅威となって、米国への移住を決め、大西洋を横断し、マサチューセッツ州のボストンにたどり着いた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BBJ%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3

 「それでここにたどり着いたわけですが、父祖たちが後にした国というのは、もう800年もの間、アイルランドのカトリック教徒に対する迫害が合法的に行われてきたところでした。

 父祖たちは、投票して権利を行使するということができませんでした。カトリック教徒が、政治の公職に就くことも、法的に認められていませんでした。医者とか法律家とか、そういう公的な職務に従事することが認められていなかったわけです。

 実際、私の先祖のひとりは司祭でしたが、先祖たちに読み書きを教えたことで絞首刑に処せられました。当時、カトリック教徒に教えることは違法だったのです。だから彼らはここにたどり着いて、政治へ向かったのです。餓えた人が、食べ物に向かうように。

 私の祖父、というか曽祖父のハニー・フィッツ(IWJ注※2)ですが、彼はアイルランド系として、初のボストン市長になりました。その娘、ローズ・フィッツジェラルド=ケネディ(IWJ注※3)が、私の祖母です。祖母はこの国を愛しました。彼女と祖国を同じくする人々に、自身の政治的運命に参与する権限と機会を与えた、初めての国だとわかっていたからです」

(IWJ注※2)ジョン=フランシス・フィッツジェラルド(1863-1950)のこと。“ハニー・フィッツ”は愛称。アメリカ合衆国連邦下院議員を2期、1906年から1908年と1910年から1914年までの2期にわたってボストン市長を務め、第35代大統領ジョン・F・ケネディの母方の祖父にあたる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89
(IWJ注※3)ローズ・フィッツジェラルド=ケネディ(1890-1995)は、大統領ジョン・F・ケネディや上院議員のロバート・F・ケネディ、エドワード・ケネディの母。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3

 「祖母はまた、自分の子どもたちに、ここボストンの独立戦争ゆかりの名所めぐりをさせました(IWJ注※4)。週末には、ウォールデン池(IWJ注※5)に連れて行きましたし、ブリーズヒルとか、バンカーヒルとか(IWJ注※6)、独立戦争の主要な古戦場にも連れて行きました。

 祖母は子どもたちに、自分たちの歴史を知ってほしい、そしてこの国を愛してほしいと願っていたのです」

(IWJ注※4)「名所めぐり」は「SHE MADE HER CHILDREN TO TAKE THE FREEDOM WALK HERE IN BOSTON」の「TAKE THE FREEDOM WALK」を訳出したもの。RFK Jr.が「フリーダム・ウォーク」と言っているのは、1951年にボストンで整備された「フリーダム・トレイル」と呼ばれる独立戦争ゆかりの名所めぐりコースのことと思われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB
(IWJ注※5)マサチューセッツ州コンコードにある湖。コンコードは独立戦争開始の契機となった戦闘(レキシントン・コンコードの戦い、1775年4月19日)が展開された場所。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの著作『ウォールデン 森の生活』(1854年)の舞台としても有名。
(IWJ注※6)独立戦争初期のボストン包囲戦(1775年6月17日)の舞台となった地名。

 「祖母は私たち全員に、つまり29人の孫たち全員に、ロングフェローのあの詩(IWJ注※7)を覚えさせました。

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