「韓国軍兵士がベトナム女性に性的暴行、米軍から得た地雷で、その女性たちを殺した」――戦地を経験した有識者らが明かす戦争の現実 ~どう考える 集団的自衛権 ~ 僕たちにしのび寄る戦場。 2015.5.15

記事公開日:2015.6.11取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田)

※6月11日テキストを追加しました!

 戦後70年間、守られてきた「専守防衛」。作家で元自衛官の浅田次郎氏は、この鉄則が遵守されてきたからこそ、9条で非戦を誓う今の憲法の中で、かろうじて「自衛隊」の存在が認められてきた、と力を込めた――。

 2015年5月15日、東京都新宿区の早稲田大学・大隈記念講堂で、「NPJ主催シンポジウム~『どう考える 集団的自衛権 ~ 僕たちにしのび寄る戦場。20代の若者が見た戦争のリアル。』」が行われた。登壇者は浅田氏のほかに、20代の時に韓国軍兵士としてベトナム戦争に参戦した柳秦春氏ら。柳氏は、派兵直前の極めて過酷な適応訓練によって、兵士らがパニック状態に陥ってしまった経験を明かし、軍人体験者がほぼ皆無の今の日本にとって貴重な話が語られた。

 浅田氏は、安倍晋三首相が4月末に米議会で、集団的自衛権を核とした新たな安保法制を「夏までに成立させる」と約束したことは、「政治による自衛隊支配の行き過ぎ」と批判。「(今の憲法のままで)『他国のために自衛隊が出撃する』という話になったら、これは完全にアウトだ」と口調を強め、このままでは「憲法の力」を誰も信じなくなる、と警鐘を鳴らした。

 後半の討議では、日韓ともに、若い世代が近現代史に疎いことが問題視されるも、そこには就職難などによる「余裕なき学生生活」という、今どきの事情もある、との指摘があった。タイトルからもわかるように、このシンポジウムは20代の若者らをターゲットにしていたが、客席には年長者の姿が多く、歴史問題が若い世代から関心を得るのは容易ではないことが、改めて浮き彫りになった。

記事目次

■ハイライト

  • 講演者・パネリスト 浅田次郎氏(作家、日本ペンクラブ会長)/韓洪九(ハン・ホング)氏(韓国聖公会大学教授、平和博物館推進委員会代表)/柳秦春(リュウ・ジンチュン)氏(韓国慶北大学農業経済学部教授)
  • コーディネーター 金平茂紀氏(ジャーナリスト)

戦争を成り立たせる「嘘の大義」

 「1964年に、北ベトナム沖のトンキン湾で、北ベトナム軍が米軍艦に攻撃を仕掛けた。これが引き金になり、米軍は(それまでの南ベトナム軍を支援する立場から歩を進め)ベトナム戦争に本格的に介入していった」

 主催者を代表して挨拶に立ったNPJ代表理事で弁護士の梓澤和幸氏は、「トンキン湾事件」についての定説をこう話した上で、「実はこの事件は、参戦に正当性を植え付けるために米国が仕組んだものだったことが、1971年の米ニューヨーク・タイムズ紙のスクープで判明した」と強調した。

 国が戦争を始めるには、国民を動員するための「嘘の大義」が必要だ、と力説する梓澤氏。「人類はそれを、ベトナム戦争であっさりと体験してしまった」と言い継ぐと、「そのべトナム戦争について、20代の若者が見た事実を、当時、韓国陸軍の兵士としてベトナム戦争に従軍した柳秦春さん(韓国慶北大学教授)と、同時期に自衛官だった作家の浅田二郎さんから話を聞こうと思う」と開会を宣言した。

 ベトナム戦争の惨状を伝える約10分間のスライドが上映された後、柳氏が登壇。「韓国軍の一員としてベトナム参戦した経験を、他人に話すことはあまりなかった。感情的になってしまう部分が少なくないからだ」と切り出した。

 そして、日本の現状について、「安倍政権が憲法9条を変えるために、集団的自衛権の行使容認を、今の憲法を恣意的に解釈することで行った」と語り、在韓日本人を守るために自衛隊が韓国に派遣される時代になろうとしていることが、この集会でスピーチすることを決める大きな材料になった、と表明した。

戦地へ行く前の過酷な適応訓練、兵隊の精神はボロボロに

 「当時、韓国の国家再建最高会議議長だった朴正熙氏(故人、1963年に大統領就任)は、『経済発展には米国によるバックアップが不可欠』と判断し、米国の派兵要請に応じた。自国に、朝鮮戦争で経験を積んだ兵士たちがいることが、彼の背中を押したことも大きい」

 韓国のベトナム戦争への参戦理由をこう解説した柳氏は、「当時は、米軍が劣勢にある地域に、韓国軍が投入されることは容易に理解できた」と語る。

 「危険地帯に送り込まれる以上、銃弾を浴びて死ぬかもしれないと覚悟した。多分、ほかの兵士たちも同じ心境だったと思う。その覚悟は『何とか生きて韓国に戻り、家族と一緒に暮らしたい』という思いと裏腹だった」

 1964年の医療部隊の派遣を皮切りに、「猛虎」「白馬」「青竜」とネーミングがされた韓国陸軍の強豪部隊が、次々にベトナムの戦地に送り込まれていった。柳氏は、そのうちの白馬部隊に属した。大学院を休学しての入隊で、戦場では主に暗号解読を担当した。

 「兵士たちは全員、ベトナムに送られる直前に、朝鮮半島の北緯38度線の近くで適応訓練を受けるのだが、その内容は極めて過酷で、訓練中に命を落とす者もいた。『訓練の段階で、こんなに残酷であるならば、自分が現地で死んでも、死亡通知は家族に届くまい』という思いが兵士たちの間に広がり、ベトナム入りする前にパニック状態に陥る例があとを絶たなかった。(錯乱して)上官の頭を石でメッタ打ちにする兵士すらいたくらいで、私たちは訓練で受けた恐怖を忘れようと、毎晩酒を飲み、翌朝また訓練に出ることの繰り返しだった」

「ベトナムへの謝罪」は必要不可欠

 ベトナムでは戦争末期ならではの激しい戦闘を体験した、と振り返る柳氏は、「韓国軍兵士は民間人虐殺も行った」と言明した。

 柳氏は、韓国軍兵士がベトナム人女性たちに性的暴行を行い、米軍から得た地雷で、その女性たちを殺した話を現地で何度も聞いた、と話す。しかしながら、『週刊文春』(2015年4月2日号)にTBSワシントン支局長・山口敬之氏が寄稿した、「ベトナム戦争で、韓国軍兵士は軍がサイゴンで営んでいた慰安所を利用していた」との記事には同意できない部分がある(※)、とした。柳氏は、「現地女性を連行して来て慰安所を運営することは、ベトナム戦争では不可能だった」と主張した。 (※)柳氏からは、「記事には『慰安所の利用料金は38ドルだった』とあるが、当時の韓国軍兵士の月給からすれば、額が大きすぎる」との、金銭面からの利用の困難性を訴える発言があった。しかし、実際の記事の文面は、「(米公文書館で発見された)書簡には、韓国兵専用の慰安所として設立されたが、米軍など友軍の兵士も特別に利用する事ができ、その場合は1回につき38ドルが請求された、と書かれている」というもの。つまり、この訴えは、柳氏側の誤読などによるものではないか、と考えられる。

 加えて柳氏は、兵士による民間人虐殺はあってはならないことだが、それ以上に悪いのは、そういう事実をなかったことにする圧力だと、口調を強めた。

 「韓国は、ベトナムで民間人虐殺を行ったことについて、(ベトナム側から『もういいよ』との明確な意思表示があるまで)謝罪し続けなければならないし、それと同じことが日本にも言えると思う。過去の過ちを(早期に)封印すれば、未来にも同じ過ちを繰り返すことになる」

三島由紀夫の自決──20歳の浅田氏、自衛隊へ

 「柳さんが兵役を務めた時期と、私が自衛官だった時期は一致すると思う」と発言したのは、浅田次郎氏。元自衛官の浅田氏は1951年東京生まれで、1971年4月に自衛隊に入隊、1973年3月に除隊した。

 浅田氏は当時の日本の世相を、「学生運動がピークで、ここ早稲田大学も都内にあるほかの大学同様、ずっとロックアウト(学生占領による閉鎖状態)だった」と振り返った。

 当時の大学生は、政治・社会問題には敏感だった部分は確かにあるが、就職活動の前倒しなどで忙しい今の大学生に比べれば、はるかに時間があったという背景もある、と浅田氏は指摘する。

 「暇だった分、多くの大学生が読書にふけり、それで知的触発を受け、友人らとの議論に熱中したのだ」

 もっとも浅田氏は、高校生の時に将来は作家になる決意を固めており、当時の大学生のそういう面には反感があった、とも話す。

 「自分にとって、大学進学が必要かどうかで思案にふけっていたところ、三島由紀夫の(東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地での)割腹自殺のニュースが飛び込んできた。1970年11月25日のことだった」

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