「国の安全保障上、原発がある場所が急所になる。原発は相手に核兵器を与えたのと同じ」元原子炉格納容器設計者が警鐘、川内・高浜原発に共通する欠陥とは?──第40回 ロックの会 2015.3.9

記事公開日:2015.4.6取材地: テキスト動画独自
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(テキストスッタフ・関根かんじ)

特集 3.11|特集 百人百話
※4月6日テキストを追加しました!

  「皆さんがバスに乗っていたら、トラックがぶつかってきたとする。加害者であるトラック運転手が、『バスの右側の席の人たちは被害者、左側の席の人たちは被害者ではない』と言ったらどう思うか。今、国と東電が福島県民にやっていることは、それに近い」──。馬奈木厳太郎弁護士は厳しい口調で語った。

 生業(なりわい)訴訟「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」とは、福島第一原発事故による救済を求める裁判の中で、一番規模が大きいものだ。東日本大震災当時、福島県または隣県に在住していた住民らが原告団を作り、震災前の日常生活を取り戻すことを目的に、国や東電に対して補償を求めている。2013年3月11日に800人の原告でスタートし、現在の原告数は約4000名にのぼる。

 2015年3月9日、東京都渋谷区の代官山ユナイスにて、「第40回 ロックの会 ―『福島から闘う。そして、調書を読み解く。原因を探り、考える。あの日、なぜ被害は拡大したのか』」が開催された。

 この日はゲストオーガナイザーの掘潤氏と、ロックの会発起人の松田美由紀氏が司会役を務め、第1部に、「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」の馬奈木厳太郎弁護士と原告団事務局長の服部浩章氏、第2部には、元原子炉格納容器設計者の後藤政志氏がゲストとして参加した。

 馬奈木氏は裁判について、「年間20ミリシーベルト以下は我慢しろ、というのが国と東電の主張だ。原告側が『生活を元の状態に戻せ』と言うと、東電は『一企業では金がかかりすぎて無理』と開き直る。われわれは、『(ほかの原発の)再稼働を進めるなら、そこで今と同じことを言ってみろ』と批判した」と語った。

 専門家の立場で、2011年3月17日からインターネットで原発について発言を始めたという後藤氏は、「マスコミの報道は、まったくウソばかりだった」とし、それでも原発をやめようとしない日本政府を批判。「国の安全保障上、原発がある場所が急所になる。原発を持っていることで、相手に核兵器を与えたのと同じことになる」と警鐘を鳴らした。

 さらに、現在、再稼働に向けた動きが加速している川内原発と高浜原発に共通している加圧水型原子炉の欠陥について、その危険性を指摘した。

 また、映画監督の鎌仲ひとみ氏が、最新作『小さき声のカノン』の紹介と、映画のテーマでもある子どもの被曝について、思いを語った。

記事目次

■ハイライト

  • ゲスト 馬奈木厳太郎氏、服部浩章氏、後藤政志氏
  • ゲストオーガナイザー 掘潤氏

福島県全59市町村から原告団4000人が叫ぶ「生業を返せ」

 最初のテーマは、福島の生業訴訟「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」だった。訴訟団の弁護士である馬奈木氏、二本松市在住で原告団事務局長の服部氏が登壇。はじめに馬奈木氏が、この裁判の概要を説明した。

 2013年3月11日に800人の原告でスタートした生業訴訟は、昨年2014年11月、4回目の追加提訴を行い、原告の人数は約4000名に膨れ上がっている。これは、原発事故の被害救済を求める裁判では最大規模だ。

馬奈木氏は、「原告団には、裁判をしたかった人は1人もいないはずだ。裁判をしなくて済むなら、そのほうがいいのだから。原告たちは、福島の将来と自分の尊厳を守るため、止むに止まれず立ち上がった」と、提訴までのいきさつを語った。

 そして、被告である国と東電に求めている「原状回復」とは、原告の生活を原発事故の前日(2011年3月10日)の状態に戻すだけでなく、被害の原因になった原発そのものが存在しない状態を求めるものだ、とした。

 二本松市で小さなスーパーを経営しているという服部氏は、「自分が住むところは、それほど被害はなかった。震災後も日々の生活の多忙さで、原発や被曝については無頓着なほうだった」と前置きし、原告団に加わった理由を以下のように話した。

 「2013年、二本松市が派遣したウクライナ視察団に、縁があって参加した。チェルノブイリ原発事故で、今の二本松市と同程度に汚染された町や村に行き、現地の住民らをホールボディカウンターを使って被曝検査した。住民らは貧しいこともあって、原発事故後も自生キノコを食しており、8000ベクレルなど高い内部被曝の人が大勢いた。一方、大都会のキエフは発展していて、私はその格差にショックを受けた。

 たぶん、20数年後には、日本もウクライナと同じになると痛感した。安倍政権のオリンピック誘致を見ると、原発事故は福島だけの問題にされている。被災地の人間が声を上げないと忘れられると思い、原告団に加わった」

加害者が被害者を「仕分け」する理不尽

 生業訴訟の特徴は、福島県内の全市町村から原告団に参加していることである。その理由を尋ねられた馬奈木氏は、このような例え話で応じた。

 「皆さんがバスに乗っていたら、トラックがぶつかってきたとする。そのトラック運転手が、『バスの右側の席の人たちは被害者で、左側の席の人たちは被害者ではない』と言ったらどう思うか。『なぜ、おまえがそれを決めるのか』と怒りにかられるだろう。今、国と東電が福島県民にやっていることは、それに近い」

 そして、馬奈木氏は、この訴訟には2つのポイントがある、と続けた。

 ひとつは前述のように、国と東電が勝手に「被害」の内容を決め、地域を勝手に線引きして「被害者」を決め、それに伴う賠償金を一方的に決めていることだ。「原発事故から4年間、被害に対する責任や、住民の気持ちを無視し、お金だけで解決しようとしている」と馬奈木氏は指摘する。

 もうひとつは、放射能は県境で止まらないということであり、「それをはっきりさせるため、福島県全59市町村から参加してもらった」と説明した。

「年間20ミリシーベルト以下は我慢しろ」が国と東電の主張

 「避難した、しないで、福島の住民は分断された。この分断を、どのように原状復帰させていくかも大きな課題だ」と言う堀氏は、服部氏が県外に避難した被災者をまとめるために、沖縄県まで飛んで説得して回ったことを紹介した。そのような尽力の末、沖縄に避難した100人近い福島県民も原告団に加わっている。

 福島に住み続けている自分が、被曝を懸念して沖縄に避難した人たちに会いに行ったら、どう思われるか正直怖かった、と言う服部氏。しかし、その反応は服部氏の想像とは異なるものだった。

 「避難した人たちと話し合うと、国と東電の責任を問わなくてはいけないと感じた。また、福島県民の避難者には家賃補助は出るが、栃木県、茨城県からの避難者には何もない。だから、(この訴訟は)そういう人たちにとっても励みになる、と逆に励まされた」

 堀氏は、「福島第一原発事故の責任の所在は、どこにあるのか」と述べ、予見できない自然災害だから、誰にも責任がないように言われているが、本当に津波の予見も対策もできなかったのか、と疑問を口にした。

 この裁判での、東電や国の言い分のひとつは、「年間20ミリシーベルト以下は被害はない」というもの。そうであれば、その地域の地価下落などがあっても賠償責任はなく、健康被害もないのでケアをする必要もない、という主張だ。また、「津波は予見できなかったので(原発事故は)自然災害だ」と繰り返してもいる。

 堀氏から、「裁判ではこれらの審理を重ねているが、どこまで進んでいるのか」と尋ねられると、馬奈木氏は次のように話した。

 「年間20ミリシーベルト以下は我慢しろ、というのが国と東電の主張だ。こちらが『元の状態に戻せ』と言うと、東電は『一企業では金がかかりすぎて無理』と開き直る。われわれは、『(ほかの原発の)再稼働を進めるなら、そこで今と同じことを言ってみろ』と批判した」

吉田調書に東電の過失を発見

 東電は、今回のような津波の危険はわかっていた、と馬奈木氏は言う。

 「すでに14年前、防波堤が余裕のない高さになっている、と自己評価をしていた。また、吉田所長の調書の中に、1991年、内部の配管の水もれで、非常用ディーゼル発電機が水をかぶった事故があったことが記されている。

吉田所長は、『今回の事故の次に、大きな事故だった』と告白しており、(東電は)これを教訓にしていなかったことがわかった。その上、護岸壁をかさ上げすることも、株主総会に配慮して実行しなかった」

 そして馬奈木氏は、「かつての水俣病、イタイイタイ病、四日市や川崎の公害と同じことを繰り返して、人の命や健康よりも経済活動を優先させる社会のあり方は、もう止めよう、というのが私たちの主張だ」と力を込める。当初、裁判所はこうした原告側の主張に乗り気ではなかったが、だんだん責任解明に前向きになってきたとして、「今、大詰めだ」と語った。

 

 堀氏は、話題に出た吉田調書について、「2014年の夏前に、朝日新聞がスクープした。福島第一原発事故の発災時、吉田所長の指示に反して所員が逃走していた、という部分が注目を集めた。それが、朝日新聞誤報問題にすり替わり、検証委員会で一定の解明がなされたら、あっという間に世間から消えた。

 実際に、公開された吉田調書を読んだ人は少ないと思う」と話すと、すでに200人以上の調書が公開されている、内閣官房調書「政府事故調査委員会ヒアリング記録」のホームページをスクリーンに映し出した。

 馬奈木氏は、吉田調書をめぐる裁判所との一連のやり取りについて、「裁判長は、吉田所長の発言にあった過去の配管の水漏れ事故を、どう(安全対策に)反映させたか、国と東電に問い質して、回答は次回の宿題とした。しかし、期限になっても国は答えをスルーし、その次の法廷では、『内部の配管の水漏れに対しては対策をとった』と答えた。それに対して私たちは、『水対策は、中も外も関係ない。しかも、福島第一原発の配電盤は地下1階のもっとも低いところに設置してある。にもかかわらず、バックアップ(保険用のもう1台)もない』と追及した」と語った。

 さらに、1993年の北海道南西沖地震による奥尻島の大津波を受けて、1998年、国は従来の2倍の余裕をみた津波対策を指導したことや、2002年には国の外郭組織の地震予想で、福島沖のプレート型大地震が指摘されていたことにも触れて、「これらの事実からも、東電は、津波の影響などを認識していたはずだ」と指摘した。

「まだ何も始めることができない十数万人の被災者がいる」

 政府が、メルトダウンをなかなか認めなかった問題について、堀氏は、発災当時の自分のツイート(ツイログ)を紹介し、事故による重大な情報を出そうとしない政府の姿勢を振り返った。

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