資本家、社会主義者、ボルシェビキ、劣等民族……。
デマや偽書、似非科学まで用いて作り上げられたユダヤ人像は、世界が近代化する19世紀から20世紀にかけてもなお、大衆煽動の道具として流布され続けた。
ユダヤ学の専門家・赤尾光春氏へのインタビュー第2夜では、近代を通じて帝政ロシア、ナチス・ドイツ、そしてスターリンのソ連という強国の「狭間」で翻弄されるウクライナとユダヤ人の運命が焦点となり、反ユダヤ主義がポグロムやホロコーストの災厄へとつながる局面が詳細にわたって解説された。
※インタビューの実況ツイートに訂正・加筆をしたものを掲載します。
特集 ウクライナのネオナチとアゾフ大隊の実態
資本家、社会主義者、ボルシェビキ、劣等民族……。
デマや偽書、似非科学まで用いて作り上げられたユダヤ人像は、世界が近代化する19世紀から20世紀にかけてもなお、大衆煽動の道具として流布され続けた。
ユダヤ学の専門家・赤尾光春氏へのインタビュー第2夜では、近代を通じて帝政ロシア、ナチス・ドイツ、そしてスターリンのソ連という強国の「狭間」で翻弄されるウクライナとユダヤ人の運命が焦点となり、反ユダヤ主義がポグロムやホロコーストの災厄へとつながる局面が詳細にわたって解説された。
記事目次
赤尾「19世紀の末、ポグロム(ユダヤ人虐殺)が起こりますが、その前後に大ロシアの反ユダヤ主義が出る。ウクライナの経済面ではユダヤ人の工場主などが現れて、ほんとうに一握りですが、ブルジョアが出てくる。
同時に都市問題やプロレタリア化などを伴いながら産業資本主義に反発する社会主義が生まれますが、社会主義者の中にはユダヤ人も多いと見られた。結果、ユダヤ人は資本家でかつ社会主義者であるという矛盾したイメージで捉えられました。
とにかく諸悪の根源はユダヤ人。加えてドイツ流の人種的反ユダヤ主義も19世紀頃に輸入される。そこで積もり積もったルサンチマンがユダヤ人に向けられる」
岩上「人種的反ユダヤ主義はナチズム以前の19世紀の時点でドイツにはもう生まれていたのですね」
赤尾「1870年代前後あたりからドイツ中心に、人種的に劣等民族があると主張する似非科学的な理論家が出てきます」
岩上「ドイツではアーリア人種を誇ります。似たようなことがロシアでも大ロシア主義のショーヴィニズムして勃興するのですか?」
赤尾「ロシアの場合、影響力は一部の知識人に限られました。ウクライナはまだ近代化が遅いので、キリスト殺しのような中世の伝説や血の中傷のデマですね。
有名なポグロムは1881年に起きますが、実はその前にオデッサでも起きています。オデッサはエカチェリーナ時代に港町として外国人を優遇し、ユダヤ人も優遇しましたが、そのオデッサでポグロムが起きた。
このポグロムを起こしたのは実はギリシャ人だった。ギリシャ人は穀物商の承認が多かったのですが、ユダヤ人も後から入ってきた」
岩上「両者はライバル関係にあったということですね」
赤尾「1871年に8人が殺され、小規模ながらユダヤ社会に衝撃を与えます。
続いて81年から83、4年までロシア南部の各地でポグロムが起きる。クリミア半島のちょっと上辺り。だからもっぱら今のウクライナ南部ですね。この数年間で50人近くが殺されている。
当時、反動勢力のロシア帝政に忠誠を誓うような雑多な階層から黒百人組という極右が、不満分子の町人と結託し、ある種の自警団を結成していた。それが勝手にユダヤ人を略奪し、殺した。あるいはレイプをし、財産をめちゃくちゃにする。
キシニョフで1903年に起きたポグロムでは50人が殺され、この時は国際的な非難の対象になる。トルストイのようなロシアのインテリたちも支援のために動くなど、国際的な救援ネットワークの先駆けと言ってもいい。それだけインパクトがあった。
この頃から当局はもうユダヤ人を目の敵にし、ポグロムを煽る。一方キシニョフのポグロム以降はユダヤ人が自警団を作って反抗。その鎮圧のために、またポグロム紛いのことをする。この時期のポグロムでは、少なくとも2000人から3000人近くが数年間で殺された」
岩上「この時代、民衆の自然発生的な暴力だけじゃなくて、組織的な弾圧が加えられる中で、『シオンの長老の議定書』のような偽書が生まれてきます」
赤尾「19世紀末から20世紀初頭にかけて、ポグロムと当局が結託する際に秘密警察が流すデマ本ですね。
完全にユダヤ陰謀論のデマ本ですが、特にロシア内戦で白軍が『革命家はみんなユダヤ人だ』という陰謀を広め、自分たちに有利に展開させるためにパンフレットをさんざん作るんですよね。それがやがて西に流れヒットラーが最大限に利用する。
日本も無関係ではなくて、シベリア出兵で白軍のロシア兵と日本兵が極東で接触し、パンフレットが日本にも伝わる」
岩上「軍人が日本に持ち帰り、昭和初頭に出版されますが、今でも同じようなユダヤ人に対する妄想が広まっています」
赤尾「30年代前から始まるスターリンの大粛清。これでまた物凄い数のウクライナ人が殺されます。この37年の大粛清は、特定の民族をパージしたわけではないですが、スターリンは30年代を通じて、20年代のウクライナ化政策を押し進めた人たちをほとんど粛清した」
岩上「当初のソ連は西側より先進的であることが売りで、各民族の自治や言語など、多様な文化と民族を認めたことにした。実際には中央集権ですが。宗教だけは阿片だとマルクスが言った通り認めなかったですが。
ところが30年代からのスターリン時代には各民族化を中止していく」
赤尾「ロシア化していく」
岩上「だからウクライナが反ボルシェビキ、反共産主義、反ソ連、反ロシアになるのは分かりますが、一方、同時に反ユダヤも併せ持つのはなぜでしょう?」
赤尾「それはユダヤ・ボルシェビズムの神話。内戦期に広まったのと、後にナチスが広めるものがありますが、ロシア革命がウクライナ人にとって意味したことと、ユダヤ人にとって意味したことが相当違うわけですね。
帝政時代にはウクライナ人もユダヤ人も等しく抑圧されましたが、ロシア革命により、30年代全般を通じて、少なくとも独ソ戦まで、ユダヤ人は色々な場に進出していけたし、ユダヤ人だからといじめられることはなくなりました。
トロツキーの鉄の鉄則が30年代は受け継がれ、モスクワで反ユダヤ主義的なことを叫んだり落書きしてバレたら……」
岩上「シベリア送り」
赤尾「したがって反ユダヤ主義は沈静化する。他方、ウクライナ人の一部に鬱屈したものも出てくる」
赤尾「このユダヤ・ボルシェビズム論は戦前日本の軍部の間でも広まりましたが、それが今になってネットを通じてぶりかえしている。『シオン議定書』をそのまま載せたり、それに絡んでアンネの日記の捏造論が持ち出されたり。完全にナチのプロパガンダと同じです。
革命運動でのユダヤ人の役割となると、ボルシェビキの中にいるにはいた。幹部ですね。でも、たとえば二月革命のとき、ボルシェビキは2万人以上いて、ユダヤ人は360人ぐらい。そんなに多くないですね。
確かにボルシェビキ指導部の中にユダヤ人はいたことは確かで、レーニンも祖母がユダヤ系。統計では23年から30年のソ連政府の官僚の23人中の5人がユダヤ人。多いですが、ボルシェビキをユダヤ人が支配していたとまでは言えない。
あとは、スターリンの側近で非常に悪名高いユダヤ人が二人います。ヤゴーダという人物は、スターリンの1937年の大粛清の一歩前、1934年から36年にかけての粛清を取り仕切っていた。
それからカガノーヴィチという人物はウクライナ出身で、ウクライナのナショナリストを弾圧した張本人の一人。また多数のウクライナ人餓死者を出した大飢饉の責任はそれなりにある。しかし複数のうちの一人です」
赤尾「ホロコーストはソ連ユダヤ人の受難。41年にナチが侵攻した地域では皆殺し政策が行われ、その時点で半数近くを殺戮。ゲットーに集めるか、穴を自分で掘らせ銃殺。ガソリンで一酸化炭素中毒にさせる方法もあったが、効率がよくないのでガス室が考案された。
ソ連ではユダヤ反ファシズム委員会が結成され、委員長のミホエルスとお目付のフェフェルの二人で西側へ乗り込み、アインシュタインやアメリカのユダヤ人富豪や文化人に会い莫大な戦費を調達する。スターリンはそれをソ連軍に投じる。
43年になるとホロコーストが次々と明らかになり、ウクライナユダヤ人の生き残りはタシュケントや中央アジアに疎開。しかし、疎開した人たちがウクライナに戻るときに住む場所がない。そこで反ファシズム委員会はクリミア自治共和国を構想する。
ミホエルスなどがソ連外相モロトフに相談し、モロトフが好意的だったこともありユダヤ人側は希望を持ってしまう。こういう構想が草の根的に広まりますが、独ソ戦終結の後には、これが仇になる。
独ソ戦終結直後、スターリンはユダヤ人の解放者でした。しかしまた引き締めをする。49年に『外国文化に跪いて拝む』ということでコスモポリタンはパージされますが、当然ユダヤ人が多かった。ユダヤ人は西側と通じているとされた。
ソ連のユダヤ人の一部にイスラエル成立を歓迎するムードがあり、スターリンはそれを察知する。ユダヤ人は西側に通じている、イスラエルと通じているとされた。48年にはミホエルスが暗殺される。
しかしスターリンはイスラエル独立時にいち早く承認。またチェコを通じて武器をイスラエル独立軍に送っている。しかし、内ではユダヤ人の民族文化を徹底的に根こそぎにする方針を貫く。
49年には錚々たるイディッシュ文化の優れた作家、詩人、俳優などのほとんどが捕まり、52年に銃殺されます。クリミア半島にアメリカと組んでユダヤ自治州を作ることが反ソ的とされた」
赤尾「ソ連のユダヤ人については、スターリン死後は身の危険まではさすがに感じませんが、フルシチョフ時代、ブレジネフ時代、ペレストロイカまでは、個別のユダヤ人として差別される。パスポートにユダヤ人というスタンプがあると、それでもう職場差別がある」
岩上「権力の階梯を上がれなくなるわけですね」
赤尾「非常に抑圧的な体制になり、集団としてのユダヤ民族文化を自由に展開・発展できない。シナゴーグには監視つきのラビがいて、ヘブライ語を勉強したら駄目。さもなくば、反ソ的シオニストとされた。また、反ユダヤ主義のプロパガンダが徹底されていた。
学校の教師がユダヤ人学生を反ユダヤ的に虐めるなど、ユダヤ人は色々嫌な目に遭う。ソ連のユダヤ人が民族的誇りを回復するのが、67年の第三次中東戦争でイスラエルがアラブに勝った時。その知らせで、一部の民族意識の強いユダヤ人が溜飲を下げた。
ユダヤのユダヤ人として生きたいという思いが強い人には、イスラエルとユダヤ教がアイデンティティの核になり、地下で秘密の勉強会をする。ヘブライ語やユダヤ史を勉強し、その流れでブレジネフ時代に西側と若干関係が緩んだ時にイスラエルへ出国できた」
岩上「なぜ、ソ連はイスラエルが誕生した後も、アメリカが以前より受け入れる状態になっても、自分たちのソ連のユダヤ人を引き止め続けたのか。これは不思議ですよね。ペレストロイカまで自由に出国できなかったですよね」
赤尾「ユダヤ人以外でもそうですが、やはり知識人の亡命はソ連にとって打撃」
岩上「非常に気にしますよね」
赤尾「出て行けばソ連批判をして、西側の反ソ勢力を強めるだけであると。ましてやユダヤ人が行けば、となる」
(第3夜へ続く)
歴史を学びなおす事によって見えてくる政変の姿。知的好奇心を刺激するインタビュー&文字起こし。