返ってきた言葉は「原発事故が起きないように、がんばる」だった 〜菅元首相、「最悪」への対応を他人任せにする電力会社に苦言 2013.12.9

記事公開日:2013.12.9取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ 富田/奥松)

 衆院議員の菅直人氏による講演会「福島第1原発事故 総理大臣として考えたこと〜大間原発を止めるには」が、2013年12月9日(月)、北海道の函館市民会館小ホールで開かれた。

 3.11当時、首相の立場で対峙した福島の原発事故には「背筋が寒くなる思いがした」と明かした菅氏は、「有事の折の原発は、火力発電所とは桁違いの危険性に包まれる」と強調。「福島の事故は、東京の強制避難区域入りを意味する『最悪シナリオ』を、ほんの紙一重のところで回避できたに過ぎない。もう少し事態が深刻化していたら、東京にも強制避難命令が出ていた」と明かした。

 菅氏は、この日の講演で、「原発の安全性を過信していた、かつての自分が恥ずかしい」と、自責の念も口にしており、さらにまた、小泉純一郎元首相による「原発ゼロ」発言を讃える意向も表明している。

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  • 日時 2013年12月9日(月)
  • 場所 函館市民会館小ホール(北海道函館市)

 「これから行われる菅元首相のスピーチから、『大間原発の建設を止めるための処方箋が何であるか』が見えてくる、と期待している」。司会者の、こうした紹介を受けて登壇した菅氏は、一昨年の3月に起きた東京電力福島第一原発事故に、首相の立場でいかに対応したかについて語り始めた。

 「3月11日の巨大地震発生直後に、私に届いた最初の報告は、福島第一原発は無事に停止した、という内容だった」と切り出した菅氏は、ほっとしたのも束の間、津波襲来後に入ってきた報告は、どれも背筋が寒くなる内容だったことを説明した。

 「まず、すべての電源が喪失したという知らせがあった。さらには、すべての冷却機能が停止したと……」。菅氏は「有事の折は、火力発電所と原子力発電所では、わけが違う」と語気を強めた。「石油を止めたり、ガスを止めたりすれば、あとは放っておいても自然に火が消える火力発電に対し、原発は、自己崩壊熱といって、ウラン燃料自体が核の崩壊を通じて長期間ものすごい量の熱を発し続ける。そして、その熱を冷やせなくなったら、メルトダウンが起こる」。

「東京消滅」も覚悟した

 「原子炉の圧力容器内にある、燃料棒を冷やすための水がなくると、メルトダウンが起きる」。福島第一原発事故の核心部分に話が及ぶと、菅氏の議論は詳しさを増した。「当初は私も、メルトダウンにまでは至らないだろうと踏んでいたが、今わかっているのは、1号機は3月11日の夜8時には、メルトダウンしていたということ」とし、そのメルトダウンが質的に、1979年に米国ペンシルバニア州スリーマイル島で起きた原発事故よりも、格段に悪いものだったことを、こう強調した。

 「スリーマイル島の事故では、燃料棒が入っている、厚さ20センチメートルぐらいの鋼鉄製の圧力容器の中の水が3割程度失われ、燃料棒が部分的に露出したが、溶けたものは圧力容器の中にとどまった。つまり、放射性物質は、さほど外部には漏れていなかったのだ。ひるがえって福島の事故は、1号機の圧力容器の水は、事故発生から約5時間後には枯渇している。結果、ほぼすべての燃料棒がメルトダウンしており、溶けた燃料棒は約2000度もの高熱で容器の底に穴を開け、圧力容器の外部を覆っているコンクリート製の格納容器の底部に垂れ落ちてしまった」。

 フクシマショックが「最悪の事態」に至らずに済んだのは、その1号機の格納容器が、かろうじて持ちこたえたからだ、と菅氏は言う。「格納容器のコンクリートの厚さは3メートル程度。その底部も高熱でだいぶ削られているようだが、注水が再開されたことで、持ちこたえたのだ。仮に、注水が再開される前に、溶けた燃料棒が底部をも抜いて、どどっと外部に漏れ出していたら、東京に人は住めなくなっていた」。

事故後の対応は「電力会社」が考えることではない?

 結局、福島第一原発事故は、発生から100時間も経たないうちに、3つの原発がメルトダウンとメルトスルー(溶けた核燃料の流出)し、3つの原発が水素爆発を起こすという、世界にも類を見ない深刻なレベルに達した。そして、菅氏は「これで一件落着、と見るのは早計だ」と警鐘を鳴らす。福島第一原発には、今なお「再臨界」という大きな不安要素が残っているためだ。「1号機の溶けた燃料棒が、仮に山盛りの格好で溜まっていれば、再臨界、要するに、もう1回、核反応が始まる可能性は消えていない」。

 そして、「現代において、(その壊滅力で)原発事故に匹敵するのは『戦争』しかない」と語気を強めた菅氏は、静岡県御前崎市にある浜岡原発の件で、中部電力の担当者と交わした会話を紹介した。

 「その担当者が、浜岡原発の堤防、扉、電源などに施した安全策を小1時間ぐらいかけて説明してくれたので、私は『その努力はわかるが、もしも浜岡原発が、福島第一原発と同程度の事故に見舞われたら、どれほどの数の人が避難することになるのか』と質問した。担当者はしばらく黙り、返ってきたのは『……私たちは原発事故が起きないようにするのが仕事で、事故発生後の避難などは、県や国が考えることになっている』という、にべもない言葉だった」。

 中部電力の姿勢は、フクシマショック前と何ら変わっていないと、菅氏は懸念を表明し、「青森県に建設中の大間原発でも、電源開発は同様の発言をしているらしい。だが、(原発で事業を営む電力会社が)『事故後の住民避難などは、自分たちが考えることではない』と主張していいはずがない」と述べた。

安倍首相は「元親分」の主張に従え

 講演の終盤、菅氏は「原発の設置は、敵軍やテロリストに対し『格好の標的』を与えているのと同じだ」と危惧した。原発をミサイルで攻撃されたり、乗っ取られた旅客機で突っ込まれたら、人類の手に負えない破局が待ち受けている、との警告だ。「2001年9月11日に米国で発生した同時多発テロ以降、米国は真剣に原発へのテロ攻撃を恐れているが、日本はその辺の危機意識がまるで薄い」。

 菅氏は、米国ではピーク時に105基あった原発が、今や95基にまで減っていることを指摘した上で、「安全性重視とともに、原発の価格が吊り上っている」「原発は、そもそも損害保険に馴染まない」などと語り、「もはや、原発設置は経済的にも見合わない」と言明した。「それでも原発を持とうとする国には、『自分たちは、いざとなれば、プルトニウム技術転用で核兵器を作れる』と、諸外国に脅しをかけたい本音がある。天然ガスの購入を巡るロシアとの軋轢を避けたいがために、原発を持つ国もある」。

 最後に菅氏は、小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」発言を讃える意向を表明した。「自民党の中にも、本音の部分では脱原発の議員が大勢いる」とした菅氏は、「野党は脱原発で足並みがそろっている以上、ここで安倍首相が元親分(小泉氏)の主張に倣えば、日本の政治は『原発ゼロ』という国民ニーズを汲む方向に一気に動き始める」と声を弾ませた。

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「返ってきた言葉は「原発事故が起きないように、がんばる」だった 〜菅元首相、「最悪」への対応を他人任せにする電力会社に苦言」への1件のフィードバック

  1. 宇佐美 保 より:

    確かに今回の福島原発事故に対しては、菅さんのお話のように、まるで「神のご加護」があったかのようにも思えます。
    しかし、免震重要棟なくしては、吉田所長も何ら手を打てなかったのでしょうから、
    「岩上安身による泉田裕彦新潟県知事インタビュー」に於いて、
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/100574
    “地震の影響でホットラインがつながらなくなったことを受け、周囲に止められながらも「ここで黙ったら人類に対する犯罪だと思った」として免震重要棟を作り、3.11の半年前には福島にもできたことで、最悪の事態を免れた”と吐露されておられる泉田知事のご尽力を忘れてはならないと存じます。
    そして、原発反対運動に携わる方々は、小説「原発ホアイトアウト」の伊豆田新崎県知事のモデルとも思える泉田知事と手を携えて行くべきと存じます。
    そのことで、泉田知事を不当逮捕から守ることも出来るのではないでしょうか?

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