数十人もの人間がビルに閉じ込められ、火をかけられて、焼き殺される。21世紀の出来事とは思えない、信じ難い惨劇が起きた。場所はウクライナの南部、黒海に面した港町オデッサ。時は2014年5月2日、金曜日のことだ。
(取材・文:ゆさこうこ・岩上安身、文責:岩上安身)
数十人もの人間がビルに閉じ込められ、火をかけられて、焼き殺される。21世紀の出来事とは思えない、信じ難い惨劇が起きた。場所はウクライナの南部、黒海に面した港町オデッサ。時は2014年5月2日、金曜日のことだ。
記事目次
事件の発端は5月2日、オデッサ市内で起きた。親欧米派のデモ隊と、ロシア系住民とのあいだの衝突だった。この衝突では、石や火炎瓶が投げられ、少なくとも4人が死亡した。さらに、親ロシア派住民が立てこもった労働組合の建物が放火され、46人が死亡、200人以上が負傷した。イタルタス通信やロシア・トゥデイは、この放火がウクライナ民族主義の過激派右派セクターによるものだと伝えている。
▲オデッサの労働組合の建物で生きたまま多くの人が焼き殺された(2014年5月2日)
※オデッサの惨劇については、その生々しい一部始終を「マスコミに乗らない海外記事」さんが写真付きで詳細に記事化している。こちらもぜひ、ご覧頂きたい。
死亡者のうちの多くが一酸化炭素中毒によるものだが、建物から逃げようとして窓から飛び降りて死亡した人もいるという。また、窓から飛び降りて逃げた人々を右派セクターが取り囲んで殴ったとも伝えられている。
反政府活動家の一人が、ロシア・トゥデイによるインタビューで放火の様子を語っている。それによると、右派セクターが労働組合の建物を取り囲み、閃光弾や催涙ガスを使って攻撃した。そして、彼が二階の窓から飛び降りて逃げたとき、右派セクターによってバットやチェーンで殴られ、負傷したという。
冒頭、「21世紀とは思えない」とあえて記した。ひとつは、このオデッサという街には「ポグロム」という名称で呼ばれる、忌まわしいユダヤ人虐殺の記憶が刻まれているからだ。
18世紀でも、19世紀でも、20世紀でもなく、この21世紀に過去の悪夢を想起させる事件がこのオデッサで起きたのだということ。今回の事件がユダヤ人だけを標的にしたわけではないにせよ、やらかしたのは名うての反ユダヤ主義的なウクライナ・ナショナリストの右派セクターである。悪夢の記憶が蘇らないわけがない。
もうひとつの理由は、ケリー米国務長官が別の事件を指して同様の表現を用いたためである。それも反ユダヤ主義に深く関わるのだが、このことは記事の後段で言及するので、記憶しておいていただきたい。
私の祖父は、革命前の帝政ロシア時代、このオデッサに5年間住んでいたことがある。飛行機の技術者としてロシアに飛行機製造技術を学びに行っていたのだという。祖父は私の生まれる前に亡くなっているので、直接、その思い出話を聞いたことはない。祖父と会うことができていたら、きっとウクライナ名物の豚の脂身の塩漬けサーロやボルシチの味とともに、ユダヤ人たちとの交流の思い出も語ってくれたことだろうと思う。
もともとオデッサは、多民族が集まるコスモポリタンの街、国際的な商業都市であり、かつてはユダヤ人が人口の半数近くを占めていた。
この衝突の起こる数日前の4月29日、オンラインジャーナル「ストラテジック・カルチャー・ファンデーション」のアレクサンダー・ドネツキー氏が、なぜオデッサで新政権に対する抗議運動が起こっているのかを論じている。
第二次世界大戦が起こると、他の民族の住民が逃げ出し、オデッサは逃げ遅れたユダヤ人たちが町の人口の80%から90%を占めるに至ったが、その多くがナチスやウクライナの民族主義者によって殺された。ユダヤ人人口は激減したが、それでもオデッサは今なおユダヤ人の人口比が高い。そのため、スボヴォダ党のような反ユダヤ主義者が含まれるキエフの新政権は彼らにとって受け入れ難いものだという。
「ウクライナ警察のユダヤ人の扱い方は、ドイツ人によるものと同じくらいひどかった。彼らはナショナリストのイデオロギーを擁護し、それは現在のウクライナの国家イデオロギーになっている。マイダンの『ウクライナ万歳、英雄に栄光あれ!』というスローガンは、ヒトラーに忠誠を誓ったアプヴェーア[1921年から44年まで存在したドイツ軍の諜報機関]のエージェントだったステパン・バンデーラにちなんで名付けられたウクライナ国粋主義組織の合言葉にほかならない」。
ウクライナの根深い反ユダヤ主義と、オデッサをはじめウクライナ各地で起きたポグロム歴史については、私のインタビューにこたえて、大阪大学助教の赤尾光春氏が詳しく解説している。ぜひ、御覧いただきたい。
ウクライナの東部・南部での情勢の悪化を受け、国連安全保障理事会の緊急会合が2日に開かれた。この席でロシアのヴィタリー・チュルキン国連大使は次のように述べた。
「私たちは非常に当惑している。ウクライナ南部の都市オデッサからの情報によると、”右派セクター”の暴漢たちが労働組合の建物に押し入り、38人の人々を焼き殺したという。こうした行為は、ナチの犯罪を連想させる。ウクライナのウルトラ・ナショナリストたちは、ナチからイデオロギーのインスピレーションを得ている。
私たちは、アメリカのジョン・ケリー国務長官、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイアー外相、フランスのローラン・ファビウス外相、イギリスのウィリアム・ヘイグ外相に、ロシアとともに明確にこの野蛮な行為を非難するよう求める」
しかし、世界の反応は恐ろしいほど鈍かった。
米国とヨーロッパ諸国は、オデッサの蛮行を非難するよりも、ロシアがウクライナの親ロシア派住民を支援していると非難することに熱心だった。
オデッサの惨劇は、ウクライナの国民が同じウクライナの国民を焼き殺したという事件だ。純然たる犯罪であり、当然、犯人は厳重に処罰されなくてはいけない。しかし犯行グループの一部に右派セクターが加わっていると世界中に報じられているのに、右派セクターのメンバーが閣僚の一角をになっているウクライナ暫定政権には、真剣な捜査に乗り出す気配がまるでない。事件の起きた5月2日、キエフの暫定政権が着手したことは、東部で大規模な軍事作戦を開始することだった。4月17日のジュネーブ4者協議の合意は、すでにその遂行が危ぶまれている。
ジュネーブ合意について、ふり返ってみよう。4月17日、ジュネーブで、ウクライナ問題の解決策を探るため、アメリカ・ロシア・EU・ウクライナの4者協議が始まった。アメリカのケリー国務長官、ロシアのラブロフ外相、EUのアシュトン外務・安全保障政策上級代表、ウクライナのデシツァ外相が出席した。
話し合いは、はじめから噛み合っていなかった。アメリカ、ウクライナ、EUは、 ウクライナ東部の親ロシア派武装勢力に対してロシアが支援を行っていると決めつけ、ロシアにそれをやめるよう要求した。だが、ロシアは、そもそもそうした支援はしていないと明言しており、事実関係についての主張が根本的に食い違っていた。
協議後に発表された共同声明には、親ロシア派武装勢力が武装解除すること、武装勢力が不法占拠している建物から撤退することなどが盛り込まれた。
「全ての者が、暴力、威嚇行為、挑発行為を慎まなければならない。我々は、反ユダヤ主義を含め、過激主義、人種差別主義、宗教的不寛容の表現を強く非難し、それらを拒絶する。
非合法的武装集団は全て、武装解除しなければならない。不法に占拠された建物は全て正規の所有者に返されなければならない。ウクライナ諸都市の不法に占拠された道路・広場・公共の場は全て明け渡されなければならない」
この時点ですでに「反ユダヤ主義」という文言が声明に盛り込まれていることに注意を払う必要がある。キエフの暫定政権の一角にウクライナ民族主義者が食い込んでおり、彼らが悪しき反ユダヤ主義の伝統を引きずっていること、その評判の悪さを4者協議の参加者たちが敏感に意識していたことが見てとれる。
別のいい方をすれば、「反ユダヤ主義」というレッテルは、強い政治カードになりうるということでもある。
声明では、欧州安全保障協力機構(OSCE)の特別監視団がウクライナ政府に対する支援をリードし、アメリカ・ロシア・EUはそれを援助することが明示された。
だが、この声明は具体策に欠けた抽象的なものにも思われた。この協議に参加していない親ロシア派武装勢力の武装解除を決定する一方で、この協議に参加したアメリカ・ロシア・EUが具体的に何をなすべきかは書かれていないのだ。
だが、ケリー米国務長官は、ロシアが数日以内に緊張緩和措置を講じなければ、ロシアに対して追加制裁を行うと述べた。強硬な姿勢でロシアに詰めよったわけである。
さらに、ケリー国務長官は、この4者協議の席で、ある文書を取り上げ、「21世紀に存在するべきではないようなグロテスクなビラだ」と批判した。その文書には、「ドネツク人民共和国」の「デニス・プシリン」と署名されていて、ウクライナのドネツク東部都市に住むユダヤ人に登録と財産について報告するよう要求し、そうしなければ市民権を剥奪すると書かれていた。「デニス・プシリン」なる者は、ウクライナ東部の都市ドネツクをウクライナから独立させるべきだと主張し、同時にナチスばりの反ユダヤ主義者ぶりを示しているというわけだ。
冒頭に書いた「21世紀とは思えない」という表現は、このケリー国務長官の言葉を指す。この文書に対してケリー長官が露わにした嫌悪感はもっともなことだ。
しかし、これほど高い注目を集める外交の場で威勢のいいタンカを切ったというのに、後になって、ケリー国務長官がふりかざしたそのビラが、なんと偽文書であることが明らかになってしまった。文書に名前が記されたデニス・プシリン氏は、実在する親ロシア派勢力のリーダーだが、彼自身がこの文書について否定したのである。プシリン氏は次のように述べている。
「これは実際に偽物だし、よくできたものでもない。”人民の長官”と署名されているが、まず、私のことをこういう呼び方では誰も呼んでいない。私は選ばれたわけではない。それに、公印が前市長のものだ。全部フォトショップで加工したものだ」
偽文書だと明らかに分かる文書が、4者協議という重要な場で「政治カード」として用いられたということになる。超大国の国務長官の切るべきカードではない。実に気まずい話だ。
(…会員ページにつづく)
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元シリア大使の国枝氏が饗宴Ⅳで話されていたことを急に思いだして、胸騒ぎがしています。
日本の首相が立て続けにトルコを訪問したこと。それも一度は国会会期中に。
トルコには米軍基地があるはず。
どこよりも総括的に「今の」ウクライナを解説してる力作。力を込めて言います、読んでほしい!