(再掲)ウクライナで何が起こっているのか ~岩上安身によるインタビュー 第409回 ゲスト ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 服部倫卓氏 2014.3.20

記事公開日:2014.3.20取材地: テキスト動画独自
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(IWJ・ゆさこうこ)

特集 IWJが追う ウクライナ危機|特集 マスメディアが歪曲して報じるウクライナのネオナチとアゾフ大隊の実態
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 2013年末のデモから政変へと発展したウクライナの情勢について、ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所の服部倫卓氏に3月20日、岩上安身がインタビューを行った。

※2022年5月26日午後7時より岩上安身による服部倫卓氏インタビューを再び行います。 

<会員向け動画 特別公開中>

■イントロ

■全編動画

  • 日時 2014年3月20日(木)
  • 場所 IWJ事務所(東京都港区)

なぜデモは政変へと向かったのか

 服部氏は、ヤヌコビッチ前大統領がEUとの協定を棚上げしたとき、ウクライナを訪問中だった。そのときの印象では、事がこれほど大きくなるとは想像していなかったという。服部氏は、キエフを「ウクライナ政治のパフォーマンス・ステージ」と呼ぶ。そこでは、つねに様々な勢力がさまざまな政治的パフォーマンスを繰り広げていて、例えば、近年では、収監されていたティモシェンコ元首相の釈放運動の「テント村」のようなものがキエフの目抜き通りに常設されていた。EUとの協定が暗礁に乗り上げた直後も、抗議行動はそれほど大きくなったわけではなかったという。

 なぜ、事態はこれほど大きい政変へと向かったのか。「今考えてみると、問われていたのはヤヌコビッチ政権の存在そのものだった」と服部氏は語る。「ウクライナ国民の大半は、EUとの協定の中身を分かっていないと思う。ヤヌコビッチ政権に対する反発のアンチテーゼとして、親ヨーロッパという立場が出てきた」と指摘した。

 そもそも、ヤヌコビッチ政権の任期は、あと一年だった。通常であれば、次回の大統領選挙で、「EUと協定を結ぶかどうか」が争点となるはずだった。ところが、そうはならかなった。選挙という常套手段は用いられなかったのである。それがなぜだったのかがポイントである、と服部氏は言う。世論調査の結果によると、EUとの協定を支持する人々と、ロシア関税同盟への加入を支持する人々は、ちょうど二分されており、選挙を行ったとしても、親EU派が勝つと断言できる状況にはなかった。また、選挙で野党間が共闘することが難しいという事情もある。こうした状況のなかで、「ヤヌコビッチ政権憎し」という国民感情が満ちあふれている状態を契機として、正攻法的に選挙に打って出るのではなく、街頭デモで政変を起こしたのだと服部氏は分析した。

ウクライナ右派の動きとアメリカ

 キエフのデモを率いた「ユーロマイダン」のなかには、過激な民族主義を唱える「右派セクター」や、政党「スボボダ(自由)」がいる。ロシアは右派の武装勢力の暴走を懸念している。「右派セクター」のリーダーの一人であるディミトリ・ヤロシュ氏は、一部で英雄的にみなされており、新内閣への入閣を望む声もあった。ただし、こうした右派に対する支持は限定的であり、5月に行われる予定の大統領選挙の国民の支持率に関するアンケートでは、ヤロシュ氏は泡沫的に扱われていると服部氏は指摘する。

 このような右派組織に対して、アメリカが支援しているのではないかという指摘があるが、服部氏は「今回の政変は、ウクライナ国内の力学だけで説明がつくこと。欧米からの物質的・精神的な援助はあったが、政変を起こさせたという考えには値しない」と述べた。

クリミアの位置づけ

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 ウクライナは、西部と東部で分けて語られることが多いが、正確には西部・中部・南部・東部として考えられる。ロシア帝国に組み込まれた時期が異なり、違いが出てくるのである。しかし、「ウクライナ」としてのアイデンティティは、全体に根付いていると服部氏は言う。だから、ロシアとの統合を望む人がいるとしても、どこかの地域が単独でロシアに統合するという発想を持っているわけではないと服部氏は指摘した。

 そのなかで、クリミア自治共和国は特殊な地域だ。1954年までソ連内の一国ロシア共和国の領土だったクリミアは、フルシチョフ政権によって、同じくソ連邦内のウクライナ共和国に編入された。当時、ソ連内で、ウクライナ共産党が最大勢力だったので、ソ連共産党内部の権力闘争を有利に持っていくために、フルシチョフ政権が「プレゼント」したという説がある。ただし、軍港セバストポリはソ連直轄のままだった。

 2010年4月、「ロシア連邦黒海艦隊のウクライナ領駐留の諸問題に関するウクライナ・ロシア連邦間の協定」(ハルキウ協定)が締結された。当初、2017年を期限としていたこの協定は、ヤヌコビッチ前大統領によって、25年延長された。長期間にわたって、ロシア黒海艦隊がウクライナに駐留することになったのである。

 クリミアにおいて2014年3月16日に行われた住民投票では、9割以上がロシアへの編入に賛成するという結果になった。ただし、クリミアのもともとの世論では、ロシアへの併合が強く主張されていたわけではなかったと服部氏は述べる。たとえば、1991年12月1日に行われた「ウクライナ独立宣言」をめぐって行われた住民投票では、クリミアやセバストポリは、約半数がウクライナ独立に賛成している。

 今回の政変によって、クリミアで多く使われているロシア語が公用語ではなくなってしまったこと、自分たちの代表とみなしていたヤヌコビッチ氏が政権から引き下ろされたこと、そしてロシアからの働きかけがあったということなどが重なって、クリミアではロシアへの併合の動きが急速に強まったと考えられる。

ウクライナの経済事情とエネルギー問題

 旧ソ連に属していた諸国では、経済面で統合していこうという動きが起こっていた。ロシアは、ベラルーシやカザフスタンとともに、関税同盟を結成している。この三国は、旧ソ連のGDPの85.7%を占める。昨年12月、ウクライナがEUとの協定を中止したあと、ロシアはウクライナに関税同盟への参加を呼びかけていた。「GDP6.2%のウクライナが関税同盟に加われば、経済規模において、ソ連が復活するようなものだ」と服部氏は指摘した。

 一方でEUは、ウクライナが政治的に腐敗していて、経済的に低開発の国だとみなしている。服部氏は「今、EUがウクライナを抱え込むことは、短期的には得策ではない」と述べる。

 また、ウクライナは2008年のリーマン・ショックの影響を被った国でもあった。ウクライナでは、投機マネーによってバブル景気が生じていたため、リーマン・ショック後に激しく落ち込んだ。服部氏が示すデータによると、公的債務は横ばいの状態が続いているが、民間債務は年々増加している。ムーディーズやスタンダード・アンド・プアーズによる格付けでは、一時「B」だった格付けが、現在では「CCC」まで下がっている。

 ウクライナでは、ロシアから輸入する天然ガスの価格の設定も大きな問題となっている。天然ガスの価格は、石油の価格と連動して決まる方式。ティモシェンコ元首相は、この価格設定に関して、ウクライナに不利な方式を結んだという理由によって、逮捕されたのだった。親ロシアのヤヌコビッチ政権も、この価格方式を変更することはできなかった。ウクライナでは、ガスを多く使う生活構造・産業構造となっている。たとえば、鉄鋼業で天然ガスを大量に使う。天然ガスはパイプラインによって運ばれるため、ロシア以外のガスの供給元を求めるとしても、インフラを新たに整備する必要がある。こうした事情から、このエネルギー問題が、ウクライナにとって大きな負担となり続けている。

今後の動き

 服部氏は、「ヤヌコビッチ大統領の廃位が合法だったのかは疑わしい。今後、この件が蒸し返される可能性が大きい」と述べ、「ヤヌコビッチ氏は政治家としてはすでに見限られているが、あくまでも合法的な大統領という肩書きを使うために温存される可能性はある」という。

 また、「ロシアはクリミア併合に関して、理屈立てができたが、それ以外のウクライナ本土については一線を越えることはないだろう」と予測。「25年の間、育まれてきたウクライナの国民意識には、意味がある。クリミアを失うことで、ウクライナは国民国家として純化される可能性はある」と指摘した。

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