約3ヶ月のデモと戦闘を経て、ウクライナでは新内閣が発足した。しかし、南部のクリミアでは武装勢力が空港を掌握しており、ウクライナはまだ例外状態に置かれている。力を誇示するかのようにウクライナとの国境付近で軍事演習したりクリミアで装甲車を走らせたりするロシアに対して、アメリカが牽制するなど、ウクライナ外部での駆け引きも続いている。
そもそも今回のウクライナの混乱の直接的な原因は、経済危機だった。ウクライナは今後2年間で350億ドルの財政支援が必要としており、現在、国際通貨基金(IMF)、EU、アメリカが経済支援を検討している。ロシアはヤヌコビッチ元大統領に対して150億ドルの支援を約束していたが、撤回される可能性もある。どこから経済支援を受けるのかが、ウクライナの今後のあり方を決めることになるだろう。
新内閣の発足
2月27日、旧野党勢力による新内閣が誕生した。26日、最高議会による正式承認に先だって、新内閣メンバーは、この3ヶ月間のあいだデモの舞台となっていた独立広場に立ち、集まった市民から拍手による「承認」を得た。
もちろんこれは議会での正式な手続きを経た「承認」とは言い難い。大統領職を追われたヤヌコビッチ氏が、この「政権交代」を「クーデター」とみなして非難するのも、それなりに言い分はあるだろう。単なる「負け惜しみ」として片付けるわけにもいかない。ともあれ、反政権側は民衆の「喝采」を、議会での「承認」に代わる「同意」の証明であるとして、新内閣の正統性を確保してみせたのである。
これが「民衆革命」なのか、「クーデター」なのか、その内実はこれから問われなくてはならないだろう。
新首相となったのは、アルセニー・ヤツェニュク氏。ユーリヤ・ティモシェンコ元首相が総裁を務める政党「祖国」の幹部だ。副首相は、同じく「祖国」党のボリス・タラシュク氏で、欧州統合を担当する。
内務大臣となるアルセン・アヴァコフ氏、国家安保・国防協議会のトップに就くアンドリー・パルビー氏も「祖国」党に属している。パルビー氏は、今回のデモを積極的に率いていた人物だ。ティモシェンコ政権時にエネルギー相を務めたユーリ・プロダン氏は、燃料・エネルギー相に返り咲く。
新内閣は、ティモシェンコ氏の影響力の強い人物で固められているが、「祖国」党とともにデモを主導した極右政党「スヴォボダ(自由)」の4人のメンバーも入閣し、副首相・環境相・農相・防衛相のポストを得た。オレクサンドル・シク氏が副首相、アンドリー・モクニク氏が環境相、イゴール・シュヴァイカ氏が農相、イゴール・テニュク氏が防衛大臣となった。
新内閣は、5月25日に実施される大統領選までのあいだの暫定内閣となる見込みだ。
一方で、5月の大統領選への出馬を表明したビタリ・クリチコ氏が率いる「改革を目指すウクライナ民主連合」(ウダル党)のメンバーは、一人も新閣僚の候補に入らなかった。クリチコ氏は元プロボクサーで、2006年にキエフ市議会議員に当選し、2010年にウダル党を結成した。2012年のウクライナ最高議会選挙で、ウダル党は40席を獲得して第三の政党に躍進した。
今回の親欧米派のデモ参加者のことを「ユーロマイダン」と呼ぶ。欧州をあらわすユーロと、広場を意味するマイダンという言葉で造られた造語である。昨年12月から始まった「ユーロマイダン」のデモでは、新首相となったヤツェニュク氏と、「スヴォボダ」のチャフニボク氏とウダル党のクリチコ氏の三名は共に行動してきた。
この3名が「ユーロマイダン」の一翼を担ってきたのに、なぜ組閣で明暗が分かれたのか。
謎の答えは早々に明らかになっている。米国が人事に介入したのである。
2月上旬に、アメリカのヌーランド国務長官補とパイエト駐ウクライナ大使とが、ウクライナ野党勢力の今後の人事について画策している電話の会話がYoutubeに流出している。この中で、ヌーランド氏が「クリチコが政権に入るのはよい考えではない」と発言している。経済に関する経験や政治の経験があるヤツェニュク氏が首相になるのがよいと言い、チャフニボク氏とクリチコ氏は「外」にいればよいと言っている。
結局、ウクライナではヌーランド氏の言っていたとおりの内閣ができたわけだ。ここで明らかになったことは、ウクライナの民衆の自発的なデモに見えた「ユーロマイダン」の抗議行動には、米国が背後で関与していたという事実である。
また、過激派「右派セクター」のリーダーであるディミトリ・ヤロシュ氏が協議会代表に任命されると言われていたが、辞退したとみられる。
1月下旬から台頭しデモを「戦闘」へと転じさせた「右派セクター」は、「スヴォボダ」をはじめ、いくつかのナショナリスト団体で構成されており、「反ロシア」とともに「反ユダヤ主義」を標榜している。
必ずしも一致団結しているわけではなく、内部に多少の温度差があり、「右派セクター」のリーダーの一人であるディミトリ・ヤロシュ氏は、「スヴォボダ」を「リベラルすぎる」と評しているという。ヤロシュ氏が入閣を辞退した理由は判然としないが、前出の新首相となったヤツェニュク氏のように、米国と深い関わりを持つことを潔しとせず距離をおいていたのかもしれないし、より急進的な姿勢を維持していたためかもしれない。
26日の独立広場での新内閣発表の際、「ヤロシュ! ヤロシュ!」と、ヤロシュ氏の入閣を求める声があがったという。「ユーロマイダン」に参加した民衆の間では、彼の人気が高いことは確かだ。
スヴォボダの躍進
「スヴォボダ」を率いるオレフ・チャフニボク氏は、デモの際は主に、ウダル党のクリチコ氏やヤツェニュク新首相と共に行動していた。彼は、2004年に「モスクワのユダヤ人マフィアがこの国を支配している」と主張したことで議会から追放された経歴を持つ。彼が筋金入りの反ユダヤ主義者であることは、明らかである。
議会から追放されたあとも、チャフニボク氏は主張を曲げることなく、2005年には、「組織化されたユダヤ人たち」の「犯罪活動」を止めさせるよう求める公開文書を出している。
もともと「スヴォボダ」は、1995年に「ウクライナ社会国家党」として設立された。この名前は、ナチスの正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」を参照しており、当時のロゴもナチスのかぎ十字にそっくりだった。
▲スヴォボダ前身の「ウクライナ社会国家党」のロゴ
今回の「ユーロマイダン」のデモの際、このナチス風のシンボルが多く見られた。オンラインメディアの「サロン」は次のように報じている。
「デモ参加者は、レーニン記念碑を倒して、ナチ親衛隊(SS)と白人至上主義の旗を掲げた。ヤヌコビッチがヘリコプターで宮殿のような屋敷から逃げ出した後、ユーロマイダンの抗議の人々は、第二次世界大戦中にドイツ占領軍と闘って死んだウクライナ人たちの記念碑を壊した。ナチス式敬礼とかぎ十字のシンボルは独立広場で次第に多く見られるようになり、ネオ・ナチ勢力はキエフとその周辺で”自治区”を作り出した」。
アメリカがこの「スヴォボダ」を支援しているという話もある。チャフニボク氏は、2013年12月にキエフを訪れたアメリカのジョン・マケイン上院議員や、ヌーランド国務次官補と面会している。
ヌーランド国務次官補は、先に記した通り、「ユーロマイダン」の勝利が確定する前から、野党側の組閣について「助言」していた現役の米政府高官であり、ジョン・マケイン上院議員は、米大統領選の候補にもなった大物上院議員で、海軍出身のゴリゴリのタカ派として知られ、ソ連共産党が崩壊したあとのロシアに対しても厳しい姿勢を崩さない。プーチン率いるロシアをG8から外し、インドとブラジルを入れるべきだと主張している。また、ウクライナの「オレンジ革命」を積極的に支援し、同名のNGO幹部でもある。
また、真偽のほどは確かではないが、アメリカ人専門家がシリアの民衆抗議行動向けに作ったマニュアルと、キエフのデモ隊向けにつくったマニュアルがそっくりだという指摘もあり、今回のキエフのデモにシリアと同様、アメリカが絡んでいたのではないかという「仮説」も示されている。
一方で、ウクライナの右派の動きに懸念を表明しているのがロシアだ。セルゲイ・ラブロフ外相は「ウクライナを支配しようとしている過激派やナショナリストの影響をくい止めたい」と発言している。
クリミアの緊張
ヤヌコビッチ氏の大統領解任後、「戦闘」が続いていた首都キエフが沈静化に向かったのとは逆に、緊張を増したのは南部のクリミア自治共和国だった。