チェルノブイリ原発事故の後遺症に今も苦しむウクライナ。そのウクライナの首都キエフで、反政府デモが激化し、市民によってレーニン像が引き倒されるという事態に至っている。
銅像として立てられていたレーニンとは、言うまでもなく1917年にロシア10月革命を指揮した、ソ連共産党の初代最高指導者ウラジーミル・イリイチ・レーニンである。したがって、レーニン像がソ連共産党のシンボルであることは間違いない。
ソ連時代、ウクライナも15の民族共和国の一つとして組み込まれていた。だが、ソ連は1991年12月25日に崩壊し、ウクライナも他の民族共和国と同様、独立を果たしている。ソ連共産党の支配の象徴とみなしてレーニン像を引き倒すには、22年も間が空いている。いくらなんでも間が空きすぎである。
レーニンの跡を継いだ独裁者スターリンの像は、ソ連解体とともに各地で倒された。スターリン像が残ったのは、彼の故郷グルジアのゴリ市ぐらいだったろう。だが、レーニンの像は各地に残された。さらに残されたのは銅像だけではない。レーニン本人の遺体もである。
ソ連崩壊より30年前、61年の「スターリン批判」の際に、エンバーミング技術によって永久保存されていたスターリンの遺体は、モスクワのレーニン廟から引っ張り出され埋葬された。だが、レーニンの遺体は、91年のソ連崩壊以後もレーニン廟に残されたままだ。
ソ連崩壊後も「レーニン」という政治的シンボルは「延命」してきたのだ。ウクライナにおいて「レーニン」が意味するものは、1917年から91年までの74年間にわたるソ連共産党支配という射程を超え、「ロシアによる支配」の象徴へと拡張されて、理解されてきたのではないか。
ウクライナの民衆が22年前ではなく、今こそとばかりにレーニン像を引き倒したところに、深い意味がある。ウクライナ人とロシア人は同じスラブ民族であり、ウクライナ語とロシア語は非常に近い同系の言語である。文字もキリル文字が用いられる。宗教はウクライナ正教とロシア正教、いずれにしてもギリシャ正教の流れをくむ。東ローマ帝国、もしくはビザンツ帝国の末裔を両者とも自認している。兄弟のような関係の両民族国家であるが、ウクライナはロシアの従属国の地位に甘んじてきた。
それは、ウクライナと同じように原発事故に見舞われ、経済不況に苦しみ、そして米国の従属国の地位に甘んじてきた日本の国民にとって、他人事として等閑視していられない事態である。
ウクライナで、今、何が起きているのか。IWJの新人スタッフライターのゆさこうこ記者が、以下、レポートする。ぜひ、ご一読ください。
【記事のポイント】
・デモの理由は何か—これまでのロシアへの依存を続けるのか、EUとの関係を強化するのか
・ウクライナ経済に与えるチェルノブイリ事故の影響
・ウクライナの経済危機
・ロシアの圧力とヨーロッパ諸国からの呼びかけの間で揺れるウクライナ
デモの始まりはヤヌコビッチ大統領が欧州連合(EU)との協定締結を見送ったことだった。ウクライナの首都キエフでは、12月1日に35万人規模の抗議デモが行われ、8日の「100万人行進」と称されたデモでは一部が暴徒化するほどになっている。
ロイターなどの伝えるところによると、キエフの独立広場に建てられたレーニン像が壊され、その台座にはウクライナの旗とともにEUの旗が掲げられたという。デモ参加者たちは「ウクライナはヨーロッパだ」と口々に叫ぶ。これは何を意味しているのだろうか。
このデモは9年前の「オレンジ革命」の再来と言われている。「オレンジ革命」は大統領選の結果に対する抗議運動として生じたものだったが、その背景にはロシアへの依存関係を継続するのか、それともEUへの加盟を目指すのかという方向性の対立があった。1991年にソ連から独立したウクライナで、新たな政治的選択が賭けられていたのである。
今回のデモも同じ問題に由来している。デモは、EUとの関係強化を求める声なのだ。11月28日のEUとの協定締結の拒否の後、ヤヌコビッチ大統領は中国やロシアを訪問しているが、その動きと連動するかのようにデモは拡大していった。
ウクライナの経済事情
デモの人々はウクライナがヨーロッパに近づいていくことを求めている。その背景には何があるのか。
ウクライナはエネルギーの供給に関してロシアに依存してきた。ソ連時代に天然ガスのパイプラインが敷設されたため、ウクライナへの天然ガス供給はロシアからのみになっていたのだ。ただし、天然ガス輸入には多大なコストが掛かっていると言われている。また、供給や料金を巡るロシア・ウクライナ間の紛争が2005年から2009年までのあいだ続けられた。
ウクライナでは昨年から景気の低迷が続いている。2013年の第2四半期の実質GDP成長率は前年比マイナス1.1%であり、4四半期連続のマイナス成長だった。また、IMFの特別融資が中断しており、今後、外貨建て既発債償還のための外貨繰りが困難であるという見方もある。今後の2年間でウクライナは150億ドルの債務を返済しなければならない。そうした経済状況のために、ここ数カ月、ウクライナは国際金融市場から締め出されていた。
チェルノブイリ原発事故の影響
ただし、ウクライナの経済問題は最近になって始まったことではない。旧ソ連から独立したのはチェルノブイリ原発事故から5年後である。事故が国家の財政にもたらした影響は計り知れない。被災者救済のため「チェルノブイリ基本法」が制定され、避難住民のための家屋建設、補償や給付金、汚染除去、健康対策などために毎年5%の国家予算が使われている。
さらに、タス通信の伝えるところによると、2011年にチェルノブイリ原発管理当局のボブロ第一副局長は、爆発した原発の解体作業には100年かかる見込みで年間約102億円が必要だと発言している。また、2010年には新たに石棺の建設を始めたが、建設費は2200億円とされている。ヤヌコビッチ大統領は2013年4月に行った演説のなかで、事故以来の経済的損失が2015年までに17兆8千億円に達することを明らかにした。
ただし、日本にとっての17兆8千億円とウクライナにとってのその金額を同列に語ることはできない。経済規模の小さいウクライナにとっては莫大な金額である。この事故対応に対して、EUやアメリカが支援を行っている。原発事故が引き起こした未来への負債が、ウクライナの経済に負担を強い続けていることは否めない。
事故の影響でウクライナでは今でも慢性疾患が増えているという。健康被害に対して学校などで健康管理が行われており、1~2ヶ月間保養所に滞在して体内の汚染物質を低減させる「保養プログラム」が、27年間続けられている。(IWJ記事:今も続く「原因不明の慢性疾患」と「保養プログラム」 〜OurPlanetTV白石草氏がウクライナの低線量汚染地域での取り組みを報告 2013.12.11)
何十年も続く原発事故の影響と、景気の低迷、債務危機のなかで、ウクライナは新しい経済方針を模索し、「脱ロシア」を試みていたのである。
EUとの連合協定
協議されていた連合協定は自由貿易を柱にしており、EUとウクライナとの経済的・政治的結びつきを強めるものだった。これが締結できていたとすれば、ロシアの影響下にあったウクライナにとって歴史的な転換点となっていたはずだった。将来的にEUに加盟する方向へと踏み出すことになるからだ。
ウクライナは、スロバキア経由でEUからガスを供給するという計画も進められていた。また、1月にはイギリス・オランダの石油会社ロイヤル・ダッチ・シェルとのシェールガス開発について合意している。EUとの関係強化を着々と進めてきたのである。
また、EUにとって人口4600万人のウクライナは魅力的な市場だ。しかし、ウクライナの突然の方針転換により、EU・ウクライナの経済連携の計画は頓挫する。
ロシアの圧力
ロシアは旧ソ連国であるウクライナがEUに近づくのを望まなかった。ウクライナの連合協定の締結拒否は、ロシアの圧力によるものだと言われている。
ウクライナはエネルギー供給の大半をロシアからの天然ガスで賄っていることに加え、輸出入ともにロシアへの依存度が高い。輸出の26%、輸入の32%はロシアが占めている。
また、チェルノブイリ原発事故で多大な被害を受けたウクライナがその後も原発に依存し続けた背景にもロシアの存在がある。事故後、一時的に原発の稼働は中止された。しかしソ連から独立したウクライナに対して、ロシアは天然ガスの価格を数倍にも上げたり、供給を止めたりするという手段に出た。この「制裁」が、ウクライナの原発の再稼働へとつながり、今日の原発推進の方針に至っている。この点も、米国の強い要請によって、野田内閣が「原発ゼロ」の閣議決定を見送った経緯と非常によく似ている。
言い換えると、こうした経緯があるからこそ、「ロシア離れ」への弾みがついたともいえる。EUとの連合協定は、ウクライナのエネルギー供給に関しても新たな選択肢を生み出す可能性がある。
連合協定締結の見送り
しかし、「ロシアからの自立」は容易な道ではない。しかし、EUとの連合協定の話が進んでいくにつれて、ロシアではウクライナ製品の入関審査を厳格化したり、支払遅延していたガス代の即時支払を要求したり、さまざまな圧力をかけ続けた。
11月28日、ヤヌコビッチ大統領はEUとの連合協定締結の見送りを決断した。これを受けて、ウクライナ野党は内閣不信任案を提出した。同案は否決されたが、野党はゼネストを呼びかけ、ヤヌコビッチ大統領の退陣を要求した。これが大規模な抗議活動の引金となった。
12月1日に首都キエフでは、35万人が参加する大規模デモが行われた。デモ隊は国旗やEUの旗を持って独立広場を行進した。大統領府周辺でデモ隊と警官隊の衝突も起きた。
EU側は連合協定の見送りを一時的な中断とみなしている。EUのファンロンパイ大統領と欧州委員会のバローゾ委員長は、連合協定の提案はまだ有効であるという声明を発表した。
債務危機回避に向けて
連合協定を拒否したヤヌコビッチ大統領は、債務危機回避のために奔走しなければならなかった。最初に向かった先は中国である。これまで中国はウクライナに対して100億ドルの融資を行っている。ヤヌコビッチ大統領は3日から6日まで中国に滞在し、ウクライナへの融資と投資を呼びかけた。この動きを、ウクライナの選択肢がEUとロシアだけではないというメッセージとして読み取る向きもある。
大規模なデモが起きたことを受けて、ウクライナの通貨・債券・株式は大きく下落した。3日のクレジット・デフォルト・スワップ市場では、ウクライナの債務保証コストが2010年1月以来の水準に上昇している。
ヤヌコビッチ大統領は中国訪問の後、ロシアに立ち寄る。プーチン大統領との会談のためである。会談の内容は明らかではないが、ウクライナをロシア主導の関税同盟に参加することに同意したのではないかという噂が流れた。
ティモシェンコ前首相の影響
今回の件の影のキーパーソンがティモシェンコ前大統領である。ヤヌコビッチ大統領が政敵とみなす相手だ。ティモシェンコ前首相は2004年の「オレンジ革命」の立役者であり、ヴィクトル・ユシチェンコ前大統領とともに親欧米政権を樹立した人物である。
ティモシェンコ前首相は職権乱用罪で服役中だが、西側諸国はティモシェンコ前首相に対する有罪判決は政治的な動機にもとづいたものだと非難している。ドイツのウェスターウェレ外相は、ティモシェンコ前首相にドイツ国内で治療を受けさせるようウクライナと交渉中だと述べた。
今回、ティモシェンコ元首相はヤヌコビッチ大統領の即時退陣を要求する声明を出した。また、公式ウェブサイトから、ウクライナ人にメッセージを発し続けている。
「今、独立以降の22年間のなかで、もっとも難しい時期を迎えています。私たちは諸刃の上に立っています。一方には残酷で堕落した独裁があり、もう一方にはヨーロッパの共同体への回帰があります。独裁とヨーロッパ、この重大な選択は、あなたたち全ての人々の手に委ねられているのです」。
ティモシェンコ元首相自身は、獄中でハンガーストライキを行うと宣言している。
デモの激化
8日、キエフの独立広場のレーニン像が倒された。レーニン像はもちろん旧ソ連の象徴である。1946年にスターリンによって作られたものだ。露紙ロシア・トゥデイによると、レーニンを第一次大戦後にウクライナの人々から国を奪った圧制者とみなしている人もいるという。
レーニンはハンマーで粉々にされ、残った台座の上にはウクライナの国旗とEUの旗とが掲げられた。喜びの声が上がり、国歌が歌われた。粉々になったレーニンに、ロシアへの依存から抜け出しヨーロッパへの統合を願う人々の思いが見て取れる。
独立広場に集まる人々は「ウクライナはヨーロッパだ」と叫ぶ。英ガーディアン氏の報道によると、グルジアの前首相ミハイル・サアカシュヴィリはデモ隊に向かってこう訴えた。
「プーチンは主権国家を攻撃している。ウクライナの人々からウクライナの運命を奪い取ろうとしている」。
デモはますます激化していき、11日には治安部隊がブルドーザーを使ってデモ隊を排除するという事態になった。数十人の負傷者が出たとロイターは伝えている。
こうしたデモの強制排除に対して、非難の声も上がっている。アメリカ上院議員のクリス・マーフィー氏はウクライナへの制裁措置を検討していると発言し、ケリー国務長官も「平和的な抗議に対するウクライナ当局の決定に嫌悪する」とウクライナ治安部隊の行為を批判する声明を出した。
揺れるウクライナ
11日にアザロフ首相がEUに200億ユーロの支援を求めることを表明したとロイターは伝えている。これはEUと貿易・協力に関する合意への署名との引き換えの支援である。12日にはアザロフ首相はEU高官と会談し、連合協定について再び協議することになっている。
アメリカも介入し始めた。キエフを訪れたアメリカのヌーランド国務次官補はヤヌコビッチ大統領と会談した。ボイス・オブ・ロシアは、ヌーランド氏の発言をこう伝えている。
「ウクライナの”ヨーロッパの未来”は可能だ。ヤヌコビッチ大統領はその道に進んでいかなければならない」。
ヌーランド氏は、その足で独立広場に向かい、デモ参加者に呼びかけを行うとともに食糧を配った。
一方では12日、ロシアのプーチン大統領は年次教書演説のなかで、ウクライナにロシア主導の関税同盟に入るよう促した。
日本のデモとは異なるのか
同じ時期に日本では特定秘密保護法反対のデモ、反TPPのデモ、反原発のデモが行われている。ウクライナと日本のデモに共通している点は、抗議者たちのほとんどが特定の政党の支持者ではないということである。普通の生活を求める普通の人々だ。
それでもウクライナのアザロフ首相は、ウクライナでデモに参加する人々を「ナチスと犯罪者たち」と呼んだ。ちょうど石破自民党幹事長がデモを「テロ行為と変わらない」と発言したのと同じように。この点も、驚くほど似通っている。
エネルギー問題が争点となっている点も、類似しているだろうか。ウクライナの人々はロシアへの依存を脱し、新たなエネルギー供給源を探し始めている。日本のデモでは「原発ゼロ」が叫ばれている。そしてウクライナは1986年のチェルノブイリ原発事故で被害を受けた地域である。その後二十数年間をウクライナがどのように歩んできたのかは、原発事故以降の日本の未来を暗示しているのかもしれない。
当然、日本と違う部分もある。例えば日本の反TPPの運動は新しい経済圏への加入を拒否する動きだが、ウクライナのデモ参加者が求めているのはEUという新しい経済圏に入っていくことだ。
さらにウクライナのデモの方が格段に物騒だ。バリケードが築かれ、武装した治安部隊とデモ隊の衝突が続いている。デモ隊はショベルカーに乗って立ち向かい、治安部隊は催涙弾で応戦する。負傷者も出ている。
ウクライナはどこへ向かうのか
デモの人々が叫ぶように「ウクライナはヨーロッパ」なのか。EUに近づくことはウクライナに何をもたらすのか。
EUに加盟した国の国民が幸せにはなっているとは必ずしも言えない。むしろその経済は押しつぶされ、人々が困窮状態に置かれているケースもある。
例えばウクライナと同じようにかつて旧ソ連と関係が深かったブルガリアは、深刻な経済危機の末に2007年にEUに加盟した。その後、電力産業の民営化により電気料金が高騰し、それに反発した人々がデモを起こし政権交替へと発展した。EUの経済方針のもとでの「民営化」、すなわち「私有化」という「経済改革」は、ブルガリアの経済危機を救うことはなかった。
EU加盟国であるギリシャの財政破綻危機は、EU全体の問題とみなされた。ギリシャを破綻させないためヨーロッパ諸国から資金が投入されたが、このことはギリシャの土地や産業を外国の所有物にするということを意味する。国家の「経営」は外国に任されたのだ。ギリシャという国の実質的な解体である。はっきり言いきれば、ギリシャは国まるごと外資に「売られた」のだ。
それでもウクライナの人々がEUに願いを託すのは、ロシアとの深い関係には未来がないと感じているからなのか。深刻な経済危機と激化するデモのなかで、ウクライナはどこに活路を見出すのだろうか。そして、ウクライナと数多くの共通点をもつ私たち日本は・・・。