2013/10/23 伝統的ユダヤ教の絶対的平和主義から逸脱した”軍事国家”イスラエル ~岩上安身によるモントリオール大学教授・ヤコブ・M・ラブキン氏インタビュー  

記事公開日:2013.10.23
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特集 中東特集 戦争の代償と歴史認識

※全文文字起こしを掲載しました(2014年1月9日)

 カナダのモントリオール大学教授(歴史学)で、『トーラーの名において』(平凡社)『イスラエルとは何か』(平凡社新書)などの著書で知られるヤコヴ・M・ラブキン氏が来日。ユダヤ教徒でありながら、パレスチナの地にユダヤ人の祖国建設を目指す「シオニズム」運動を批判するラブキン氏に、10月23日、岩上安身がインタビューした。通訳を務めたのは、東京理科大学教授の菅野賢治氏。

政治的イデオロギーとしての「シオニズム」

 ラブキン氏は、シオニズムを、宗教上のイデオロギーではなく、19世紀末に非宗教化したユダヤ人によって生み出された政治的イデオロギーであると説明する。

 「ユダヤ人は、伝統的ユダヤ教の教義から遠ざかりつつも、近代ヨーロッパで吹き荒れた反ユダヤ主義に対するフラストレーションから、ユダヤ人としてのアイデンティティを模索するようになりました。その延長線上で政治的に目指されたのが、イスラエル建国を志向する『シオニズム』でした」。

 しかし、ラブキン氏によれば、多くの伝統的ユダヤ教徒たちは、このようなシオニズムに対して反発しているのだという。

 「伝統的ユダヤ教徒が、現在のイスラエルという国に納得するわけがありません。伝統的ユダヤ教徒は、オスマン・トルコの時代にはパレスチナの土地に住み、多民族地域の一角で、周囲と完璧に調和して暮らしていました。それを根底から覆したのが、シオニストの到来だったのです」。

伝統的ユダヤ教の「絶対的平和主義」

 米国のケリー国務長官とロシアのラブロフ外相がシリアの化学兵器を国際管理下に置くことで合意した直後、ケリー国務長官はシリアと対立関係にあるイスラエルのネタニヤフ首相のもとを訪問、経過報告を行った。

 イラクやリビア、シリア、さらにはイランといった中東諸国への軍事介入の姿勢を取り続ける米国と、それを背後で操るかのようなイスラエルとの軍事的な関係について、ラブキン氏は「伝統的ユダヤ教徒の根底にあるのは、国家に依存しない『絶対的平和主義』」と、伝統的ユダヤ教とイスラエルとの間にある乖離について指摘。「ユダヤ教の2000年の伝統のなかにあるのは、土地を確保するために武力行使をしてはいけないということです」と語った。

(IWJ・平山茂樹)

■全編動画

―― 以下、全文文字起こし ――

岩上安身「皆さん、おはようございます。ジャーナリストの岩上安身です。私は、今日はこの『トーラの名において』そして『イスラエルとは何か』私、あまりに付箋を立て過ぎてしまったのでもう一冊買ったんですけども。このご本をお書きになった、ヤーコブ・M・ラブキン先生、モントリオール大学の教授とお話をすることになります。ヤーコブ先生、初めまして。よろしくお願いします。

 そして、通訳をお願いするのが、先だってインタビューさせていただいた菅野先生です(※1)。菅野先生、おはようございます。よろしくお願いします」

(※1)2013/10/07 「人工国家」イスラエルの真実――シオニストの植民地主義と伝統的ユダヤ教徒の絶対的平和主義 ~岩上安身による菅野賢治氏インタビュー

菅野賢治氏「おはようございます。よろしくお願いします」

岩上「菅野先生は通訳は本業ではないんですけれども、こちら2冊の翻訳をされたというご縁で、ヤーコブ先生とも親交を深められているということで、もう先生にお願いするしかないと。やっぱり先生に通訳していただかないと難しいと思いますので、よろしくお願いします」

菅野「はい。プロの通訳じゃないので、しかも最近フランス語使ってませんので。錆び付いてますが、フランス語を分かっている方はあまり笑わないで」

岩上「いじめないでください」

菅野「いじめないで聞いてやってください」

岩上「はい。お願いいたします。ということで、ヤーコブ先生なんですけども、まず僕ら一般の日本人は、ユダヤの人たちがどんな暮らしをしているか、どんな人々なのかということを本当に知らないので、カナダにいらっしゃるということですけども、まずユダヤの人たちは、どんな遍歴というんですかね。漂泊という。どう表現したらいいのか、分かりませんけれども。いろいろな道を辿って、北米に辿り着いた方々がいらっしゃるわけです。その遍歴も含めて、自己紹介をしていただけたらありがたいなと思います」

(菅野氏通訳)

岩上「生まれは旧ソ連のレニングラードだというふうに聞いてますけども、それから以降を教えてください」

ヤーコブ・ラブキン氏「まず私は第二次大戦直後の1945年の9月にレニングラードで生まれました。全くのロシア文化のなかで生まれまして、ユダヤ教については全く知らないまま生まれ育ったということです。

 祖母がいまして、その祖母がやっていました信仰の、いろんな信仰者というのは全く理解できなかった。今になって、自分自身がユダヤ教徒になったあとに、ああ、あれがあれだったのかと理解できるようになった。そういう」

岩上「要するに、無神論の国。共産主義国家で生まれ育ったから、ユダヤのユダヤ民族性とか、ユダヤ教徒の教えとか伝統とか、そうしたものを全然伝承しないで生まれ育ったということなんですね?」

ラブキン「その通りです。ユダヤ民族性とか、ユダヤの宗教のことはまったく知らなかったんですけども、身分証明書には、私がユダヤ人であるという記載があります。ウズベク人だ、ロシア人だ、ウクライナ人だと書いてあるように、私の身分証には、ユダヤ人だと書いてありました。

 私の両親も、祖母も、たぶん今から思うと私を一種守るためだったのかもしれませんが、私に対してはユダヤ教の宗教のことについては一切話しませんでした。反ユダヤ的な暴動というか、そういう活動がありましたので」

岩上「ポグロムですか?」

ラブキン「ノー・ポグロム」

岩上「ノー・ポグロム?」

ラブキン「1948年、1950年ぐらいのときに、ユダヤ系の医者に対する不当な訴追とか嫌がらせとかがあったので、そういうことから遠ざけようという意識もあったのかもしれませんね。

 私が後にモントリオールに移住してから、自分に問うてみたんですね。そのユダヤ人であるということはいったいどういうことなんだろうかということを考え始めたのは、ずっと後のことです。

 カナダに移住したあとには、カナダの公式書類の中には一切ユダヤ人とか書く必要もないし記載もなかったので、それだけに、余計に、なんでソ連時代はユダヤ人って書いてあったんだろうって、逆に問い始めたと。

 私がこの本のなかに書いたように、ユダヤの民族性というものが理論化されて、公式なものになったのは、まさにソ連のユダヤ人たちのあいだであったわけです。まずは、ですね。それが、今となっては輸出された形でイスラエルに移植されたわけです。

 そこで私はモントリオールに移ってから発見したというのが一種のユダヤの持続性。それまで私が参加していなかったというか、身を置いていなかったユダヤ教の持続性というものを発見したわけですね。このユダヤ教の持続性がいわば、それまでは単なるスタンプに過ぎなかった自分のユダヤへの帰属というものを、まさに内的なものにしてくれたというか、意識的なものにしてくれた」

岩上「なるほど。話が核心にちょうど差し掛かってきたので、お尋ねしたいんですけども、我々は、よく分からないままに、ユダヤ人と言い、ユダヤ教徒と言い、それからイスラエル人、あるいはイスラエル国民と言い、そしてときに、シオニズムという言葉を聞くことがあります。

 このシオニズムという言葉を分からない人も、一般の日本人にはいるでしょう。シオニストという言葉。これらが、ごちゃごちゃになっているんですね。重なりあっているところもあれば、全く違うものだということも言えるのかもしれません。ユダヤ人とは、ユダヤ民族とは、あるいはイスラエル人とは、あるいはシオニストとはなんなのか、ちょっと説明をしていただけたらありがたいです」

ラブキン「まず、その質問をしてくださってありがとうございます。私の小さいほうの新書で、私が説明したかったのは、まさにそのことだったのですね。まさに、私がこの本のなかで、今いくつか挙げられた用語のあいだですべき区別というものについて語っています。しかし、これを言うとまた時間がかかっちゃいますので、今日はあまり長くしないで、非常に短くお答えします。

 まずはユダヤ教というものの存在の根拠というのは、なんといってもトーラ(※2)ですよね。律法への忠誠心というものに尽きると。ですから、ユダヤ教と呼ばれる人がモロッコに住んでいようが、ロシアに住んでいようが中国に住んでいようがアメリカに住んでいようが、民族とか文化としては、あるいは言語としては別々のグループに属しているかもしれませんけども、共通のなにか彼らを束ねるものがあるとすれが、それはもうトーラへの忠誠心以外にはないわけですよね。

(※2)トーラ:ユダヤ教においてトーラは、律法である。なお、トーラは、プトレマイオス朝エジプトのファラオであったプトレマイオス2世の命で、ユダヤ教の祭司族とされるレビ族の書記官たちがギリシャ語に翻訳した律法の題名とされる。(Wikipediaより)

 それではっきり言わなきゃいけないのは、今日ユダヤ人と呼ばれている人たちの大多数が、ほとんどの人々がユダヤ人と呼ばれていながら、300年ぐらい前までのユダヤ教徒がそうだったように、ユダヤ教を信仰しているわけでは、実践してるわけではないということですね。

 もっと話を具体的に簡単にしますね。あなたが例えばモロッコに住んでいるユダヤ教徒の家を訪ねたとしましょう。その人はおそらくアラビア語を話し、アラビア語で歌を歌い、アラビア風の料理、クスクスみたいな地元の料理を食べると。だけども、そのクスクスがユダヤ教の戒律に沿ったクスクスであるはずです。

 あなたが、じゃあ今度はロシアに行ったとしますね。ロシアのユダヤ教徒と呼ばれている人の家を訪ねたとする。その人はロシア語を話し、ロシア風のメロディを歌い、ロシア料理を食べ、じゃがいもを食べたりすると思いますけども、その食べ物のなかには必ず、ユダヤ教の戒律に沿った、掟に沿ったカーシェールの掟(※3)に沿っているはずで、もしもそれを取り上げてしまったらば、その料理がカーシェールでなかったらば、さっき言ったモロッコのユダヤ教徒とロシアのユダヤ教徒の間に関係はないと言っていいでしょうね」

(※3)カーシェール(casher):(ヘブライ語)「相応しい状態」を示す形容詞で、戒律であるミツワー(戒律)に適正であることを示す。食物に関してカーシェールと言えば、食事規定(カシュルート)で食べてよい食物のことを指す。

岩上「食べ物の掟が重要だという話に聞こえてしまうんですけれども、そのユダヤ教徒の厳格な戒律を守っているような人。ここの表紙に出てくるようなオーソドックスな人ですよね。この正統派の人達の中から、世俗化していって、まあこれはいいじゃないか、この戒律はまあいいじゃないか、といろんなものを取り除いていったり、その国の文化に合わせていったり。

 でも最後の最後に残るさきほどのトーラへの忠誠といった。トーラというのはモーセ五書のことでしょうけれども、すごく長いですからね。じゃあその中トーラのなかで、最も重要なコア、これ一点は、といったら何なんでしょう?『ユダヤ教徒です。私は未だにユダヤ人であります』というアイデンティティみたいなものは、食べ物の戒律じゃないでしょう。おそらくやっぱり何かモーセ五書に対する忠誠。食べ物では妥協しても、これは妥協できないという、ここが一番キモだよ、みたいなもの、それは何なんですか?」

ラブキン「これを持ってないとユダヤ教徒とは言えないというその中心的な規則というか、原理というのは、あるわけではないんですけども。私はこの『トーラの名において』で書いたんですけども、まさにそれはロシアのサハ時代のロシアで起きたこと。それは田舎に住んでいたユダヤ教徒たちが、いろんなものを捨てて、都市へ移り住むと。そしてそのユダヤ教徒であることを辞めるというプロセスを描いたつもりなんですけどもね。

 まさに、そのユダヤ教的な要素を削ぎ落としていって、放棄していって、最後に自分たちがユダヤという名を冠する人間であるために彼らがむしろ作り出したものというのが、ユダヤ民族性という概念だった。このことについて今から思えば、実は私が初めて日本に来た時に、東京大学で行なった講演のテーマがそれだったわけですけども。

 他の場所では、例えばイギリスとかだったらば、ユダヤ教を捨てて、それで地元の住民たちと結婚をすることによって溶け込んで消えていくというパターンもあったんですけど、ロシアの場合は、それが起こらずにアイデンティティというものを自分たちで作り上げていったと。全く違うプロセスがあったというわけです」

岩上「ユダヤ教徒である最後の最後の、一番重要な核心というのは、やっぱり神を信じるとか、それも旧約聖書に書かれている神。あなた方と契約をするというその選ばれた民として、神と契約をした。それを信じるということが中核にくる。そういう回答が返ってくるような予測を僕はしてたんですけど。これは間違いなんでしょうか?」

ラブキン「神との契約というのも大事なんですけども、大事なことはそれが何かにおいて表現されると。表出するということが大事で、やっぱり形を取らないとダメだと。

 例えば、もう非宗教のユダヤ人と呼ばれる人たちは『いやあ、もう俺はユダヤ教徒も関係ないんだから、ユダヤ教で禁じられているタコを食ったって俺はもういいし、ぜんぜん関係ないよ。そんなの俺興味ない』って言ってるユダヤ人もいるし『今はユダヤ教からは離れているけれども、やっぱりユダヤ教ではタコ食っちゃいけない、これ食っちゃいけないってあるそうだ。今はできないけど、来年からやっぱりやってみようかな』とか、そう思ってる人との間の距離はやっぱりかなり大きいわけですね。その点について、いい話が、ハシッドの伝統の話があるんですけども、それを披露していいですか?」

岩上「はい、どうぞ」

ラブキン「シュテートルという東ヨーロッパ、ロシアのユダヤ教の共同体ですよね。村落の話で、あるとき、ハイームという名前のユダヤ教徒がいたとしましょう『ハイームがカシェールの掟を、食事規定を破ったと。彼はまだユダヤ教徒だって言えるんでしょうか?』って、レッベ、ラビにうかがいを立てに行った男がいたと。レッベは『まだユダヤ教徒だろう』と答えたと言うんですね。

 次の日に、敬虔派のユダヤ教徒たちが今度は『ハイームが既婚女性と一緒に歩いているところを見たと。これでも彼はユダヤ教徒なんでしょうか?』ってラビに尋ねたら、ラビは『いや大丈夫だ。まだ彼はユダヤ教徒だ。ちゃんと彼に説明して、彼の事情を分かってやって、最終的には彼をユダヤ教のほうに、正しい道に引き戻してやればいいんだ』と。

 今度は『ハイーム君が安息日にタバコを吸っているのを見た。この掟を破っていても彼はまだユダヤ教徒でしょうか』と尋ねた。そして、いや、それでもレッベが大丈夫だと言うので『じゃあいったい、あとどういう掟の審判をすれば、ユダヤ教徒ではなくなるって言うんですか?』と言ったと。

 そしたら、レッベの答えは『カシェールの掟を破る、それから既婚女性と付き合ってる、安息日にタバコを吸う。これらの審判が全て彼にとって審判でなくなったらば、彼はユダヤ教徒でなくなるだろう』と答えたと。ハイーム君が、それが正しくないという感情を持っている限りにおいては、まあ、彼はぎりぎりのところでユダヤ教徒であり続けると」

岩上「なるほど。なるほど。これはなかなか難しいんですけれども、結局、本人次第だということなんですか?」

ラブキン「そうですね。良心ですね」

岩上「ああ、良心が。じゃあ、シナイ山の上からモーセに十戒を渡した神の存在を信じるか否かではないんですか?」

ラブキン「信仰というよりは、与えられた十戒が私に対して、自分自身に対して、何かを強いると捉えるかどうかの問題。何かを信じる、信じないの問題ではないと思います。

 だから、モーセの十戒を見て、これは私に関係があると。私に何かを強いると。私に何かを課してくるぞと思った瞬間に、もうそれが神との関係になっているわけですから、何かを信じる、信じないというよりは、義務の感情でしょうね」

岩上「なるほど。そうすると、とても普遍的な話になりますよね。特定の民族とは関係のない話になるんじゃないかと思うんですけど」

ラブキン「まさにそのとおりで、実際に私もたくさんの人を知ってますけども、全然ユダヤ系の出自でもない人が、日本人とかアフリカ人とかいろんな出身の人々が、あ、これはちょっと俺に関係があるぞというので、ユダヤ教徒になったという例はたくさん知っていますし、ただそれは、今日ちょっと新しい帽子を買うかというような気軽な話ではなくて、事前の学習ですよね。長い時間をかけての学習が必要なものではありますけども、ですからこれは、全く万人に開かれていると言っていいものです」

岩上「なるほど。話をもとに戻しますけど、ユダヤ人、ユダヤ教のラブキンさんの定義、これは聞きましたが、じゃあシオニストというのは、あるいはイスラエル人というのは、これはどういうふうに定義付けられるんですか?」

ラブキン「まずこれは、19世紀末にヨーロッパのユダヤ人たちのあいだで産声を上げた政治運動であるということですね。そして、しかもそれを政治運動として立ち上げた人々というのは、ユダヤ教の宗教からは非常に遠ざかった人々であるということを、まず言わなくてはなりません。

 それは、まずは19世紀後半のヨーロッパにおける反ユダヤ主義というものに対するリアクションであったわけですね。ですから、そのヨーロッパの近代の反ユダヤ主義というのは人種的な、宗教的なものではなくて、人種的なものだったわけですね。そのなかで、差別を受けた、宗教からかなりもう遠ざかったユダヤ人たちが、かなりのフラストレーションのなかで、周囲のヨーロッパ人が私たちを同等な存在として認めてくれないんだから、我々は我々自身の国を持とうと。場所を作ろうという動きとして結実したものですね。

 まさに、シオニズムの中核を担ったというのがさきほど言ったロシアの非宗教化したユダヤ人たちだったわけですね。というのも彼らは宗教から遠ざかりつつも自分たちがユダヤ人であるというアイデンティティを構築した、発明した、考案した人々だったわけですから、それとシオニズムというのはピッタリと重なるものだったわけですね。

 そして、そのロシアの世俗的、非宗教的ユダヤ人であり、シオニストとなった人々が、のちにイスラエル建国の中心的な存在を果たし、今日に至ってるわけですけれども、彼らは、自分たちだけではなくて、世界中のユダヤ系の人々の問題であると『自分たちだけじゃなくて』というふうに話を広げていった。大きくしていったというのが今日のイスラエルの歴史ということでしょう」

岩上「ユダヤ教徒の人たちというのは、ディアスポラ(※4)をして、いつの日か、このパレスチナの地に、ソロモンの王国の栄華を再びと。そう夢見てきた人々というふうに僕らは理解してました。ですから、シオニズムによって、建国されたことを喜んでいて、つまりユダヤ教徒の伝統的な考えと、シオニズムというのはかなりの程度、ズレはあるかもしれないけど、重なり合っているというふうに理解してました。

(※4)ディアスポラ(Diaspora, diaspora):本来は「離散」を意味するギリシア語。パレスティナを去って世界各地に居住する離散ユダヤ人とそのコミュニティを指す。

1948年にイスラエル共和国が建国されて以来イスラエル外に住む現代のユダヤ人もディアスポラと呼ばれる。離散ユダヤ人が,歴史上特に大きな役割を果たしたのは、ギリシア・ローマ時代である。

 これら離散ユダヤ人は前6世紀にバビロニア人が捕囚したユダの人々の子孫だけではなく、その後の歴史を通じて政治的・経済的理由などから各地に散った人々であった。(kotobankより)

 ところが、まさにこの本の写真が物語っているんですが、これはイスラエル軍の若い兵士ですね。そして、こちらは若いけど伝統的なユダヤ教徒。この若者が彼になにか一生懸命訴えかけているわけです。

 この本を読むと、この副題『トーラの名において』『シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』と。つまり、僕は重なりあってると思ってたんだけども、こういう伝統的なユダヤ教徒は、シオニズム、軍事的なシオニズムのあり方に非常に強い違和感を持ち、抗議をしている、し続けてきた。し続けてきたという歴史すらある。つまり、昨日今日抗議し始めたんじゃなくて、最初から抗議してるんだと。そのことを実は十分に伝えられてこなかった。これに非常に驚きました。

 彼は何に対して彼に抗議してるんでしょうか?つまりユダヤ教は何をこのシオニズムに対して、抗議しているのでしょうか」

ラブキン「さきほど言ったように、イスラエルという国を作った人々というのは、ユダヤ人という名を名乗りながら、ユダヤ教からはもうほとんど完璧に遠ざかった人々か、あるいは伝統的なユダヤ教に反旗を翻した人々であるということです。

 例えば、ベングリオン(※5)というイスラエルの初代の首相がいますね。彼が残したセリフとして『ユダヤ教というものがユダヤ人たちの身に起こった最大の不幸である』という言い方さえするぐらい、国の創始者たちはユダヤ教から遠ざかり、しかも敵視している人々」

(※5)ベングリオン(David Ben-Gurion):(1886年10月16日 – 1973年12月1日)
 イスラエルの政治家。首相(初代・第3代)を務めた。ポーランドのプロニスク生まれ。
 パレスチナ移住後はユダヤ系住民のイギリス軍への参加を呼びかけると共に、パレスチナに押し寄せるユダヤ系難民を規制しようとするイギリス当局と折衝し、難民受け入れに尽力した。
 1947年に国際連合がパレスチナ分割を決議するとメナヘム・ベギンら率いるイルグンなど過激強硬派のテロや反発を抑えながら、独立への準備を進め1948年5月14日にイスラエルの独立を宣言した。

岩上「ユダヤ教が」

ラブキン「そう考えるながら、この伝統的なユダヤ教を守ろうとしている人々がイスラエルという国の存在を受け入れられるわけがないですよね。当然のことながら。ですから、当初シオニズムの運動が勃興した頃には、大部分のユダヤ教徒がシオニズムから距離を置いて『あんなのは我々の支持できるものではないと』距離を取ったわけです。当然ながら。

 ということで、もちろん例外はいくつかありますけども、正統派のユダヤ教徒は正統派であればあるほど、シオニストからは遠ざからざるをえないということになります。これは本当に悲劇的なことなんです。

 まず例えば、イスラエルがパレスチナに対して行なっていることに対する抗議として、例えばテロリズムがありますね。ユダヤ人、あるいはユダヤ教徒を標的としたテロリズムが繰り返されるときに限って、目に見える、こういう伝統的なユダヤ教徒に限って、その標的にされやすいという、皮肉かつ悲劇的な状況も生まれているわけです。

 イスラエルの内部に住んでいる、国内に住んでいるこういう伝統派の、正統派のユダヤ教徒たちは、ですからもちろん軍隊、兵役も免除というか、軍隊にも参加しませんし、国のメインストリームであるユダヤ人の文化からも距離を置いて、周辺部で暮らしているわけです」

岩上「なぜ、ユダヤ教徒たちはシオニズムの最初の建国のプランのときから反対してたんですか?自分たちの国ができるということを歓迎しなかった?何を恐れたんでしょう?」

菅野「恐れた?」

岩上「恐れたのは、何を恐れたんでしょう?例えば、パレスチナの地に国を作ろうということで、そこに先住している人たちとのあいだで起こる軋轢。それは現実になりましたけれども。暴力、それも現実になりましたけれども、そうしたことをやっぱり恐れたんでしょうか?」

ラブキン「まず、彼らの伝統的なユダヤ教徒というのがパレスチナの地に、少数ながら昔から住んでいたということを忘れてはいけませんね。よそから移り住んできたわけはなくて、ずっと建国の前から住んでいて、周囲のパレスチナの状況の文脈のなかに完璧に溶け込みながら、暮らしていたわけですね。アラビア語を話し、アラブ人とアラビア語を話し、内部ではイーディッシュ語をしゃべっていたかもしれませんけれども、アラビア語を操り、まったく問題ない多民族地域として、その一角として」

岩上「オスマントルコの時代ですね。とりわけ」

ラブキン「住んでいたわけです。その状況をまったく根底から覆してしまったのが、シオニストたちの到来であって、彼らは最初の頃は非常に少数であったにもかかわらず、その状況を自分たちのコントロール下に置こうとして、いろんなことをやったわけですね。

 でもそれも、その当時として分からないことでもなくて、19世紀末、20世紀初頭という時代においては、その植民地主義という言葉はポジティブな言葉だったわけで、非文明的なところに文明をもたらすという動きとして積極的に捉えられていた時代だったので、そのように外からやってきた人がコロンとして、入植者として何かをするということについては、それも理由のないことではない、とされていたわけですよ。

 ですから、私がその小さな本の方にも書いたとおりなんですけれども、イスラエルというものを理解しようとしたときに、じゃあユダヤ教を理解しようとか、ユダヤ人を理解しようとかというふうにいくよりは、ヨーロッパの民族主義、それから人種差別、植民地主義というものの理解に努めたほうが、イスラエルというものがよく分かるのだということを書いたつもりです」

岩上「こういう本のなかで引用されている。どなたが言った言葉か。『神はいない。しかし、我々は神が約束した土地に住むのだ』というなんか指導者の言葉がありましたね。これすごくシニカルですけど、シオニストの考えを端的に表してるものなんでしょうね」

ラブキン「私の同僚が書いた言葉ですけどもね」

岩上「なんて言う方ですか?」

ラブキン「ベルシェヴァ大学のアラーズ・クロコツキンという人がフランス語で書いたセリフですけども。『神は存在しない。ただ神は我々にこの土地を約束した』というセリフですよね。このシニカルな言葉がまさにイスラエルの存在を正当化しようとする試みをまさに要約した言葉だと言っていいと思いますね。

 ピール委員会というのがイギリスにありまして。まだ建国の前ですけども、1930年代に、ピール委員会が、当時その組織の指導者で後の首相になるベングリオンに、あの土地に対するあなた方の委任権といいますか、その権利はいったいどこにあるんだと尋ねたと。

 そこでベングリオンがひとつの答えを見つけた。それが非常に説得力のある答えだったんです。なぜ説得力を持ったかというと、その委員会のメンバーがイギリス人であり、つまりプロテスタントだったからなんです。そしてベングリオンはこう言ったと。聖書を指さして『これが私たちの委任統治権である』と。

 と言いますのも、プロテスタントというのはもちろん全てではないんですけども、その一部の内部の宗派が強く信じてるところは、ユダヤ人、ユダヤ教徒というものはいつか必ず聖地に再結集しなくてはならないし、それがこの世の終末を早め、イエスの再臨、二回目の到来を早めることになるという強い信念を持っている人たちなので、それがまさにプロテスタント的な、キリスト教的な図式のなかにぴったりハマるものだったわけですね。

 ですから、今日なお、イスラエルの最大の支持者、最も強力な支持者たちというのが世界中のプロテスタントであるというのもその理由、頷けるわけです。なかんずく、現在のアメリカのキリスト教のなかの右派と言われている人々ですよね。

 人口ははっきり分かりませんけど、5千万人とも言われている人々が、強力にイスラエルを支持しているのもそこに由来しているわけです。私もこの本の中にも書いたんですけども、ネタニヤフなんていう人が、例えばアメリカに行くたびに、アメリカにおけるイスラエル支持派の、また再結集して、力を動員するということを盛んに行なっているわけです」

岩上「キリスト教シオニストと言われるような人たちですよね。これは福音主義者と、あるいはキリスト教根本主義者、原理主義者というのをぜんぶ重なりあう言葉なんですか?」

ラブキン「完全に重なりあうってわけではない。やっぱり右派があったり左派があったり、しますので。だけど、大まかに言って、今言った3つは同じ」

岩上「考えが同じと。驚いたことに、このご本の中にキリスト教シオニズムの最初の考え方というのは16世紀に出てくる。イギリスから出てくるという記述があるんですね。そんな古い前史があって、プレヒストリーがあって、そして19世紀、20世紀のシオニズムのクライマックスを迎えると。ちょっとそれは知りませんでした」

ラブキン「そうですね。まさに英語圏。しかもイギリスのプロテスタントたちのあいだで、まずはそういうのが生まれてきたと。私がその本の中にも書いたんですけども、さらにもっと詳しくその話をある論文として書きまして、実はこれから韓国へ行くんですけども、来週の韓国での講演のテーマがそれになってます」

岩上「それは聞きたかったですね。ちょっとだけ教えてください」

ラブキン「今、私が書いたキリスト教ザイオニズムについては、もう去年、韓国の英語の雑誌に、すでに私が書いたもので、ですから英語で読めます。むしろ、それを簡単にまとめたものがこの本のなかにあると」

岩上「なるほど。韓国にはキリスト教徒が非常に多いですから、彼らは非常に熱心な関心を持ってると思います。ところが相変わらず、日本人はキリスト教徒も少ないですし、あまり詳しくない。

 だから、なぜプロテスタントの人たちがユダヤ人をパレスチナに集めて、そして世界の終末がやってこなくちゃいけなくて、そしてなぜキリストが再来するのか全くわからない。ぜんぶ狂信にしか聞こえない。ほとんどSFの世界にしか聞こえないんですね。説明してほしい。彼らはいったい何を信じているのか」

ラブキン「まあ、往々にして、そういうSF的なものというのは人を動員する力というのを持っているわけで、ときにはそれが大きな損害さえ、害さえもたらすものです。それがおそらくその理由のひとつですね。私の本はこうやって日本語にはなりましたけど、まだ韓国語には訳されていないのは、もしかしたら、その理由のひとつかもしれません」

岩上「なるほど。いや、これからきっとなると思いますけどもね。でも、そのサイエンス・フィクションのようなスペクタクルが現実になると、たいへん本当に迷惑です。それは、要するに大きな戦争を起こそうという話です。ところが、現実を見ていると、もうその一部は現実になってるんじゃないかと思われる。

 ちょっと大事な質問です。シリアの危機がありました。そのシリアの危機、アメリカのケリーとロシアのパブロフがシリアで武力行使をしないと約束したその日、すぐにケリーはイスラエルへ飛んでいって、ネタニヤフに、一生懸命、武力行使しようと思ったんだけど、という言い訳をしました。びっくりしました。かつ、ネタニヤフは、『いや、イランをやろう』というような話をする。そして、その翌日、なんとオバマは、イランのほうが危険だという演説をする。アメリカはイスラエルの御用聞きなのか。本当にショッキングな光景でした。

SFは頭のなかだけであるならともかく、中東を火の海にするような話を現実に行おうとしている。それがなにか、宗教的な狂信も動員されているんだとしたら、これはちょっと我々も知っておかなきゃいけない。しかも、日本はいま、アメリカに付き従って戦争をするという憲法の解釈の変更を行おうとしています。

 これ、日本にとって大変大きなレジームチェンジになってしまう。そんなものに我々は巻き込まれていくのか。こういう現実的な関心からも、この問題を真剣に僕らは理解しないわけにはいきません」

ラブキン「ですから、その本については、『イスラエル・ロビー』という本がありますね」

岩上「はい。ミア・シャイマー」

ラブキン「ミア・シャイマー。それを読めばよく分かると思うんですけれども。読んでますか?」

岩上「もちろん、読みました」

ラブキン「それで気をつけなきゃいけないのは、『ユダヤ・ロビー』じゃないっていうことです。それはね。『イスラエル・ロビー』であるということです。そのロビーのなかにはユダヤ人でないキリスト教徒がたくさん含まれているということをまず気をつけなきゃいけませんね」

岩上「なるほど」

ラブキン「ですから、こういう地政学的なアメリカの利益というものが深く絡んでいる話がありまして、これについては今度の土曜日に講演会がありますので」

岩上「じゃあ、ちょっとCM、CM(笑)明治学院創立150周年記念企画『転換期の平和学の課題』ということで、26日土曜日、18時30分から、明治学院大学の白金校舎でやるそうです。入場無料、事前申込み不要、ということでぜひ皆さん、行ってください。これ、僕らは知らなかったんですよね。これが中継できるかどうか、ちょっと分からないんですけど、もしかしたらできるかもしれないので、コンタクトを主催者にとってみて、お願いをちょっとしてみようと思います。できるかどうか分からないので、できるだけ皆さん、行ってみてください。はい」

ラブキン「これはちゃんと言っておかなきゃいけないんですけども、私はユダヤ教徒なので、金曜日の日の入りから土曜日の日の入りまでは安息日ですので」

岩上「あ、働いちゃいけないんですね」

ラブキン「はい。ですからもちろん、この講演会も土曜日の日の入りの時間を確かめたうえで開催いたします、ということを申し上げておきます」

岩上「なるほど」

ラブキン「これをちゃんと言っておかないと、なんだ、ユダヤ教徒だと言って、日本に来て、シャバト破ってるんじゃないかと言われかねないので、ちゃんと言っておきますが(笑)」

岩上「要するに、夕方、日暮れになったらば働きだしていいんですね?」

ラブキン「はい」

岩上「ちょっと話が飛んじゃったみたいなんですけども、僕らにとって非常に重要なのは、中東で問題が起こって、アメリカが日本に要求しているのは、アメリカのやる戦争について来いということなんですよ。それははっきりと『ホルムズ海峡に来い』ということを言ってるんですね。多くの日本人は、中国からの防衛のためにはアメリカと付き合わなきゃいけないんだ、と思い込んでるんですけど、リチャード・アーミテージのような人は、はっきりと『ホルムズ海峡に来い』というふうに言ってるわけです。自衛隊を出せと言っている。

 こういうことに巻き込まれていく。このアメリカとイスラエルの、なんか気持ちの悪い異常な関係はなんなんだろうと思って見ているときに、こうしたある種、宗教的な結びつきみたいなことを我々は理解しなくちゃいけないんだなというふうに今、思っているわけです」

ラブキン「それはもう今始まった状況でなくて、例えばイラク戦争の時にもアメリカ軍は日本の基地を使ってイラクを攻撃したわけですから、これは今始まった状況じゃないですよね。例えば、アラブ世界へ行って、アラブ圏へ行って、どうやって戦争するかというので、その訓練を沖縄のベースキャンプを本拠地として行われましたし。ですから、昔からこういう状況だったわけです。

 ですから今大事なのは、日本というのは、もう完全にそういう状況に巻き込まれていると言わなくてはいけませんね。そして大事なのは、日本がアジアの一国としての立場をとりうるのか、あるいはこれまでの歴史のなかで常にそうであったように、必ず大国の利益のほうに与するのか。重要な分かれ道だと思いますね」

岩上「僕はそういう意味では、これを見た時に、直感的に、軍事的な覇権を求めるものの姿と、それに対して、素手で、なんにも持ってない非力な若者が抗議をしている姿。ユダヤ教のことは分からなかったけど、このプロテストする姿がすごく印象的なんですね。

 今、日本人は、日本の右翼といいますかね。軍国化しようという勢力、それから、アメリカの軍事力、そしてその向こう側に結びついているイスラエルのシオニストたち。そういう方向にどんどん引きずられていく。それにストップという、どういう根拠を持って、ストップを言い得るんだろうかということを考えているわけです。

 戦後の日本人にとってそれは憲法9条。ユダヤ教徒にとっての戒律のような枠だったんですけども、それが今、ひっくり返されそうになっている。じゃあそのときに、どんなふうに平和を主張することができるのか。彼らはなんでこんな非力なのに強く抗議できるのか。とても、彼らの強さ。弱いんだけど強いその姿勢みたいなものに興味があるんですね」

ラブキン「私はいまカナダに住んでますけども、カナダはイラクには軍隊は決して送りませんでした。だけども、輸出の70%はアメリカに行ってますので、アメリカに依存している国であることには変わりはない。ラテンアメリカの国々も、大きくアメリカに依存している国々もイラクには軍隊は送らなかった。日本はメキシコやカナダに比べたら、アメリカへの依存度というのは低いんじゃないでしょうか。まだまだ。

 ですから、アメリカにそれほどまでに依存している国々も、アメリカの言いなりになって軍隊を送っているわけではないのだから、日本も自分自身の政治学をもって、アジアの一国としての立場というのはじゅうぶん作れる、というふうに、私は楽観視は、期待はしていますけれども。

 ですから、私は日本はそういう構造上、メキシコやカナダよりもアメリカについていかないといいますかね、アメリカの誘いに乗らないと言ったら変ですけども、断る力というのは持っているはずだと思いますが」

岩上「その伝統的なユダヤ教徒たちの考えにあるのは、絶対的な平和主義であると。これは、この間インタビューした時に、まとめて教えていただきましたけども。絶対的平和主義で、それから国家に依存しないと。国家主義者じゃないと。ある意味、アナーキーであると。この絶対平和主義というところが非常に新鮮だったんですけれども、それは間違いないんですか?」

ラブキン「それはイスラエルでの文脈でいえば、正しいですね。菅野先生が言ったことは。ですから、2000年以来の伝統として、確実にあると言っていいのは、自分たちの土地を獲得するために、あるいは守るため、確保するために、武力を行使してはいけないという考え方があることは、これはもう疑いがありません。

 だけども、だからといって、この伝統派のユダヤ教徒がニューヨークに住んでいたとしますよね。彼がアメリカの軍隊に入らないとも限らない。事情があって。フランスに行ったらフランス軍に。なぜかというと、そこには神学的な問題はないからですね、原則として。アメリカの軍隊に入る、フランスという国の軍隊に入るということには、神学的な条件は絡まってこないと。イスラエルについては別ですが」

岩上「別。じゃあ、それは単純な普遍的な規則、汝殺すなかれ、とは別の話だということですね」

ラブキン「例えば、伝統的な正統派のユダヤ教徒でも、ピストルを持った男に銃を突きつけられて、自分の命が危うくなったらば、それは自衛もしますし、反撃するかもしれない。それ自身は、汝殺すなかれ、というものの意味としては、意味もなく、根拠もなく、むやみやたらに、というふうにそれを解釈して、ですから、自分を殺そうと思ってくるものに対しては、殺人行為に出ることもあるかもしれないと」

岩上「ただ、旧約聖書を我々が分からないなりに読むと、出エジプトしたユダヤ人たち、モーセに率いられたあと、パレスチナの地に入って、そこにいた先住民たちと戦って彼らを追いだすなり、殺すなりして、そこに建国するという記述が出てきますね。これは歴史的な記述なのかもしれませんけれども、これは神から約束されて、そして今のシオニストたちがやってることと同じように見えるんです。これはどういうふうに解釈するんですか?」

ラブキン「それは2つの事象は、やっぱりいくつかの次元で違うことですね。違う事象ですね。まずは、その聖書の記述を見ると、これは非常にもう残酷で、ほとんどジェノサイドと言ってもいいくらいの記述がありますね。もちろん、時々過激な行き過ぎたのもありますけども、まあイスラエルの軍隊がジェノサイドをやってるわけではないと。それは確かです。まずそれがひとつですね。

 もう一つは、別のもっと根本的な次元で言うと、神の命令があったかどうかということですね。ユダヤ教徒からすれば、私たちは、神の論理というものを私たちは最終的には理解できないものである。あの土地を獲得しろと。取得しろという命令が下る前に、すでにアブラハムの世代で、息子を殺せと。捧げろという命令がありましたね。最後の瞬間には、考えを変えたわけですけど。

 そこでひとつ重要な事は、私たち、今日のユダヤ教というものは、いわゆる聖書、キリスト教にとっての旧約聖書のみに成り立っているものではなくて、それ以上に、タルムードというラビの伝統があって、そっちのほうに大きく足を置いているわけですから、極端な言い方をすると、聖書を開いても、ユダヤ教のことは分からないと言ってもいいくらい。

 幸い、日本でも東大の市川先生をはじめ、研究者の方々がいらして、タルムードを日本語に訳していらっしゃいますが。ですから、例えばプロテスタントの人々がユダヤ教を理解しようとして旧約聖書にのめり込んでいくというのとは全く別でして、私たちにとっては聖書じゃなくて、ラビの伝統のなかで作り上げられてきたタルムード。そこにはギリシャ哲学とか、他の文明との接触の痕跡もいっぱい含まれているわけですけども、そのなかでこそ、私たちはユダヤ教を考えているので。

 例えば、有名な話に、1世紀のラビ・アキバというラビと、モーセの会話というか、物語る話があるんですけども。この話はタルムードの話なんですけども、ラビ・アキバという1世紀ぐらいのラビのところにある日、モーセが降りてきて、ラビ・アキバの教えを聞いたと。ところがラビ・アキバがなにを言ってるのかさっぱり分からなかったと。その講義を聞いても。

 そこでモーセは神様のところへ行って、ラビ・アキバが地上で説明している教えがさっぱり俺には理解できなかったと。これはどういうことか?って言ったら、神はモーセになんて言ったかというと『消え失せろ』と『当然だ』と。あれから1500年経ってるんだぞと。おまえが分かんないのは当然だという話が載っているくらいなんですから。

 これはもう重要なことなんですけども、これは単なる冗談、ジョークではなくて、ちゃんとしたタルムードのなかに含まれている記述なんですね。それは、その目的はというと、そのあらゆる原理主義、原理というか根本に返れば何でも正しいという考え方に対する特効薬といいますかね。予防薬としてあるものだと普通は解釈されています。

 ですから、ハラッハーという言葉があって、これはユダヤ教の法なんですけども、いろんな掟ですよね。法というのは、ハラッハーというヘブライ語なんですけども、その元々の意味は、歩くこと。つまり、歩いて行って、その場所を変えながら、常に変化しながら、歩いていくものだと。何か、凝り固まったものではないと」

岩上「変化していくもの。正統派のユダヤ教徒が根本主義者とか原理主義者ではないというのは非常に新鮮ですね」

ラブキン「もちろん、私もこれについて、また別に論文を書いたことがありますけども、ユダヤ教のなかにも原理主義者と呼ぶことの出来る人、グループはいまして、いるんですけども、面白いことに、その彼らは、プロテスタントの人々から非常に支持されているということです」

岩上「なるほど。もう、お時間がだんだんなくなってきたので、一つ最後の質問でまとめさせていただきたいんですけれども、僕らは確かにユダヤ教の伝統からほど遠い人間ですけれども、でもやっぱり暴力の横行とか、覇権主義とかいうものに対しては心を痛めるわけですし、またそこに自分たちが巻き込まれていくということに対して、非常に情けなくも、あるいは不安でもあるわけですね。

 そういうなかで、このユダヤ教徒の人たちのタルムードに基づくと、ちゃんと言いますけど、タルムードに基づいて変化しながら深めてきた知恵というものがあるとしたならば、このような状況のなかで、何を我々は、異教徒の我々は学ぶことができるのか。

 まあ、ユダヤ教に改宗しろと言われたら、それはちょっと考えさせてくれということなんだけども、そうではなくて、同じ人間、同じ地球の中にいる、同じ普遍性の中にいる人間同士として、もしアドバイスできることがあれば、我々のどんどんきな臭くなっていく状況に対して、抵抗するための知恵みたいなものについて、アドバイスすることがあれば教えていただきたいと思います」

ラブキン「数週間前ですけども、私はシナゴーグへ行って、シナゴーグへ行くと必ずトーラのどこかの部分を読むわけですけども、バベルの塔の箇所を読みました。バベルの塔(※6)の話って、だいたいわかりますよね」

(※6)バベルの塔:Babelは聖書の地名シナルの古都。

旧約聖書の創世記にある伝説上の塔。ノアの大洪水ののち、人類がバビロンに天に達するほどの高塔を建てようとしたことに神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させて互いに通じないようにした。そのため人々は工事を中止し、各地に散ったという。転じて、傲慢に対する戒めや、実現不可能な計画の意にも用いられる。

岩上「OK」

ラブキン「神が、ですから人間の傲岸不遜を罰しようとしてバベルの塔を破壊し、人々は散り散りになり、別の言語をしゃべるようになったと。普通はそれが神の懲罰だと捉えられていますけれども、ところが、ある注釈を読むと、それは神の呪いとか懲罰ではなくて、祝福だったって解釈するのがある。

 というのは、もしもひとつのもののなかに、たった一つの言語で、一つの考えだけが閉じ込められているんだとすれば、まさにそれが全体主義的なものになってしまうと。これは、レイボビッチという今から20年ほど前に亡くなったユダヤ教の学者が言ったことなんですけども、そのコメントなんですけども。

『見てごらん。今、アメリカがあって、核兵器を持っている。ソ連があって核兵器を持っている。両方、私たちは信用できない。だけども、それが2ついて、バランスをとっている、平和が実現するじゃないか』と。

 まさに、神が成そうとしたのは、そのことだ。異なるものをガシャーンといっぱい作ることによって、どれか一つに、これも信用できない、これも信用できない。でもそういうものがいくつか存在して、均衡を保つっていうんですかね。均衡を保つことによって平和が保たれるってことだってあるじゃないかと。だから、あれは祝福だったんだと。

 ところが、今日の世界というのは、ご存じのとおり、その均衡というものが失われてますよね。もしも、ひとつの平和についての考え方というのは、均衡というものから成り立ってるとすれば、ヨーロッパ的な平和の概念というのは、パックス・アメリカーナ(※7)というものに代表されるように、誰か一人が、一国が力で押さえることによって作らなきゃいけないものであると。

(※7)パックス・アメリカーナ(Pax Americana):第二次大戦後,アメリカがその圧倒的な軍事力と経済力によって維持してきた平和。(Kotobankより)

 ですから、さっきのバベルの塔の解釈の一つとして、一つのものに、たった一つしかない権力をぜんぶ認めてしまうということがいかに内在的に危険なことであるかということを示しているエピソードであって、ですからそれは、アメリカ人が悪意を持ってるとか、フランス人がこういう意向だからというのは関係なく、もう構造として、一人が、一つの国が、一者が全的な力を持つということがいかに危険なことであるかということを示したものだと。

 例えば、神様がこうやって、いくつかの言語を作ったことによって、私たちの間には共通語はありませんが、バベルの塔のせいで。だけども、そういう時には必ず、菅野先生のような人が現れて、間を取り持ってくれると」

岩上「(笑)ありがとうございます。メルシーボク(笑)」

ラブキン「アリガトウゴザイマシタ」

岩上「ということですね。オチはそういうことなんですか?菅野先生がメシアみたいなもんなんですか。菅野先生、降臨。みたいな話になってしまいましたけれども。

 ありがとうございます。このあと、ラブキン先生、ちょっとお急ぎで、次の用事に行かなきゃいけないんです。まだまだお話をしたかったので、ちょっと残念な気もするんですけれども。できれば。いつまで滞在されるんですか?」

ラブキン「日曜日の朝に、ソウルのほうに」

岩上「あ、ソウルに。じゃああんまり時間がないんですね」

ラブキン「もしも台風が私をここに留めさせない限りにおいて、です」

岩上「神の思し召しなんですね。わかりました。じゃあまたぜひ、機会があったらお会いして、お話の続きをうかがいたいなと思います。タルムードの話、非常に面白いですね」

ラブキン「喜んで。今日は私のこの本をこんなに付箋を付けてくださって、読んでくださってるのを見て、非常にありがたく思いました。これを見るためだけでも、今回、日本に来た甲斐がありましたね(笑)」

岩上「ありがとうございます。いやあ、難しいんですよ。なかなか、何回も何回も読まないと分からなかったんで。でも、本当に有難うございます。会えて嬉しいです。Thank you,Thank you very much」

ラブキン「My pleasure」

岩上「ということで、ヤーコブ・ラブキン先生にお話をうかがいました。菅野先生もどうもありがとうございました」

菅野「いいえ。お粗末でした」

岩上「いえ、とんでもないです。ご視聴いただいた皆さん、どうもありがとうございました」

【文字起こし・@sekilalazowie, 校正・@KinocoMX】

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11件のコメント “2013/10/23 伝統的ユダヤ教の絶対的平和主義から逸脱した”軍事国家”イスラエル ~岩上安身によるモントリオール大学教授・ヤコブ・M・ラブキン氏インタビュー

  1. ラブキン教授のご主張は,煎じ詰めれば自らの思想信条に基づき,イスラエル国家は解体すべきであるというようですが.「国家に依存しない絶対平和主義」とは言い換えるとユダヤ教を原理主義的に信奉する無政府主義ということでしょうか. 反論を待ちます.

  2. 追加です.
    1)正統派ないし超正統派は少数者であることは話から理解した.
    シオニズムはドレフェス事件以降に発した欧州に根深い問題
    2)おおせの厳しい批判は国外の比較的安全な立場だからいえることではないか.
    Haredim はイスラエルのなかにもいることも知られている.立場の弱い彼らと連帯しないようであるが矛盾ではないか.
    Haredim についは社会問題とされている.2013年6月6日NYT,Israel Prods Ultra-Orthodox to ‘Share Burden’
    3)現状の「軍事国家イスラエル」でなく,あたかも穏当なアラブとの協調を論説しているようにもうかがえるが,現実的具体的な解決策となると,どちらでもない,大昔の平和共存を回顧するユダヤ信仰のなかに完結させるるように見えるがいかがか.

  3. 記事内に全文文字起こしもあります。イスラエルの現実と理想・・
    伝統的ユダヤ教の絶対的平和主義から逸脱した”軍事国家”イスラエル ~岩上安身によるモントリオール大学教授・ヤコブ・M・ラブキン氏インタビュー http://iwj.co.jp/wj/open/archives/107981

  4. 流石だよ、IWJ。ラブキン氏検索したら、インタビュー出てきた! 

  5. シオニズム=政治的イデオロギー。ユダヤ教とは似て非なるものだ。

  6. ユダヤ人?ユダヤ教徒?イスラエル人?イスラエル国家?シオニズム?反ユダヤ主義?パレスチナ人?・・・勉強になります。聞き起こしあり。

  7. この記事イスラエルの友人達が読んだら嬉しいんじゃないかな。シオニズムは宗教的なものじゃなく政治的イデオロギーということ。欧米的価値観ではユダヤ教とシオニズムは1セットだから〜

  8. シオニズムはプロテスタントの政治的イデオロギー。なるほど〜

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