2023年8月31日、午後18時15分より、東京都文京区の文京シビックホールにて、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」が開催され、会場には、遺族の方々、在日韓国人、在日中国人の方々、そして、日本各地で追悼のための取り組みを行っている日本人など、1800人を超える参加者が一堂に会した。
1923年9月1日、関東大震災(マグニチュード7.9)が発生し、首都圏での死者は10万人、家を焼失した者は200万人を超えた。そして、この日本の地震災害史上最大の混乱の中で、政府による「朝鮮人が各地に放火し、不逞の目的を遂行しようとしている…」等といったデマが拡散され、軍・警察、自警団などを中心とした民衆(官民一体)により、多くの朝鮮人・中国人(6000人を超える朝鮮人、800人近い中国人)、また、日本の社会主義者や労働運動の活動家ら)が虐殺された。
近代化の道をひた走っていた当時の日本という文明国で、なぜ、「虐殺」という蛮行が行われたのか?
この大会で来賓の中華人民共和国駐日本国大使館の楊宇(ようう)主席公使は、あいさつの中で、この点について、以下のように述べている。
楊公使「その根本には、当時の日本が軍国主義の道を歩み、国内に極端な民族主義と排外主義、外国への差別的・敵対的な風潮がまん延していたことがある。これもその数年後、中国及びアジアの国々に深刻な災難をもたらした日本の侵略戦争への伏線となった」。
また、同じく来賓の在日本朝鮮人総連合会の徐忠彦(ソ・チュンオン)副議長はあいさつの中で、次のように述べた。
徐副議長「最も深刻な問題は、100年経った今においても、この問題が何も解決されていないということです。日本政府は真相を調査するどころか、『記録がない』と嘘までついて、事実の隠蔽と矮小化に努め、東京都知事にいたっては、事実を認めようともせず、追悼文を拒否しております。
償われない罪、犯罪は繰り返されるのが常ですが、100年が経ち、『新しい戦前』を迎えていると言われている今日の日本で、このような悲惨で恐ろしい事態が二度と起こらないと言い切れないのが残念です。
(中略)
個人も国家も、自らが犯した罪を反省し、謝罪し、償い、そこから教訓を見出してこそ、過ちを繰り返さず、健全な未来を築けると言われますが、日本では歳月を重ねるにつれて、そのような機運が薄れてきているのは由々しきことです。
ただ、一縷の希望の光は、ここにお集まりの皆さんの存在です。皆さんのような方々がおられる限り、日本でも明るい未来が築かれると信じてます」。
日本は、近代に入り、権益拡大のために日清(1894)・日露戦争(1904)を行い、1910年には韓国を併合した。この日本の植民地支配に対し、三・一運動(1919)など、朝鮮民衆の独立運動が広まった。この動きについて、日本は軍・警察、そして民衆をも武装させて弾圧し、朝鮮人約7500人が犠牲になったといわれる。
日本の植民地支配下で、抵抗と弾圧が繰り返され、日本本土では、「日本人に抵抗する朝鮮人は『不逞鮮人』である」とする差別的な感情が、民衆の中に醸成されていった。そして、そのような状況下で関東大震災が発生し、不安と混乱の中、植民地支配に由来する差別感情と恐怖心から、朝鮮人の無差別殺人に帰結した。
追悼大会実行委員会事務局長の藤田高景 事務局長は閉会挨拶を以下のように締めくくった。
藤田氏「今日、皆さん、ニュースで見ておられると思いますが、(松野)官房長官が記者会見で、『関東大震災の虐殺について、政府の資料を調べたけれどもない』などというふざけた答弁をやっているんですね。
私、こんなねえ、歴史を改ざんする、歴史を否定する答弁は、絶対に許してはならないと思います。皆さんどうですか?
日本の史上最大の、国内における異民族の虐殺なんですよ。帝国日本は、中国では南京などで大虐殺をやり、朝鮮半島でも、植民地支配で多くの虐殺をしましたけれども、日本国内でおこなった異民族の虐殺は、100年前の関東大震災での虐殺は、日本史上最大の異民族虐殺だったのです。
その事実さえ認めない日本政府。私は、こんな政府は断じて許すわけにはいかないと思います。皆さん、どうですか?
安倍首相は、『日本は美しい国』だと散々言いましたけど、歴史の事実を認めない国の何が美しいのか?
価値観を共有する同盟だとか、アメリカの言いなりになっているけれども、それが本当に民主主義なんでしょうか。民主主義を踏みにじり、歴史の事実を踏みにじり、アジアの連帯を踏みにじる、今の日本政府の態度を断固として変えさせるべく、今日の集会を第一歩として、頑張っていきたいと思います」。
大会プログラムの詳細については全編動画をご確認ください。