100年前の朝鮮人虐殺の公文書を東京で初公開! デマをまき散らした当時の新聞記事や朝鮮人虐殺場面の写真も展示!! これでも政府は「記録が見当たらない」と言い張るのか!?~8.31 関東大震災「朝鮮人・中国人虐殺」原史料・パネル展 2023.8.31

記事公開日:2023.10.12取材地: テキスト動画
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(取材・文、山内美穂)

 1923年9月1日に発生した関東大震災から、100年を迎えた。マグニチュード7.9の大地震は、首都圏で死者・行方不明者10万人以上、住居消失者200万人以上と、甚大な被害をもたらした。

 今日では、9月1日は「防災の日」として広く認知されているが、同時に忘れてはならない事件がある。震災直後に起きた、朝鮮人・中国人に対するジェノサイドだ。

 震災直後の民衆の混乱のさなか、「朝鮮人の放火や暴動」「井戸に毒を投げ入れる」などのデマ・流言飛語が広がった。9月2日には戒厳令が公布され、軍や警察の指揮下で、自警団などの民衆が加わり、6000人以上の朝鮮人、800人以上の中国人が虐殺されたといわれている。さらに朝鮮人や中国人に間違われた日本人や、社会主義者・労働運動家もターゲットになり虐殺された。

▲「朝鮮人虐殺場面を撮った写真は、この一枚のみ」と、アジア民衆歴史センター・久保井則夫氏談

▲上写真の一部拡大

 日本政府は100年経った今も、この大虐殺に対して、調査、謝罪、賠償をしていない。2023年8月30日に行われた内閣官房長官記者会見で、震災当時の朝鮮人虐殺の事実について記者に問われた松野博一官房長官は、「政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」などと述べている。

 こうした中、9月1日前後には「負の歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、二度と同じ過ちを犯さないために」と、研究者・識者らを含む、様々な市民グループによる追悼のイベントが、例年に比べ数多く行われた。

 IWJは「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会実行委員会」が31日に行った、「関東大震災『朝鮮人・中国人虐殺』原史料・パネル展」を取材した。この展示は、元社会科教諭の増田都子氏の企画で、アジア民衆歴史センター主宰の久保井規夫氏が所蔵する、100年前の虐殺を指示した公文書や、新聞社のデマを煽る記事・写真・図版などの原本を、一日限りのパネル展として、東京で初めて公開したものである。

 久保井氏は5年ほど前から、大阪市内で開催される「アジアから問われる日本の戦争展」に史料・パネル展示で参加しており、「関東大震災における朝鮮人虐殺」をテーマにした際に訪れた増田氏が「ぜひとも東京で企画したい」と切望し、このたび企画が実現した。会場では久保井氏による映写での解説も行われた。たった一日の開催だったが、170名が参加し、当時の貴重な史料に目を凝らしていた。

 会場には、首都圏での虐殺史料のほか、地方で起こった事件についてのパネル展示も。三重県熊野市木本町で起きた「木本事件」のパネルを見ていた、鎌倉市から来たという80代の女性は、「熊野市本木(町)は馴染みのあるところなのだけど、こんな事件があったなんて知らなかった。今度訪れるときは慰霊に訪れたい」と語った。

 30代の男性は「今日は勉強に来ました」と言葉少なに語り、ひとつひとつの史料に見入っていた。

 中国人虐殺のパネルの前で足を止めていた、在日中国人の中学一年生の女子学生に感想を求めると、戸惑いつつも「(日本政府には歴史的事実を)認めてほしい」と、一言話してくれた。

▲大島町虐殺事件、王希天事件など、中国人の虐殺・傷害も多くあった

 なぜ、人々は虐殺に走ったのか。朝鮮人・中国人大虐殺が起きた背景には、多くの研究者や識者が示しているように、もっと前の歴史的事実を紐解かなければならない。

■全編動画

  • 日時 2023年8月31日(木)11:00~12:00
  • 場所 文京区民センター3A(東京都文京区)
  • 主催 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会実行委員会(詳細

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