「若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」ーー。
終戦の日の前夜、SEALDsの奥田愛基さんが国会前のスピーチで、ある新聞の投稿を朗読した。
紹介した新聞記事は、京都府に住む86歳の元海軍飛行予科練習生から寄せられたものだ。特攻隊を志していたというその男性は通信学校で、仲間たちが敵艦に突っ込んでいく時の最後の叫びを聞いたという。
人生には心からの笑いや友情、恋があふれ咲いていることを知らずに死んでいった16歳や18歳の若者たち。若くして命を捧げた仲間たちと国会前の若者たちの姿を重ねた男性は、最後にSEALDsを指し、「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」と綴っている。
SEALDsのメンバーたちは毎週金曜日の国会前抗議前に、毎回、この記事をよく読むという。投稿を紹介した奥田さんは、涙を堪えきれぬまま朗読を終え、「最高責任者は何回も言うけど安倍晋三じゃない。それが1945年8月15日の意味です」と締めくくり、「戦争反対」のコールを上げた。
以下、奥田さんのスピーチ動画とスピーチ全文を掲載する。
- 日時 2015年8月14日(金)
- 場所 (東京都千代田区)
奥田愛基さんスピーチ全文
「今日は8月14日です。明日で戦後70年。
僕らメンバーがここに来る前に毎回読む新聞記事があって、それを朗読したいと思います。
『学生デモ、特攻の無念重ね涙』というタイトルで新聞に投稿された記事です。
安保法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予科練習生)だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩、同輩たち。『今こそ俺たちは生き返ったぞ』とむせび泣きしながら叫んだ。
山口県・防府の通信学校で、特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の『突入信号音』を傍受し何度も聞いた。先輩予科練の最後の叫び。人間魚雷の『回天』特攻隊員となった予科練もいた。私もいずれ死ぬ覚悟だった。
天皇を神とする軍国で、貧しい思考力しかないままに、死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした。16歳、18歳、20歳…。
若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ』
加藤敦美さんという86歳の方のある新聞の投稿です。
これ読むと泣いちゃうから嫌だったんですけど、戦後から70年で、8月15日に戦争が終わって、それは色々な意味で、色々な場所で、僕のばあちゃんとかはフィリピンに開拓農民として行っていたんで、しかも8月15日に戦争が終わったことも知らず、ジャングルの中を逃げ回っていた。
僕のじいちゃんたちは伊藤博文とかと一緒に韓国に渡って、そこで、じいちゃんは戦争が終わる時に帰ってきた。血潮が出るほど、じいちゃんは満州で捕虜になってソ連で捕虜になって、シベリア抑留組として、過酷な冬を生き残り、日本に帰ってきた。
ばあちゃんは神社の神主の娘で、何一つ不自由のない戦争を体験したが、戦争が終わった時、その不自由のない生活をどうしていいか分からなくなった。いろんな戦争体験がある。
特攻隊で死んだ人、あの戦争に、あの死に意味があったという人、意味なんてつけられなくて作戦上で物資が来なかったから飢えて死んで行った人たち。突然、空襲で死んでいった人たち。生き残った人たち。
僕の地元は北九州で、近所のおじさんたちが、つい最近なんですけど、あの戦争の時、8月9日に煙幕を上げていたということを聞きました。何でかって、核爆弾が落ちるかもしれないと思っていたから煙幕を上げた。そして長崎に原爆が落ちた。もし、そこに落ちていたら俺は生まれてなかったかもしれないし、上げてたから北九州が残ったことがいいことなのか俺には分からない。
いろんな戦争の意味がある。
惨い、人権なんて無視した、酷いことを他国にしてきた。けれど、それをしなきゃいけなかった人たちの気持ちも俺は考えてしまう。じいちゃんやばあちゃんたちはあの戦争をどう生きていたのか考えてしまう。そして、殺されていった人たちのことも考えてしまう。
でも、そこから70年の月日を歩んで、今、俺たちはここに立ってる。
民主主義は終わったとか、平和主義は終わったって人たちもいるけど、戦後の民主主義はクソだって言う人たちもいるけど、何だかんだその歩みの中で俺たちは立ってる。少なくとも俺はここに立ってる。
ネット上じゃ個人情報が色々出て、俺の名前や顔が出ている。ツィッターでつぶやくだけで、誰と誰が仲良い、あいつの親はこうだったとか言われる。俺だけじゃなくて、ここに立っている友だちたちも言われてる。
けど、俺にとって、そんなことはどうだっていい! どうだっていいよ、そんなことは!
それよりも言いたいことは、その戦後70年の歩みが、平和主義や国民主権や基本的な人権の尊重を俺はまだ諦められない。間違ったなんて思ってない。
曲がりなりにも日本国憲法があって、俺はその憲法を読んだ時に結構良い憲法だって思う。特攻で死んでいった人たちは、今の俺たちを見てなんて思うか分からないけど、やっぱり戦争はやんない方がいいし、平和がいいと思う。
明日はあの戦争で亡くなったすべての人たちのことを思って黙祷したいと思うし、考えたいと思います。
けどもう一つ。8月15日の意味は、日本が誰か君主、そういう偉い人に全ての責任を任せた国ではなく、民主主義国家として、つまり、俺たち一人一人が責任を持って生きていく国家として歩んできた、それが始まってきた日でもあります。
どうかそのことを覚えていて下さい。
最高責任者は何回も言うけど、安倍晋三じゃない。それが、1945年8月15日の意味です。今や主権者である国民一人一人にこそ、その運命は託されているんです」
戦争については、よく騒がれる、だが、地球が惑星規模の変動期に入っている事に関しては、理解が浅い。
この為にこそ、経済戦が有り、侵略紛争、差別が存在する、有望な食料保管地域を確保する必要が有る、南極が有望との見解に至る。
惑星規模の変動に於いて、地表の殆どの地域紛争は、意味を成さない、同盟は最悪のケースだ、相手が飢えたら見て見ぬふりは出来ない、然も、共同で殺し試合に参加する事に成る。
つまり、今は、未来に於ける不安を払拭すべきであって、過去を検証している時では無いのだ。
アメリカドルの、世界基軸通貨も廃止すべきだ、彼等は他国の労働力の対価として、紙切れを払うだけで済んだはずだ、それにも拘らず、自国アメリカ人をも食らい尽くし、世界全体をも食らおうとする、アメリカは一般に知られて居るような豊かな国では無いのだ。
日本には、論客がいない、重箱の隅をつつくだけに奴が珍重される、人道、民主主義の捉え方に至っては無名の若者に軍配が上がる、自民党は、世界の障害以外の何物でも無い、彼等は利権の為だけに政治をしているのだ、人類の事は考えない。惑星規模での論客がいない。寂しい限りだ。
【スピーチ全文掲載】終戦70年前夜、SEALDs奥田愛基さんが涙の朗読─特攻隊を志した86歳男性から若者らへのメッセージ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258019 … @iwakamiyasumi
声に出して読んでほしい、これは新たな「70年談話」だ。バトンは託された。
https://twitter.com/55kurosuke/status/632308981055119361
今夜のNHKスペシャル「”終戦”知られざる7日間」。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150816
「8月15日の玉音放送で終結したと思われてきた太平洋戦争。
しかしその後も各地の部隊が特攻作戦を続け、本土決戦への意欲を高めていた。
再び戦闘が起きれば本土が戦場となり、私たちが知る戦後と違う道を歩む可能性もあったのだ。」
「この危機を乗り越える原動力となったのは、「終戦の詔勅」に向き合い、部下にどう行動すべきかを説いた前線の名もなき将校たちだった。」
その将校たちの一人は、戦時中に大学生だった23歳の若者でした。
まだ軍部の影響が強いこの時期に、「徹底抗戦」を命令した上官に、
「その命令には従えません」と断り、
「集団自決」を思いつめる10代の特攻隊員たちに、
「無駄死にはするな。その命はこれからの新しい日本創生に捧げてくれ」
と涙を流しながら説得したといいます。
当時、その10代の元特攻隊員だった一人は、この若い将校について、
「あのころにしたらとても勇気のある行動だったと思う。でも、そのおかげで、今、自分は命を得ている」
と感謝の言葉を口にしていました。
私が今回のスピーチで泣いたのは、もちろんかの元特攻隊員の方の投稿の素晴らしさに加えて(この方の投稿を大事にしている奥田くんたちも素晴らしいですが)
「けど、俺にとって、そんなことはどうだっていい! どうだっていいよ、そんなことは!」
と、奥田くんが叫んだところです。
彼もスピーチの中で触れていたように、SEALDsの活動を通して、嫌な思いもいっぱいしていると思う。
そして、今の時代、彼らのしていることは、今でこそ、脚光を浴びているように見えるけど、とても勇気のいる(勇気がいった)
ことだと思うのです。
そして、それが、これからの時代を作る、大切なことだと。
今回の番組に登場した当時の若者たちと、SEALDsの大学生たちが重なるのは私だけでしょうか。
平和を作っていくのは、私たち一人一人の思いなのだと、実感させてもらえた番組でした。
8月15日以降の史実については、実は資料がほとんど残っていないため、今回の番組は、数少ない議事録や個人の手記などから掘り起こした貴重なドキュメンタリーと言えます。
「”終戦”知られざる7日間」は、今月28日午前1時30分から(27日深夜)再放送があります。
ご覧いただければと思います。
私もこの時改めて録画しようと思っています。
日本にとって15年戦争と云うべき第二次世界大戦。その終盤戦が、1941年12月8日の真珠湾攻撃を皮切りとした、あしかけ4年間に及ぶ太平洋戦争です。軍事大国同士の全面戦争としては歴史上最後の「戦争」でしょう。奥田さんは、彼の祖父母からその「戦争」体験を聞くことが出来た最後の世代の人ですね。ちなみに私の両親は疎開の経験しかないし、祖父母からはそういった話を聞くことはなかったです。奥田さんの持つ感覚は彼の祖父母の人方から聞いた様々な体験談に基づいていることが演説を聴いていても分かります。そして彼等の世代が、これからの日本を担わざるを得ない宿命に立たされているのですから、陰ながら応援したい気持ちを強く持ちました。
「“終戦”知られざる7日間」。無事に録画できましたので、投稿部分を文字起こししてお伝えします。
そうすれば、なぜ番組に登場した若者たちが、SEALDsの大学生たちと重なるのか、よくご理解いただけるかと思うので。
念のため、書いておきますが、これは男女問わず、ということです。
番組内容を読んで頂ければお分かりになると思います。
描かれるのは、1945年8月18日。高知県の部隊「震洋隊」での出来事です。
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それは高知県西部沿岸の「震洋隊」を配下に置く「第21突撃隊」指令部のある幹部の行動から始まりました。
事件を目撃した特攻隊員(元第132震洋隊隊員・都築庄司さん)が戦後に記した手記です。
この幹部が船で配下の部隊を回り「最後の一兵になるまで徹底抗戦せよ」と迫ったことが記されています。
この時、幹部の要求に異を唱えた人物がいます。
部隊を率いる渡邊國雄中尉です。
隊長とはいえ、まだ20代の若者だった渡邊中尉。
それでも、毅然と要求を拒否したというのです。
元隊員の証言に基づく当時のやり取りです。
(林 えいだい「黒潮の夏 最後の震洋特攻」より)
(第21突撃隊幹部)
「海軍は最後の一兵まで敵と戦うんだ。敵が上陸したら、突撃して残った兵は剣山に武器を持って籠城するんだ」
「徹底抗戦に全員参加せよ!」
これに対し、渡邊中尉は、冷静に、こう答えたと言います。
「それは少佐殿の個人の考えですか、それとも司令の命令ですか?
司令の命令ならともかく、何の連絡も受けていませんので、今日のところはお引き取りください」
当時渡邊中尉の部下だった元特攻隊員の茂市光平さん(87歳)です。
上官の命令に背けば罪に問われた時代、渡邊中尉が取った18日の行動は、大きな覚悟と勇気が必要だったはずだと考えています。
「佐官と尉官のギャップがあるなかで、そういうこと言えるというのは、相当の気持ちを持って当たらないとできないことだと思うんですよね。
すごい方だと思います。」
渡邊中尉は、昭和18年3月に慶応義塾大学を卒業。その半年後に海軍に入隊しました。
「震洋隊」の隊長に任じられたのは、昭和20年の5月のことでした。
茂市さんたち若い隊員からの信望は厚く、温厚で、気さくな隊長だったといいます。
「おとなしくて、あまりガミガミ言わないし、話をするのにも、向こうから寄ってきて話をされますし。普通、一兵卒と将校さんでは、相当な開きがあるわけなんですけど、そんなことは感じさせない方でした」
徹底抗戦を唱える幹部に対峙し、その命令を突き返した渡邊中尉。
茂市さんには、そんな渡邊中尉についての忘れられない出来事があります。
元隊員の手記にも、そのことが記されていました。
玉音放送当日、混乱状態にあった隊員たちが、敗戦を受け入れるくらいなら自決しようと、行動を起こしかけていた時のことです。
「自爆するという話も出ました。具体的には積んでいく爆薬、250キロの爆薬ですが、それを爆破させて(自決を)やるかっていう話ですよね。
きれいなお月さまが出てました。
みんな涙流しながら、お月さんを見て考えたと思います。」
そこに駆けつけたのが渡邊中尉でした。
涙を流していました。
「無駄死にをするな。その力を使い、新日本再建のために最大限努力するのが、ただ一つの道ではないのか」
隊員たちは、ただ黙って渡邊中尉の話を聞いていたといいます。
そして、自決を思いとどまることにしました。
この15日以降の渡邊中尉の一連の行動が、張りつめていた特攻部隊の空気を大きく変え始めたといいます。
実は、こうした行動を起こしたのは、渡邊中尉一人ではありませんでした。
(写真の)渡邊中尉の隣に写る第134震洋隊隊長の半谷達哉中尉も、司令部幹部の徹底抗戦の要求を聞き入れなかったといいます。
軍の制度に詳しい一橋大学大学院教授の吉田裕さんは、渡邊中尉たちのような事例は全国各地にあったと言います。
そして、こうした指揮官たちに、ある共通の背景があることに注目しています。
「一番大きいのは大学、一般の大学出身の将校ということです。
大正期の教養主義の名残もあるし、厳しくなったとはいえ、自由主義的な雰囲気がある中で育ってきた。
つまり軍隊以外の世界を知っている人たちですよね。
現場の指揮官の判断ってこういうときには大きいですから。
柔軟な思考ができる人たちだったので。
敗戦ということ、ポツダム宣言の受諾ということ自体は、8月15日の段階で分かっているわけですから、それ以上抗戦する、抵抗することに対しては、意味がないという判断ができた人たちだと思います」
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君たちは、あなたたちは「名もなき人」なんかじゃない。
「歴史の駒」なんかじゃない。
一人一人、ちゃんと、親御さんがつけてくれた大事な名前があり、それぞれの人生がある。
そして、それぞれの人生を豊かに生きる権利がある。
それが、本当の民主主義なんだぜ。
そうだろ?
そして、あたしら「大人」には、君たちの、あなたたちの「人生」を守る義務がある。
そのために、これからも闘うよ。
どんなことをしてもね。
最後に。
「時代の正体 権力はかくも暴走する」(神奈川新聞「時代の正体」取材班・編)より。
報道部次長の石橋学さんが「はじめに」で、
「SEALDsに重ね合わせたあの人の言葉」として、最終章に収録されている作家の辺見庸さんの言葉を紹介しています。
<「個として、戦端を開いていくべきだ」。辺見さんは力を込めた。
「違う」と声を荒らげることが、むなしいこと、かっこ悪いことという空気が醸される中で、一人で怒り、嫌な奴をぐっとにらむ。
「自由であるためには孤立しなくちゃいけない。例外にならなくてはいけないんです」。例外を認めず、孤立者を許さない。それがファシズムだからだ>。
辺見庸さんは、10年程前、病に倒れてから、体が思うように動きません。
それでも、辺見さんは、まひする半身をひきずりながら、特定秘密保護法施行に抗議するデモに2度出かけたことを、奥田くんはじめSASPLの皆さんは知っていたでしょうか。
辺見さんは今も、一人で闘っています。
同じ空の下、君たちと、あなたたちと、私たちと、同じ思いで。
こういうコメント欄を、どのくらいの人たちが読んでいるのかわかりませんが、今日15日「中央公聴会」で奥田くんの素晴らしい陳述を聞いた後だけに、16日に「地方公聴会」が行われた後、夕方「しめくくり質疑」が行われ、その後「強行採決」が行われるんではないかと噂される中、ともかく、「事実」と、「率直な感想」のみ書きます。
何かのたしになるのか、何かを引き起こすのか、わかりませんが。
今日の午前中、民主党の福山哲郎参議院議員ご本人から電話がかかってきました。
昨日の参議院特別委員会で、山本太郎議員の質疑で審議が止まった際、ネット中継では(※ご存じのようにこの時NHKは中継を打ち切っていました)福山議員が山本議員に何か言っているのが映っていたので、その内容について福山議員に昨夜メールでお伺いしたのです。
この件について、詳細は山本議員がツイートされているので、そちらをご覧いただくとして、私はまさか福山議員ご本人から電話がかかってくるとは思いませんでした。
どういう思いで電話してこられたのかは正直分かりません。
その電話で、「安全保障関連法案」を廃案にするための今後の民主党のアクションについての話題になった時、彼は言いました。
「与党には数では勝てませんよ。」
奥田くんは今日の午後、「中央公聴会」でこういう陳述をしていました。
「この法案に関する野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか」
民主党を含めた各野党は「あらゆる手段を講じて今国会成立を阻止する」と報じられています。
昨日の時事通信がその「手段」について具体的にリストアップしています。
「野党問責連発、長時間演説も=安保成立阻止で「あらゆる手段」」(時事通信、2015.9.14)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015091400777&r=y
改めてその「手段」を記します。
〇鴻池委員長(自民)の不信任動議
〇山崎正昭参院議長(同)不信任決議案
〇中川雅治参院議運委員長(同)不信任決議案
〇内閣不信任決議案
〇安倍首相、中谷防衛大臣などへの問責決議案
〇フィリバスター(長時間演説)
〇ピケ(※1996年22日間にわたり参院委員会室を封鎖、採決を拒む)
〇牛歩
「中央公聴会」が終わった後、笑顔で奥田くんと握手する福山議員の報道写真を見ました。
正直、私にはどう考えていいのかわかりません。
「君に言われたとおり、これからできることをすべてやって頑張るよ」
福山議員が奥田くんにそういう話をされていたのなら、私は何も言うことはないのですが。
民主党国会議員に、江田五月さんという方がいます。
江田さんは現在、民主党の最高顧問をされています。
先月、江田さんは、「安保法案の行方」について、新聞の取材に、こう答えていました。
「参院議員会長だった2005年の郵政民営化関連法案の時は(衆院可決後、参院で)徹底審議をして採決で否決するという戦略が功を奏した。数では負けていたが、審議の中で自民党から乱れた。」
福山議員をはじめ、現在の民主党議員、野党議員に、このような「気概」があることを切に願います。
上述の「手段」をすべて講じて頂きたいと切に願います。
私は上記のような内容を、「手段」も含めて、民主党の岡田代表と枝野幹事長に、今夕、FAXしました。
気持ちが届くことを切に願っています。
なお。
「こんなこと」もあろうかと、私は今年の5月、「ちゃぶ台返し」のためのあるアクションを仕掛けました。
それが不要になることが一番いいのですが、万が一の時はそれが「発動」されることを願っています。
本当は私も明日、新横浜に行きたいです。
身体を張って止めたい、本当は。
憲法には明文化されていませんが、憲法外的保障(憲法に規定のない保障)として、国民の権利としての「抵抗権」というものがあることをご存知ですか。
抵抗権:国家権力が人間の尊厳を侵す重大な行為をした場合に、国民が自らの権利や自由を守り、人間の尊厳を確保するために、ほかに合法的な救済手段が不可能となった時に、実定法上課せられた義務を拒否する抵抗行為のこと。国民が抵抗行為をすることで、憲法保障を回復する。その内容から実定化になじまないため、明文上規定されていない。
沖縄の方々が、長きにわたって「闘って」きたことを思えば、今回の「闘い」は、まだ始まったばかりですね。
本当の「民主主義」を「始める」ための「闘い」が。
ちなみに。
5月に「仕掛けたアクション」は、全く違法ではなく、極めて合法的で、もちろん「非暴力的」な内容です。
誰にでもできます。
ほんのちょっとのアイディアと、ほんのちょっとの勇気さえあれば。
国会情勢に関する最新の報道です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150916-00000010-asahi-pol
「自民、公明両党は16日夜か17日午前中にも特別委で採決を行う方針。」
・・・昨夜は「地方公聴会」直後に採決、って断じてたのに・・・民意が動かしましたね。
さらに。
「これに対し、民主など野党側は法案の成立阻止に向け、参院で安倍首相や中谷元・防衛相、岸田文雄外相らの問責決議案、衆院では安倍内閣不信任決議案をそれぞれ提出する方針だ。
自民党幹部は、これらの採決に1本あたり数時間かかるとみており、夜を徹して本会議を断続的に開き、遅くとも18日昼ごろまでの法案成立を想定している。」
昨夜の情勢とだいぶ変わってきましたね。
一国民の叱咤も少しは効いたかな。
とにかく、前の投稿で書いたこと全部やれ民主党はじめ野党!!
まずは鴻池の不信任動議だ!
そして関係議員の不信任動議案や不信任決議案を連発しろ!
フィリバスターも!
ピケも!!
牛歩も!!
全部やれ!!
全国民が全力で応援しているぞ民主党はじめ野党!!
とりあえず私は、地元選出の与党参議院議員に「造反」をうながす電話をかけます!
「もう国会議員は辞めて地元に帰っておいで。みんな待ってるよ」と優しく(笑)
【スピーチ全文&動画掲載】「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」終戦70年前夜、SEALDs奥田愛基さんが涙の朗読──特攻隊を志した86歳男性から若者らへのメッセージ https://iwj.co.jp/wj/open/archives/258019 … @iwakamiyasumi
何度見ても泣ける。
https://twitter.com/55kurosuke/status/1029503797339381760