【スピーチ全文掲載】「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」――戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」〜SEALDs長棟はなみさん、終戦の日前夜、国会前スピーチ 2015.8.7

記事公開日:2015.8.15取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(原佑介)

特集 安保法制

 「先の戦争は間違っていました。私は日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないという意思と責任を、たくさんの命から受け継いだのです」

 恵泉女学園大学3年生、SEALDsの長棟はなみさん(21)は広島県の隣県、山口県で育った。広島原爆の日(8月6日)には毎年、遠くから流れてくるサイレンを聞き、母と一緒に手を合わせたという。

 『火垂るの墓』を観て泣いた。『はだしのゲン』は夢に出るほど読んだ。学校では憲法を覚えさせられ、授業では戦争の悲惨さを学んだ。戦争経験者からも直接話を聞いた。

 空襲から逃げ惑った人。日本兵として人を刀で斬った人。自分の母親と弟の首を、自分の手で締めて殺した人。ピカドンを見て片目を失くした人。慰安婦にされた人――。

 彼らは言った。「二度と繰り返さない。そのために私は語るのだ」。

 はなみさんは「戦争は想像するしかありません。しかし、知っている。あの戦争の痛みを、悲しみを、苦しみを、多くの戦争を体験した世代から受け継いだのです」と述べ、「私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました」と胸を張る。

 「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」

 以下、はなみさんのスピーチ動画とスピーチ全文を掲載する。

■はなみさんのスピーチ動画

恵泉女学園大学3年生・長棟はなみさんスピーチ全文

 「こんばんは。恵泉女学園大学3年の長棟はなみといいます。よろしくお願いします。

 夏がくるたび、この国は戦争の臭いがして、光り輝く夏は、少し陰りを帯びるような気がしていました。

 私が小さい頃、広島に近い山口県に住んでいたので、なおさらだったのかもしれません。

 8月6日、毎年同じ日、同じ時間に乗る、遠くから聞こえるサイレンをお母さんと一緒に手を合わせて聞きました。そして、『ああ、今年も夏が来たなぁ』と毎年感じていました。

 『火垂るの墓』を姉弟で泣きながら観たり、『はだしのゲン』を夢に出るほど読んだり、学校では、毎年戦争の授業があって、戦争の話を聞きました。何もわからず、ただ恐ろしく、しかし耳を背けることのできないその話を、クラスメイトと静かに聞きました。

 嫌がりながら日本国憲法を覚えたり、9条のプリントだけなぜか配られたり。戦争は理不尽なもの、あってはならないもの。だから今、私は戦争の中にいないんだと、幼い頃から学んできたように感じます。

 高校生になってから、これまで間接的に聞いていた話から、実際に戦争を経験された方々からお話を聞く機会ができました。

 空襲から逃げ惑った人。日本兵として人を刀で斬った人。守るために自分の母親と弟の首を、自分の手で締めて殺した人。雨のように降り注ぐ砲弾の中を逃げた人。ピカドンを見て片目を失くした人。慰安婦にされた人――。

 壮絶な話でした。言葉が出なかったのを覚えています。想像もできない事実でした。彼らは言いました。

 『二度と繰り返さない。そのために私は語るのだ』と。

 今回、この“戦争法案”が話題になったとき、多くの政治に関心のない、戦争を知らない若い世代が『戦争は嫌だ』と言いました。なぜかと考えると、戦争を間接的に学び、戦争を知っているつもりだからです。私を含めた彼らは、戦争というものを想像するしかありません。

 しかし、知っているのです。

 あの戦争の痛みを、悲しみを、苦しみを、多くの戦争を体験した世代から受け継いだのです。

 この国は法律が現状に合っていないなど、問題はたくさんあります。しかし、日本国憲法、特に憲法9条と、それによる平和を誇り、しっかりと教育してきたと私は思っています。

 私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました。

 私はそんな国と学校を誇りに思っているし、これからもそうありたい。70年間、戦争をしなかった。他の国の人に対し、直接銃口を向けなかった。ひとりも殺さなかったという事実が、この国を守っている。そのことを誇りに思うべきです。

 しかし今、どこかの国に攻められる、という可能性を、目をそらさずに考えなければいけないのかもしれない。愛するものを守るために、どこかの国を攻めるという可能性を、目をそらさずに考えなければならないのかもしれない。

 しかしまず、他国から日本が直接攻撃されていないにも関わらず、武力行使ができるというのは違うんじゃないでしょうか。なぜ他国の戦争に日本が参加するのでしょうか。何より、70年前の戦争で、多くの命が失われたことを忘れてはなりません。

 抑止力は機能しないでしょう。憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を呼び、取り返しのつかない大きな事態になることを、忘れてはならないのです。

 どうか、誰かは言う、『綺麗事』『理想』をここで叫ばせてほしい。

 戦争はしたくない。

 人を殺したくない。

 殺されたくない。

 武力ではなく、対話を。

 この叫びが綺麗事であってたまるか。明日は終戦から70年目の日です。終戦の前に亡くなったたくさんの命。終戦を迎えたにも関わらず、失われたたくさんの命。戦争を生き抜いて、私たちに命を受け継いでくれた命。そして私たちの命があります。

 先の戦争は間違っていました。私は日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないという意思と責任を、たくさんの命から受け継いだのです。

 二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ。

 嘘っぱちの言葉なんていりません。どうか国民ひとりひとりの命を心から考えてください。いや、一緒に考えてください。

 私は私の言葉を語ります。言葉が足らずとも、若くとも。

 私は、現政権と安全保障関連法案に、断固反対します」

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です