「皆さん、どこに紛争があっても、どこに戦争があっても、そこで使われている兵器の中に、メイドインジャパンはありませんよ。日本は戦争しない国なんです、だから戦争に加担しないんです。それが日本の国です」――。
かつて、日本が平和国家であることを国際社会の場で誇らしく訴えたという村山富市元総理大臣。2015年7月24日(金)、安倍政権に「No」を突きつけるため、国会周辺に約7万人の市民が集まった。その中には村山元総理の姿もあった。
「旧日本軍への従軍経験をもつ最後の総理大臣」とも言われる村山元総理はこの日、国会前でスピーチし、自身の従軍体験をまじえて安保法制へ異論を唱え、「本当に平和な国を守っていくためには、総理大臣が日本を守るんじゃないです。国民が守るんです。間違いが直せなければ俺たちが直してやる、というくらいの気持ちで日本を守りましょう」と呼びかけた。
以下、スピーチ動画とリライト済のスピーチ全文を掲載する。
以下、村山富市元総理大臣スピーチ全文
村山富市氏「皆さん、こんばんは。村山富市と申します。
今日は、こうして若い皆さんの熱気にあふれたお顔を拝見して、私も元気が出ました。
街頭に立って挨拶するのはもう20年ぶりです。20年経ちましたが、世の中はずいぶん変わりました。ちょうど60年安保を思い出しますけども、私はまだ若かった。この周辺をデモして回りました。
だけども、そこに動員されている皆さんは労働組合やら、あるいは全学連やら、思想団体を背景にして、それぞれ考え方が違って、内部で対立しながら、安保に反対するという立場でデモして回ったわけですけども、今は違います。
今は、この日本の政治の現状を見て、『これでいいんだろうか』『いったい日本の国はどうなるんだろうか』ということに不安を抱え、心配をして、こうして思い思いに集まっているんじゃないでしょうか。
学生の皆さんも、大学も学んでいることも違う。職場で働いている若い人も、それぞれ職場で働きながら、今の国会の状況を見て、あるいは新聞やいろんな書物を見て、『これでいいのか。我々の将来はどうなるんだろうか』と、居ても立ってもいられない、不安な気持ちで、我々の手で日本を守ろうではないかという気持ちでここに集まっているんじゃないでしょうか。
私は今の国会の状況をみて、私も長い間、国会議員として生活をしてきましたけども、そんな姿は初めてですよ。なんですか、あの姿勢は。安倍総理は『権力者は私です』『私の言うことを聞かないか』と言って、一方的に自分の言い分を押しつけているじゃありませんか。
そして、どうしても言うことを聞かなければ数の力で問答無用で押し切っている。これが民主国家ですか? 多くの憲法学者が、この法案は違憲だと言っているじゃないですか。
法制局長官というのは、国会や政府を超越して、法の番人として(責任を)負った人なんですよ。だから法制局長官がものを言ったら、国会議員は皆その発言に従う。そういう存在であった。かつての法制局長官が、みんな『今度の法案は憲法に違反する』と言っているじゃないですか。
それにも耳を貸さず、法制局長官が悪ければ、自分の言うとおりになるような法制局長官を連れて、全部、権力のもとに支配しているじゃないですか。独裁政治でしょ、これは。
だから皆さんは、『これでは日本の民主政治が危ない』と言って、こうして集まっているんじゃないでしょうか。私は、総理大臣をやっているときに、アジアの国や中東の国を訪問しましたよ。中東の国を訪問して、私は誇らしく挨拶しました。
『皆さん、どこに紛争があっても、どこに戦争があっても、そこで使われている兵器の中に、メイドインジャパンはありませんよ。日本は戦争しない国なんです、だから戦争に加担しないんです。それが日本の国です』
こうして僕は胸を張って演説しましたよ。そうしたら皆さんはこう言いました。
『ありがたい。どこで紛争があっても戦争に加担せず、生活のためになることやら、インフラの整備やら、橋を架けたり、職業安定所を作ったり、協力してくれる。日本の国はありがたい』と言って、私に感謝をしていましたよ。それでいいじゃないですか。
あの戦争を経験した日本の国民は、もうあんなことを繰り返してはいかん。私も若いときに軍隊に行きました。戦争には行きませんけども。自由もなければ民主主義もないですよ。階級が上の人が言うことは、天皇の命令なんですよ。絶対服従なんですよ。それで、まったく虫けらのごとく、兵隊が使われていって、しかも戦争に行ったら『人間魚雷』と言って、人が弾の犠牲になって、突っ込む。
大分には特攻隊がいました(大分海軍航空基地)。19、20歳の皆さんよりもっと若い方々ですよ。将来が期待されて、これから恋もしなきゃならん、親孝行もしなきゃならん。そう一生懸命頑張って生きている人たちが、特攻隊に取られて、『明日だ』と命令されたら飛行するんですよ。出動して乗って行く飛行機には、行きの油しかないんです。帰りの油はないんですよ。
だから飛び立ったら帰れないんです。死にに行くんですよ。しかも自分が犠牲になることによって、日本が救われるのであればまだ救われますよ。しかしもう、沖縄まで米軍がきて、日本はいつ手を挙げるかと、いうような状況があるときにですよ。よく「お前は死にに行け」という命令ができますね。
若い人の思いを考えた場合に、こんなことを二度と繰り返してはいかんと思うのは当たり前じゃないですか。
私のところに北海道の方から手紙がきていましたよ。
『私は今93なんです。もう身体が悪くてベッドに横たわっているけども、今の若い人の行動やら新聞なんか見たら、もう居ても立ってもいられない気持ちです。こんなことを二度と繰り返してはいかん。そう誓いを立てて、これまで生きてきた。若い人にそういう日本の国を譲り渡したい。だけども、今の状況を見たらたまらない気持ちです、幸いに若い人たちがこれでいいのかと立ち上がってくれた姿を見たら、私も立ち上がって東京にいきたい気分です』
こう言っていました。
それが日本を本当に想う気持ちじゃないですか。なぜ、70年間もこれまで戦争せずに、平和に暮らしてきたのか。
朝鮮戦争があった、イラク戦争があった、湾岸戦争があった。日本の周辺ではいろいろ戦争がありました。日本も要請され、駆りだされました。だけども、どんな要請があっても『平和憲法があるから日本は戦争ができないんだ』と頑張ってきたんじゃないですか。
それが今日の日本を作ったんですよ。それを、一総理大臣が勝手に自分の思うようにするために憲法解釈を変えて、合憲だと言って、今、国会を通そうとしているんですよ。
こんなことが許されますか? ファッショですよ。独裁ですよ。まさに暴挙ですよ。これじゃあ日本の国が危ないと思うのは当然でしょう。
皆さん、本当に平和な国を守っていくためには、総理大臣が日本を守るんじゃないです。国民が守るんです。主権在民ですよ。だから、間違ったことについては、直せなければ俺たちが直してやる、というくらいの気持ちで日本を守る。それが本当に平和を守る力になるんじゃないでしょうか。
どうか皆さん、そのことをお考えいただいて、もうこの輪を、全国で広めて、そういう独裁政治は許さない、戦争への道を突っ走ることは認めない、断じて日本の平和を守る、日本の将来は我々が守るんだという気持ちになって、皆さんが主人公だという意識を持って、最後まで頑張ろうじゃないですか。
老いも若きもないですよ、もう。老人は老人で心配しているんです。そういう老人の気持ちも踏まえたうえで、年寄りも若い人も女の方も、一丸となって立ち上がろうじゃありませんか。
子どもを抱いている奥さんをみたら、やっぱり皆さん心配してますよ。この子が将来どうなるんだろうかと。また戦争に駆り出されて死ぬことになるんだろうかと。それだけはさせちゃいかん、と立ち上がっているんじゃないですかね。そういう尊い気持ちを大事にしようじゃないですか。
日本の国が平和で民主主義で、本当に住みやすい、世界に模範を示すような国で発展するように、お互いに日本の国を守ろうではありませんか。
最後までくじけずに、必ず潰すんだ、潰せるんだという自信を持って頑張ろうじゃないですか」
村山さんも昔独裁者だったんですよね
日本は首相のことを独裁者と呼ぶ!!んですよ
村山さんも亜細亜解放のために戦い亡くなった人を侵略のために死んだと
国民の声とは反して 言ってしまった
どくさいしゃですよね
「戦争は絶対反対である」
私は、昭和17年(1942年9月)生まれ、昭和20年8月9日郡山空襲(成人後に母から聞かされた)
自宅の裏が竹やぶがありそこに、防空壕があった。
母に抱かれて防空壕へ避難、「恐怖のあまり全身震いが止まらない母に抱かれて鳴き叫んだ」これが、3歳の時の戦争体験、今でも鮮明に記憶して脳裡から離れません。
多分、郡山空襲の米軍機B29が我が家上空を飛行して郡山へ向かったのではないかと推測します。
ちなみに、父は赤紙1枚で召集、傷痍しました。
間もなくお盆です。両親は他界しているので、「叱られた思いを胸に墓参り」する予定です。