尖閣諸島の領有権問題を巡り、関係の悪化が続く日本と中国。昨年末に行われた安倍総理の靖国神社参拝や防空識別圏(ADIZ)騒動なども絡み、いまだ日中首脳会談開催のめどは立っていない。
横浜市立大学名誉教授で、『チャイメリカ』『尖閣問題の核心』『尖閣衝突は沖縄返還に始まる』などの著作があり、尖閣諸島の領有権問題について詳しい矢吹晋氏が、約2ヶ月ぶりにIWJに登場。岩上安身のインタビューに応じ、尖閣諸島の領有権問題に関する米国と中国の文献を読み解くことで見えてきた、沖縄の問題について解説した。
1971年の沖縄返還協定からさかのぼること4年、1967年9月に当時の佐藤栄作総理は、中華民国(台湾)の蒋介石総統と沖縄の処遇をめぐって会談していた。その際の記録として、蒋介石は自らの日記に「私は琉球の日本返還に反対しない態度を明言した」と記していたという。
当時、中華人民共和国(北京)は、沖縄の領有権を主張していると考えられていた。矢吹氏によれば、蒋介石は中華民国の「反共」という立場、そして米国に対して恩を売るために、沖縄の日本返還に反対しないという立場を政治的に選択したのだという。
「蒋介石からすれば、大陸の北京政府が琉球返還を要求しているならば、中華民国の””反共””という立場上、『琉球の日本への返還に反対しない』という態度をとるわけです。逆に言えば、佐藤栄作と会うまで、蒋介石は沖縄返還に反対だった、ということです」
沖縄、そして尖閣諸島をめぐる、日本、米国、中国の一次文献を紹介しながら、矢吹氏は戦中から戦後にかけての複雑に入り組んだ国際政治の力学について解説。話題は「邪馬台国論争」から「ペリーの白旗事件」にまで及び、3時間近くのロングインタビューとなった。
いまだに「ペリーの白旗伝説」なんて信じている奴いるんだwww