「戦争では基地が一番の標的になる。だから基地を作らせてはいけない」基地から村を取り返した元村長が語る平和への道筋~岩上安身によるインタビュー 第339回 ゲスト 山内徳信氏 2013.8.30
読谷村村長を6期務めた後、7月まで参議院議員を務められていた山内徳信氏は8月30日、岩上安身のインタビューに応え、戦中、戦後と、激動の時代における自身の経験や、米軍の読谷飛行場を取り戻すための戦略、今後の目指すべきビジョンについて詳細に語った。
読谷村村長を6期務めた後、7月まで参議院議員を務められていた山内徳信氏は8月30日、岩上安身のインタビューに応え、戦中、戦後と、激動の時代における自身の経験や、米軍の読谷飛行場を取り戻すための戦略、今後の目指すべきビジョンについて詳細に語った。
※全文文字起こしを掲載しました(2013年10月21日)
元沖縄タイムス論説委員で、現在はフリーランスライターの屋良朝博氏に8月30日、岩上安身がインタビューを行い、沖縄における基地問題や政治外交問題など、幅広くお話をうかがった。
屋良氏は、オスプレイの追加配備や基地問題を抱える沖縄で、「来年の年明けの名護市長選、暮れの県知事選が分岐点になる」と政治情勢を分析。右派と左派は5分5分ではないかとの認識を示した。「権力が拮抗」しており、沖縄は革新政党が強いと言われるが、そうでもないという。右派の活動について、「ウルトラライトの人たちの宣伝活動は激しい」と述べ、「若い人たちが、ネット右翼の誤った見解をすんなり受け入れてしまうようなことになっている」と懸念を示した。
29日、福島県鮫川村青生野地区の除染廃棄物焼却施設が衝撃音とともに緊急停止した事故を受けて、2013年8月30日(金)、鮫川村役場で住民等による村役場への申し入れが行われた。次いで、焼却施設内で環境省職員によって事故現場の説明が行われた。
島根県松江市教育委員会による漫画「はだしのゲン」の閲覧制限指示を、下村博聞文部科学大臣が「問題ない」との認識を示していた問題で、下村大臣は30日、閣議後記者会見でIWJの質問に対し、「国としてではなく、あくまで都道府県が青少年健全育成条例の規定に基づき、教育的な判断で有害図書指定するのは有り得るのではと申し上げた」と釈明した。
また、発射直前で打ち上げが延期となった新型ロケット「イプシロン」について下村大臣は、地上とロケットとのデータをやりとりする時間に、0.07秒のずれが生じていたことが停止の原因になったとの見方を示した。
首都圏反原発連合は30日(金)、首相官邸前や国会正門前などで、再稼働にシフトする現政府に対して再稼働反対の声を上げた。
この日は、前から来たいと思っていたという京都大学の小出裕章氏が、ドラム隊と共に現れ、力強いスピーチで抗議行動に更なる力を与えた。
敦賀発電所2号機直下の破砕帯が活断層であるとの評価を不服とする日本原電が、2013年7月11日に原子力規制庁へ追加調査書を提出。これを受け、調査内容を検討する会合が原子力規制庁で8月30日(金)14時から開催された。
2013年8月30日(金)18時半から、大阪・十三のシアターセブンBOX I において「市民社会フォーラム第112回学習会」民間事故調委員長・北澤宏一氏講演「再稼働される原発のリスクと再生可能エネルギーの世界の情勢」が行われた。
2013年8月30日(金)、愛知県名古屋市の名鉄・金山総合駅南口で、「第16回名古屋ちゃぶ台ミーチング@金山駅南口」が行われた。
2013年8月30日(金)18時より、名古屋市東区の関西電力東海支店前で抗議行動「大飯原発を停止せよ!関西電力支社前抗議アクション@名古屋」が行われた。
2013年8月30日(金)18時より、札幌市の北海道庁北門前で北海道反原発連合主催の反原発抗議行動が行われた。
2013年8月30日(金)18時半より、石川県金沢市の金沢駅鼓門で「どいね☆げんぱつvol.59金沢駅東口鼓門金曜行動」が行われた。
2013年8月30日(金)18時より、愛媛県松山市の愛媛県庁前で抗議行動「伊方原発をとめよう!県庁前行動」が行われた。
2013年8月30日(金)18時より、茨城県水戸市の日本原電茨城総合事務所前で「第53回原電いばらき抗議アクション」が行われた。抗議行動の模様を18時30分より中継した。
2013年8月30日(金)18時より、名古屋市東区の中部電力本店前で「中部電力本店前抗議行動」が行われた。
2013年8月30日(金)18時から、神戸市の関西電力神戸支店・神戸営業所前で抗議行動「オキュパイ関電神戸支店前」が行われた。
2013年8月30日(金)、都庁会見室にて、猪瀬直樹東京都知事定例記者会見が行われた。猪瀬知事は、来月9月7日に迫ったIOC総会での2020年五輪候補地決定の瞬間に立ち会うため、この会見日の翌31日に、現地ブエノスアイレスへ出発する。「何としても五輪開催を勝ち取る」と、五輪候補地決定を前に、最後の決意を述べた。