読谷村村長を6期務めた後、7月まで参議院議員を務められていた山内徳信氏は8月30日、岩上安身のインタビューに応え、戦中、戦後と、激動の時代における自身の経験や、米軍の読谷飛行場を取り戻すための戦略、今後の目指すべきビジョンについて詳細に語った。
(IWJ・安斎さや香)
読谷村村長を6期務めた後、7月まで参議院議員を務められていた山内徳信氏は8月30日、岩上安身のインタビューに応え、戦中、戦後と、激動の時代における自身の経験や、米軍の読谷飛行場を取り戻すための戦略、今後の目指すべきビジョンについて詳細に語った。
■イントロ
戦中の日本は、皇民化教育、軍国主義教育が徹底され、「鬼畜米国」と教えこまれたという。「日本が1等国民で、アジアの人々は2等3等だ」とした民族差別も激しかったと語る山内氏は、「そうでないと戦場で人を殺せなかったんです」と当時を振り返った。
読谷村が米国の上陸地点になってしまった理由について、山内氏は、「飛行場があったために上陸地点になってしまった」と解説し、米軍の記録でも、「読谷と嘉手納の飛行場を占領してしまえば、本土への攻撃も充分」と書いてあったこと、「物資を陸揚げできる場所も読谷にあった」ことを挙げ、「戦争では基地が一番の標的になる。だから基地を作らせてはいけない」と力を込めた。
米軍の訓練による事故などで、たびたび民間人犠牲者が出るなど人権が侵されていた状況の中、学生時代から沖縄の平和運動、帰村運動に尽力してきた山内氏は、1974年に村長に就任して以降、基地に脅かされない安全な村を作ろうと、米軍に占領された読谷飛行場を取り返すため、基地の中に運動広場を作った経緯を語った。米軍基地の工事を白紙撤回しようと、当時のジミー・カーター大統領に手紙を書き、2ヶ月後には「白紙撤回する」との返事をもらったエピソードを紹介。「アメリカのしたたかな性格も知っているつもりだから、知恵で勝つ必要があった」と、村総出で戦略を立て、米国を説得していったことを詳細に語った。
山内氏は「基地を取り戻せる構造は文化の構造」であるとの持論を展開し、読谷村を文化村として再興してきた経緯を説明、沖縄においても「平和と観光」が重要であると主張した。
終盤、日本の現状に関する岩上安身の問いに山内氏は、「歴史から学ばなければならない。安倍首相にやってほしいのは、ひとりよがりの歴史認識ではなく、対話をもっとしていくべき」と語り、「人間の信頼関係ができるかできないか。日本のためにも信頼を失ったらいかん」と、日本が国際社会から信頼を得られるよう、外交努力をしていく姿勢が必要だと力強く語った。
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「戦争では基地が一番の標的になる。だから基地を作らせてはいけない」基地から村を取り返した元村長が語る平和への道筋~岩上安身による山内徳信氏インタビュー http://iwj.co.jp/wj/open/archives/98918 … @iwakamiyasumi
「基地を取り戻せる構造は文化の構造」と山内氏。
https://twitter.com/55kurosuke/status/605639429575696384