原子力安全・保安院記者会見 2012.1.10
2012年1月10日(火)、原子力安全・保安院記者会見が行われた。
2012年01月10日(火)、東京電力本社で、記者会見(18:00~、0:40′)が行われた。
RO膜淡水化装置の貯蔵タンクから10リットル漏洩。全βが5×10^5Bq/cm3,Cs134/137は10^2Bq/cm3検出したが、地面にはしみ込んでおらず、漏洩したボルト締めパッキンを増し締めし停止したと発表した。
2012年01月10日(火)、東京電力本社で、記者会見(11:00~、0:16′)が行われた。
年末に停止していた循環型海水浄化装置を再稼働したが水漏れを発見。2×5mの水たまりができており、原因等これから調査する。
淡水化装置の流量計の破損は本日から調査始める。 昨日の心肺停止状態作業者について新たな情報は入っていない。
2012年01月09日(月)、環境ジャーナリストである青木泰氏を講師に迎え、「ガレキ焼却のウソ」と題した講演会が静岡県島田市で開かれた。
島田市の瓦礫受け入れを前に、まず「瓦礫を受け入れるということはどういうことなのか」ということをきちんと知って貰いたい、との主旨。主宰は、木泰講演会実行委員会と静岡県を守る会だ。
2012年1月9日(月)、都内某所で行われた、「第7回 ロックの会」の模様。
2012年01月09日(月)、東京電力本社で、記者会見(18:00~、0:37′)が行われた。
本日は祝日のため、午後のみの会見となった。
蒸発濃縮型の淡水化装置2Bで漏えいが発生し、漏洩量約11Lで堰内に収まっている。
コンクリート打設作業していた協力企業作業員60代男性が体調不良を訴え。5-6号ER室に運ばれたが心肺停止状態だったため、いわき共立病院へ搬送、現在治療中と発表した。
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郡山市在住 30歳。仕事は情報誌の広告営業。実家のある本宮市は、冠婚葬祭など横の繋がりを大切にする土地柄。事故当時は海から離れていたので、津波の映像は他人事のように感じたが、水素爆発を見て心配になった。家族も友人も福島に留まっているので、ひとり離れるのは裏切り行為のような気もする。結婚したいとも、子どもがほしいとも、今は思わないので、放射能のことは気にせず、このまま福島で仕事を続けていこうと思っている。
2012年01月08日(日)、東京電力本社で、記者会見(18:00~、0:14′)が行われた。
1月8日福島第一原子力発電所4号機 使用済燃料プール代替冷却装置エアフィンクーラー チューブからのろ過水が漏えいした。坂下ダムを水源とした淡水であり放射性物質含まれていない。
当該のエアフィンクーラーは当該から切り離し、隔離した。冷却に支障は出ていないと考えると発表した。
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78歳。福島市渡利地区に、妻、次男夫婦、孫2人と暮らす。ベットタウンだった渡利地区は、ドイツのテレビ局が取材に来るほどの高濃度放射線地区になってしまった。健康を考えれば避難すべきだが、働き盛りの息子世代にとっては、即失業につながり、事は簡単ではない。今回の原発事故を第3の敗戦と言う人がいるが、その通りだと思う。国は国民を守らない。責任を誰もとろうとしない不条理の世の中に苛立ちを覚える。福島も沖縄も日本の中の植民地だと感じる。
2012年01月07日(土)、東京電力本社で、記者会見(18:00~、0:18′)が行われた。
40代男性作業員一名が胸痛いと訴え、5-6号機にある診察室で診断、Jビレッジ、その後 いわき共立病院へ搬送され、診断後自宅へ帰宅した。
被ばく線量本日 0.0mSv 累積 0.77mSv被ばくであり、個人的な病気ではないかと考えていると発表した。また、社長の退職金について質問があがったが、払っていないと回答した。
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二本松市在住。40歳。夫と中学・高校の娘2人。家族仲は良く、いつもこたつを囲んでの団らん。避難中も寄り添っていた。迷い悩んだ末に屋内退避を選んだが、自分の危機感は甘いものだったと思う。講演会で内部被曝の深刻さを初めて知り、衝撃を受けた。事故前と変わらない生活を送る娘たちを見るにつけ、悲しくて仕方なかった。いまは一日も早く、子どもたちも納得のいく形で移住させたい。そして、不安を抱えているお母さんたちの力になりたいと思っている。
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39歳。二本松市真行寺副住職。NPO法人「チーム二本松」代表。除染活動や食品の放射能測定は、いろいろな人とのご縁と支援によるもの。声を上げたら応えてくれる人が多くいて、初めて人の温かさ、人を信じることを知った。正確な情報が伝わらず、途方に暮れる檀家を残してここを離れたら、これまで語ってきた「命の教え」に反する、すべてが嘘になってしまうと思い、家族と留まる。理解ある妻に感謝。福島を忘れないでほしいと願う。
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二本松市在住 38歳。家族は、真行寺副住職の夫と 5人の子ども、住職の義父。15歳で妊娠し、出産。夫は生涯をかけて自分と子供を守ってくれる人だと信じていたし、いまもそれは変わらない。事故後、一時県外に避難したが、檀家の期待、必要とされる喜びを知り、ともに二本松で放射能と闘っていこうと戻った。お寺は人が最後に戻っていく命に最も密接に関わる場所。そこを守っていくのが、自分に与えられた使命だと、今は思っている。