タッカー・カールソン氏によるプーチン大統領インタビューの翻訳(第11回)をお届けまします。
- The Vladimir Putin Interview(タッカー・カールソン・ネットワーク、2024年2月8日)
この歴史的インタビューは、ロシアと米国の関係史の、一方の当事国であるプーチン大統領の非常に貴重な証言を含んでいます。
第11回のインタビューでは、幻となったイスタンブール合意の内幕とロシアと宗教と民族の関係について、重要な話が語られています。
2022年3月29日に、イスタンブールで行われたロシアとウクライナの交渉は、ウクライナ側の代表が、ゼレンスキー氏の与党「国民の僕」の党首、ダヴィッド・アラカミア氏でした。
プーチン大統領は、このインタビューで、アラカミア氏は「文書に予備署名までした」と証言しています。
これが合意に至らなかったのは、ボリス・ジョンソン英首相(当時)の介入だったとプーチン氏は、述べています。
このアラカミア氏は、この交渉から1年半後の、2023年11月に、ウクライナのテレビ局のインタビューを受けて、この交渉について述べています。
プーチン氏の証言とアラカミア氏の証言は、微妙に食い違っています。
アラカミア氏の証言からは、ロシアへの恐れと不信、偏見が、色濃く滲みます。
これは、ウクライナ国民すべてを代表した感性ではなく、主に、親欧米系で民族主義者、ネオナチに特有のものです。
「ルッソフォビア」と言われる、ロシアへの恐れと不信、偏見は、現在、交渉中のウクライナと米国との間の「重要鉱物およびレアアース取引」においても、ウクライナの安全の保証という問題として、ゼレンスキー氏がたびたび言及するものの根底にあると思われます。
2月28日に米大統領執務室で行われたゼレンスキー氏とトランプ氏の記者会見でも、この「ルッソフォビア」が、安全の保証要求という形で、たびたび、ゼレンスキー氏の口からもれました。
しかし、ウクライナの国家の安全保障という以上に、ゼレンスキー氏は、テレビカメラの入らないところで、自分と家族の安全保障をも強く米国に求めていた、という説もあります。
また、このインタビューでは、ロシア文化と西欧文化を比較して、プーチン大統領は、たいへん興味深い視点を述べています。
西欧文化の実利性とロシア文化の人間性です。
この実利性は、トランプ氏の「ディール」を中心とした外交政策によく示されています。
インタビュー翻訳の第1回は、以下から御覧になれます。
- タッカー・カールソン氏によるプーチン大統領インタビュー全編の翻訳を開始!(第1回)冒頭は、プーチン大統領による仰天のロシア・ウクライナの歴史講義! IWJは慎重にインタビュー内容を吟味しながら、可能なかぎり注や補説で補い、あるいは間違いの検証をしながら全文の翻訳を進めます!
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以下から、タッカー氏によるプーチン大統領インタビュー第11回となります。
タッカー氏「お聞きしたいのですが、NATOの東方への拡大は、1990年にあなた方全員で約束したことへの違反だと、あなたははっきりおっしゃっていますね。
NATOは、あなたの国に対する脅威です。あなたが、ウクライナに軍を派遣する直前、米国の副大統領がミュンヘン安全保障会議に出席し、ウクライナの大統領にNATOへの加盟をうながしました。それは、あなた方を軍事行動に駆り立てるための試みだったと思いますか?」
プーチン大統領「もう一度繰り返して言いますが、我々は2014年のクーデター後にウクライナで発生した問題の解決策について、平和的手段で模索することを何度も何度も提案してきました。
しかし、誰も私達の言うことを聞かない。しかも、米国の完全な支配下にあったウクライナの指導者達は、突然、『ミンスク合意を順守しない』と宣言しました。
彼らは、そこにあったすべてのことを嫌悪し、あの領土で軍事活動を継続しました。それに並行して、その領土はNATOの軍事機構によって、さまざまな人材訓練や再訓練センターという名目で利用されていました。
つまるところ、彼らはそこに基地を作り始めた。そういうことです。ウクライナは、ロシア人を『非主権的ウクライナ人』(※注1)であると発表し、同時に、ウクライナにおける『非主権的ウクライナ人』の権利を制限する法律を成立させました。
ウクライナは、南東部の領土をすべてロシアの人々からの贈り物として受け取っていたのに、ウクライナは突然、その領土のロシア人が『非主権的ウクライナ人』であると発表したのです。このようなことが正常と言えるでしょうか?
こうしたことが重なって、ネオナチが2014年にウクライナで始めた戦争を終わらせる決断に達したのです」
タッカー氏「ゼレンスキーには、この紛争を解決する交渉の自由があると思いますか?」
プーチン大統領「私は詳細を知りません。もちろん、私が判断するのは難しいが、彼はその自由を持っていると思います。いずれにせよ、かつては持っていました。
彼の父親は、第二次世界大戦中、ファシストのナチスと戦いました。そのことを彼に話したことがあります。私はこう言いました。『ウォロディミル君、君は何をしているのだ? 君の父親はファシズムと戦ったのに、なぜ君は今、ウクライナのネオナチを支持しているのだ?』
彼の父は、最前線の兵士でした。この質問に彼が何と答えたかは教えません。それは別の話題だし、彼の答えを私があなたに教えるのは、違うと思います。
しかし、選択の自由については、それは当然あるでしょう。彼は、ウクライナを平和に導くという、ウクライナ国民の期待を背負って政権に就いた。彼はこのことを語っていた。彼が選挙で圧勝したのは、そのおかげです。
しかし、政権に就いてから、彼は二つのことに気づいたと私は思います。第一に、ネオナチやナショナリストとは、衝突しないほうがいいということです。彼らは攻撃的で、非常に活動的だからです。彼らは何でもするのです。
そして第二に、米国主導の西側諸国は、ネオナチを支援しており、ロシアと敵対する人々ならいつでも支援する。利益になることであり、安全だからです。
だから彼は、ウクライナでの戦争を終わらせると国民に約束したにもかかわらず、実利的な立場をとった。彼は有権者を欺いたのです」
タッカー氏「しかし、自国のためにも、世界全体のためにもなっていないことが明白なこの事態を終わらせるために、ゼレンスキーは、2024年2月の時点で、あなたやあなたの政府と直接話す自由があると思いますか? 彼にそれができると思われますか?」
プーチン大統領「なぜ、それができないのでしょうか? 彼は、自分を国家元首だと思っています。選挙に勝ったのですから。2014年以降ウクライナで起こったことすべてについて、あの時のクーデターが権力の根源だとロシアで考えられているにしても、です。
その意味で、ウクライナ政府には、現在でも欠陥があります。しかし、彼は自分自身を大統領だと考えており、米国、全欧州、そして実質的に世界の他の国々からそのように認められています。
なぜ彼は、戦勝終結のために、我々と話し合うことができないのでしょうか? 彼にはそれができるのです。我々は、イスタンブールでウクライナと交渉しました。そして我々は、合意しました。彼は、それを承知していました(※注2)。
しかも、交渉グループのリーダーであるアラカミア氏は、今でもウクライナ国会であるラーダで、与党の派閥、つまり大統領の政党の党首を務めていると思います。彼は、いまだにラーダで大統領派閥を率いています。彼はまだ、そこに座っています。彼は、文書に予備署名までしたのです。これは言っておかねばなりません。
しかしその後、彼は全世界に向けて、我々はこの文書に署名しようとしていたが、当時の英国首相ジョンソン氏がやってきて、『ロシアと戦った方がいいと』言って、合意を思いとどまらせたと、公言しました。
ロシアとの衝突による損害を取り戻すために必要なものは、すべて提供すると言われて。そしてジョンソン氏の提案に同意した。彼のこの声明は、公表されています。彼はそれを公言しました。彼らはここに戻れるのでしょうか、戻れないのでしょうか。問題は、彼らがそれを望んでいるのか、いないのか、ということです。
さらにウクライナ大統領は、我々との交渉を禁止する法令を出しました。彼にその法令を取り消させてほしい。それで終わりです。実際、我々が交渉を拒否したのではまったくないのです。ロシアは終戦交渉する気があるのか? といつも言われます。あります。
我々が交渉を拒否したことは、ありません。交渉拒否を公言したのは、彼らです。ウクライナ大統領令を取り消し、交渉に入らせましょう。我々は交渉を決して拒絶していません。
英国の元首相であるジョンソン氏の要求や説得に、彼らが従っているのは、馬鹿げているとしか思えませんし、私にはとても悲しいことです。アラカミア氏(ダヴィド・アラカミア氏は、ゼレンスキー氏の党『国民のしもべ』の党首)はこう言っています。私達はすでに1年半前に戦争による敵対行為を止めることができたのに、そうしなかった。英国から説得され、私達は交渉を拒否した。ジョンソン氏は今どこにいるのか? そして戦争は続いている、と。良い質問です」
タッカー氏「あなたは、彼が今どこにいるのか、またなぜ、そんなことをしたのだと思いますか?」
プーチン大統領「それは誰にもわかりません。私にも理解できない。ただ、一般的に広がっていた観点はありました。なぜか誰もが、ロシアは戦場で負けるだろうという幻想をもっていたのです。傲慢さのため、ナイーブな心のためにね。偉大な精神のためではなくて」
タッカー氏「あなたは、ロシアとウクライナの関係を説明しましたね。あなたは何度か、ロシアをロシア正教徒と表現しました。それがあなたのロシア理解の中心ですね。
あなたは、ご自分が正教徒だと言いました。それはあなたにとって、どういう意味ですか? あなたは、ご自身をキリスト教指導者だと言っておられますね。それは、あなたにどのような影響を与えるのですか?」
プーチン大統領「すでに述べたように、988年にウラジーミル王子が祖母のオルガ王女に倣って洗礼を受けました。その後、自分の分隊に洗礼を授けました。それから数年かけて、徐々にルーシ人(ルス、とも)全員にも洗礼を授けました。異教徒からキリスト教徒への、長いプロセスでした。長い年月を要しましたが、最終的にこのロシア正教、つまり東方キリスト教は、ロシアの人々の意識の中に深く根を下ろしました。
ロシアの領土が拡大し、イスラム教徒、仏教徒、ユダヤ教徒の国々を吸収したとき、常にロシアは、異なる宗教の人々に対して、非常に誠実でした。これが、私達の強みです。このことは絶対にはっきりしています。
そして実際、それぞれの宗教における主要な主張や価値観は、非常によく似ています。今申し上げた世界の宗教がすべて同じと言っているわけではありませんし、ロシア連邦の伝統的な宗教が、どれなのか特定しているわけでもありません。
ところで、ロシアの統治者は、ロシア帝国に入ってきた人々の文化や宗教に、常に細心の注意を払っていました。これが、ロシア国家の安全と安定の基礎を形成していると私は考えています。
ロシアに住むすべての民族は、基本的にロシアを自分達の母体と考えています。例えば、ラテンアメリカから米国やヨーロッパに移住してきた人々や、より明確でわかりやすい例として、単にやって来る人々がいますが、彼らは、歴史的に言うところの自分達の祖国から、米国やヨーロッパ諸国にやってきているわけです。
ロシアでは、異なる宗教の人々が、ロシアを自分達の祖国と考えている。彼らに他の祖国はない。私達は一緒にいる。それはひとつの大きな家族であり、私達の伝統的な価値観は非常によく似ている。今、一つの大きな家族と言いましたが、誰もが、自分の家族を持っています。これが、私達の社会の基本です。
そして、祖国とそれぞれの家族が、特別な関係で結ばれていると言えば、確かにそうなのです。正常で持続可能な未来を国全体に、祖国に確保しない限り、子供達や家族の正常な未来を確保することは不可能だからです。だからこそ、ロシアでは愛国心が強いのです」
タッカー氏「宗教には、それぞれ異なる点がありますが、そのひとつに、キリスト教が特に非暴力の宗教だということです。イエスは、頬を殴られたならもう一方の頬を差し出せ、と言っています。殺してはいけない、とも言っています。
どの国であれ、人を殺さなければならない指導者が、どうしてキリスト教を信仰できるのでしょうか? そのことを、どう自分に納得させるのですか?」
プーチン大統領「自分や家族、祖国を守ることはとても簡単です。我々は誰も攻撃しません。ウクライナの情勢は、いつ始まったのでしょうか?
クーデターと、ドンバスでの敵対行為が始まってからです。それが始まりなのです。彼らがそれを始め、そして私達は国民、私達自身、祖国、そして私達の未来を守ってきました。
一般的に言って、宗教は外面的なものではありません。毎日教会に行くことでも、床に頭を打ち付けることでもない。それは心の中にあるもので、私達の文化はとても人間的なものです。
ドストエフスキーは、西洋ではとても有名で、ロシア文化、ロシア文学の天才ですが、ロシアの魂について、多くを語っています。
結局のところ、西洋社会はより実利的です。ロシア人はもっと永遠について、道徳的価値について考えています。あなたが私の考えに賛成されるかどうかはわかりませんが、とどのつまり、西洋文化はより実利的です。
それが悪いと言っているのではありません。そのおかげで、今日の黄金の10億人が、生産面や、また科学面などでさえ、大きな成功を収めることができています。それは悪いことではありません。私が言っているのはただ、私達が見ているのは同じ…(タッカー氏の声がかぶさり、聞き取れない)」
タッカー氏「では、今、世界で起きていることを見渡して、超自然的なことが働いていると思いますか? あなたには、神が働いているのが見えるのですか? 人間にはない力が働いていると思うことはありますか?」
プーチン大統領「いや、正直なところ私は、そうは思いません。私の考えでは、世界共同体の発展は、人類に内在する法則に則ったものであり、その法則が現に働いているのです。
人類の歴史上、常にそうでした。ある民族や国が台頭し、より強く、人口がより大きくなり、そしてそれから、その民族や国は国際舞台から去り、慣れ親しんだ地位を失ってきました。
例をあげる必要はないかもしれませんが、チンギス・ハーンと遊牧民の征服者達、金帳(※注3)から始まり、ローマ帝国で終わるのです。人類の歴史上、ローマ帝国のようなものは、他に存在しなかったように思います。とはいえ、蛮族の潜在力は徐々に高まり、人口も増えていきました。概して、蛮族は強くなり、今日で言うところの経済発展を始めました。
そしてそれが結局、ローマ帝国とローマ人の支配体制の崩壊につながったのです。しかし、ローマ帝国が崩壊するまでには5世紀を要しました。その時起こったことが、今起きていることと違うのは、現在のすべての変化のプロセスが、ローマ時代よりもはるかに速いペースで起きているということです」
(※注1)「非主権的ウクライナ人」とは、ロシア系住民やロシア語話者を、ウクライナ国家の完全な主権を享受する市民とは見なさない、あるいは市民権や基本的人権が制限された存在として扱うということ。要するに、ウクライナにおいて、は、ロシア系住民を二級市民扱いとするということ。
(※注2)イスタンブール合意とは、トルコ政府の仲介により、2022年3月29日に、イスタンブールで行われたロシアとウクライナの対面交渉。ウクライナの中立化、NATOへの非加盟、領土問題の長期的解決、安全保障の枠組みなどが議論されたが、英国のボリス・ジョンソン首相(当時)の介入と、ブチャ虐殺の報道によって、合意は成立しなかった。
イスタンブール交渉のウクライナ側代表者であるダヴィッド・アラカミア氏は、2023年11月、ウクライナのテレビ司会者ナターリヤ・モセイチュク氏のロングインタビューに応じて、次のように証言している。
アラカミア氏「私の見解では、ロシア側は本当に、本当に、ほぼ最後の瞬間まで、私達をそのような合意に署名させることができると期待していました。
つまり、私達が中立を受け入れることです。これは、彼らにとって最も重要な問題でした。もし私達が、かつてフィンランドが採用したような中立政策を受け入れ、NATOに加盟しないという約束をすれば、彼らは戦争を終わらせる用意があったのです。
事実上、唯一の重要なポイントは、この中立化の問題でした。他のことはすべて、例えば『非ナチ化』やロシア語話者の保護といった政治的な化粧飾りに過ぎず、いわば『お飾り』のようなものでした」
モセイチュク氏「では、なぜウクライナはこの提案を受け入れなかったのか?」
アラカミア氏「この点について、第一に、この点に同意するためには憲法を改正する必要があります。我々のNATO加盟への道は、憲法に記されています。
第二に、ロシア人がそれを実行するという信頼は、これまでもなかったし、今もありません。
唯一の方法は、安全の保証がある場合だけでした。我々は何かを署名して撤退し、皆が安堵したとしても、彼ら(ロシア側)はより準備を整えて再び侵攻してきたでしょう。
実際、彼らは、そのような抵抗に直面する準備ができていなかったのです。
したがって、我々はそれが二度と繰り返されないと100%確信できる場合にのみ交渉を進めることができましたが、そのような確信はありませんでした。
さらに言えば、私達がイスタンブールから帰国した後、ボリス・ジョンソン(当時の英国首相)がキーウに来て、『我々は彼ら(ロシア)と何も署名しない。ただ戦おう』と述べたのです」
※Davyd Arakhamia Interview on Istanbul RU-UKR Peace Negotiations(@Julius-AK、2024年10月6日)(※注3)金帳、汗国、とは、キプチャク、ハン国。モンゴル帝国の後継諸国であるハン国(汗国)のひとつ。チンギス・ハン(ジンギスカン)の長男ジョチ・ウルスに与えられた、アルタイ山脈地帯を領地とするハン国で、ジョチの息子のバトゥが、ロシア、ウクライナ、東欧の地を征服し、キエフ公国も滅ぼされた。
このスラブ諸族全体に対するキプチャク・ハン国による支配を「タタールのくびき」と呼ぶ。この「タタールのくびき」から、いち早く抜け出したのが、モスクワ公国で、その後、支配領域を拡大し、ロシア帝国を形成した。モンゴル帝国の支配者は、巨大な天幕をもっていた。黄金色に内装されていたため、ロシア語で「ゾロタヤ・オルダ(黄金の天幕)」と言われた。英語でゴールデン・ホルド、日本語で「金帳」。