IWJ代表の岩上安身です。
ピューリッツァー賞を受賞した作家・ジャーナリストであり、『ニューヨーク・タイムズ』の海外特派員を15年間務めた、フリージャーナリストであるクリス・ヘッジズ氏が、現役の米空軍兵士で、ガザのジェノサイドに加担させられたことに抗議し、焼身自殺したアーロン・ブッシュネル氏について、3月1日、「アーロン・ブッシュネルの神聖なる暴力―アーロン・ブッシュネルの焼身自殺は、究極的には宗教的な行為であり、善と悪を根本的に区別し、私達に抵抗するよう呼びかけるものだった」という記事を、『サブスタック』上に発表しました。
現役の米空軍兵士であるアーロン・ブッシュネル氏が、「私はもうこのジェノサイドに加担するつもりはない」と静かに述べたのち、「パレスチナを解放せよ!」と叫びながら、ワシントンDCのイスラエル大使館の前で、焼身自殺した件については、6日の『日刊IWJガイド』でお伝えしました。
ブッシュネル氏の焼身自殺について、『ニューヨーク・タイムズ』をはじめとする西側メディアは、「動機」を「精神疾患」だとする印象操作記事を出したり、人々を不安に陥れる暴力だと批判しました。
しかし、『日刊IWJガイド』では、ブッシュネル氏が時間をかけて「極端な抗議活動」を準備して熟慮の上、細部まで計算した上で焼身自殺を行ったのではないか、と推測しました。
また、第70諜報・監視・偵察(ISR)航空団に配属されたサイバー防衛作戦のスペシャリストであったブッシュネル氏が「米軍がガザでのジェノサイドを直接行っている、米軍が地下トンネルで戦っている」と、ガザで行われているジェノサイドに文字通り主体的に加担していることを、告発していた可能性についてもご紹介しました。
さらに、ブッシュネル氏の焼身自殺が米国内、そして世界でも反響を呼んでいる様子をお伝えしました。
※はじめに~現役の米空軍兵士が「私はもうこのジェノサイドに加担するつもりはない」と叫びながら、在米イスラエル大使館の前で、抗議の焼身自殺! 米国よ! シオニスト・イスラエルよ! 世界よ!「パレスチナを解放せよ!」という最期の叫びを聞け! 西側メディアは「精神疾患」か「暴力」だと非難し、卑劣なスピンコントロールを展開! 彼の抗議内容の報道をも抑制する中、『ニューヨーク・ポスト』が、ブッシュネル氏は「ガザの地下にあるハマスのトンネルで、米軍が戦っている、殺人に参加しているのは米兵だ」「パレスチナで起こっているジェノサイドに米軍が関与している」と述べていたとする証言をスクープ!
(日刊IWJガイド、2024.3.6号)
クリス・ヘッジズ氏は、ブッシュネル氏の焼身自殺を、ベトナム戦争時の仏教僧らによる焼身自殺や、米国の反戦運動家の焼身自殺、「アラブの春」につながった、チュニジアでの露天商の青年による焼身自殺、チェコスロバキアでソ連軍の侵攻に抗議した大学生の焼身自殺などの事例を挙げながら、「いつの日か、イスラエルの企業国家とアパルトヘイト国家が解体されれば、ブッシュネルが自分に火をつけた通りは、彼の名を冠することになるだろう」と論じています。
詳しくは、ぜひ、IWJの会員となって、以下の仮訳・粗訳をお読みください。
アーロン・ブッシュネルの神聖なる暴力
――アーロン・ブッシュネルの焼身自殺は、究極的には宗教的な行為であり、善と悪を根本的に区別し、私達に抵抗するよう呼びかけるものだった。
クリス・ヘッジズ
2024年3月1日
https://chrishedges.substack.com/p/aaron-bushnells-divine-violence
アーロン・ブッシュネルは、ライブストリーミングをするために携帯電話を地面に置き、ワシントンD.C.のイスラエル大使館前で自分自身に火を放ち(※1)、過激な悪に対抗する神聖なる暴力を用いて、死に至った。
「私はもう、ジェノサイドに加担するつもりはありません」。
(イスラエル)大使館の門に向かいながら、彼はビデオで穏やかに語った(※4)。
「私はこれから極端な抗議行動を起こそうとしています。しかし、パレスチナの人々が、植民地支配者の手によって経験してきたことに比べれば、まったく極端なことではないでしょう。
これが、私達の支配階級が決めた『ノーマル』なのです」。
若い男女が軍隊に入隊する理由はたくさんあるが、女性や子供を殺したり、飢えさせたり、爆撃したり、殺したりすることは、普通は理由のうちに入っていない。
公正な世界では、米艦隊は、イスラエルによるガザ封鎖を解除し、食料、避難所、医薬品を提供すべきではないのか?
米軍の戦闘機は、ガザ上空に飛行禁止区域(※5)を設定し、(イスラエルによる)飽和爆撃を停止させるべきではないか?
イスラエルに対して、ガザから撤退するように、最後通告を突きつけるべきではないか?
イスラエルに提供している武器輸送、数十億ドルの軍事援助と、情報提供を停止すべきではないのか?
ジェノサイドを行う者、またジェノサイドを支援する者は、責任を問われるべきではないのか?
ブッシュネルの死が私達に突きつけたのは、こうした素朴な疑問であった。
「私達の多くは、自問自答するのが好きだ」と彼は自殺の直前に投稿した(※6)。
「あるいは、ジム・クロウ法(※IWJ注1)下の南部? あるいはアパルトヘイト? 自分の国がジェノサイドを行っていたら、私はどうするだろうか? その答えは、あなたがそれをやっているということです。まさに、今」。
第一次湾岸戦争の後、連合軍は1991年、クルド人を保護するためにイラク北部に介入した。クルド人の犠牲は甚大だったが、ガザでのジェノサイドに比べれば、小さく見える。イラク空軍に対して、飛行禁止区域が設定された(※7)。イラク軍は北部クルド地域から追い出され、人道的援助が、クルド人を飢餓、感染症、曝露による死から救ったのだ。
しかし、それは別の時、別の戦争だった。ジェノサイドは、敵によって実行されるときは悪である。私達の同盟国によって実行されれば、ジェノサイドは擁護され、継続される。
ヴァルター・ベンヤミン(ドイツの軍国主義と第一次世界大戦に抗議するため、1914年に友人のフリッツ・ハインレとリカ・セリグソンが自殺した)は、そのエッセイ『暴力批判』の中で、過激な悪に立ち向かうために、個人が行う暴力行為について考察している。
過激な悪に逆らう行為は、正義の名の下に法を破ることになる。個人の主権と尊厳を肯定する。国家の強制的な暴力を非難する。自分の死をも厭わない。ベンヤミンはこうした極端な抵抗行為を「神聖なる暴力」と呼んだ。
「希望を失った人々のためにのみ、私達には希望を与えられた」とベンヤミンは書いている。
ブッシュネルの焼身自殺(ほとんどのソーシャルメディアへの投稿や報道機関が厳しく検閲されている)は、まさに核心をついている。それは見られるためにあるのだ。
ブッシュネルは、子供を含む何千人ものパレスチナ人が消された(※8)のと同じ方法で、自分の命を消した。私達は、彼が焼け死ぬ姿を見ることができた。これがそのありようだ。これは、私達のせいで、パレスチナ人に起こっていることなのだ。
ブッシュネルの焼身自殺のイメージは、1963年にベトナムで起きた仏教僧ティック・クアン・ドゥック(※9)や、2010年にチュニジアで起きた若い果物売りモハメド・ブアジジ(※10)の焼身自殺と同様、強力な政治的メッセージである。
※ここから先は【会員版】となります。会員へのご登録はこちらからお願いいたします。ぜひ、新規の会員となって、あるいは休会している方は再開して、御覧になってください!
https://iwj.co.jp/ec/entry/kiyaku.php
(会員限定・続きを読む
https://iwj.co.jp/wj/member/archives/522037)
<ここから特別公開中>
それは見る者を眠りから覚醒させる。見る者に思い込みに疑問を抱かせる。見る者に行動を促す。それは政治的な演劇であり、あるいは宗教的な儀式なのかもしれない。
仏教僧のティック・ニャット・ハン(※IWJ注2)は、焼身自殺についてこう語っている。「焼身自殺によって意志を表明することは、破壊行為ではなく、建設行為である。それは自分の国の人々のために、苦しみ死ぬことである」。
もし、ブッシュネルが死ぬことを厭わず、炎の中で「パレスチナ解放!」と繰り返し叫んだのであれば、(※パレスチナで起こっているジェノサイドに関連する)何かがひどく、ひどく間違っているはずだ。
このような個人の自己犠牲は、しばしば大衆の反対運動の結集点となる。チュニジア、リビア、エジプト、イエメン、バーレーン、シリアで起こったように、革命的な大変動を引き起こす可能性がある。
地元当局が自分の計量器や農産物を没収したことに憤慨したブアジジは、革命を起こすつもりはなかった。しかし、腐敗したベン・アリ政権下で、彼が耐えた些細で屈辱的な不正は、虐待を受けた国民の心に響いた。もし、彼が死ぬことができるのであれば、人々は街頭に出ることができるのだ。
これらの行為は、犠牲的な誕生だ。それらは何か新しいことの予兆である。それらは、最も劇的な形で、慣習や支配的な権力システムを完全に拒絶する。それらは、恐ろしいものになるようにデザインされている。それらは衝撃を与えることを目的としている。焼身自殺は、最も恐ろしい死に方のひとつである。
焼身自殺(Self-immolation)は、ラテン語の語幹「immolare(※11)」に由来する。神聖なる生贄を捧げるときに、塩付の小麦粉を生贄にふりかけるという意味だ。ブッシュネルのような焼身自殺は、犠牲的な死を媒介として、聖なるものと俗なるものを結びつける。
しかし、この極地に至るためには、神学者ラインホルド・ニーバー(※IWJ注3)が言うところの「魂の崇高なる狂気」が必要だ。彼は、「そのような狂気以外には、高位の悪意ある権力や霊的な邪悪と戦うことはできない」と述べている。この狂気は危険であるが、過激的な悪に立ち向かうときには必要なものである。なぜなら、それがなければ「真実は曖昧になる」からだ。
ニーバーは、自由主義には、「世界を荒廃してゆく軌道から脱却させるために必要な、熱狂とまでは言わないが、熱中する精神が欠けている」と警告する。「歴史を動かす大きな力となるには、あまりにも知的で、あまりにも感情に欠けている」。
この極端な抗議行動、この「崇高なる狂気」は、歴史を通じて抑圧された人々の強力な武器となってきた。
2009年以降、中国の占領に抗議するためにチベットで起きた約160件の焼身自殺(※12)は、宗教的儀式であり、犠牲者達の国家の支配からの独立を宣言する行為として、認識されている。焼身自殺は、私達を異なる生き方へと導く。これらの生贄となった犠牲者たちは、殉教者となる。
抵抗の共同体は、たとえ世俗的なものであっても、殉教者の犠牲によって結ばれている。背教者だけが記憶を裏切る。殉教者は、その自己犠牲を示すことによって、国家の強制力と絆を弱め、断ち切る。殉教者は、現状に対する完全な拒絶の象徴である。だからこそ、すべての国家は、殉教者の信用を失墜させ、殉教者を非人間的な存在にしようとする。彼らは、死後も、殉教者のもつ力を知っており、それを恐れているのだ。
ダニエル・エルズバーグは、1965年、22歳の反戦活動家ノーマン・モリソンが、ベトナム戦争に抗議するため、ペンタゴンにあるロバート・マクナマラ国防長官の執務室の外で、灯油を浴びて自らに火をつけ、炎が空中3メートルの高さまで燃え上がったのを目撃した(※13)。エルズバーグは、『ペンタゴン・ペーパーズ』を公表するに至った要因のひとつとして、全国的な反戦抗議運動とともに、この焼身自殺をあげている(※14)。
急進派のカトリック司祭ダニエル・ベリガン(※15)は、戦時中、平和使節団とともに北ベトナムを訪れた後、ロナルド・ブレジー(※16)の病室を訪れた。ブレイジーは高校生で、戦争に抗議するため、ニューヨーク州シラキュースのダウンタウンにある、無原罪聖母大聖堂の前で、灯油を浴びて焼身自殺した。
「彼は1ヵ月後も生きていた」と、ベリガンは書いている。
「私は彼に近づくことができた。肉の焼ける臭いを嗅いで、私は北ベトナムで見たことを改めて理解した。少年は苦しみの中で死につつあり、その体はまるで、グリルに投げ込まれた大きな肉塊のようだった。彼はその後、すぐに亡くなった。
私は、自分の感覚が、新たな方法によって侵されているのを感じた。私は、現代世界における死の力を理解した。私は死に対して語り、行動しなければならないと思った。この少年の死が『子供達が燃える国(※ベトナム)』で何千倍にも膨れ上がっているのだから。だから私は、ハノイに行って、ケイトンズビルに行った」。
1968年5月17日、メリーランド州ケイトンズビルで、ベリガンと、カトンズビル・ナイン(※17)として知られる8人の活動家が、徴兵委員会に侵入した。彼らは378冊の徴兵ファイルを奪って、駐車場で、手製のナパーム弾で燃やした。ベリガンは、連邦刑務所で3年の刑を宣告された。
1989年、私はビロード革命(※18)のためにプラハにいた。
私は、ヤン・パラチ(※IWJ注4)という20歳の大学生の焼身自殺の追悼式に出席した。パラチは1969年、ヴァーツラフ広場にある国立劇場の外階段に立ち、自らガソリンをかぶって火をつけた。彼はその火傷のために、3日後に死んだ。彼は、この行為が、5ヶ月前に起きたソ連のチェコスロバキア侵攻に抗議する唯一の方法だった、というメモを残した。彼の葬列は、警察によって解散させられた。
オルサニ墓地の彼の墓前で、ロウソクを灯す追悼集会が頻繁に開かれていたとき、共産主義当局は、彼の記憶を抹消しようと決めて、その遺体を掘り起こし、火葬にして、遺灰を母親に手渡した。
1989年の冬、パラチの顔が描かれたポスターがプラハの壁を覆った。20年前の彼の死は、アレクサンドル・ドゥブチェク政権打倒後に樹立された、ソ連と親ソ連政権に対する最高の抵抗行為として讃えられた。何千人もの人々が、赤軍兵士広場まで行進し、ヤン・パラチ広場と改名した。彼は勝利したのだ。
いつの日か、イスラエルの企業国家とアパルトヘイト国家が解体されれば、ブッシュネルが自分に火をつけた通りは、彼の名を冠することになるだろう。ブッシュネルはパラチのように、その道徳的勇気を称賛されるだろう。
世界の大半から裏切られたパレスチナ人は、すでに彼を英雄視している(※19)。彼のおかげで、私達すべてを悪者にすることは不可能になる。
神聖なる暴力は、腐敗し、信用を失った支配階級を恐怖に陥れる。それは彼らの堕落を暴露する。これは、誰もが恐怖で身動きできないほど麻痺しているわけではないことを示している。それは、過激な悪との戦いへと誘う呼び声である。それがブッシュネルが意図したことだった。彼の犠牲は、私達の、より良い自己に語りかけるのである。
———-
(※1)Suicide vs genocide: Rest in power, Aaron Bushnell(ALJAZERRA、2024年2月26日)
https://www.aljazeera.com/opinions/2024/2/26/suicide-vs-genocide-rest-in-power-aaron-bushnell
(※2)Chris Hedges: ‘The Genocide in Gaza’(SCHEET POST、2023年12月10日)
https://scheerpost.com/2023/12/10/chris-hedges-the-genocide-in-gaza/
→【IWJ】ヘッジズ氏が12月6日に、独立系メディア『サンクチュアリ』のために、ニューヨークで行った講演の記録。以下で公園の動画を見ることができる。
・Chris Hedges “The Genocide in Gaza”(mediasanctuary、2023年12月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=ly6lfhOxTe0
(※3)Israel’s war on Gaza: How has the US extended military support to its biggest recipient(Middle East、2024年2月26日)
https://www.aa.com.tr/en/middle-east/israel-s-war-on-gaza-how-has-the-us-extended-military-support-to-its-biggest-recipient/3148155#
(※4)Marc Owen Jones@marcowenjones(午後3:31・2024年2月26日)
https://twitter.com/marcowenjones/status/1762002313546178728
→【IWJ】「Here’s a transcript of the video and Bushnell’s final moments.
“Hi my name is Aaron Bushnell, I am an active duty member of the United States Air Force and I will no longer be complicit in genocide.
I am about to engage in an extreme act of protest, but compared to what people have been experiencing in Palestine at the hands of their colonizers it’s not extreme at all. This is what our ruling class has decided, will be normal”.
*Bushnell arrives at embassy gate and places the camera down, empties flammable liquid from canteen on his head and takes out light*
“Free Palestine!”
*uses lighter to ignite himself*
“Free Palestine!
FREE PALESTINE!
FREE PALESTINE!
FREE PALESTINE!
FREE PALESTINE!”
*screams of pain*
“Free Palestine”
*Bushnell is silent*」
(※5)No-fly zone: What it means and why the West won’t act(BBC、2022年3月1日)
https://www.bbc.com/news/world-europe-60576443
→【IWJ】飛行禁止区域とは、特定の航空機が飛行できないことが(特に軍事的に)確立された空域を指す。
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻すると、即座に、ボリス・ジョンソン英首相は「ウクライナの人々は、私達の空を守るために、西側に対して必死に飛行禁止区域を求めている。私達は飛行禁止区域を求めている」と発言した。
(※6)(archive.today)
https://archive.is/YvdgG
→【IWJ】『TWICH TV』『Facebook』に投稿されたもの。
(※7)Crisis in Iraq: Operation PROVE COMFORT(1991年4月5日-1996年12月31日)
https://media.defense.gov/2012/Aug/23/2001330108/-1/-1/0/Op%252525252520Provide%252525252520Comfort.pdf
→【IWJ】1991年、米英等の連合国軍が飛行禁止区域を一方的に設定し、北部からイラク軍が撤退したことを契機に、クルド人指導者とその治安部隊ペシュメルガは、イラク北部を実効支配するようになった。
・イラク:連続する危機から立ち直れるか(カミカワチカ、GNW、2023年10月26日)
https://globalnewsview.org/archives/22458
(※8)It May be Genocide, But it Won’t Be Stopped(The Chris Hedges Report、2024年1月27日)
https://chrishedges.substack.com/p/it-may-be-genocide-but-it-wont-be
→【IWJ】この論考で、ヘッジズは、南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)に提出した申請書に従って、ICJがイスラエルにジェノサイド行為を防ぐための6つの暫定措置を講じるよう命じた出来事について、それでもジェノサイドは止められないだろうと論じている。
IWJでは、ガザで行われているジェノサイドについてのクリス・ヘッジズのレポートを3編、号外で紹介してきた。
(※9)Thich Quang Duc And The True Story Of The Burning Monk Photograph(All That Interesting、2022年11月2日)
https://allthatsinteresting.com/thich-quang-duc-burning-monk
→【IWJ】1963年6月11日、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム初代大統領による仏教と弾圧に抗議して、サイゴンのカンボジア大使館前で、僧侶ティク・クアン・ドクが焼身自殺した。この焼身自殺は、米国の傀儡であるゴ・ディン・ジエム政権に対する反政府運動を引き起こし、米国のベトナム戦争参戦につながる一連の出来事を引き起こした。
(※10)Remembering Mohamed Bouazizi: The man who sparked the Arab Spring(ALJAZEERA、2020年12月17日)
https://www.aljazeera.com/features/2020/12/17/remembering-mohamed-bouazizi-his-death-triggered-the-arab
→【IWJ】2010年12月17日、チュニジアで、警察が無許可で露天商をしていたとして、モハメド・ブアジジ(26歳)から計量器などを押収した。警察内部や政府職員の間での汚職は多発していた。警察は、ブアジジに賄賂や売上や商品を日常的に要求していた。ブアジジは、知事に苦情を申し立てるために州庁舎に赴いたが、知事は面会を拒否した。絶望したブアジジは州庁舎外の路上で焼身自殺した。抗議運動が広がり、1月14日、チュニジアのベン・アリ政権は崩壊し、ベン・アリ大統領は国外へ逃亡した。ブアジジの死がきっかけとなって「アラブの春」が引き起こされた。
・アラブの春が始まった場所(アラブ・ニュース、2020年5月14日)
https://www.arabnews.jp/article/45thanniversary/article_17839/
(※11)immolo(Wiktionary)
https://en.wiktionary.org/wiki/immolo#Latin
(※12)Self-immolation protests by Tibetans in China(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Self-immolation_protests_by_Tibetans_in_China
→【IWJ】2009年2月27日、チベットのキルティ僧院の若い僧侶、タペイが焼身自殺。2011年3月16日、四川省で起きたチベット仏教僧侶であるリグジン・プンツォグの焼身自殺の後、チベットだけでなくインドやネパールでもチベット人による焼身自殺の波が起きた。2022年5月までに、チベットでは160人の僧侶、尼僧、一般人らが焼身自殺をした。
(※13)I told them to be brave(The Guardian、2010年10月16日)
https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2010/oct/16/norman-morrison-vietnam-war-protest
→【IWJ】ノーマン・モリソン(1933-1965)ペンシルベニア州生まれの平和活動家。妻のアン・モリソンは「ノーマンは、アメリカのベトナムへの軍事介入によって引き起こされた人命の損失と苦痛についての懸念を表明するために、自らの命を捧げたのです」と述べている。
・Norman Morrison(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Norman_Morrison
(※14)Pentagon Papers, Watergate and Trials(The Ellsberg Archive Project)
https://www.umass.edu/ellsberg/featured-documents/pentagon-papers-watergate-and-trials/
→【IWJ】1971年、ランド研究所に在籍中のダニエル・エルズバーグは、7000ページ、47巻に及ぶ米国防省の機密書類「ペンタゴン・ペーパーズ(1945年から1968年のベトナムにおける米国の意思決定の歴史)」を『ニューヨーク・タイムズ』にリークした。
ダニエル・エルズバーグ(Daniel Ellsberg、1931-2023)、ミシガン州デトロイト出身、ハーバード大学経済学部卒業。1964年、米国防総省に入り、国防次官補ジョン・マクノートンの特別補佐官に就任した。1965年、ゲリラ対策顧問としてベトナム戦争に参加。1967年、ポーター次席大使の下でベトナム戦争の平定計画担当補佐官。こうした中、米国のベトナム政策に批判的となり、タカ派からハト派に転向、1967年7月国防総省からランド研究所に移った。
・ダニエル・エルズバーグ(wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
(※15)Bearing the Cross(CHRIS HEDGES、td、2016年5月9日)
https://www.truthdig.com/articles/bearing-the-cross/
→【IWJ】ダニエル・ベリガン(Daniel Berrigan)1921-2016、ミネソタ州バージニア生まれ。1939年に高校を卒業すると、イエズス会に入会し、1952年6月19日に司祭に叙階された。1963年、ベトナム戦争に対する抗議活動を組織する団体「カトリック平和フェローシップ」を設立。1965年、ベトナムを懸念する聖職者および信徒(CALCAV)を設立。1968年1月、テト攻勢中にハノイ訪問。
・Daniel Berrigan(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Berrigan
(※16)There But for Fortune: The Story of Ronald Brazee(Syracuse New Times、2015年5月22日)
https://syracusenewtimes.com/there-but-for-fortune/
→【IWJ】1968年3月、16歳のロナルド・ブレイジー(Ronald Brazee、1951-1968)は、ニューヨーク州シラキュースの無原罪大聖堂の前で焼身自殺をした。全身に90%の火傷を負い、4月27日に肺炎のため死去した。
(※17)Eunice Wong Jack Cummings III The Nature and Cost of Civil Disobedience(The Chris Hedges YouTube Channel、2022年7月7日)
https://www.youtube.com/watch?v=f5qGuYxN7lQ
→【IWJ】「ケイトンズビルナイン」は、ベトナム戦争に抗議するために徴兵ファイルを燃やした9人のカトリック活動家。ダニエル・ベリガン神父(イエズス会の司祭)、フィリップ・ベリガン神父(ジョセフ派の司祭)ら。
・Catonsville Nine
https://en.wikipedia.org/wiki/Catonsville_Nine
(※18)Velvet Revolution(Britannica)
https://www.britannica.com/topic/Velvet-Revolution
→【IWJ】1989年11月17日、チェコスロバキア社会主義共和国で勃発した民主化革命。プラハ市中心部のヴァーツラフ広場に向かい始めたため、国民保安隊公安部が市街地各所を封鎖、内務省軍事局特殊目的部がデモ隊に対して警棒で攻撃し、強制的に解散させた。
民主化勢力の「独立医療委員会」は後に、この衝突で学生ら568人が負傷したと発表したが、大きな流血に至る事態は起こらなかったことから、軽く柔らかなビロードの生地にたとえて名付けられたとされる。
抗議活動のデモ・ストライキは続き、11月24日、当時のチェコスロバキア共産党のミロシュ・ヤケシュらチェコスロバキア共産党幹部全員が辞任、共産党政権が事実上崩壊した。
・ビロード革命(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E9%9D%A9%E5%91%BD
(※19)Palestinians mourn “heroic” Aaron Bushnell(The Electronic Intifada、2024年2月27日)
https://electronicintifada.net/blogs/tamara-nassar/palestinians-mourn-heroic-aaron-bushnell
→【IWJ】『エレクトロニック・インティファーダ』「ハマスはブッシュネル氏を追悼する声明を発表し、バイデン政権が『パレスチナ人民に対する殲滅戦争においてナチス・シオニスト組織を支援した政策によるもの』として、ブッシュネル氏の死の完全な責任を負っていると非難した。
同団体はさらに、『英雄的なパイロット、アーロン・ブシュネルは、パレスチナ人民と世界の自由民の記憶の中で不滅であり、我が国民とその大義に対する世界人類の連帯精神の象徴である』と続けた。
左派政党であり抵抗組織であるパレスチナ解放人民戦線も、ブッシュネル氏の死を悼んだ。
同団体は『兵士(ブッシュネル)の家族と、名誉ある立場をとり、ガザ地区での虐殺戦争を止める闘争と、圧力を止めなかったすべての米国の連帯活動家との完全な連帯』を表明した。
同団体はさらに、『悲劇的で苦痛かもしれないが、これは最高の犠牲であり、称賛であり、米国政府に伝えられた最も痛ましいメッセージとみなされている』と付け加えた。
ガザのパレスチナ人はブッシュネル氏を悼み、彼の連帯行動を歓迎した」。
—–
(※IWJ注1)ジム・クロウ法:ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、1876年から1964年の公民権法が制定されるまで続いた、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称。病院、学校、レストラン、バス・電車などの交通機関、公園・水道・トイレなどの公共施設を、白人用と黒人用に分離する。白人と黒人の結婚や交際も禁止された。
・ジム・クロウ法(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6%E6%B3%95
(※IWJ注2)ティック・ニャット・ハン:1926年-2022年。ベトナム出身の禅僧、平和・人権運動家。平和活動に従事する代表的な仏教者であり、行動する仏教または社会参画仏教(Engaged Buddhism)の命名者でもある。
・ティク・ナット・ハン(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3
(※IWJ注3)ラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr): 1892年-1971年、父は福音派ルーテル教会会議の牧師。ミズーリ州ライトシティ生まれ。米国を代表する神学者および倫理学者。彼は 1913 年に北米ドイツ福音教会会議で牧師に叙階された。1920年代にはマルクス主義の影響を受けて社会党と社会主義キリスト教徒に加わった。
・Niebuhr, re-issue: Moral Man and Immoral Society (1932)(『道徳的人間と不道徳な社会』)
https://pres-outlook.org/2007/11/niebuhr-re-issue-moral-man-and-immoral-society-1932/
(※IWJ注4)ヤン・パラチ(Jan Palach):1948-1969、1969年1月16日、ヴァーツラフ広場でソ連の侵略に抗議して焼身自殺。プラハのカレル大学で歴史と政治経済を学ぶチェコの学生だった。2月25日、もう一人の学生、ヤン・ザイクが同じ場所で焼身自殺。4月にイフラヴァで、エフジェン・プロチェクが続いた。
パラチの焼身自殺の影響を恐れ、チェコスロバキアの秘密警察(StB)は、1973年10月25日の夜に彼の遺体を掘り起こした。
・Jan Palach(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Palach